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夜薔薇《ナイト・ローズ》~闇夜に咲く薔薇のように  作者: 椎名 将也
第9章 獅子王と氷姫
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10 獅子の子

「俺は五歳で実の母親を殺した……」

「……!」

 イーディスの碧眼が、驚愕に大きく見開かれた。

「俺の母親は娼婦だった。男と寝て稼いだ金で酒に溺れ、毎日のように俺に暴力を振るっていた。当然のことだが、俺は父親が誰だかさえ知らない」

 フッと自嘲気味に、ルーカスは口元だけで笑いを浮かべた。


「お前なんか産むんじゃなかった。死んじまえ……って、子守歌のように聞かされて育ったよ」

「ルーカス……」

 伯爵令嬢として何の不自由もなく育てられたイーディスには、想像したこともない世界の話だった。


「ある時、どんな嫌なことがあったのか、母親は俺の上にのしかかって、本気で首を絞めてきた。苦しさに喘ぎながら、俺は近くにあった物を握って母親を殴っていた。ゲホゲホとむせ返りながら母親を見ると、頭から血を流して倒れていた。俺の手には血だらけになった酒瓶が握られていた」

 ルーカスはそこで言葉を切ると、エールをグイッと呷った。イーディスには彼にかける言葉が、何も浮かばなかった。


「騒ぎを聞きつけた近所の住人が自衛団に通報し、俺は感化院に入れられた」

「感化院?」

 初めて聞く言葉に、イーディスは首を傾げた。

「孤児院の劣悪版だ。罪を犯した子供を収容し、更正を図る施設ってことになっている。実際は、そんな大層な代物じゃない。それどころか、まさしく地獄のような場所だった……」

「……」

 想像を遥かに超えるルーカスの生い立ちに、イーディスは何も言えず彼の顔を見つめていた。


「俺が入れられた感化院は、裏社会を牛耳る組織の手が伸びていた。そこでは、子供たちを売春の商品(どうぐ)としていたのさ」

「どういう意味……?」

「変態貴族どもに、子供たちを抱かせて金を稼ぐ……いわば、子供専用の売春組織だった。俺は五歳でそういった貴族どもの相手をさせられた」

「そんな……!?」

 幼女売春というものがあることは、イーディスも聞いたことがあった。だが、五歳の少年に売春行為をさせるなど、イーディスの想像を遥かに超えていた。


「十歳で感化院を卒業した俺は、一銭も持たずに世の中に放り出された。住む所どころか、その日の食い物さえ何も持っていなかった。そんなガキが生き残るにはどうすればいいと思う?」

「……犯罪?」

 イーディスの答えに、ルーカスはつまらなそうに頷いた。

「スリ、盗み、強盗、強姦、恐喝……やらなかったのは殺人くらいだな」

「……」

 あまりの話にイーディスは言葉が見つからず、目の前に置かれた紅桜酒を一口飲んだ。(ぬる)くなった紅桜酒は苦みだけが口の中に残った。


「そういったガキどもは、何も俺一人だけじゃない。いつしか俺は似たような境遇の連中とつるみ、そいつらのリーダー的な存在になっていた。ある時は脅し、ある時は力で従え、俺は自分の組織を大きくしていった。いつしか、三十人を超える手下が俺の下に集まっていた」

 ルーカスは三杯目のエールを店員に頼んだ。イーディスの温くなった紅桜酒も新しく注文してやった。


「調子に乗った俺は、ガキの自分を弄んだ感化院に復讐することにした。手下どもと一緒に感化院を襲撃したんだ」

「……。それで、どうなったの……?」

「感化院で働いていた連中を全員叩きのめし、金を奪って逃げた。襲撃の成功を祝って、俺は仲間たちと祝杯を挙げた。だが、成功したのはそこまでだった。感化院を襲った俺たちは裏組織を敵に廻しちまったんだ。組織の報復によって仲間たちは次々と殺され、俺は命からがら街から逃げ出した」

 目の前に置かれた新しいエールのグラスを掴むと、ルーカスは一口飲んでからイーディスに訊ねた。


「つまらねえだろ、こんな話……?」

 イーディスは首を横に振ると、ルーカスの赤茶色の瞳を見つめた。そして、短く一言だけ告げた。

「続けて……」

 理由は分からなかったが、イーディスはルーカスの話を聞かなければならないという気になっていた。


「様々な街でありとあらゆる犯罪に手を染め、その度に街にいられなくなっては次の街に行く……。そうして、首都レウルーラに着いた頃には、俺は十五になっていた。冒険者登録が可能になる年齢だ。過去の経歴や素性を一切問わずに金貨一枚さえ払えばなれる冒険者は、俺にとって最後の砦のようなものだった。冒険者には荒くれ者(アウトロー)が多いって聞いたことがあるだろう? それは俺みたいに犯罪に手を染めた連中が最後に流れ着く場所だからだ」

 自分の境遇を話し終えると、ルーカスの赤茶色の瞳に後悔の色が浮かんだ。

(伯爵令嬢のお嬢様には、きつすぎる話だったな……)


「あなたの話を聞いて、よく分かったわ」

 美しい碧眼で真っ直ぐにルーカスの赤茶色の瞳を見つめると、イーディスが笑顔を浮かべながら告げた。見る者を魅了するような素晴らしい笑顔だった。

「あなたの言うとおり、あたしとは正反対の人生を歩んできたのね……。あたしがあなたに惹かれた理由が、よく分かったわ」

「イーディス……!?」

 ルーカスが驚いてイーディスの碧眼を見つめ返した。まさか、そんな言葉を言われるなど、ルーカスは予想さえもしていなかった。


「あなたに出逢えて良かったわ……。ルーカス、あたし、あなたのことをもっと知りたい……」

 美しい碧眼に優しい光を映しながら、イーディスがルーカスの顔を見つめた。

「イーディス……」

(何て女だ……!? 貴族の令嬢のくせに、俺の話を聞いてもそんなことを言えるなんて……? こんな女、今まで会ったことがねえぞ……)


「今夜はとことん飲むぞ……」

「ええ……。あたしもとことん付き合って上げるわ」

 そう告げると、イーディスは右手で頬にかかる銀色の(おく)れ髪を掻き上げた。白い首筋と豊かな胸元に、ルーカスの視線が釘付けになった。


 イーディスは紅桜酒のグラスを手に取ると、魅惑的な微笑みを浮かべながらルーカスのグラスにカチンとぶつけた。薄紅色の美しい液体が波打ち、店内の灯りを反射して煌めきを放った。

 イーディスにとって、生涯忘れられない夜の帳がゆっくりと下りていった。



「初めてだったのか……?」

 腕枕をしたイーディスの銀髪を撫ぜながら、ルーカスが訊ねてきた。すぐ目の前で微笑む精悍な顔を見つめながら、イーディスは恥ずかしそうに小さく頷いた。下腹部に残る痛みで、イーディスは自分が女になったことを実感した。


「こんなに痛いとは思わなかった……」

 恨めしそうなイーディスの言葉に、ルーカスが笑った。

「でも、気持ちよかったろ?」

「ばか……知らない……」

 カアッと顔を赤く染めながら、イーディスが美しい碧眼でルーカスを睨んだ。ルーカスは楽しそうな笑みを浮かべると、イーディスの唇を塞いだ。二人はお互いを求め合うように激しく舌を絡め合い、長い口づけを交わした。



 生まれて初めての経験にもかかわらず、イーディスはルーカスの技巧(テクニック)に翻弄された。信じられない快感が全身を駆け巡り、恥ずかしい声が漏れるのを止められなかった。瞼の裏を白い閃光が何度も瞬くと、イーディスは凄まじい歓悦の奔流に呑み込まれた。何度目かの愉悦の波に押し上げられた時、イーディスは下半身が引き裂かれそうな激痛に襲われた。それが、ルーカスが自分の中に入ってきた痛みだと知ると、イーディスは彼の背中に両手を廻してしがみついた。激烈な痛みに二人の絆を実感して、イーディスは随喜の涙を流した。



 ネットリとした細い糸を引きながら唇を離すと、イーディスは官能に蕩けた碧眼でルーカスを見つめながら囁いた。

「ルーカス……好きよ……」

 イーディスの言葉を聞くと、赤茶色の瞳に優しさを映しながらルーカスが告げた。

「まだ朝までには時間があるな……。もっと、教えてやるよ……」

 体を入れ替えてイーディスを組み敷くと、ルーカスは右手で白く豊かな乳房を揉みしだいた。そして、硬く屹立した薄紅色の乳首を口に含んで、甘噛みしながら舌を這わせた。


 夜が白み始めた薄明かりの中で、イーディスの切ない喘ぎ声が熱く響き始めた。



『どう思う、バッカス……?』

『間違いないな……』

『私もそう思うわ……』


 朝の食卓を挟んで目の前に座るイーディスの様子を見て、アトロポスとバッカスは意識伝達を交わした。

 イーディスは一言で言うと挙動不審だった。ボウッとしていたかと思うと、次の瞬間にはニヤニヤと笑いを浮かべ、カアッと顔を赤らめた。そして、肩まで伸ばした銀髪を指でくるくると巻いたと思えば、ため息をついて再び遠くを見つめながら自分の世界に入り込んだ。


「イーディス、大丈夫?」

 アトロポスが声を掛けると、イーディスはビクンと体を震わせた。そして、美しい碧眼を大きく見開きながらアトロポスを見つめた。

「アトロポス? いつからそこにいたの?」

 イーディスの言葉に、アトロポスは横に座るバッカスの顔を見上げた。バッカスも肩をすくめて、大きくため息をついた。


「さっきからいるわよ。挨拶しても、全然反応しないんだから……」

 呆れた表情でイーディスの顔を見つめながら、アトロポスが告げた。

「そ、そう……? ごめん。ちょっと、考え事していたから……」

「考え事ねぇ……。ルーカスはどうしたの?」

「ついさっき、自分の部屋に荷物を取りに行ったわ」

 イーディスの言葉を聞いて、アトロポスはニヤリと笑みを浮かべた。


「ついさっき、ねぇ……? 今までずっと一緒だったんだ?」

「え……? ち、違うわ、今までなんて……! そ、そう……朝まで飲んでたのよ! それで、荷物がルーカスを取りに……」

 真っ赤に顔を染めながら支離滅裂なことを言い出したイーディスに、アトロポスは悪戯そうな笑みを浮かべながら告げた。


「イーディス、出発まであと一ザンあるから、スカーフを買ってきた方がいいわよ」

「え? スカーフ?」

 突然告げられたアトロポスの言葉に、イーディスは首を傾げた。

水龍の革鎧ヴァッサードラーク・ハルナスって、胸元が大きく開いているじゃない? そんなにたくさん赤い痣(キスマーク)をつけてると目立つわよ」

 ニヤリと笑いながら告げたアトロポスの指摘に、イーディスは真っ赤になった。


「う、嘘……ッ!? やだ……ッ! ち、違うわ! これは……!」

 慌てて両手で胸元を押さえながら、イーディスが恐慌状態(パニック)に陥った。

「きっと、俺たちへのメッセージだろうな。『イーディスは俺の物だ』っていう……」

 ニヤニヤと笑いを浮かべながら、バッカスが告げた。

「バッカスへのメッセージかもよ? 『もう手を出すんじゃないぞ』って……」

 アトロポスがバッカスを見つめながら笑った。


「あ、あたし、スカーフ買ってくる! あとで直接、馬繋場に行くわ! もう、やだッ! ルーカスの奴、何考えてるのよッ!」

 その言葉がルーカスと愛し合ったと認めたことにも気づかずに、イーディスは顔を真っ赤に染めたまま席を立って走り去っていった。残されたアトロポスとバッカスは、お互いの顔を見つめながらため息をついた。


「どうやら、本気で移籍の可能性を考えた方がよさそうだぞ」

「そうみたいね。出来れば、ルーカスが<闇姫(うち)>に来てくれるといいんだけど……」

 <獅子王(レーベ・ケーニッヒ)>のリーダーであるルーカスを引き抜く困難さに、アトロポスは再び大きなため息をついた。


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