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夜薔薇《ナイト・ローズ》~闇夜に咲く薔薇のように  作者: 椎名 将也
第2章 究極の鎧
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3 愛を確かめて

 『雲雀亭(ひばりてい)』に戻ると、シルヴァレートは昨夜泊まった特別室(スイート)の予約を七日間延長した。延期になった七日後の剣士クラスB昇格試験でアトロポスが試験官をすることになったためだった。

 一階の食堂で早めの夕食を取ると、二人は三階にある特別室(スイート)に戻って居間のソファに並んで腰を下ろした。


「き、今日は色々とありがとう、シルヴァ。疲れたでしょう? だから、お仕置きはなしにしてあげるわ」

 アトロポスは右横に座るシルヴァレートの横顔を見つめると、緊張しながらにそう告げた。今夜も愛されたいと思っているわけではないことを、シルヴァレートに伝えるためだった。


「ほう、そうか? では、その代わりに俺がお前にお仕置きをしてやらないとな」

「え……? な、何で?」

 ニヤリと笑いながら告げたシルヴァレートの言葉に、アトロポスは驚いて彼の顔を見つめた。


「お前が俺にお仕置きをすると言ったのは、今晩も抱かれたいと心の中で思っていたからだ。それを素直に認めようとしない態度が気に入らない」

「ち、違う……そんな意味じゃ……んっ、んぁ……」

 シルヴァレートはアトロポスを抱き寄せると、強引に唇を奪った。

「やだ……やめて、シルヴァ……違うって……、あっ、んっ……」

 アトロポスはシルヴァレートの言葉を否定しようと顔を背けた。だが、シルヴァレートはアトロポスの抵抗を押さえつけると、再び唇を重ねた。


(だめ……こんな口づけされたら、私……)

 濃厚に舌を絡められ、抵抗していたアトロポスの体から力が抜けていった。頭の中に靄がかかったようにボウッとし、体の芯が痺れるように熱く燃えてきた。

(気持ちいい……このままじゃ、また……)

 お互いの唾液を味わうような長い口づけを交わしているうちに、アトロポスの背筋を紛れもない官能の愉悦が舐め上げた。蕩けるような喜悦が全身に広がり、アトロポスは無意識にビクッビクッと総身を震わせ始めた。


「まだ素直になれないか、ローズ?」

 ネットリとした唾液の糸を引きながら唇を離すと、シルヴァレートが訊ねた。アトロポスはトロンと蕩けた瞳に涙を滲ませながらも、シルヴァレートに告げた。

「違う……私は、そんなこと……思ってない……んっ、はっ……」

 だが、何度も強引に唇を重ねられると、アトロポスは縋り付くようにシルヴァレートの背中に両手を廻し、ついには自ら舌を絡め始めた。


「どうして欲しい、ローズ?」

 お互いの唇を細い糸で繋ぎながら、シルヴァレートが再び訊ねた。官能で真っ赤に染まった顔をシルヴァレートの胸に押しつけると、アトロポスは囁くような小声で告げた。

「お願い、シルヴァ……がまんできないの……。抱いて……」


 夜の(とばり)に包まれながら、二人はお互いの愛を確かめ合うように濃密に体を重ね始めた。



 朝の五つ鐘の音で、アトロポスは目を覚ました。

「シルヴァ……?」

 寝台の中にはシルヴァレートの姿はなかった。

(お風呂にでも入っているのかしら……?)

 アトロポスは昨夜の幸せな時間を思い出すと、うっとりとした微笑みを浮かべた。


 まだ、全身に甘い痺れが残っていた。あれほど深い悦びを感じたことは初めてだった。歓悦の頂点を極めさせられ、数え切れないくらい痴態の限りを晒してしまった。アトロポスはシルヴァレートの背中に爪を立てながら、官能の極みを告げる言葉を何度も口にした。

(あんなになるなんて、私……。恥ずかしい……)

 真っ赤になりながら寝台を降り立つと、アトロポスは素肌の上から直接ガウンを羽織った。


 洗面をするために寝室を出ようとしたとき、寝台の横にあるナイトテーブルの上に、羊皮紙が置いてあることに気づいた。

 何気なく手に取ると、シルヴァレートの筆跡で書かれた文字が(つづ)られていた。



『愛するローズへ


 急用ができた。しばらく戻ることはできないが、心配しないで欲しい。たぶん、長くかかると思う。申し訳ないが、ユピテル皇国へは一人で行って欲しい。無事、アルティシアに会えることを願っている。いつの日になるか約束はできないが、必ず迎えに行く。


 シルヴァレート=フォン=アレキサンドル』



「シルヴァッ! どういうこと!? シルヴァ……!」

 置き手紙を握りしめると、アトロポスは蒼白になってシルヴァレートの姿を探した。

 寝室を飛び出し、廊下を横切って居間に飛び込んだ。シルヴァレートの服や荷物がなくなっていた。

「シルヴァ! どこにいるのッ! シルヴァァア……!」

 客間にも浴室にも、シルヴァレートの姿はなかった。


 特別室(スイート)の中すべてを捜し回ったアトロポスは、寝室に戻るとペタンと床に崩れ落ちた。

「急用って何なのよ……? 何で、一言もなしでいなくなるのよ?」

 左手に握ったシルヴァレートの手紙がくしゃくしゃになっていることにも気づかず、アトロポスは両手を床についた。


「シルヴァ……。いつの日にかって、いつよ……。何で、一緒に連れていってくれないのよ……」

 黒曜石の瞳から溢れ出た涙が頬を伝って流れ落ち、ポタポタと床に染みを描いた。アトロポスは肩を震わせながら泣き崩れた。


 まるで、自分の半身を失ったように感じた。

 いつの間にか、どれほど深くシルヴァレートを愛していたのか、アトロポスは初めて実感した。


「シルヴァ……」

 目の前が真っ暗になるほどの喪失感に、アトロポスは立ち上がる気力さえなかった。広い特別室(スイート)の室内で、孤独に震えるアトロポスの嗚咽だけがいつまでも響き渡っていた。



「ひどい顔……」

 洗面台の前にある鏡に映った自分の顔を見て、アトロポスは愕然と呟いた。鏡の中には、泣きはらして充血した眼を腫らした少女がいた。

 先ほど昼の一つ鐘が鳴った。アトロポスは自分が四ザン近くも泣き続けていたことに気づいた。床には涙でできた黒い染みが大きな模様を描いていた。


(とにかく、出かけないと……)

 給水器の栓を捻って冷たい水を出すと、アトロポスは両手で繰り返し洗顔をした。多少腫れが引いたのを確認すると、シルヴァレートにもらった柘植(つげ)(くし)で長い黒髪を梳かした。


 手紙にはどこに行くのか書かれていなかった。シルヴァレートを捜す手がかりは、全くなかった。

(『必ず迎えに行く』と書いてあったわ。シルヴァは大切な約束を破るような(ひと)じゃない)

 シルヴァレートは、王子の身分を捨ててまでアトロポスとの約束を守り、アルティシアの命を救ってくれた。その彼が『必ず迎えに行く』と言うのなら、自分はそれを信じるしかないとアトロポスは思った。


 最初、アトロポスはシルヴァレートがレウルーラ王宮に戻ったのかと考えた。だが、一国の王子があのような形で出奔(しゅっぽん)したのだ。今更、王宮に戻れるはずなどなかった。

 また、アトロポス自身も王宮に戻れば、シルヴァレートを拉致した罪で拘束される可能性があった。シルヴァレートが王宮にいない状態で拘束されれば、身動きが取れなくなるのは確実だった。


(ならば、私は今、やれることをやるしかないわ!)

 納得などできなかったが、『必ず迎えに行く』と言うのであれば、迎えに来てもらおうとアトロポスは考えた。

(ただし、迎えに来たときにはタダじゃおかない! ボコボコにしてあげるから、覚悟しておきなさい!)

 そう決意すると、アトロポスは革鎧を身につけ、シルヴァレートが置いていった黒革のコートを羽織った。



 『雲雀亭(ひばりてい)』の一階にある食堂で昼食を注文したときに、昼の二つ鐘が鳴った。食欲は湧かなかったが、食べないと体が保たないと思い、アトロポスは味気の感じられない食事を無理矢理食べた。

 あと六日間は特別室(スイート)を予約しているため、当面は住むところに困らなかった。宿泊費は昨日、シルヴァレートが(まと)めて払ってくれていた。


 食事を終えると、アトロポスは大通りを東へ進み、『銀狼の爪』に向かった。『銀狼の爪』は、『雲雀亭(ひばりてい)』から冒険者ギルドを通り過ぎて徒歩十タルほどの位置にあった。狼のレリーフが彫られている木製の扉を一人で押したとき、昨日はシルヴァレートがエスコートしてくれたことを思い出した。

(下を向いちゃダメよ。前を見ないと……)

 落ち込みそうな気持ちを叱咤して、アトロポスは『銀狼の爪』の中に一人で足を踏み入れた。


 一階の店員に名前を告げると、アトロポスは三階にある応接室に通された。女性の店員が入れてくれたお茶を飲んでいると、扉がノックされてベイルートが姿を現した。

「お待ちしておりました、ローズ様」

「お呼び立てしてすみません、ベイルートさん」

 応接のソファから立ち上がると、アトロポスはベイルートに挨拶をした。


「いえ、こちらこそご足労をかけて申し訳ありません。天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスの魔法付与は完了しております。ご試着いただく前に、簡単に付与した魔法についての説明をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「はい。お願いします」

 天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスに付与したのは、速度強化と筋力強化の魔法だった。単に移動速度が速くなり、力が強くなるだけだと思っていたアトロポスは、何故ベイルートがあらたまって説明をするのか疑問に思った。


「まず、最初に申し上げておきます。今回の魔法付与によって、お買い上げ頂いた天龍の革鎧ヘルムドラーク・ハルナスはレウルキア王国はもちろんのこと、ムズンガルド大陸すべてを見渡しても指折りの性能を持つ鎧となりました」

「そうなんですか?」

 ベイルートの言葉に、アトロポスは驚いた。たしかに白金貨二万八千枚もする革鎧など滅多にあるものではないが、ムズンガルド大陸随一の性能であるなどとは思ってもみなかった。


「ご存じかも知れませんが、元々、天龍の皮はクラスAの剣士や槍士がオリハルコン製の武器で攻撃しても傷一つ付きません。天龍を倒すほどの攻撃ができるのは、クラスSの覇気攻撃しかありません」

「……!」

(全然ご存じじゃないわよ、そんなこと……)

 アトロポスはベイルートの説明に言葉を失った。


「そして、魔法についても同様です。天龍の皮が持つ魔法耐性は、間違いなく世界一です。こちらも魔道士クラスA程度の攻撃魔法であれば、ほとんどの攻撃を防御します。物理攻撃と同様に、クラスSの上位魔法でないと効力はありません」

「そ、そうなんですか……?」

 あまりの高性能に、アトロポスは引き()りながら答えた。大貴族の屋敷が丸ごと買えるほど高額なわけだと、アトロポスは初めて納得した。


「次に付与されている魔法についてご説明します。まず、昨日試着されたときにお気づきかと思いますが、この鎧に付与された重量軽減魔法は通常の物と比べて倍以上の性能があります。おそらく、お召しになってもまったくと言っていいほど重さを感じなかったと思います」

「はい。あまりに軽くて、鎧を身につけているとは思えませんでした」

 昨日試着したときの感触を思い出しながら、アトロポスは率直な感想を述べた。


「この付与は、この国随一の魔道士であるクロトー様が行ったものです」

「クロトーさんが……?」

 アトロポスは驚愕の声を上げた。まさか、ここでもクロトーのお世話になっているとは思いもしなかったのだ。

「やはり、クロトー様をご存じでしたか? 私も正確なお歳は存じませんが、あのお方は四百五十年以上もの間、レウルキア王国随一の魔道士の座に就かれております」

「四百五十年以上も……!?」

 エルフであるクロトーが見かけどおりの年齢ではないことは知っていたが、四百五十歳以上だとは思ってもいなかった。


「はい。重量軽減魔法だけでなく、サイズ調整魔法についてもクロトー様に付与して頂いております」

「もしかして、昨日お願いした速度強化と筋力強化の魔法もクロトーさんが……?」

 アトロポスの想像通りの答えを、笑顔を浮かべながらベイルートが告げた。

「仰るとおりです。ですから、最初にこの鎧はムズンガルド大陸随一の鎧になったと申し上げたのです」


(どおりで黒革のコートのサイズ調整と違ったわけだわ。体にピッタリとフィットしただけでなく、何て言うか着心地が滑らかで優しく、動いてもまったく違和感を感じなかった……)

 魔道士クラスSSさえも凌駕すると言われているクロトーの付与ならば、それも納得できるとアトロポスは思った。


「本題はここからです。今朝ほどクロトー様が速度強化と筋力強化をされる前に、この鎧を誰が買ったのかとお訊ねになりました。私がローズ様のお名前を出したら、クロトー様は大変喜ばれまして、それならば本気の付与をしてあげると仰いました」

「本気の付与……?」

 アトロポスには、ベイルートが告げた言葉の意味が分からなかった。

(付与するのに、本気かどうかなんて関係あるのかしら?)


「はい。普通、速度強化は本人の移動速度を二倍まで引き上げます。また、筋力強化も同様に、筋力の強さを二倍にするのが一般的です」

「二倍ですか……」

 それだけ強化できれば十分だとアトロポスは考えた。だが、次にベイルートの告げた言葉に、アトロポスは驚愕のあまり固まった。


「クロトー様はそれを十倍まで強化されました。つまり、ローズ様の移動速度も筋力も、一時的ですが十倍まで引き上げることが可能となる付与を行われたのです」

「じ、十倍……ですか?」

 自分の動きや力が十倍になるなど、アトロポスには想像もできなかった。


「これは素晴らしいことであるのは間違いないのですが、慣れるまでは非常に危険です。たとえば、ちょっと走っただけで馬の何倍もの速度になるのです。また、握手を交わすだけで、相手の腕を粉々にしてしまう可能性もあるのです」

「……!」

 ベイルートの言わんとしていることが、アトロポスにも理解できた。慣れないうちはよほど気をつけないと、下手をしたら人を殺してしまうかも知れなかった。


「重量軽減とサイズ調整は自動で発動するようですが、速度強化と筋力強化も同じなんですか?」

 これが一番重要だと思い、アトロポスは(すが)るような気持ちで訊ねた。もし両方とも発動しっぱなしであったら、日常生活に支障を来すことは間違いなかった。


「そこはご安心ください。クロトー様もその危険性は十分に理解しておられたようでして、鎧に流した魔力量に応じて発動するようにしたと仰っておりました」

「それはつまり、少量の魔力を流せば二倍くらいになり、大量の魔力を流せば最大十倍まで強化できるということでしょうか?」

「仰るとおりです」

 アトロポスはホッと胸を撫で下ろした。流す魔力量によって自分の意志で調整できるのであれば、むやみに恐れる必要はないと思った。


「ですが、最初のうちはどの程度の魔力でどのくらいの強化になるかを十分に検証してください。これは実際にこの鎧を身につけるローズ様にしか分かりません。ですから、慣れるまでは慎重の上にも慎重をきたして、ご注意をお願い申し上げます」

「分かりました。慣れるまでは無茶をしないようにします」

 ベイルートの心配は、アトロポスにもよく理解できた。


(それにしても、クロトーさん、とんでもない付与をしてくれたわ。まあ、好意でしてくれたのだから、文句は言えないけど……)

 速度強化と筋力強化については、納得がいくまで練習しようとアトロポスは心に誓った。

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