9 焔星
「よく来てくれたね、ローズ。少しだけ僕と遊んでくれるかな?」
人当たりの良い笑顔を浮かべながら、レオンハルトが告げた。
間近で見るレオンハルトは、思ったよりも美青年だった。淡青色の髪を肩で切り揃え、整った容貌の中で濃紺の瞳が印象的な男だった。年齢は二十二、三歳くらいか。シルヴァレートよりも少し年上に見えた。
「遊ぶなんてとんでもありません。全力で胸をお借りします」
アトロポスはニッコリと微笑みながらレオンハルトに告げた。それは紛れもなく彼女の本心だった。
「嬉しいねぇ。そうだ、アイザックさん。ローズが僕とたくさん遊んでくれたら、ギルマス権限で昇格させてあげられないかな? ローズは今、クラスCなんでしょ?」
「いえ、クラスFです。昨日、冒険者登録をしたばかりなので……」
アトロポスの言葉に、レオンハルトは驚きの表情を浮かべてアイザックを見つめた。
「本当だ、レオンハルト。彼女はクラスFで間違いない」
「驚いたな。クラスFか。なら、こうしよう。僕に勝てたらクラスS、ある程度いい勝負をしたらクラスAに昇格ってことでどうかな?」
アイザックの顔を見ながら、レオンハルトが言った。
「お前に勝つだと? 無茶を言う……」
「はい。それでお願いできますか? それと、私からも一つお願いがあります」
アイザックの言葉を遮ると、アトロポスは楽しそうな笑みを浮かべながらレオンハルトに言った。
「何だい? こう見えても、僕は槍士クラスSSだ。クラスSSとクラスFが戦うんだ。ハンディくらいはつけてあげるよ」
「ありがとうございます。私のお願いは……レオンハルトさんの本気を見せてください」
「え……?」
「何だと……?」
アトロポスの告げた言葉にレオンハルトが呆然とし、アイザックが驚愕した。
「おい、ローズ! のぼせ上がるのもいい加減にしろ! 上級回復ポーションがあるとは言え、即死したら役に立たないんだぞ!」
「あはは……! 面白い子だね、君は……。分かった。アイザックさん、今ギルドにクラスSの魔道士か術士はいるかな?」
レオンハルトの言う意味を理解し、アイザックが慌てた。
「レオンハルト! お前、まさか……?」
「うん。ちょっとこの子に興味が湧いた。クラスSの魔道士か術士を呼んでくれない?」
「分かった……。ただし、俺とも約束しろ。ローズはもちろんだが、この場にいる誰一人として殺すなよ!」
そう告げると、アイザックは書記として控えていた部下に、魔道士クラスSか術士クラスSを引っ張ってこいと命じた。
「あの……魔道士クラスSや術士クラスSの方を呼んでどうするんですか?」
レオンハルトの考えが分からず、アトロポスは首を捻りながら訊ねた。
「ああ。僕が本気を出すと、この建物が壊れちゃうんだ。だから、建物を守るためにこの訓練場に防御結界を張ってもらうのさ」
(この建物を破壊するほどの攻撃って……?)
それがどんな攻撃でどれほどの威力を持っているのか、アトロポスには想像もつかなかった。
「急に呼び出されて何事かと思ったら、またあんたが原因なの?」
アイザックの部下が連れてきたのは、年齢不詳の美女だった。耳が尖っていることから、エルフであることは間違いなかった。その美女はレオンハルトの知人なのか、いきなり彼の頭を魔道杖で小突いた。
「痛いな、クロトーのおばあちゃん。アイタッ!」
「誰がおばあちゃんだって!?」
再び魔道杖で殴られた頭を擦りながら、レオンハルトが事情をクロトーと呼んだ美女に説明し始めた。。
「ちょっと僕が彼女と遊びたいって言ったら、遊ぶ代わりに僕に本気を見せろって言うんだよね。さすがに結界なしだと危ないから、クロトーさんに来てもらったってわけ」
「レオンハルトと遊ぶ? あなた、名前とクラスは?」
レオンハルトの言葉に、クロトーは急に真面目な表情を浮かべながらアトロポスに訊ねた。
「ローズです。昨日、冒険者登録をした剣士クラスFです」
「剣士クラスF? アイザック、あんた何考えてるの?」
アトロポスの自己紹介を聞いて、クロトーはアイザックを睨みつけた。
「いや、本当のことだ、姐御。ローズは昨日冒険者登録を……」
「馬鹿、そんなことじゃなくて、何でこの娘がクラスFなの? あんたの目は節穴なの?」
アイザックはクロトーの言わんとする意味を理解し、慌てて弁明した。
「俺も、彼女と会ったのは今日が初めてなんだ。今、剣士クラスBの昇格試験の最中で、彼女は受験者としてここに来ている」
「……。で、レオンハルトが彼女に興味を持ったって訳ね?」
「そういうこと、おばあ……クロトーさん」
クロトーに睨まれると、レオンハルトは慌てて言い直した。
「事情は分かったわ、アイザック。この娘とレオンハルトが模擬戦をするから、あたしに結界を張れってことなんでしょ?」
「そういうことだ。頼めるか、姐御?」
「まあ、面白そうだからやってやってもいいけど……」
歯切れ悪くそう言うと、クロトーはアトロポスの方を見つめてきた。
「あの……すみません。クロトーさんって魔道士クラスの方なんですか?」
三人の会話を聞いていたアトロポスが、クロトーに訊ねた。槍士クラスSSのレオンハルトの頭を魔道杖で小突き、ギルドマスターであるアイザックが姐御と呼ぶ相手がどういう女性なのか興味があったのだ。
「そう言えば、自己紹介が遅れたわね。あたしは、クロトー。魔道士クラスSで、二つ名は『妖艶なる殺戮』よ。見ての通り、長耳長寿族なの。だから、レオンハルトはもちろん、アイザックもガキの頃から知っててね。そういうわけで、よろしくね」
「あ、はい。ローズです。こちらこそよろしくお願いします」
クロトーの持つ雰囲気に圧倒され、アトロポスは慌てて頭を下げた。
「ところで、あなた、闇属性ね。闇属性の魔力って六属性中最強だから、本来ならあたしの結界じゃ防御しきれないんだけど、まだろくに使えないみたいだから大丈夫そうね。レオンハルトの攻撃だけなら問題ないから、手伝ってあげるわ」
「よろしくね、おば……クロトーさん」
(槍士クラスSSの攻撃を問題ないって……この人、いったい?)
普通に考えれば、魔道士クラスSが槍士クラスSSの攻撃を防げるはずはなかった。
「クロトーの姐御は、魔道士クラスSSへの昇格をずっと辞退しているんだ。本来の力はクラスSSさえも凌駕するレウルキア王国最強の魔道士だ」
アトロポスの疑問に答えるかのように、アイザックが説明をした。
(この人がこの国一番の魔道士……)
アトロポスは改めてクロトーの美貌をみつめた。
『妖艶なる殺戮』の名にふさわしい艶麗な美しさを持つ女性だった。大きくウェーヴがかかった濃緑色の髪を腰まで伸ばし、胸元の大きく開いた紫色のローブで女性らしい凹凸に富んだ魅惑的な肢体を強調していた。
彫りの深い小さめの顔は非の打ち所もなく整っており、長い睫毛と切れ長の眼に輝く黒瞳は淫靡ささえも感じられた。左眼の下にある泣きぼくろと濡れたように艶やかな紅い唇が彼女の魔性をより際立たせていた。
(女の私でもゾクゾクするような色気の女性ね。シルヴァには絶対に紹介したくないわ)
クロトーの持つ濃厚な色香にアトロポスは羨望と嫉妬を感じて、思わずシルヴァレートの方を見つめた。
「大丈夫よ、あなたの彼を食べたりしないから、心配しないで……」
その感情を読み取ったかのように、クロトーは微笑みながらアトロポスに近づくと、彼女の耳元で囁いた。その濡れたような美しい声にゾクリとなり、アトロポスは真っ赤になって俯いた。
「では、そろそろ始めるわよ。二人とも準備はいいかしら?」
「いつでもいいよ、クロトーさん」
「はい」
クロトーの言葉に、レオンハルトとアトロポスは訓練場の中央でお互いを見つめながら頷いた。
「生命を司る森の精霊たちよ、すべての理を観相する精霊の王アルカディオスよ! 見えざる鎧となりて、彼の者たちを包みたまえ! スピリット・シールド!」
クロトーが詠唱を唱えた瞬間、右手で高く掲げた魔道杖の宝玉が閃光に包まれ、爆発するように光輝が急激に広がった。光が複雑に交差しながら絡み合い、濃度と輝きを増していった。そして、天井付近から四方の壁に沿って光の螺旋が滝のように下りてきた。
冒険者ギルド・ザルーエク支部の地下訓練場すべてが、光の結界に包まれた。
(凄い……! 訓練場が凄まじい魔力で覆われている!?)
超一流の魔道士による結界を初めて目の当たりにしたアトロポスは、驚愕と畏怖とに圧倒されて呆然と立ち尽くした。その硬直をレオンハルトの声が解き放った。
「ローズ、では、僕たちも始めようか?」
「は、はい!」
アトロポスは両脚を前後に開き、重心をやや落として踵を上げると、細短剣の柄に右手を掛けた。得意の居合抜きの構えだった。
「最初は君から攻撃していいよ。それと、僕の本気を見たかったら、君が引き出すんだ。君の力を僕が認めない限りは、本気の攻撃などしない。危ないからね」
レオンハルトの言葉に、アトロポスは黙って頷いた。
(私の力が彼に届かないことは百も承知よ。彼が認めようと認めまいと関係ない。私は今持っているすべての力で……いえ、それ以上の力で彼に挑むだけ!)
アトロポスは一歩目から全力で床を蹴った。十メッツェ以上あったレオンハルトとの距離が急速に縮んでいった。
(今だッ!)
レオンハルトを間合いに捕らえた瞬間、アトロポスは身をかがめて左前方に跳んだ。宙で一回転しながらレオンハルトの右斜め後ろに着地すると振り向きざまに居合いを放った。渾身の力を秘めた必殺の居合いだった。たとえダリウス将軍だとしても避けられない速度と威力を秘めていた。
キンッ!
だが、レオンハルトは振り向きもせずに右手一本で剣を持ち、アトロポスの居合いを受け止めた。それだけでなく、次の瞬間、右斜め上から袈裟懸けに斬りかかってきた。
「くっ……!」
アトロポスは後方にとんぼ返りをしてレオンハルトの攻撃を凌いだ。だが、左肩から右の脇腹にかけて、革鎧が斬り裂かれた。左の乳房が下半分ほど露出し、血が流れていた。あと数セグメッツェ深ければ内臓に届く致命傷だった。
「ローズ、何故、二つ名がクラスAから許されているか知っているかい?」
アトロポスは自分の限界を超えるほどのスピードでレオンハルトの周囲を移動し、凄まじい連撃を放った。だが、そのすべてをレオンハルトは防ぎ、いなしながら世間話をするかのように話しかけてきた。アトロポスに答える余裕など全くなかった。
「クラスBとクラスAとの間には大きな壁があるんだ。君の力はクラスBとしてならトップレベルだよ。だが、クラスAには届かない」
そう告げると、レオンハルトは初めて剣を両手で持ち、上段から真っ直ぐに斬り下げてきた。
(……!)
アトロポスの項からゾクリとした感覚が走った。その直感に従って、アトロポスは無意識に左へ大きく跳んだ。次の瞬間、アトロポスのいた場所を凄まじい速度で炎の刃が走り抜けた。
スドーーンッ!
レオンハルトの放った火炎刃がクロトーの結界に激突し、訓練場全体を震撼させるほどの衝撃が響き渡った。
「これがクラスAの攻撃さ。自分の覇気を武器に乗せ、自在に放つんだ。その威力は単に剣で斬った時とは比較にできないほど強力だ。それともう一つ、この攻撃には大きな利点がある」
そう告げると、レオンハルトはアトロポスに向かって次々と火炎刃を放った。まともに受けたら、どれも致命傷になるほどの威力だった。
「くっ……!」
アトロポスは休むこともできずに火炎刃を躱し続けた。細短剣で受けたら剣身がバラバラに粉砕されるのは目に見えていた。アトロポスの脳裏に、先ほどの大男の粉砕された長柄大刀が蘇った。
(近づくことができない! それどころか、息が……)
一タルザンの間に何発の火炎刃を放っているのか、アトロポスには分からなかった。分かっているのは、一瞬でも足を止めたら火炎刃に斬り裂かれることだけだった。比喩でも何でもなく、アトロポスは呼吸する暇さえなかった。
「この覇気の攻撃は、こんなふうに距離が離れていても可能なんだ。その気になれば、数百メッツェ先の敵でも攻撃できる。こういった覇気を使えることが、クラスAになる最低限の条件だよ」
酸素不足で朦朧としてきた頭に、レオンハルトの言葉が聞こえた。アトロポスは苦しさと疲労のあまり、思わず足を取られて片膝をついた。
(やられる……ッ!?)
目の前に、レオンハルトの放った火炎刃が迫った。アトロポスは膝立ちのまま細短剣を納刀すると、居合いの態勢に入った。
(目で見るんじゃなく、感じるんだ!)
アトロポスは迫り来る火炎刃の恐怖を抑え込み、あえて眼を閉じた。
精神を集中し、火炎刃の持つ覇気を探った。
アトロポスの全身から漆黒の覇気が湧き上がった。それが急激に増幅し、周囲を席巻して弾けた。
(今だッ!)
アトロポスが居合いを放った。
凄まじい覇気が細短剣から放たれ、螺旋を描きながら火炎刃を呑み込んだ。
漆黒の覇気の奔流は、その威力を些かも減じることなく、巨大な渦を描きながら凄まじい速度でレオンハルトに一直線に向かった。
(な、何だと……ッ!)
レオンハルトは驚愕の表情で、アトロポスが放った漆黒の奔流を見据えた。槍士クラスSSである彼は、その奔流が持つ壮絶な破壊力を一瞬で理解した。
(まずいっ!)
瞬時に愛剣を上段に構えると、レオンハルトは全力で振り抜いた。その瞬間、剣先から火炎が噴出し、巨大な渦を巻きながら螺旋の奔流へと昇華した。
超絶な破壊力を秘めた漆黒の奔流と、凄絶な威力を有した真紅の奔流とが、地下訓練場の中央で激突した。
(押し負ける……!?)
一瞬、均衡を保っていたかのように見えた二つの激流の一方が、相手の力を呑み込んでその威力を凌駕し始めた。
次の瞬間、漆黒の奔流が爆発的に膨張し、真紅の奔流を併呑しながらレオンハルトに急迫した。
(やばいッ! これは……!)
再び火炎の奔流を放とうとレオンハルトは上段に剣を掲げたが、振り落とす余裕さえなかった。漆黒の奔流の巨大な顎が、レオンハルトに襲いかかった。
(死……!?)
レオンハルトは思わず眼を閉じて、自分を誘う死神が鎌を振り落とす瞬間を待った。
「……?」
だが、死の瞬間は訪れず、レオンハルトは恐る恐る目を見開いた。
「何してるのッ! 早くこっちに来なさいッ!」
目の前に光の障壁が張られ、漆黒の奔流を防いでいた。
「クロトーばあちゃんッ!」
「急ぎなさいッ! 保たないかも知れないッ!」
ばあちゃん呼ばわりされたことを怒る余裕もなく、クロトーが怒鳴った。
全力でレオンハルトは走り出し、クロトーの元へ向かった。
レオンハルトがその場を離れた瞬間、クロトーの張った光の結界が破られた。
やや威力を減じたとは言え、漆黒の奔流は螺旋を描きながら訓練場の壁に向かって突き進んだ。
「ハァアアッ!」
クロトーの全身が光輝に包まれ、漆黒の奔流の先々に次々と光の結界を形成した。
七枚目の結界の前に、漆黒の奔流は霧散した。訓練場の壁までは、あと五メッツェもなかった。
アトロポスは片膝をついて居合いを放った姿勢のまま、自分の覇気の威力に呆然としていた。