5 新米冒険者の証
「冒険者登録をしたいんですが……」
突然、頭上から声を掛けられ、ミランダは受付カウンターの中で読んでいた漫画を慌てて閉じて顔を上げた。
いつの間にか目の前に一人の少女が立って、こちらを見下ろしていた。
美しい少女だった。年齢は十六、七歳くらいか。
背中まで真っ直ぐに伸ばした黒髪は、まるで漆黒の滝のようだった。小さめの顔には細く高い鼻梁と魅惑的な紅い唇が、完璧とも言える造形を成していた。黒曜石のように輝く瞳は強い意志に溢れ、見る者を魅了するように煌めいていた。
肌は陶磁のように白く滑らかで、年のわりには女性らしい肢体を黒い革鎧で包み込んでいた。
(綺麗な娘ね。こんな娘が冒険者登録を……?)
若い女性が冒険者登録に来ることは過去にもあったが、いずれも友人と一緒の場合が多かった。一人で登録に来たケースは今までになく、ミランダは怪訝そうに眉をしかめながら訊ねた。
「冒険者登録ですか?」
「はい……」
ミランダは自分の問いに短く答えた少女の顔を再び見つめた。荒くれ者が多い冒険者になるよりも、どこかの劇団で女優にでもなったら人気が出そうだとミランダは考えた。
(食い詰めて冒険者になるしかなくなったクチかしら? でも、そんなに甘い世界じゃないわよ)
ミランダは小さくため息をつくと、厳しい視線で少女を見据えながら言った。
「冒険者登録には金貨一枚が必要になりますが、よろしいですか?」
金貨一枚は銀貨十枚と同価値だ。一般的な中級宿に一泊できる金額だった。下級宿なら十泊はできた。食費に困って冒険者になるような者に払える金額ではなかった。
「これでお願いします」
少女は右腰につけた革の小物入れから革袋を取り出すと、ドサリと音を立てながらカウンターに置いた。ミランダは少女の顔を見つめると、革袋の口紐を解いて驚愕した。中には十枚の白金貨が詰まっていた。白金貨一枚は金貨十枚と同じだ。それが十枚もあれば、三ヶ月は遊んで暮らせた。
「は、はい……。でも、あの……」
驚きのあまり接客マニュアルなど頭から消え失せ、ミランダは呆然と少女の顔を見つめた。
「登録料の残りは発行したギルド証に入金してくれますか?」
「はい……かしこまりました。こ、こちらの申請書にご記入ください」
ミランダは慌ててカウンターの引き出しから羊皮紙の申請書を取り出すと、羽ペンと一緒にカウンターの上に置いた。
「分かりました……」
少女がさらさらと羽ペンを動かす様子を見つめながら、ミランダは改めて彼女の顔を覗き込んだ。
(何なの、この娘……? こんな大金を持って冒険者登録なんて? それも、こんな時間に……?)
先ほど昼の三つ鐘が鳴ったばかりなので、もうすぐ夕方だった。近くのダンジョンに入っている冒険者たちがそろそろ帰ってくる頃だ。冒険者ギルドは早朝と夕方が一番混み合う。逆に言えば、今頃が一番暇な時間帯だった。その時間帯を選んだかのように彼女はやってきたのだ。
「これでいいですか?」
少女が書き終えた申請書を差し出してきた。それを受け取りながら、ミランダは内容を確認し始めた。
氏名 :ローズ
年齢 :16歳
希望クラス :剣士クラス
連絡先 :
紹介者 :
特技 :剣技
(綺麗な字……。この娘、いったい……?)
ミランダは目を見開いて少女の顔を見上げた。申請書に書かれた字は、きちんと学問を修めた者の筆跡だった。
冒険者は、荒くれ者の集団だ。まともな職業に就けずに世間からドロップアウトし、犯罪に手を染めるよりは冒険者になって一攫千金を狙うという者が多かった。当然ながら学もなく、読み書きさえできない者が大半を占めていた。
「まだ今晩の宿を決めていないので、連絡先は書けません。また、自分の意志で登録に来たので、紹介者もいません」
「最低限、名前と希望クラスがあれば構いません。手続きをしてくるので少しお待ちください。それとこちらはお預かりします。登録料を除いた残金はギルド証に入金させていただきます」
カウンターの上に置かれた革袋を手に取ると、ミランダは少女に軽く頭を下げて事務所の奥へと向かった。
(シルヴァったら、勉強のため一人で冒険者登録をして来いなんて冷たいわよね。まあ、逆らってまたお仕置きされても困るけど……)
アトロポスはお仕置きの内容を思い出して顔を赤らめた。
(それにしても、白金貨十枚をポンと渡すなんて、さすが王子様ね。いったいいくらくらい持ってるのかしら?)
先ほど受付嬢に渡したお金はシルヴァレートから預かったものだった。何かの都合で別行動になった時のために、ギルド証に入金しておけと言われたのだ。
受付嬢はカウンターの奥にある事務所に入ったきり、まだ戻ってくる気配はなかった。一人残されたアトロポスは手持ち無沙汰にギルドの中を見渡した。
このギルドは昨夜からいるザルーエクにある冒険者ギルド・ザルーエク支部だ。建物は二階建てで、一階のフロアには受付カウンターが三つとアイテム買い取り所兼販売所があった。
受付嬢はいずれも美形揃いで、冒険者たちの憧れの的だと思われた。それに対して一番右側にあるアイテムカウンターは、五十代の男性が担当をしていた。年齢のわりには動きも機敏で、元冒険者のように思えた。
アイテムカウンターの右側には二階へ続く階段があった。おそらく二階にはギルドマスター室や会議室、応接室などがあるのだろう。
受付カウンターに向かって左側には食堂があった。アトロポスは先ほどまでシルヴァレートと一緒に、そこで遅めの昼食を食べていた。客席の数は二十席以上あり、今もシルヴァレートはそこでエールを飲んでいるはずだった。
アトロポスは食堂入口の右横にある大きな掲示板へと歩いて行った。そこには依頼書がびっしりと貼り出されており、数人の冒険者たちがそれを眺めていた。アトロポスは掲示板の前に移動して依頼書を確認し始めた。
(討伐依頼の大半は、B級、C級、D級みたいね。あ、S級依頼がある。火龍の鱗三枚……。火龍って、あの四大龍よね?)
ダンジョンには魔獣と呼ばれる凶悪な生物が存在していることは、アトロポスも知っていた。魔獣はその危険性によってSS級からF級まで八段階に大別されている。その中でも最も凶悪で危険な魔獣が四大龍と呼ばれる竜種だった。SS級の天龍と水龍、S級の火龍と木龍である。四大龍の討伐は、冒険者ランクSのパーティが複数で攻略すると言われていた。
(いつかはこんな依頼を受けてみたいわね……。一番下のF級依頼は……、薬草採集とペット捜索? 家の掃除と庭柵の修理? ろくな依頼がないじゃない。報酬も銀貨五枚程度なの? 下級宿に二、三泊して食事したら消えちゃうわね……)
まともな報酬を得られる依頼は、D級あたりからだった。D級の討伐依頼で、金貨五枚くらいが相場のようだ。
(昇格するにはどうすればいいのかな?)
アトロポスは冒険者ギルドの仕組みを先ほどの受付嬢に確認することに決めた。
「こちらがローズさんのギルド証になります。紛失した場合、再発行料として金貨一枚がかかりますので気をつけてください」
アトロポスは手渡された青銅色のギルド証を見つめた。大きさは縦五セグメッツェ、横三セグメッツェの長方形のプレートで、厚さは羊皮紙五枚分くらいだった。チェーンが通されており、首から掛けられるようになっていた。アトロポスはギルド証を受け取ると、そのまま首に掛けた。
「冒険者ギルドの説明は必要ですか?」
「お願いします……」
ミランダの言葉に、アトロポスは小さく頷いた。
「冒険者ギルドでは、ランクとクラスによって受けられる依頼が決まります。ランクはパーティの強さを、クラスは個人の強さを現します。どちらも、SS、Sを筆頭にAからFまでの八段階に分けられています」
「パーティを組むにはどうすればいいんですか? また、人数の制限はありますか?」
アトロポスの質問に、ミランダは笑顔を浮かべながら答えた。
「パーティには固定パーティと暫定パーティがあります。高クラスの冒険者ほど、固定でパーティを組んでいます。暫定パーティとはその依頼を達成するまでの間だけ一時的に組むパーティのことです。どちらも人数制限は特にありませんが、四人から六人くらいが一般的ですね」
(あまり少ないと危険だし、多すぎると分け前が減るってことね)
「それから冒険者のクラスですが、七種類あります。ローズさんの選んだ剣士クラスの他に、近接職は槍士クラスと拳士クラスがあります。遠距離職は、魔道士クラスと弓士クラスです。その他に、盾士クラス、術士クラス、盗賊クラスがあります」
「盗賊クラス?」
「盗賊と言っても、本物の盗賊ではありません。索敵能力、諜報能力、危険回避能力、情報収集力などに秀でたクラスのことです」
アトロポスの質問に、ミランダが笑いながら答えた。
「依頼の受注についてですが、パーティのランクや個人のクラスの一つ上まで受けることができます。パーティのランクは、そのパーティで一番クラスの高いメンバーと同じになります」
「つまり、クラスAが一人いれば、他が全員クラスFでもそのパーティはランクAになるということですか?」
アトロポスは驚いて訊ねた。もしそうであれば、一人でも高クラスをメンバーに入れれば、S級やA級の依頼を誰でも受けられそうだった。
「たしかにその通りですが、実際はそんなに単純ではありません。S級やA級といった上位の依頼は危険度が非常に高いものです。それを下位クラスのメンバーと一緒に受ければ自分の命に関わるため、クラスが近い者同士がパーティを組んで身の丈に合った依頼を受けるのが一般的です」
「なるほど……。他には……?」
ミランダの言葉に頷きながら、アトロポスが訊ねた。
「あと、先ほどお渡ししたギルド証ですが、クラスによって色や材質が異なります。ローズさんはクラスFなので、青銅製のギルド証になっています」
ミランダの説明によると、ギルド証の色と材質は次の通りであった。
冒険者クラスSS ブルー・ダイヤモンド製(透明青色)
冒険者クラスS プラチナ製(白金色)
冒険者クラスA ミスリル製(青白金色)
冒険者クラスB 金製(金色)
冒険者クラスC 銀製(銀色)
冒険者クラスD アダマンタイト製(薄緑灰色)
冒険者クラスE 鉄製(濃灰色)
冒険者クラスF 青銅製(青銅色)
「ギルド証は身分証明書としてだけでなく、買い物にも利用できます。商業ギルドと提携している宿屋やお店でギルド証を提示すると、現金を持たずに支払ができます。使った金額は利用日から七日以内にギルドの登録口座から引き落とされます」
「それは便利ですね。ギルド証が使えないお店はありますか?」
「レウルキア王国だけでなく、ムズンガルド大陸すべての国で、商業ギルドに登録している宿屋や店舗ではギルド証を利用できます。利用できないのは露店か怪しい闇店くらいですね」
ミランダが笑顔で告げた。
「あといくつか確認させてください。昇格するにはどうすればいいんですか?」
「昇格ですか……。一般的には依頼をこなして昇格ポイントを貯めることです。一定のポイントを超えると、依頼達成時に次のクラスへ昇格します」
ミランダの説明に、アトロポスは眉をひそめた。アトロポスが知りたいのはその方法ではなかった。
「一足飛びに……飛び級のような昇格をする方法があったら教えてください」
「そうですね。二つありますが、どちらもかなりの難易度になります。一つはギルド主催の昇格試験に合格することです。もう一つはギルドマスターによる特別昇格です」
(昇格試験……! これだわ!)
ギルドマスターの特別昇格が何なのか分からなかったが、昇格試験に合格すれば最短で昇格できそうだと知り、アトロポスは目を輝かせた。
「一番近い昇格試験はいつです?」
「明日、剣士クラスBの昇格試験があります。しかし、今までクラスFから一気にクラスBへ昇格した人は一人もいませんよ」
ミランダが呆れたような表情で告げた。
「クラスB昇格試験は、受験料として金貨十枚かかります。落ちても返金はされないので、お勧めはしませんが……」
「構いません。ぜひ、受験します!」
アトロポスは身を乗り出しながら言った。
「分かりました……。昇格試験は明日の朝の六つ鐘に、地下の訓練場で行います。試験官は当ギルドのギルドマスターであるアイザックが行います。彼は剣士クラスSです。では、受験手続きと受験料の引き落としを行いますので、ギルド証をお預かりします」
「よろしくお願いします」
アトロポスは嬉しそうな笑顔を浮かべると、首に掛けた青銅色のギルド証を外してミランダに渡した。