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夜薔薇《ナイト・ローズ》~闇夜に咲く薔薇のように  作者: 椎名 将也
第6章 火焔黒剣
70/100

10 漆黒の剣

 昨夜、バッカスはいつも以上に優しく愛情を持ってアトロポスを抱いた。バッカスの腕の中でアトロポスは、体を震わせながら歓悦の極みを告げる言葉を何度も口にした。

 今朝、目覚めたアトロポスの機嫌は、完全にいつも通りに戻っていた。自分の黒歴史に対するわだかまりがないことに、バッカスはホッと胸を撫で下ろした。



「見えてきたわ。急ぎましょう」

 三階建ての白い建物がその威容を現すと、アトロポスが嬉しそうな表情でバッカスを()かした。今日は『神明の鍛治士(ゴッド・スミス)』ドゥリンに依頼していたバッカスの剣を受け取る約束の日だった。

「そんなに慌てなくても、逃げやしないぞ」

 笑いながらアトロポスを見つめると、バッカスは早足で彼女の後を追った。


 鍛治士ギルドに入ると、アトロポスは真っ直ぐに受付に向かい、ドワーフの受付嬢に笑顔で告げた。

「冒険者ギルドのローズと言います。ドゥリンさんにお願いしている剣を受け取りに来ました」

 アトロポスの言葉に、ギルド中の視線が集中した。鍛治士クラスSであり、『神明の鍛治士(ゴッド・スミス)』と呼ばれるドゥリンに剣を依頼できる者など、ほとんどいないと言うことを彼らは知っていた。ドゥリンは、気に入らなければ王族の依頼さえ断るムズンガルド大陸随一の鍛治士なのだ。


「は、はい……! ただいま、ドゥリンに確認して参ります!」

 ドワーフの受付嬢がドゥリンの鍛冶場がある二階へと駆け上っていった。その様子を見送っていたバッカスが、強面の顔に獰猛な笑みを見せながら告げた。

「楽しみだな。どんな剣が出来ているのか……」

「そうね! 私もワクワクしてきたわ。きっと、<蒼龍神刀(アスール・ドラーク)>に勝るとも劣らない名剣のはずよ!」


 しばらく待っていると、ドワーフの受付嬢が戻ってきた。そして、息を切らせながらアトロポスに告げた。

「鍛冶場の方までお越しくださるよう、ドゥリンが申しております。ただいま、ご案内します」

「いえ……。何度か伺ったことがあるので、大丈夫です。直接行きますね」

 笑顔でそう告げると、アトロポスはバッカスに頷きかけて階段を上り始めた。その様子を驚きの表情で受付嬢が見つめていた。ドゥリンの鍛冶場に入れる者は、ギルド内でもほとんどいなかったのだ。



 名前を告げて入口の扉をノックすると、中からドゥリンの声が聞こえた。

「入ってくれ……」

「失礼します。こんにちは、ドゥリンさん」

「ご無沙汰しています」

 アトロポスとバッカスは、火事場に入るとドゥリンに笑顔で挨拶をした。二人の顔を見て、ドゥリンは赤ら顔を崩してニッコリと笑いかけてきた。


「よく来てくれた、嬢ちゃん、(あん)ちゃんも……。兄ちゃんの剣は約束通り完成させたぜ」

「ありがとうございます。どんな剣か楽しみです」

 バッカスが強面の顔に獰猛な笑いを浮かべた。本人はこれでも嬉しさを表現しているつもりなのだ。

「今、持ってくる。ちょっと待っててくれ」

 そう告げると、ドゥリンは奥の部屋に入っていった。そして、右手に一本の剣を携えて、すぐに姿を見せた。


「これが兄ちゃんの剣だ。銘は、<火焔黒剣(フレイム・エスパーダ)>。嬢ちゃんの<蒼龍神刀(アスール・ドラーク)>と並ぶ俺の渾身作だ!」

「これが……俺の剣か……!?」

 濃茶色の瞳を大きく見開くと、バッカスは手渡された両手長剣(ロングソード)を愕然としながら見つめた。


 深江色(クリムゾン)の鞘はすべてが火龍の革で作られていた。そして、長さ二十五セグメッツェはある柄の部分(グリップ)も、同じように火龍の鞣し革が巻かれていた。大きめの鍔(ガード)は漆黒で、全長は百三十セグメッツェ近くあった。

 それは紛れもなく火龍の圧倒的な存在感と力強さを感じさせる宝剣に他ならなかった。


「抜いてみろ」

「はい……」

 ドゥリンの言葉に、バッカスがゆっくりと鞘を抜いた。

「……!」

 漆黒の剣身が姿を現し、陽光を受けて黒い煌めきを放った。まさしく、黒剣と呼ぶに相応しい美しさと威厳に満ちた長剣だった。


「剣身はすべて黒檀を鍛えたものだ。硬度はそこらのオリハルコンなんぞ目じゃねえ。嬢ちゃんの<蒼龍神刀(アスール・ドラーク)>と打ち合っても刃こぼれしないはずだ。剣身の長さは百三セグメッツェ。兄ちゃんに一番扱いやすい長さだ」

 ドゥリンの言葉に頷くと、バッカスは右手で<火焔黒剣(フレイム・エスパーダ)>を振ってみた。右上からの袈裟懸け、左からの薙ぎ払い……。そして、<火焔黒剣(フレイム・エスパーダ)>を両手で上段に構えると、一気に振り落とした。


「凄い……。まるで体の一部のように違和感がない。片手でも、両手でも、信じられないほど扱いやすい!」

 漆黒に輝く剣身を見つめながら、バッカスは驚愕の表情を浮かべた。

「そりゃそうだ。重さもバランスも、すべて兄ちゃんに合わせてあるからな。言わば、この世界で唯一の兄ちゃんだけの剣だ」

「俺だけの剣……」

 再び漆黒の刀身を見つめると、バッカスが獰猛な笑みを浮かべた。その笑みが喜びに溢れた表情であることを、アトロポスは知っていた。


「おめでとう、バッカス! <火焔黒剣(フレイム・エスパーダ)>、あなただけの剣の銘よ!」

「ああ、ありがとう、アトロポス。そして、ドゥリンさん、素晴らしい剣をありがとうございました!」

 バッカスは<火焔黒剣(フレイム・エスパーダ)>を納刀すると、ドゥリンに深く頭を下げた。ドゥリンは満足そうな笑みを浮かべると、<火焔黒剣(フレイム・エスパーダ)>についての説明を続けた。


「その(ガード)の中央に付いている紅いのが、火龍の宝玉だ。嬢ちゃんの<蒼龍神刀(アスール・ドラーク)>と同じく、魔力蓄積は禁呪四倍、魔力増幅は五倍の性能がある。簡単に言えば、兄ちゃんの覇気を最大二十倍まで増幅できる」

 魔力蓄積が禁呪四倍とは、禁呪魔法四回分の魔力を貯めておくことが出来るという意味だ。


「二十倍……」

 バッカスは愕然としながら、ドゥリンの言葉を聞いた。まさか、そこまでの性能を付与しているとは予想さえもしていなかった。バッカスの濃茶色の瞳が興奮に輝いた。

「凄いわ、バッカス! その剣ならば、天龍や水龍も一人で倒せるわよ!」

 アトロポスがとんでもないことを言い出した。


「……! お、おい、アトロポス……! 無茶苦茶言うなッ!」

「ワッハッハハ……! たしかに嬢ちゃんの言うとおりだ! 天龍くらい、<火焔黒剣(フレイム・エスパーダ)>の敵じゃねえ!」

 ドゥリンがドワーフらしい豪快な笑い声を立てた。


「ドゥリンさんまで、無茶言わないでください! アトロポスに冗談は通じないんですから! 下手したら、<火焔黒剣(フレイム・エスパーダ)>一本持たされて、水龍の群れの中に投げ込まれちまいますよ!」

 顔を引き攣らせるバッカスを見て、ドゥリンとアトロポスが楽しそうに笑った。


 こうして、<闇姫(ノクス・コンチュア)>の剣士クラスA、『猛牛殺し(オックス・キラー)』のバッカスは、生涯の愛剣となる<火焔黒剣(フレイム・エスパーダ)>と出逢ったのであった。



 鍛治士ギルドを後にした二人は、大通りを西に歩いて冒険者ギルドに向かった。クロトーとアイザックに、バッカスの剣が完成した報告をするためだった。

 身長百九十五セグメッツェの堂々たる体躯に火龍の革鎧フレイムドラーク・ハルナスを纏い、左腰に<火焔黒剣(フレイム・エスパーダ)>を差したバッカスの姿に、アトロポスは見蕩れた。


(格好いい……。素敵よ、バッカス)

 どこから見ても一流の冒険者に見えるバッカスの雄姿を見つめていると、アトロポスの心臓はドキドキと早鐘を打った。この男性が自分の恋人だと思うと、無意識に頬が紅く染まった。

 バッカスが今まで使っていた両手剣(バスターソード)はドゥリンが引き取ってくれた。


 冒険者ギルドの入口にある観音扉を押して中に入ると、バッカスは見知った三人組の姿があることに気づいた。

(あいつらッ! 昨日はよくも……)

 昨日、バッカスの黒歴史を暴露した連中だった。掲示板を見上げて依頼を物色中の三人の背後に立つと、バッカスは獰猛な笑みを浮かべながら声を掛けた。


「よう! 良く会うな」

「おお、バッカスか? ちょうどいいところで会った。この依頼、一緒に受けねえか?」

 三人のうちのリーダー格であるゲイリーが、一枚の依頼書を指差しながら言った。バッカスはその依頼書を見据えた。



【ゴブリン・キングの討伐(B級)】


・ゴブリン・キングを倒し、魔石を一つ持ち帰る。

・報酬……白金貨四十枚

・期限……七日以内

・依頼達成ポイント……千五百ポイント



「俺たちこの間、クラスBに昇格したんだが、まだB級依頼を受けたことがねえんだ。お前もB級だろ? 手伝えよ」

 ゲイリーの左隣にいる太った男……ブレナンが、クチャクチャと噛み煙草(ルーズリーフ)を噛みながら告げた。


「おっ? 昨日の嬢ちゃんじゃねえか? 何だ、バッカス? おめえ、いつから幼女趣味(ロリコン)になったんだ? おめえの好みは、こう……ボン、キュッ、ボンッってのじゃなかったか?」

 ニヤけた笑いを浮かべながら、ゲイリーの右側の男……ギースが両手で女の肢体を宙に描きながら言った。


『ボン、キュッ、ボンッじゃなくて、悪かったわね! 何なの、こいつらは?』


 バッカスの脳裏に、アトロポスから意識伝達が響いた。


『悪い。俺の昔の悪友だ。以前の俺と同じクズ連中だから、アトロポスは先にクロトーの姉御のところへ行っていてくれ』

『そうも行かないわよ。<火焔黒剣(フレイム・エスパーダ)>を持ってるのは、バッカスだし……。それに、今のあなたはクズじゃないでしょ?』


「昨日はどうも……。自己紹介がまだでしたね? 私はローズ。バッカスと同じ剣士で、今は彼とパーティを組んでいます」

 アトロポスは三人の前に進み出ると、ニッコリと笑顔を浮かて言った。だが、バッカスは彼女の黒瞳に笑いの欠片も映っていないことに気づいた。


『アトロポス、何考えてるんだ?』


 バッカスからの意識伝達を無視すると、アトロポスがゲイリーに向かって告げた。

「ゴブリン・キングの討伐依頼ですか? キングって言うほどだから、強いんですよね?」

「何、大したことはねえぜ。俺たちはランクBパーティの<鬼兵隊>だぜ。ゴブリン・キングくらい、朝飯前だ。おお、そういやまだ名乗ってなかったな。俺は剣士のゲイリー、そしてこのデブが拳士のブレナン、こっちの筋肉馬鹿が盾士のギース、全員がクラスBだ」


 アトロポスは三人の実力を測るように、それぞれの顔を見据えた。

 ゲイリーは身長百八十五セグメッツェほどで、それなりに鍛えた肉体に安い革鎧を身につけていた。剣はシミターと呼ばれる曲刀で、左右の腰に一本ずつ差していた。


 その左にいるブレナンは、ゲイリーの言うとおりデブだった。身長はゲイリーと同じくらいにもかかわらず、体重は優に三倍はありそうだった。脂肪の塊のような顔と体は、アトロポスの好みからほど遠かった。一応、両手には鋼製の拳鍔(ナックル)が嵌められていることに、アトロポスは気づいた。


 そして、ゲイリーの右側にいるギースは、バッカスを一回り大きくしたような大男だった。身長は二メッツェを確実に超えており、横幅はバッカスよりも大きく全身が鋼のような筋肉に覆われていた。背中には大盾、左腰には長剣を携えていた。

(この三人の中では、この男が一番できるわね)


「ここから一番近いゴブリンの生息地と言えば、『風魔の谷』ですよね? B級魔獣のゴブリン・キングがいるのは、中層くらいですか?」

「ほう、嬢ちゃん、良く知ってるな。『風魔の谷』は二週間くらい前に異常発生(スタンピード)が起こって、深層に混沌龍(カオス・ドラゴン)が出たって噂だ。何とかって冒険者が一人で混沌龍(カオス・ドラゴン)を討伐したらしい。まあ、ガセネタだろうがな……」

 ゲイリーは、その冒険者が目の前にいるローズだとは気づいてもいないようだった。


「それは怖いですね。今は大丈夫なんですか?」

「それは問題ねえ。ついこの間も、俺たちは行ってきたからな。B級の俺たち三人がいりゃあ、混沌龍(カオス・ドラゴン)が出たって向こうが逃げ出すぜ」

 そう告げると、ゲイリーは下卑た笑い声を上げた。


「それで、どうするよ、バッカス? 一緒に来るか? 白金貨四十枚を山分けしようぜ。一人十枚ありゃ、いつもの娼館(みせ)でいい女を両手に抱いて豪遊できるぞ! おめえもお気に入りのソフィアとアマンダを一緒に抱きてえだろ?」

 クチャクチャと噛み煙草(ルーズリーフ)を噛みながら、ブレナンが卑猥な笑みを浮かべた。


『バッカスッ! ソフィアとアマンダって、どういうことッ!?』


 怒りに満ちたアトロポスの意識伝達が、バッカスの脳裏に落雷のように響き渡った。


『ち、違うッ! そんなこと、言ってねえッ!』


「おい、ブレナンッ! アトロポスの前でくだらねえこと言ってんじゃねえぞッ!」

 これ以上黒歴史を暴露されては堪らないと思い、バッカスがブレナンに向かって声を荒げた。

「ああ、悪かったな。そう言やあ、お前は他の女たちにも手を出してたよな。メリッサだっけか? あの胸がデカい女は? 白金貨十枚ありゃ、一晩で三人も夢じゃないぜ」


『……! 信じられないッ! バッカスッ! 最低ッ!』


 氷のように冷たい意識伝達がバッカスに突き刺さった。同時に、汚らわしい物でも見るようなアトロポスの視線がバッカスを貫いた。

 アトロポスの全身から、黒い覇気が立ち上り始めたのを見て、バッカスは本気で震え上がった。


『ま、待ってくれ、アトロポスッ! そんなこと、思ってねえッ! 信じてくれッ!』


「ブレナン、そのふざけた口を閉じねえと、タダじゃおかねえ……」

 命の危機を感じて、バッカスがブレナンの胸ぐらを掴もうとした瞬間、アトロポスがニッコリと微笑みながら告げた。


「ゲイリーさん、私もゴブリン・キング討伐に混ぜてもらえませんか? ついでに、バッカスの昔話も教えてください」

「ア、アトロポス……ッ! 何を言って……」

 ギロリと殺気の籠もった視線で睨まれ、バッカスは言葉を失って硬直した。


「おお! 女がいた方が賑やかでいいな! いいぜ、嬢ちゃん、一緒に来いや!」

「そうだな、『風魔の谷』までは馬でニザンだ。今から行こうぜ!」

「バッカスも当然来るだろ? ぐだぐだ言ってると置いてくぞッ!」

 三人はアトロポスを囲みながら、ギルドから出て行った。


 一人取り残されたバッカスは、蒼白な表情を浮かべながら立ち竦んでいた。

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