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「ディー、大丈夫?」
目の前に飛び込んでくる男の子。
近所に住んでいて、いつも一緒に遊んでいた子だ。
「……だい、じょー、ぶ……?」
どうしてこの子がここにいるの?というか、成長してないの?
同じ年頃の男の子だったはず。だからわたしが成長した今、この子も成長しているはずなのに。
というか。わたし、死んでないの?
アナスタシア様に刺されたところまでは覚えてる。きっとあの熱もそのせい。
心配そうな顔で何か叫んでいたお父様とお兄様がいた。
そう。わたしはあの時死んだ。と、思う。
走馬灯みたいなものも見えた。さかのぼる感じだったけど。
「こら、トマ。ディーはお母さんを亡くしたばっかりなんだから、遊べないんだよ」
近所に住んでたおばさん、トマのお母さんも若い。あの時のまま。
ちょっと待って。ママを亡くしたばかり?ママが死んで間もないってこと?
「おばさん」
「ん?どうしたんだい?ディー」
「わたし、どうしてここにいるの?」
トマの家に来たことなんて何度もある。お互いの家を行き来してたくさん遊んだから。
トマ以外の子たちも一緒に。小さな村だったから、子どもたちはみんな仲良しだった。
「……そっか。混乱して当たり前だよ」
トマのお母さんは少し驚いた顔をして、でも薄く微笑んで、説明してくれた。
「ディーのお母さんは亡くなったんだ。さっき埋葬が終わったところだよ。もうすぐディーのお父さんがディーを引き取りに来る。それまでここで待ってるんだ」
お父様をここで待ってる。そういえば、そんな時があった。
ママがいなくなって泣きじゃくって混乱していたわたしを、トマのお母さんが面倒を見てくれた。
お父様を待つほんの少しの間だったけど、本当にありがたかった。
そうでもしないと、ひとりぼっちになったと思って、わたしもママの後を追っていたかもしれないから。
「ディー、本当に大丈夫?」
トマにまで心配させてる。今のトマは8歳の男の子に見える。
ヒューゴッド村に戻った時、トマはもういなかった。別の村の女性と恋に落ちて引っ越していったらしい。
だから、大人になったトマは知らない。でも、確かに子どものトマだ。
これは、夢?走馬灯?
それとも、今までのことが夢?
嘘。あの痛みは、絶対に夢じゃなかった。
わたし、8歳に戻ったの?
信じられない。そんなことってある?
神様だってそんなことできないはず。
神殿のことにはあんまり詳しくないけど、できるのかな?
この後のことを、わたしは知っている。
お父様が迎えに来ることは知っていたけど、ママを亡くしてそれどころじゃなかった。
かろうじて父に甘えられればと思っていたけど、迎えに来たのは見たこともないような豪華な馬車で、しかも乗っていたのは父ではなく公爵家に仕える侍従だった。
わたしの父親がこの国の偉い人だったってことも、この時初めて知った。
わたしは父に望まれて引き取られたわけじゃない。そう思ったのもはっきり覚えている。
あぁ、そうだ。
どうして忘れていたんだろう。お父様は最初からわたしを望んでなんていなかった。
ママを愛していたかどうかもわからない。わたしがお父様に愛されていたなんて、傲慢にも程がある。
決めた。
今度はもう二度とあんな悲しい思いをしたくない。あの強い痛みも、二度とごめんだ。
ルーシーやお兄様には会えないかもしれないけど、公爵家には行きたくない。
「ディー!ディー!すげぇよ!」
トマが叫んでる。迎えが来たんだ。
トマの家を出ると、豪華な馬車が停まっていた。
馬車から降りてきたのは1人の男の人。公爵家で侍従としてお父様を支えていたステファンだ。
「ディアナお嬢様ですか?」
ステファンはわたしの前に膝を折り、丁寧に聞いてくれる。
「はい」
わたしは頷いた。
「でも」
すぐに続ける。
「わたし、公爵家には行きたくありません」
「なぜですか?」
ステファンは意外そうな顔をする。
「ここがいいです」
「……そうですか」
母親を失ったばっかりの子どもに、母親と暮らした家から離れろなんて、ひどすぎる。
「ですが、我が主はお嬢様にお会いしたいと申しております。老い先短い爺の願いとして、どうか我が主に会ってはいただけないでしょうか」
前の時も思ったけど、8歳の平民の子どもにこんな言葉遣いをしてくれるなんて、ステファンはできた人間だと思う。
そばにいる人がこういう人だから、お父様も立派な人だと勘違いしたんだ。
けど、やっぱりこの村を離れないことはできないらしい。お父様に直談判しかないかな。
「ディー」
おばさんの声がする。ゆっくり振り返ると、心配そうなおばさんの顔があった。
「……おばさん」
ここを出ずにいられるならと思った。8年後、おばさんはもうこの世にいない。
この後すぐ、ママを奪ったあの病で亡くなるから。それも8年後に聞いたことなんだけど。
「今までありがとうございました」
と頭を下げた。
流行り病を止める術なんて、わたしは知らない。公爵家で勉強した時もそんなことは教えてもらえなかった。もしかしたら医療について詳しい本があったのかもしれない。主治医に聞くこともできたのかもしれない。
でも、今のわたしにはもう関係ない。これから公爵家には行くけど、お父様に会ってこの村に帰してくれるようお願いするつもりだから。
「ディー!気を付けて!」
「また遊ぼうね!」
「いじめられたりしたら、いつでも帰ってこいよ!」
ちょっぴり寂しい。ママはもういないのに、家族と離れる寂しさ。
必ず戻ってくるから。10日後、ここに戻ってくるから。
たくさんの村人たちに見送られて、わたしが乗った馬車は王都へ向けて走り出した。