第99話 大魔導師フェネセン
ライトの渾身の悲鳴は、カタポレンの家の中どころか家の周りの魔石結界内全域にまで轟き渡りそうな勢いだった。
その盛大な悲鳴を聞きつけたレオニスが、慌ててライトの部屋に駆け込んできた。
「どうした!ライト!」
ライトの部屋に勢いよく飛び込んだレオニスは、部屋の中を見回してライトの姿を探した。
キョロキョロと視線を彷徨わせたレオニス、当然件の不審人物の姿も目に入る。
レオニスは瞬時に警戒態勢に入り、容赦ない殺気を放つ。
「……誰だ!」
だが、その不審人物は一言も言葉を発しない。
しばらくの間、レオニスと不審人物の睨み合いが続く。
レオニスが警戒するのも無理はない。その不審人物は、明らかに転移門を使ってこの家に入ってきたのだから。
そもそもライトの部屋にある転移門は、最近新設したばかりのものだ。その転移先も、ラグナロッツァの家の他にはディーノ村の冒険者ギルドの転移門、同じく冒険者ギルド総本部の転移門、この三箇所しか登録されていないのだ。
その、ごく限られた転移門から侵入してきたということは、目の前にいる不審人物が相当の実力者であることの証左だった。
レオニスは、この不審人物が誰であるか、どこの転移門から侵入してきたのか、その目的は何か、無言で睨み合う間にも頭の中で懸命に考察していた。
すると、不審人物がひょこひょことレオニスの方に歩みながら口を開いた。
「レオぽん、おひさー。吾輩のことが分かんないなんて、酷くない?」
レオニスは、その聞き覚えのある声と口調に目を大きく見開いた。
「…………フェネセン?」
不審人物は、目深に被ったフードをはらりと後ろに外し、その素顔を晒した。
肩まであるさらさらとした白銀の髪に、鮮やかな浅葱色のつぶらな瞳。薄く引き締まった唇は緩い弧を描き、柔らかい笑みを湛える。
背丈はライトより少し高いくらいで、その小柄な体格に見合うあどけない容姿。その容姿だけを見れば、小柄さとも相まって、レオニスよりもはるかに年下の十代半ばくらいにも思える。
「そうだよー。皆のフェネセンだよー。レオぽんだけのものじゃないよー、ごめんね?」
「……俺が一体いつお前を独り占めしようとしたよ……」
先程までの緊張した睨み合いや殺気はどこへやら、レオニスは思いっきり脱力して肩を落とした。
レオニスの目の前に現れた、フェネセンという人物。
それは、かつてレオニスがライトに話して聞かせたこともある、稀代の大魔導師。
水晶を使った魔力吸収による魔石生成結界や人力を使わない新しい転移門のシステム構築、レオニスの使用する空間魔法陣などの開発者にして、レオニス曰く【大賢者】とも【偉大なる求道者】とも呼ばれる、まさしく伝説級の人である。
「つーか、お前、何でうちの転移門から現れてんだよ……どこの転移門から入ってきた?」
「ノンノンノン、この吾輩にいちいち転移門を二つも潜る必要があると思っておるのか?」
右手の人差し指を立てながら、メトロノームよろしく左右に小刻みに振ってレオニスの問いに答える。
そのメトロノーム様仕草のみならず、更にはウィンク&ベロ出しつきである。
先程脱力したレオニスを、更に脱力させるには十分過ぎるほどの破壊力であった。
「まさか、座標入力で来たんじゃないだろうな?さすがにそれはご法度だぞ?」
「ンだからぁ、この家に新しく出来た転移門目指して来ただけだよ?吾輩、転移門あるところならどこでも行けるからねーん」
「そうだった……つーか、何で俺んちに転移門が新しく出来たこと知ってんだよ……」
「フッフーン。吾輩の知らぬ転移門など、この世に存在しないのであるよ。キリッ!」
腰に手を当てエビ反りにふんぞり返りながら、鼻高々かつ得意気に宣言するフェネセン。最後の「キリッ!」まで口に出して自信満々に言い放っている。
それを見たレオニスには、もはや脱力する力も残されていなかった。
「……そうだな、うん……フェネセンにできないことは、この世にないよな……」
「ん?そんなことないよ?吾輩にだって出来ないことや苦手なこともあるよ?」
「例えば?」
「んーーー……何だろ?」
「やっぱりねぇんじゃねぇか!」
どこぞの喜劇か漫才のようなやり取りが、ライトの部屋の中で繰り広げられる。
急激に騒がしくなった室内に、ベッドで布団を被ってプルプルと震えながら身を隠していたライトがおずおずと布団から顔を出した。
「……レオ兄ちゃん……ううぅ……」
ライトのその絞り出すようなか細い声を聞き、レオニスは慌ててライトのもとに駆け寄った。
「ライト、大丈夫か!?」
「……ぅぅぅ……大丈夫くない……転移門からいきなり知らない人が現れた……こわいよぅ……」
震えながら涙声で呟くライトに、レオニスはフェネセンに詰め寄り逆上した。
「フェネセン!お前!うちのライトが怖がってんじゃねぇか!どうしてくれんだ!!」
「えー、ごめんよぅ。この家の転移門目指して飛んだだけで、脅かすつもりなんて全くなかったんだよぅ。信じておくれよぅ」
さすがのフェネセンも、涙目で怯えるライトに本気で困惑したようだった。
「そもそも転移門目掛けて直接飛んでくる方がおかしいだろうがよ!」
「そう?吾輩にとっては普通のことなんだけども」
「ああもう、そうじゃねぇ!お前の普通は、他の人間には普通じゃねぇんだって!つーか、お前の感性は全てにおいて非常識なんだと、何度言や分かるんだ!」
「ぬーん、そんなに怒らないでよぅ……」
一転してしょんぼりとするフェネセン。
普段温厚なレオニスに、ここまで怒鳴られれば多少は凹むのも当然かもしれない。
両手の人差し指を突き合わせたり絡ませたりしながら、俯いてしょんぼりとするフェネセンの姿。そのあざとさといったら、これ以上ないほどである。
フェネセンと付き合いの長いレオニスは、当然そのあざとさも熟知しているし十二分に承知しているが、分かっていても毒気を抜かれてしまう。
荒くなった息を整えるように、小さなため息をつきながらレオニスは再びライトのいるベッドの方に向かう。
「すまんな、ライト。転移門から突然人が出てきて怖かったろう」
「でも、もう布団から出てきても大丈夫だぞ。転移門から出てきたのは、俺の知り合いだ」
「前にも話したことあるだろう?魔石を作る装置や新しい機構の転移門、空間魔法陣を作った大魔導師、フェネセンだ」
「ほれ、フェネセンもこっち来てライトに謝れ!」
レオニスは、フェネセンの方に向かって声を上げた。
フェネセンはそれを受けて、ちょこちょこと小走りでレオニスとライトのもとに近寄ってきた。
ライトは布団から顔だけを出し、瞳に涙を目一杯溜めてふるふると震え、泣きだしたいのを懸命に堪えている。
「あー、ライト君?ごめんねぇ。吾輩、君を脅かしたり泣かすつもりは本当に、これっぽっちもなかったんだ」
「でも、君を怖がらせちゃったことに変わりはないもんねぇ。本当にごめんよぅ」
「怖がらせちゃったお詫びに、吾輩にできることなら何でもするから。だからライト君、許しておくれ」
今にも泣きそうなライトの顔を見て、本当に申し訳なさそうな声で懸命に謝るフェネセン。
レオニスも、フェネセンの擁護じゃないが言い添える。
「ライト、こいつがここまで必死に謝るのも珍しいことなんだ。だからって訳じゃないが、許してやってくれないか」
「こいつも悪気があってやったことじゃないんだ。無論、悪気がなきゃ何してもいいってことはないが……」
「こいつは何しろ天才な分、俺達凡人には理解しがたい非常識な部分や言動も多くてな……それ故に、周りはいっつもこいつに振り回されてばかりなんだが」
フェネセンをフォローしては即否定したり、擁護にもならない擁護を繰り返している。
いや、それよりもレオニスよ。「俺達凡人」などと供述しておるが、凡人枠にさり気なく自分も入れようというのは如何なものか。
「本当に、根は悪いやつじゃないんだ。今回だけは許してやってくれ」
「もし次にまた同じようなことをしたら、その時は煮て焼いて真っ黒焦げの炭にしても、細切れのみじん切りのすり潰しのつくねにしてもいいから」
レオニスの懸命のフォローに、フェネセンは感動するどころかその後半部分のなかなかに酷い内容に唖然とする。
「えッ、ちょ、レオぽん、そこまでされたら吾輩でもさすがに死んじゃうよ……?」
「黙れッ!そこまでしたってお前、絶対にどこ吹く風でピンピンして一向に死なねぇだろうがッ!」
「レオぽんマジしどい……」
ここまでじっと無言で二人を見つめていたライトが、ぽろり、と涙をこぼした。
それを見たレオニスは、いよいよ慌ててフェネセンの首根っこの後ろをつまみ上げる。
「よし、分かった、こいつを放り出せばいいんだな!?」
「ちょ、レオぽん、やめ……」
「……レオ兄ちゃん、もういいよ……」
レオニスとフェネセン、大小体格の全く違う二人が取っ組み合いを始めた時、ようやくライトが口を開いた。
「フェネセン、さん……お噂はレオ兄ちゃんから、かねがね聞いています……」
「こんな、とんでもない形でお会いすることになるとは、夢にも思っていませんでしたが……」
「わざわざここにいらしたからには、レオ兄ちゃんに何か大事な用事があるんですよね……」
「たいしてお構いもできませんが……どうぞごゆっくりしていってください……」
そこまで言うと、ライトはまたぽすん、と布団の中に篭ってしまった。
取っ組み合いの形のまま固まっていた二人だが、レオニスの方が先に我に返り再びフェネセンを強烈に睨みつけた。
「てンめぇぇぇぇ……うちのライトがこのまま人見知りの引きこもりになったらどうしてくれんだ……」
「ううう、ライト君、それはまだ許してくれてないよぅぅぅぅ」
「とりあえずこの部屋じゃライトが怖がったままで落ち着けん、俺達ゃ向こうの部屋に行くぞ……」
自分の命よりも大事に思っているライトをここまで怯え泣かせたことに、レオニスの怒りは留まることを知らない。
レオニスは、いよいよ我慢ならん!とばかりにフェネセンの首根っこの後ろを掴んで、まるで親猫の口に咥えられた子猫のように持ち上げて問答無用でライトの部屋から出ていった。
何と言いましょうか、久々にとんでも濃いい人が出てきました……
このフェネセンて人、何なんでしょう。書けば書くほど勝手に濃いくなっていくんですが……何故だ。もしかして、クレア嬢と同じ属性の人かもしれません。
いえ、それよりもですね。レオニスの「俺達凡人」発言もそうですが。その後のフェネセンに対して放った言葉。
「お前の普通は、他の人間には普通じゃねぇんだ」
「お前の感性は全てにおいて非常識なんだ」
ここら辺全部特大ブーメランですねぇ。
もちろんレオニスはそんなことに気づく由もなく、それを理解しているのはこの場ではライトだけなのですが。




