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8 御首の謎

 今や王位継承権第一位の王子であるシルヴァレートの姿を見て、中隊長は慌てて席を立って敬礼をした。それに倣うかのように、近衛騎士団中隊の全員が直立不動となり右手を握って心臓に当てた。レウルキア王国における騎士の礼であった。

 シルヴァレートは右手を軽く上げて彼らに応えると、中隊長の近くに歩を進めた。


「昨日、アルティシア前王女の護衛騎士をしていた女が王宮から逃亡した。たった一人で何かできるとも思えないが、彼女の剣の腕はここにいるダリウス将軍に匹敵するほどだ。アルティシア前王女の御首(みしるし)を奪いに来る可能性もある」

 シルヴァレートの言葉に、近衛騎士団中隊の全員に緊張が走ったのが見て取れた。王宮最強と呼ばれるダリウス将軍と同程度の剣技を持つ騎士が襲撃してくるなどと言われて、緊張しない方がおかしかった。


(余計なことを……)

 ただでさえ圧倒的に不利な状況なのに、騎士団から隙さえもなくなったらアトロポスには為す術がなくなってしまう。シルヴァレートの視線から逃れるように、右斜め前に立つ男の背中に隠れながらアトロポスは苦々しく唇を噛んだ。

 同時に、シルヴァレートが従えている男たちの中にダリウス将軍がいることに気づいた。


(百人の近衛中隊に加えてダリウス将軍までいるとなると、やはり出直した方が良さそうね……)

 しかし、アトロポスのその考えを嘲笑うかのように、シルヴァレートが告げた。

「よって、前国王アルカディア、前王妃カトリーナ、そして、アルティシア前王女の三名の御首を晒すのは本日の昼の一つ鐘までとする。以降は王宮内で近衛騎士団預かりとし、厳重な保管を命じる」

「ハッ! かしこまりましたッ!」

 ダリウス将軍と中隊長が左拳を心臓に当てながら唱和した。カシャンと鎧の音を立てながら、近衛中隊全員もシルヴァレートに向かって一斉に騎士の敬礼を行った。


(そんな……! 王宮内の近衛騎士団本部に移動されたら、姫様に二度と会えなくなってしまう!)

 焦燥のあまり、アトロポスの心は千々に乱れた。だが、今この場で斬り込んでも、アルティシアの御首に触れる前に捕まるか、最悪は斬り殺されることが確実だった。

(どうする、アトロポス! 考えるのよ!)

 先ほど朝の六つ鐘が鳴ったということは、昼の一つ鐘まであと一刻もなかった。


 その時、シルヴァレートがよく通る声で叫んだ。

「アトロポス、聞いているなら出てこい! お前に話がある!」

(話ですってッ? 何を今更……)

 黒革のコートの下で細短剣(スモールソード)の柄を右手で握りしめながら、アトロポスは怒りと屈辱のあまり歯ぎしりをした。アルティシアの生命を餌にして自分を三日三晩も凌辱しておきながら、何を話すというのか!

 シルヴァレートに対する怒りのあまり、アトロポスの血は沸騰し、全身がブルブルと震撼した。


(シルヴァレートを人質に取れないかしら?)

 不意にその考えがアトロポスの脳裏によぎった。第一王子となったシルヴァレートを人質にすれば、アルティシアの御首(みしるし)を要求することもできるし、安全に首都レウルーラから出ることも可能だと思われた。だが、シルヴァレートのすぐ左隣にはダリウス将軍がいた。


(ダリウス将軍をシルヴァレートから離すことができれば……)

 アトロポスは、盾にして身を隠している男の左腰に短剣があることに気づいた。その短剣を奪ってシルヴァレートから離れた場所に投げつければ、ダリウス将軍の注意はそちらに向くのではないか。その隙にシルヴァレートに駆け寄って、細短剣(スモールソード)を突きつけられないだろうか?


(あと一刻もしないうちに、姫様の御首(みしるし)は王宮の中に移されてしまう。チャンスは今しかないわ! 命を捨てる覚悟なんてできている! 失敗したら、姫様の元へ行けばいいだけよ!)

 そう決心すると、アトロポスは目の前の男の左腰から、短剣を抜き放った。


「ハッ!」

 アトロポスは右手で短剣の柄を握ると、大きく振りかぶって短い気合いとともに投げつけた。狙いは台座に置かれたアルカディア王の御首(みしるし)の左横だった。短剣は狙いをあやまたず、アルカディア王の御首のすぐ左側の台座に突き刺さった。シルヴァレートとダリウス将軍はもちろん、近衛中隊全員の意識がそこに集中した。ダリウスが周囲を見渡しながら、短剣の刺さった台座に向かって駆け寄った。


(今だッ!)

 アトロポスは全力でシルヴァレートに向かって駆け出した。走りながら左腰の細短剣(スモールソード)を抜き放った。

「……!」

 シルヴァレートがアトロポスに気づき、驚愕の表情を浮かべた。抜き身の細短剣(スモールソード)を片手に急速に距離を詰めてくるアトロポスに対して、シルヴァレートは慌てて左腰の長剣を抜こうとした。


「ハァアアッ!」

 アトロポスはシルヴァレートの二メッツェほど前で大きく屈み込んだ。そして大地を力強く蹴ると、頭を下にしてシルヴァレートの頭上を回転しながら大きく飛び越えた。空中で体を捻ってシルヴァレートの背後に降り立つと、アトロポスは左手で彼の体に後ろから抱きついた。同時に、右手の細短剣(スモールソード)の刃をシルヴァレートの喉元に当てがった。


「動くなッ!」

 突然の事態に驚愕し、慌てて武器を構える騎士たちに向かって、アトロポスが短く叫んだ。そして、シルヴァレートの体を盾にしながら、三メッツェほど先に立つダリウス将軍に厳しく告げた。


「ダリウス将軍! 騎士たちに武器を捨てるように命じて!」

「アトロポス……、貴様、何をしているのか分かっているのか!」

 自分の目の前でこのような事態を引き起こしたアトロポスを睨みつけながら、ダリウスが言った。


「自分のしていることくらい、分かっているわ! 早く武器を捨てさせなさい! あなたもよ、ダリウス将軍!」

 そう告げると、アトロポスは細短剣(スモールソード)の刃をシルヴァレートの喉に押しつけた。シルヴァレートの喉から赤い血が一筋流れ落ちた。


「彼女の言うとおりにしろ、ダリウス……」

 白刃を避けるように顔を仰け反らせながら、シルヴァレートがダリウスに言った。その様子をしばらく見つめてていたダリウスが、苦々しげに唇を噛みしめながら騎士団に命じた。

「武器を捨てろ! 王子のお命には変えられん!」

 愛用の長剣を地面に投げ捨てたダリウスを見て、百名の近衛中隊全員が次々と武器を捨て始めた。

 その様子を満足げに見つめると、アトロポスはシルヴァレートに向かって告げた。


「シルヴァレート、ゆっくりとアルティシア様の御首(みしるし)の方へ歩きなさい。そして、この袋の中に姫様の御首を入れなさい」

 シルヴァレートの喉元に細短剣(スモールソード)の刃を突きつけながら、アトロポスは左手でコートの内側から革袋を取り出して押しつけた。


「俺はお前に話があると言ったが、いきなり後ろから抱きついて来るとは思わなかったぞ。そんなに初めての男が忘れられないのか、アトロポス?」

 アトロポスが差し出した革袋を左手で掴むと、シルヴァレートは顔を仰け反らせながらニヤリと笑みを浮かべた。


「そうね、あなたのことは忘れないわ、シルヴァレート。すぐにでも殺したいくらい、あなたに夢中よ」

 そう告げると、アトロポスは細短剣(スモールソード)をシルヴァレートの喉に押しつけた。白刃が喉に食い込み、新たな赤い血が流れ落ちた。


「ぐっ……。お前の気持ちは分かったから、少し剣を離してくれ。これじゃあ、歩けない……」

「死にたくなければ言うことを聞くことね、シルヴァレート」

「わかった……」

 アトロポスの殺気が伝わったのか、シルヴァレートは緊張した表情で頷くとゆっくりとアルティシアの御首に向かって歩き出した。


「あなたたち、シルヴァレートを殺されたくなければ、あと十歩後ろに下がりなさい!」

 二人を取り囲むように少しずつ近づいてきた騎士たちを睨みつけると、アトロポスが鋭く命じた。彼女の言葉にシルヴァレートが頷くのを見て、騎士たちがゆっくりと後ずさりを始めた。


「アトロポス、俺の話を聞く気はあるか?」

 アルティシアの御首(みしるし)が置かれている台座の目の前まで来た時、シルヴァレートが小声で訊ねてきた。アトロポスにしか聞こえない程度の声だった。

「あなたと話すことなんて何もないわ」

 冷たくあしらったアトロポスを無視すると、シルヴァレートが再び小声で囁いた。


「俺はお前を気に入っている。だから、お前に死んで欲しくない。このままでは間違いなく殺されるぞ」

 思いも寄らない真剣な眼差しでシルヴァレートに見つめられ、アトロポスは我にもなくドキリとした。その感情を慌てて否定すると、アトロポスは厳しい声で告げた。

「今の自分の立場がわかっているの? あなたの生命を握っているのは私なのよ」

 だが、アトロポスの言葉が耳に入っていないかのようにシルヴァレートが続けた。


「誤解があるようだが、俺はお前を裏切ってなどいないぞ、アトロポス」

「よくもそんなことを……! 私との約束を破って、姫様を殺したのは誰ッ? あなたは最初から私との約束を守るつもりなんてなかったんでしょ!」

 シルヴァレートの言葉にカッとして、アトロポスが怒鳴った。


「落ち着け、アトロポス。大声を出すな。この御首(みしるし)……いや、この首がアルティシアの顔に見えるか?」

「え……?」

 一瞬、アトロポスはシルヴァレートが何を言ったのか分からなかった。だが、アルティシアの御首(みしるし)を見た瞬間、すべてを悟った。


 台座の上に置かれた金髪の女性は、アルティシアとは別人だったのだ。

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