メモ・仮題「私は神を信じるか」
これは、科学を愛し科学に愛されなかった似非科学者の話。
私は、「神とは何か」と問う。
私は、神について詳しくは無いが私の認識では
「神は人を作った」、
「神は星を作った」、
「神はすべてのものに宿る」、
「神は何らかの形で祈願を行うと奇跡を起こす」、
「神は必ずしも信じる者に奇跡を起こし、信じないものに奇跡を起こさないわけではない」等である。
私はある小説に有る神の定義を〈私の考える神〉に最も近いと考え借りようと思う、それは「神は秩序である」だ。
故に、私は「神はいるか」と問われた場合「いないだろう」と答える。
私は、「何故神は秩序であるか」と問う。
私は、神というものはある条件(祈願の儀式など)をそろえることによって結果(奇跡)を発現すると考える。
一つ例を出すならば、「生木を焚き雨乞いを行う」だ。
これは科学的に見ても、上昇気流と煙を発生させるため雨が降りやすい環境を整えるという意味がある。
このような科学で説明できる「知っているが説明できない現象や法則」を神と称するようになったことが神の始まりであると私は考える。
私は、「では何故神は人の姿で伝承されているのか」と問う。
私は、神という存在が政治に利用され始めてからそのようになったと想像する。
統治者が「神」もしくは「神によってえらばれた者」であると称することで、神(法則)には逆らえないという印象を与えるために、法則(神)を擬人化したと考える。
私は、「神は人より前から存在したか」と問う。
私がこれまでに立てた仮説によると、進化の法則(神)によって人が生まれたと説明できる。
しかし、人がいなければ法則が神と呼ばれることはなくよって「神という概念を生み出したもの」は人である。
つまり私は、神(法則)は人が神と呼称するまでは神ではなかったが、神と呼称されない法則としては存在したと考える。