第21話 散りゆく運命
「知りたくなんて、なかった――桜の花が散る度に、あなたの命が散るってこと」
え……? 部屋の中からぽつりと聞こえた江良の言葉に、思わず足の力が抜けて身を崩し、ガタっと後ずさる。
「――誰だ!」
残花が扉を開けた。私は今、どんな顔をしているだろう。泣きたくて、驚いて、怖くて、ただ、首を横に振った。何も言葉が出てこない。
「タネ……聞いていたのか」
残花の問いに、私は黙ったまま小さく頷く。
「……隠していたわけではない。余計な心配をかけぬためだ」
私はまた、小さく頷いた。残花は言葉を続ける。
「命が散るといっても、僅かなものだ。それでお前の命が救えるなら安いもの――」
「――安くない」
即座に、首を振った。
「安く、ないよ」
視界が潤み、ぼやける。ぼろぼろと涙が溢れ出す。
「やだよ……! 残花の言ってたこと、やっとわかった。黄泉を斬るまでは……って、そういうこと。私、嫌だ……!」
目を拭っても拭っても、心から涙が溢れて。ぐちゃぐちゃな気持ちが、そのまま口から飛び出していく。
「私、残花の命を削って生きたくなんてないよ。笑えないよ! 全然、綺麗じゃない。桜なんて! 馬鹿だった……何も知らずに、私……!」
残花は部屋から一歩進み出て、取り乱す私を抱き締めた。
「お前は、何も悪くない。これは俺の運命なのだ」
「わかんない、わかんないよ……!」
残花の胸に顔を埋め、泣く。
「黄泉を斬るには、命を散らしてでも桜花の剣を振るうほか無い。黄泉を斬らねば、天地を守るため死して力を譲るほか無い。いずれにせよ散る運命ならば、俺は咲き誇る道を選ぶ」
「……!」
私は拳を握り締め、どんと残花の胸を叩く。
どん、どん、どん。
やりきれない思いが胸を埋め尽くして、黒い言葉が口を突く。
「……まだ、百年先でしょ。残花が散らなくても――」
「ならん。タネ、俺とお前しかいないのだ。三百年灰に覆われた天地に、花と笑顔を咲かせるのは」
「……私と、残花……」
残花の体に腕を回して、ぎゅうっと抱き締める。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。絶対嫌だ……! 残花が散るなんて絶対だめ。黄泉なんて大っ嫌いだ。何で私なの? 私じゃなかったら、残花が黄泉を斬る番じゃなかった? 散らずに済んだ? ……ううん、残花はきっとひとりでも灰人と戦った。運命って何? 誰が決めたの――
――要らない、そんなの……!
……ぐるぐると頭の中が渦巻いて、出た答えはただ一つ。
「散らないで。ずっと、咲いて」
もっと、もっと強く抱き締める。
「運命なんて知らない! 残花の命は、散らせない。私、もっと頑張るから。強くなるから。残花を、咲かせてみせるから……!」
残花は一瞬驚いた顔をして、私を強く抱き返す。
「……ああ、共に咲こう。俺達は、家族なのだから」
「うん」
今は、素直にそう思えた。私と残花は、家族。形はどうあれ、共に咲く家族。絶対、散らせない。
「……強いのね」
残花の背の向こう側から、江良の声が響く。
「……私も……ごめんなさい。今夜はもう、ひとりにさせて」
そっと、扉を閉めた。それきり江良は何も言わず。私と残花は江良の部屋の前を離れ、船室に戻った――。
◆
「さあ、もう灯を消すぞ」
残花が船行灯を消し、船室は闇に包まれた。小さな丸窓から、灰雲越しの微かな月明かりだけが射し込んでいる。ぎし、と寝台が軋む音が響く。残花が横になったみたい。私も寝台に腰を降ろす。……何だか、眠れそうにない。ああ、どうしよう。言いたい。でも……。
「ねえ、残花」
「……何だ」
「……あの、さ」
すう、すうと残花の寝息が聞こえ出す。私は腰掛けたまま足をぱたぱたと揺らし、悩んだ末に、意を決して声をかける。
「今夜だけ、隣で寝ても良い? その、家族なんだし」
「! ……ああ。入れ」
残花は心なしか嬉しそうに応え、掛布団を持ち上げた。やった! 私はぱっと立ち上がり、残花の隣に滑り込む。
「……えへ」
「ふ」
私のにやけ笑いに、残花も笑いをこぼした。何だか、ふわふわする。きっと波の揺れのせいじゃない。狭い寝台に、ふたり仰向けに並んで。触れた残花の手は、冷えきっている。ずっと濡れたまま私の看病をしてくれてたんだ。そりゃ冷えるよね。
「風邪、ひかないようにね」
「心配無用。風邪などひいたことはない」
「あは、実は私も。ナントカは風邪をひかないってやつ?」
冗談を言ったつもりだった。残花は急に黙って、ぽつりと言う。
「……ああ、馬鹿かもしれん。黄泉を斬ろうなどと」
触れていた残花の冷たい手が、私の手をぎゅっと握った。私も、握り返す。少しでも、温めたくて。
「じゃあ、私も馬鹿だ。似た者同士だね」
「ああ、そうだな」
「家族、だもんね」
「ああ」
残花は少し安心したのか、静かに寝息を立て出した。……お疲れ様、ありがとう。家族じゃなかったら、なんて言ってごめんね……。
「……大好き」
残花の方に体を横向け、腕を絡ませて。穏やかな寝顔を間近で見つめるうち、つうっと涙が伝う。暗い船室に、残花の寝息と波音だけが響いて。ダメだ、泣いちゃダメ。強くなるんだ。明日から、また普通の顔しなきゃ。だって強くなるって言ったんだ。強くならなきゃダメなんだ。
「……うっ、ぅう……」
嗚咽が漏れ、涙が止められない。ごめん、今だけ。今だけ泣かせて。
「……好き。大好きだよ、残花ぁ……」
ぼろぼろと涙が溢れる。強く、腕を抱く。ぎゅうっと。離したくない。
恋人じゃなくていい。兄妹でも相棒でも、形は何だって良い――
――ただずっと、一緒に咲いていられたら。





