4 妖艶なる殺戮
受け取った天龍の革鎧に試着室で着替えると、アトロポスは今まで着ていた革鎧の処分をベイルートに依頼した。V字型に大きく開いた胸元が少し気になるので、黒革のコートはそのまま鎧の上から羽織ることにした。
ベイルートに挨拶をして『銀狼の爪』を出ると、アトロポスは大通りを東に歩いて冒険者ギルドを目指した。白金貨三万一千枚の革鎧を買ったことをギルドマスターであるアイザックに報告し、怒られるためだった。
観音扉を開けてギルドに入ると、掲示板の前に人だかりができていた。
(何だろう? 珍しい依頼でも貼り出されたのかな?)
軽く興味を抱いて掲示板を見たアトロポスは、慌ててフードを目深に被って顔を隠した。掲示板には似顔絵付きで昇格辞令が貼り出されていたのだ。
【特別昇格】
氏名 :ローズ
二つ名:夜薔薇
クラス:剣士クラスA(前、剣士クラスF)
パーティ名:−
所属 :ザルーエク支部
似顔絵はアトロポスの特徴をよく捉えていた。
背中まで真っ直ぐに伸ばした漆黒の髪と小さめの顔が忠実に描かれ、強い意志を秘めて輝く黒曜石の瞳と、細く高い鼻梁に続く小さめの紅唇の美少女がそこにいた。
「『夜薔薇』、いきなりクラスAかよ! 凄えな!」
「まだ固定パーティに入ってないみたいだぜ! 勧誘は早い者勝ちだ!」
「何言ってやがる? お前のとこはランクBパーティだろ? クラスAが入ってくれるはずねえよ」
「それにしても、可愛いというより、美人だよな」
「まだ十六だって聞いたぞ。処女かも知れねぇな」
(処女じゃなくて悪かったわね)
自分の処女を奪った男のことを思い出し、アトロポスは再び沈んだ気持ちになった。
(私は、自分のやれることをやるって決めたじゃない? 落ち込むのは夜になってからで十分よ……)
そう思って気を取り直すと、アトロポスはフードで顔を隠しながらカウンターの中にいるミランダの元へ歩いて行った。
「ミランダさん、ちょっといいですか?」
「あ、ロー……」
名前を呼びそうになったミランダに向かって、アトロポスは慌てて口元に人差し指を立てた。その意味を察すると、ミランダは頷きながら小声で訊ねてきた。
「人気が出ると大変ですね。今日はどうされました?」
「アイザックさん……ギルマスに取り次いでもらえませんか?」
カウンター越しにミランダに顔を寄せながら、アトロポスも小声で告げた。
「実はギルマスもローズさんが来たら、すぐにギルドマスター室に呼べって言ってました。何をしたんですか? めちゃくちゃ機嫌が悪かったですよ」
(やっぱり……。かなり怒られそうだわ)
「ええ、まあ……。今から行ってきます」
「はい、お気をつけて……」
まるで危険なダンジョンに行く冒険者を見送るようにミランダが告げた。その美しい瞳には、心配と同情が浮かんでいた。
「入れ……」
ノックをするとすぐに中から不機嫌そうな声が応えた。アトロポスは覚悟を決めて、ギルドマスター室の扉を開けて中に入った。
「失礼します、アイザックさん……」
「やっと来たか、そこに座れ」
挨拶もせずに、アイザックは執務机からアトロポスを見据えると、応接セットを顎で指した。
「はい……。失礼します」
アトロポスが入口側のソファに腰を下ろすと、アイザックは執務机から立ち上がり、ずかずかと大股で近づいてきた。そして、無言でドサリとアトロポスの前に座った。
(これ、かなりやばいわ。めちゃくちゃ怒っている……)
「今朝、『銀狼の爪』からこれが届いた」
応接テーブルの上に一枚の羊皮紙を置くと、アイザックは睨むような目つきでアトロポスの顔を見た。
羊皮紙には、「請求書兼領収書」と黒い字で大きく書かれていた。その下には、請求額である白金貨三万一千枚と、「ローズ様の鎧代として」と但し書きが書かれていた。
「今日はずいぶんといい鎧を着ているな。コートを脱いで、よく見せてみろ」
蒼白になって冷や汗を流すアトロポスに向かって、アイザックがニヤリと笑みを浮かべながら告げた。だが、その濃茶色の瞳には、笑いの欠片さえ浮かんでいなかった。
「い、いえ……お見せするほどの物では……」
「いいから、コートを脱げ!」
「は、はい……」
聞きようによってはセクハラになりかねないアイザックの言葉に、アトロポスは異を唱えることなどできなかった。言われたとおり黒革のコートを脱ぐと、簡単に折りたたんで横に置いた。
「ほう。天龍の鞣し革か? 定価はいくらだった?」
「に、二万八千……」
額から汗を流しながら、アトロポスは小声で告げた。アイザックは、こめかみをピクピクと動かしながら訊ねてきた。
「魔法付与もしたんだろう? 全部で本当はいくらだった?」
「さ、三万六千……です」
アトロポスは、アイザックからプチンという音が聞こえた気がした。
「白金貨五千枚も値引きしたのか? よくやった……」
アイザックは一度言葉を切り、大きく息を吸い込んだ。
「などとでも言うと思ったか、バカモンッ!」
「ひぃい……」
凄まじい落雷がアトロポスを直撃した。荒くれ者の冒険者たちを束ねるギルドマスターであり、剣士クラスSでもあるアイザックの威圧に、アトロポスは本気で竦み上がった。
(クロトーさん、助けて……)
涙目になりながら、ここにはいないクロトーの姿をアトロポスは捜した。
「昨日までお前が来ていた鎧はいくらだった? 正直に言ってみろ!」
「き、金貨一枚です……」
アトロポスは縮こまりながら、天龍の革鎧の三十万分の一以下の金額を消え入りそうな声で答えた。
「剣士クラスAになった程度で、ずいぶんと増長したようだな、ローズ」
「す、すみません……」
アイザックの言葉に、アトロポスは何も弁解できなかった。調子に乗っていたとしか言いようがなかったことを、アトロポスはうなだれながら反省をした。
その時、ノックもなしでバタンと扉が開かれ、疾風のように人影が走り込んでくるとガツンとアイザックの頭を殴りつけた。
「痛ッ……! あ、姐御……」
「アイザック! 何、ローズちゃんをいじめているのッ!」
愛用の魔道杖でアイザックを殴りつけたのは、レウルキア王国随一の魔道士クロトーであった。
「クロトーさんッ!」
九死に一生を得た思いでアトロポスは席を立ち、思わずクロトーに抱きついた。クロトーは震えるアトロポスの肩を抱きしめると、アイザックを睨みつけながら叫んだ。
「たかだか白金貨三万枚くらいで、ギルドマスターがガタガタ言うんじゃないよ! ローズちゃんは将来、このギルドを代表する冒険者になれる子だ。その彼女の身を守る装備だから、あたしも本気の付与をしたんだ!」
殴られた頭の痛みも忘れて、アイザックは驚愕の表情でクロトーの顔を見上げた。
「本気の付与? 姐御がこの鎧に?」
「速度強化十倍、筋力強化十倍の付与だよ! この意味がお前に分かるか?」
「じ、十倍……」
アイザックは呆然とアトロポスの鎧を見つめた。冒険者として四十年近い経験を持つアイザックでさえ、それほどの付与をされた装備を見たことはなかった。
「それからもう一つ……。あたしは、ローズちゃんに剣一本分の蒼炎炭鋼石を贈り、ドゥリンを紹介したよ」
「け、剣一本分の蒼炎炭鋼石に、あの『神明の鍛治士』ドゥリンを紹介……!?」
剣一本分の蒼炎炭鋼石ともなれば、最低でも白金貨三十万枚以上はすることをアイザックは知っていた。その上、レウルキア王国だけでなく、ムズンガルド大陸随一とも言われるドゥリンを紹介したことの意味を、アイザックは即座に理解した。
「どうやら、やっとローズちゃんの価値に気づいたようだね。闇属性を持つ者は、数万人に一人と言われている。レオンハルトとの模擬戦でローズちゃんが放った覇気を、あんたもその眼で見たろう? このあたしが、あの覇気を止めるのに七枚も結界を張ったんだ。あんたやレオンハルトの覇気ならば一枚で止められる結界を、七枚だよ」
「言いたいことは分かった、姐御……」
厳しい表情でそう告げると、アイザックはクロトーに肩を抱かれているアトロポスに視線を移した。
「ローズ、今回の件は不問にするが、増長だけはするな。お前はまだ駆け出しの冒険者だ。姐御の言うとおり、内に秘めた才能は凄まじいものがあるが、それを自在に使うことさえまだできない素人だ。謙虚な気持ちで己を高めることを忘れるな」
「はい。分かりました、アイザックさん。今回は本当に申し訳ありませんでした」
そう言うと、アトロポスはアイザックに深く頭を下げた。
「クロトーさん、色々とありがとうございました。この鎧の魔法付与も、蒼炎炭鋼石のことも……。本当に感謝しています」
「いいのよ、気にしないで。ローズちゃんは、私の娘みたいに可愛いから……」
魅惑的な笑顔で告げたクロトーの言葉を聞いて、アイザックがボソリと呟いた。
「孫かひ孫の間違いじゃ……」
ギロリとクロトーに睨まれると、アイザックは慌てて顔を背けて視線を外した。
「あの、クロトーさん、一つ相談したいことがあるんですが、少しお時間をいただけませんか?」
「いいわよ。ここでいい?」
クロトーの言葉に、アトロポスはちらりとアイザックの顔を見つめた。クロトーはアトロポスが自分だけに相談したいと思っていることを察すると、笑顔を浮かべながら言った。
「ローズちゃん、お腹空かない? 近くに美味しいお茶を出すお店があるのよ。お勧めのお茶菓子もあるから、食べに行かない?」
「はい、行きたいです」
クロトーが自分の気持ちを汲んでくれたことを理解し、アトロポスは笑顔を浮かべながら頷いた。
「じゃあ、アイザック。あたしはローズちゃんとデートしてくるわ。ローズちゃん、行きましょう」
「はい。アイザックさん、では失礼します」
「ああ、またな。姐御、ローズのことをよろしく頼む」
「任せておきなさい」
アトロポスは丁寧にアイザックに頭を下げると、クロトーに続いてギルドマスター室を後にした。
黒革のコートを左腕に掛け、素顔を晒して階段を下りてきたアトロポスに気づき、冒険者たちが一斉に駆け寄ってきた。だが、アトロポスの隣を歩いている美女の姿を見た瞬間、その全員がその場で硬直した。
『妖艶なる殺戮』クロトーの放つ雰囲気に圧倒され、アトロポスに近づこうとする冒険者は誰一人としていなかった。
(さすが、クロトーさんだわ。格好いい。私もいつか、こんな風になれるかな?)
憧れにも似た気持ちでクロトーの整った横顔を見つめながら、アトロポスは冒険者たちの人垣の間を歩く美しいエルフとともに冒険者ギルドから出て行った。