1 神明の鍛治士、再び・・・
「驚きましたぜ! まさか、姐御の刀がブルー・ダイヤモンド製だとは……」
『飛竜の爪』を出た後、常連の武器屋『鉄槌屋』に向かいながらバッカスが告げた。
「ちょっと、あの店員の態度に頭にきちゃったんで……。すみません」
チロッと舌を出すと、アトロポスが微笑みながら告げた。
「ハハハッ……、俺もあの態度にはムカついてましたから。人をカモネギみたいな眼で見やがって……。あ、ここです。俺の行きつけの武器屋は……」
木槌の絵と一緒に『鉄槌屋』と書かれた看板を見上げながら、バッカスが言った。先ほどの『飛竜の爪』と比べると小さく、いかにも庶民向けの店だった。
「やっぱり武器屋ってこういう感じですよね?」
そう告げると、アトロポスはバッカスに続いて店の中に入った。
(なんか、私が最初に細短剣を買った店に似ているわね)
「おう、バッカスじゃねえか? 久しぶりだな」
四十歳くらいのいかにも武器職人という感じの男が声を掛けてきた。角張った顔に銀髪を短く刈り上げており、黒ずんで汚れた作務衣を身につけていた。
「親父、元気そうだな。剣を買いに来てやったぜ」
気さくな笑顔を浮かべながら、バッカスが告げた。どうやら本当に常連のようだった。
「おう、ご挨拶だな。そっちのお嬢さんのかい? それとも、お前さんのか?」
強面の外見に似合わない人懐っこそうな笑みを浮かべながら、武器屋の親父が訊ねてきた。
「お嬢さんねえ……。たしかに黙ってると、そう見えなくもないか?」
ニヤリと笑いながら呟いたバッカスの言葉に、アトロポスは彼を睨んだ。
「何か言いましたか、バッカスさん?」
「いや、何も……。親父、俺のだ。これに代わるお勧めの両手剣を見繕ってくれ」
そう告げると、バッカスは背中の両手剣を外してカウンターの上に置いた。
「ずいぶんと使い込んだな。これじゃあ、買取もいくらもつかねえぞ」
「構わねえ。その分、負けてくれればいいさ」
「しっかりしてやがる。待ってろ、今いくつか持ってきてやる」
親父はそう言うと、店の奥に入っていった。二人のやり取りを好ましく思いながら、アトロポスが訊ねた。
「ずいぶんと親しそうですけど、付き合い長いんですか?」
「まあ、駆け出しの頃から世話になってるので、かれこれ九年になりますか? ああ見えても、腕はそこそこいいんですぜ」
「そこそこは余計だろ? ほら、これだ」
笑いながら戻ってくると、親父はカウンターに三本の両手剣を置いた。そして、その中の一本を手に取りながら告げた。
「俺のお勧めは、こいつだ。材料はダマスカス鋼だ。打つのに苦労したぜ」
それは、刃渡り百五十セグメッツェはある両手大剣だった。燻し銀のような剣身が店内の灯りを反射して、キラリと煌めいた。
<蒼龍神刀>の刃渡りが七十セグメッツェなので、倍以上の長さだった。
「ほう、悪くねえな。持った感じもしっくりとくるし、重さもちょうどいい。親父、これいくらだ?」
「ダマスカス鋼製だから、それなりに値は張るぞ。白金貨七枚と言いたいところだが、大まけで五枚でどうだ?」
「五枚か……。ちょっと予算オーバーだな」
残念そうにそう言うと、バッカスは両手大剣をカウンターに戻した。
「ちょっと見せてもらってもいいですか?」
「構わねえが、重いぞ」
親父が心配そうな目でアトロポスを見つめながら言った。柄の部分を含めれば、両手大剣はアトロポスの身長よりも長いのだ。
「大丈夫ですよ。こう見えても力持ちなんです」
笑顔でそう告げると、アトロポスはこっそりと天龍の革鎧に覇気を流して筋力強化を行った。
「やっぱり、ずいぶんと重いんですね。五ケーゲム以上はありそう……」
軽々と片手で両手大剣を持ったアトロポスに、親父が眼を丸くした。
(悪くないけど、剣士クラスAが長く使うにはちょっと……。どうせなら、いい物を買ってあげたいし……。明日、ドゥリンさんのところに行ってみた方がいいかな?)
心の中でそう呟くと、アトロポスはバッカスに向かって訊ねた。
「バッカスさん、これもいいと思いますが、私の知り合いのところにも一緒に行ってもらえませんか? 折角だから、いくつか比べてみてから選びませんか?」
「それは構いませんが……。親父、悪いが姐御の顔を潰すわけにもいかねえ。そうさせてもらえるか?」
バッカスが申し訳なさそうに親父に告げた。
「それはいいけどよ……。お前が姐御って呼ぶそのお嬢さんは……?」
冒険者ギルド・レウルーラ本部でも有名な暴れん坊のバッカスを良く知る親父は、驚いてアトロポスを見つめた。
「剣士クラスSのローズさんだ。俺の師匠みたいなお人だ!」
厳つい顔に嬉しそうな笑みを浮かべると、バッカスが自慢そうに告げた。
「け、剣士クラスSだと! このお嬢さんが……!?」
「ローズです。ちょっとバッカスさんに剣を教えてるだけです。師匠なんて言い過ぎですよ、バッカスさん」
照れ隠しのように微笑みながら、アトロポスが言った。
「姐御の知り合いの店って、近いんですかい?」
「ちょっと遠いので、明日の朝から向かいましょう。今日はギルドに戻って、訓練の続きをしましょうか?」
ニッコリと笑いながら告げたアトロポスの言葉に、バッカスは固まった。
「え……?」
「え、じゃありません。まだまだ覇気を使いこなせてないじゃないですか? 上級回復ポーションも残っているし、ちゃんと扱いてあげますね」
「あ、姐御……」
顔を引き攣らせ蒼白になりながら、バッカスがアトロポスを見つめた。『夜薔薇』の前では、『猛牛殺し』も形無しであった。
翌日の朝の五つ鐘に、アトロポスは首都レウルーラ西大門にある馬舎亭でバッカスと待ち合わせた。
三日ぶりに会ったシリウスは嬉しそうに嘶くと、何度もアトロポスに鼻を擦りつけてきた。
「毎日、会いに来れないでごめんね、シリウス。元気だった?」
アトロポスの言葉を理解しているかのように、再びシリウスが嘶いた。
「凄い馬ですね、姐御……。とびきりの軍馬じゃないですか?」
艶やかな青黒いシリウスの体躯を見つめながら、バッカスが言った。
「可愛いでしょ? シリウスって言うんです」
(可愛い……って? こんな凄え馬、見たことねえぞ……)
バッカスは自分が借りた葦毛の馬とシリウスを見比べると、軽く頭を振りながら小さくため息をついた。
「では、行きましょうか?」
「どこに行くんすか? 馬まで借りて?」
バッカスに行き先を告げていないことに、アトロポスが気づいた。
「ザルーエクです。そこに、知り合いの鍛治士がいるんですよ」
「鍛治士……って?」
驚きのあまり濃茶色の瞳を大きく見開いて、バッカスがアトロポスを見据えた。鍛治士に会うということは、特注の武器を依頼するという意味である。当然、市販の武器の何倍もするほど高額であることにバッカスは気づいた。
「ち、ちょっと待ってください、姐御……。まさか、鍛治士に剣を打たせるなんてこと、考えてませんよね?」
「剣士クラスAになったんですから、長く使える剣の方がいいかと思って……。さあ、行きますよ、ハイッ!」
両脚で腹を挟み込むと、シリウスはアトロポスの意志を察したかのように駆けだした。そして、城門を抜けると、徐々に速度を上げて北ローゼン街道を南へと向かっていった。
「あ、姐御ッ! 待ってくれッ! ちょっと、姐御……ッ!」
バッカスは慌てて葦毛を駆けさせると、アトロポスの後を追いかけた。
(鍛治士に剣を特注するなんて、いくらかかるんだ? 白金貨百や二百じゃ効かないぞ……!)
赤鬼のような強面の顔を引き攣らせながら、バッカスは先を行くアトロポスの背中を見つめていた。
途中で昼食を含む休憩を二回取ると、昼の二つ鐘が鳴る頃にはザルーエクの入口にある馬繋場に到着し、アトロポスたちはシリウスと葦毛を預けた。シリウス単騎ならば四ザン半もあればザルーエクまで到着できるのだが、葦毛のペースに合わせたために六ザン以上もかかった。
「姐御、ホントに鍛治士のところに行くんですかい?」
「そのためにザルーエクに来たんだから、当然ですよ。腕は確かだから、安心してください」
アトロポスの言葉に、バッカスは安心どころか不安が大きくなった。
(腕がいい鍛治士って、ホントにいくらかかるんだ?)
「姐御、普通の武器屋にしませんか? ザルーエクは鍛冶が有名だから、武器屋でもいい武器が揃ってるそうですぜ」
「何を言ってるんですか? 鍛冶が有名だからこそ、鍛治士に会いに行くんじゃないですか? さあ、行きますよ」
バッカスの言葉を笑いながら聞き流すと、アトロポスは大通りをザルーエクの中心街に向かって歩き出した。
(言い出したら聞かねえ人だな、姐御は……。でも、白金貨三枚の予算じゃ、ナイフも作ってもらえねえぞ……)
大きなため息をつくと、バッカスはアトロポスの後を慌てて追いかけた。アトロポスは楽しそうに鼻歌を歌いながら、どんどんと歩みを進めていった。
「着きましたよ、ここが鍛治士ギルド・ザルーエク本部です」
三階建ての立派な建物の前で、アトロポスが笑顔で告げた。
「か、鍛治士ギルドって……?」
別名、鍛冶の街とも呼ばれるザルーエクは、他の街と比べて鍛治士の数が圧倒的に多い。だが、その中でも鍛治士ギルド本部と契約している鍛治士は、言わば一流中の一流と言われる者たちだった。バッカスは予想もしていない展開に、呆然としてアトロポスの顔を見つめた。
「さあ、入りますよ」
「ち、ちょ……姐御……!」
驚愕するバッカスを横目に、アトロポスはギルドの扉を押し開けて中へ入っていった。バッカスは慌ててアトロポスの後を追うようにギルドに足を踏み入れた。
アトロポスは真っ直ぐ受付に進むと、ドワーフの受付嬢に声を掛けた。
「冒険者ギルド<星月夜>のローズと言います。ドゥリンさんに取り次いでいただけますか?」
「お約束はございますか? 失礼ですが、ドゥリンはお約束のない方とはお会いになりませんが……」
予想通りの答えを受付嬢が告げた。アトロポスはニッコリと微笑むと、<蒼龍神刀>を抜いて受付嬢に見せた。
「この剣はドゥリンさんに打っていただいた物です。ローズが来たと取り次いでもらえませんか?」
「こ、これは……!? は、はい、かしこまりました!」
鍛治士ギルドに勤めるだけあり、受付嬢は一目で<蒼龍神刀>の価値に気づいた。彼女は受付カウンターから飛び出すと、アトロポスに一礼して二階への階段を駆け上っていった。
「姐御、ドゥリンさんって……?」
呆然と成り行きを見守っていたバッカスが、呟くようにアトロポスに訊ねた。
「この<蒼龍神刀>を打ってくれた鍛治士クラスSの有名な鍛治士です。二つ名は、『神明の鍛治士』です」
「ゴ、『神明の鍛治士』……ッ!?」
アトロポスの言葉に、バッカスは驚きのあまり仰け反った。『神明の鍛治士』の名は、バッカスも耳にしたことがあった。レウルキア王国どころか、ムズンガルド大陸随一の鍛治士の名として……。
その時、ドタドタと音を立てながら、初老のドワーフが階段を駆け下りてきた。
「おお、嬢ちゃんか? 今日は姐さんは一緒じゃねえのか?」
「こんにちは、ドゥリンさん。残念ながら、私だけです。ちょっとお願いがあって来たんですが、少しお時間をいただけますか?」
アトロポスの後ろに立つバッカスの顔をジロリと見ると、ドゥリンが笑いながら言った。
「嬢ちゃんの頼みじゃ、時間を取らないわけにはいかねえわな。食堂に行くぞ」
そう告げると、ドゥリンは隣りにある食堂に大股で向かった。
「で、その兄ちゃんの武器を作りに来たのか?」
火炎酒の入った大杯を呷ると、ドゥリンがバッカスの厳つい顔を見据えながら訊ねた。アトロポスが説明する前に、ドゥリンは彼女たちが来た目的を察したようだった。
「はい。彼は昨日、剣士クラスAに昇格したバッカスと言います。彼の昇格祝いに、両手剣をお願いしたいんです」
目の前に置かれた紅桜酒のグラスを手に取り、口につけるとアトロポスが笑顔で告げた。
「ち、ちょっと姐御……! いくらなんでも、『神明の鍛治士』に剣を打ってもらうなんて、俺にはもったいなさ過ぎるッ!」
話の成り行きに驚愕しながら、バッカスが叫んだ。
「うるせえぞ、兄ちゃん! 俺は今、この嬢ちゃんと話をしているんだ!」
ドゥリンに一喝されて、バッカスが黙り込んだ。『神明の鍛治士』の持つ威厳の前では、『猛牛殺し』も単なる小僧に過ぎなかった。
「細かいことは後でこのバッカスさんと打ち合わせて欲しいんですが、ドゥリンさんから見て彼に一番合う剣を打ってくれませんか?」
<蒼龍神刀>を打ったドゥリンの実力を、アトロポスは信じていた。だから、下手に先入観を持たせずに、まずはドゥリンの眼から見て、バッカスにどんな剣が合うのかを聞こうと思ったのだ。
「今使ってるのは、その両手剣か? おい、兄ちゃん、立ってみろ!」
「は、はい……」
超一流の鍛治士の眼光を受けて、バッカスは緊張しながら席を立った。しばらくの間、バッカスを見据えると、ドゥリンが一言告げた。
「両手長剣だな!」
「両手長剣ですか?」
思ったより一般的な剣を告げたドゥリンを、アトロポスが意外そうな表情を浮かべながら見つめた。
「そうだ。この兄ちゃんは膂力もそれなりにあるが、今使っている両手剣や両手大剣だと、折角の剣速が殺されちまう。ある程度重くて長い両手長剣なら、速度も威力も存分に出せるから、兄ちゃんの持つ実力を一番引き出してやれる」
『神明の鍛治士』の慧眼は、バッカスの長所を正確に読み取った。
「なるほど……。バッカスさん、どうですか?」
「両手長剣……ですか? 今まで軽すぎて使ったことがなかったな……」
「ならば、使ってみろ! 俺が兄ちゃんに合った両手長剣を打ってやる!」
ニヤリと口元に笑いを浮かべると、ドゥリンは大杯をグッと呷った。
「材料は何がいいと思いますか?」
「黒檀だ。オリハルコンも悪くねえが、それよりも比重が重い黒檀だな。その方が、この兄ちゃんにはちょうどいい。その両手剣よりも軽く、普通の両手長剣よりも重い兄ちゃん専用の両手長剣になる」
ドゥリンの言葉に、アトロポスは満面の笑みを浮かべた。さすがにムズンガルド大陸随一と呼ばれる『神明の鍛治士』だった。
「ありがとうございます、ドゥリンさん。バッカスさん、両手長剣を作ってもらいませんか?」
「い、いや……しかし……、予算が……」
アトロポスの言葉に頷きそうになったバッカスが、慌てて首を振りながら告げた。
「この間、姐さんにもらった火炎鳳凰酒……。あれは実に旨かった! あれに免じて、今回も材料費だけでいい。両手長剣一本分の黒檀と……。兄ちゃん、属性は何だ?」
「え……? 魔力属性ですか? 火属性ですが……」
突然のドゥリンの質問に、バッカスが驚いて答えた。剣を作るのに魔力属性を訊ねられるとは予想もしていなかった。
「火属性か……。ならば、火龍だな。黒檀と火龍の宝玉、火龍の皮ってところか? 黒檀はいいが、火龍の宝玉と皮がねえな……」
「火龍って、この近くにいます?」
ドゥリンの言葉に、アトロポスがバッカスに向かって訊ねた。
「火龍か……。『破魔の迷宮』ってダンジョンの深層にいるって聞いたことがあるが……。まさか、姐御……!?」
アトロポスの考えを読み取って、バッカスが叫んだ。
「じゃあ、火龍の宝玉と皮は任せてください。バッカスさん、その『破魔の迷宮』って、ザルーエクからどのくらいかかりますか?」
「ま、任せてって……、まさか、火龍を狩りに行く気じゃ……?」
「はい。バッカスさんの訓練にもちょうどいいから、一緒に行きましょう」
「な……ッ!?」
笑顔で告げたアトロポスの言葉に、バッカスは固まった。剣士クラスAになりたての彼にとって、S級魔獣である火龍狩りなど、想像したこともなかった。
「『破魔の迷宮』なら、ここから馬で二日といったところかな? 嬢ちゃん、宝玉と皮は任せていいか?」
呆然としているバッカスに代わって、ドゥリンが言った。
「はい! 往復で四日ですね。深層まで行く時間を考えて、長くても六日以内にはお持ちします」
「あ、姐御……」
予想もしない成り行きに、バッカスは信じられないという表情でアトロポスを見つめた。
「では、材料費は黒檀だけだな。二千枚ってところか?」
「に、二千……」
思わず絶句したバッカスの横で、アトロポスが微笑みながら告げた。
「じゃあ、三千枚でお願いします。少ないですが、千枚はドゥリンさんの火酒代にしてください」
(白金貨千枚の酒代って……? この人、何を言ってるんだ?)
目の前で交わされる理解不能な言語の羅列に、バッカスは恐慌をきたした。
「いいのか、嬢ちゃん?」
「はい。クロトー姉さんの火炎鳳凰酒にはとても及びませんけど……」
「ありがとよ。その代わり、この兄ちゃんが絶対に気に入る両手長剣を打ってやるから、楽しみにしていろよ」
ニカッと笑うと、ドゥリンは大きな右手を差し出してきた。アトロポスは笑顔でその手を握り返した。
握手を交わす二人の顔を見比べながら、バッカスは自分の正気を疑っていた。