第937話 再会の吉報
オーガの里での料理教室を無事終えたラウル。
里を出た万能執事が次に向かう先は、神樹ユグドラツィ。
ラウルがいつも右腕に身に着けている、ユグドラツィの分体入りのバングル。そこから何やら『来て来てー!』と言っているような気配を、今朝方から感じていたのだ。
如何に妖精のラウルといえど、分体入りのアクセを通じてユグドラツィと自由に会話をするまでには未だ至っていない。
しかし、最近ではユグドラツィが自分を呼んでいるようだ、という気配くらいは感じ取ることができるようになった。
そんな時は、迷わずユグドラツィのもとを訪れるようにしていた。
そしてユグドラツィのもとに到着したラウル。
いつものように、ユグドラツィの根元で気軽に声をかける。
「よう、ツィちゃん」
『まぁ、ラウル。ようこそいらっしゃい』
「ツィちゃん、俺を呼んだか?」
『あら、分かりましたか?』
「もちろんだとも。まだはっきりとした言葉までは聞こえていないが、それでもツィちゃんが呼んでいることくらいは分かるようになってきた」
『それは素晴らしいことですね』
ウフフ、と小さく笑いながら、ラウルの来訪を心から歓迎するユグドラツィ。
今日も彼女の緑豊かな枝葉が、その喜びを表すかのようにワッシャワッシャと揺れ動く。
「ちょっとおやつの時間には遅いが、お喋りがてらスイーツタイムといこうか」
『まぁ、今日は何をご馳走してくれるのですか?』
「氷の洞窟の氷を細かく削って使った、フルーツシャーベットだ」
スイーツタイムと聞いたユグドラツィ、弾むような声でラウルに問いかける。
そんなワクテカのユグドラツィに、ラウルはフルーツシャーベットを取り出すべく空間魔法陣を開いた。
「本当は、氷の女王から直接もらった氷を使おうかと思ったんだがな? あの氷、なかなか融けないからツィちゃんのおやつには不向きなんだよな」
『そういえば、確か前にもその氷の融水をブレンド水としてご馳走してくれた時に、そんなことを言っていましたね』
「ああ。夏に近い暑さの陽気の中、一週間近く外気に触れた状態で放置しても完全には融けなかったからな」
『氷の女王がもたらす氷とは、本当にすごいものなのですねぇ……』
今日のシャーベットの原料は、氷の女王が生み出した氷ではなく洞窟の壁から採取した氷の方だ。
その理由はラウルが説明した通りで、氷の女王か直接くれた氷はなかなか融けないためだ。
水ならばユグドラツィも根や幹の表皮から吸収することができるが、凍ったままの氷ではいつまで経ってもユグドラツィが食することができない。
水にならずに飲み込めない氷など、そんなものはおやつではない。
空間魔法陣から取り出した、フルーツシャーベットの塊。
それは直径1メートルはあろうかという、巨大という言葉ですらも生ぬるく感じるドデカいシャーベット。
それをヒョイ、と軽々と持ち、根元の中で適当な凹みのある場所にドスン、と置いた。
『まぁ……とても甘くて芳しい香りのする氷ですね……これは、何を混ぜたのですか?』
「今日のシャーベットには、桃の果汁を使っているんだ」
『桃、ですか……知識としては、そういう果物があるということは知っていますが、実際にそれを味わうのは初めてのことです』
「だろうなぁ。このカタポレンの森には、桃の木なんて存在しねぇからな」
ラウルがシャーベットのフレーバーに用いたのは、桃の果汁。
よくよく見れば氷の色は真っ白ではなく、ほんのりと黄色く色づいているのが分かる。
そしてシャーベットの横で、いつもの定位置に座り自分の飲み物を出すラウル。
その飲み物は、温かい白桃紅茶。ユグドラツィへのフルーツシャーベットに合わせて桃で揃えたようだ。
夏ほどの早さではないが、巨大なシャーベットの塊がユグドラツィの根元でじわじわと融けていく。
水になるにつれて、桃の香りが周囲に広がっていく。その華やかな香りに、ユグドラツィがうっとりとした声でその感想を述べる。
『何という甘く芳しい香りなのでしょう……天にも昇る心地というのは、まさにこういうことを言うのでしょうか……』
「人族が使う言葉に『桃源郷』というものがある。それはいわゆる伝説の地で、桃の林の奥にある平和で豊かな別天地なんだそうだ。また、桃は仙人が食する『仙果』と呼ばれ、不老長寿や幸運の象徴ともされているし、桃の花は邪気を払う花として扱われる。人族にとって、桃は大変縁起の良い食べ物なんだと」
『まぁ、桃とはそれ程までに素晴らしい果実なのですね……でも、確かにこの極上の香りと味は、人々にそれだけ讃えられるに値するものだと私も思います』
「俺も人里に出てから初めて桃の存在を知ったが、本当に素晴らしいものだよな!」
桃の素晴らしさを滔々と語るラウルに、ユグドラツィも感嘆しつつ大いに同意している。
基本的にこのカタポレンの森の中で、人族が喜んで食するような果実を実らせる樹木はない。もっともそれは、そもそも人族はこのカタポレンの森に易々と入れないせいもあるかもしれないが。
また、目覚めの湖の近くに住むナヌス族の里にはレモンにそっくりの『レイモンの実』や、オレンジにそっくりな『オランの実』などが実る草木があるようだが、人族がそれらを問題なく食せるかどうかは現時点では定かではない。
桃味のシャーベットが全て融けて、スイーツタイムを十分に堪能したユグドラツィ。
ウキウキな声でラウルに礼を言う。
『ごちそうさまでした。今日も私に新たなる味と知識を体験させてくれて、本当にありがとう』
「どういたしまして。ツィちゃんに喜んでもらえたなら俺も嬉しい」
『それにしても、ラウルは本当に物知りですねぇ。桃源郷という伝説の地は、私も全く知りませんでした』
「ああ、さっき俺が言った話か? あれは全部果物屋のおばちゃんの受け売りだがな」
『まぁ、その果物屋のおばちゃんという御方も、賢者並みの知識をお持ちなのですねぇ』
「ブフッ!」
果物屋のおばちゃんを賢者扱いするユグドラツィに、白桃紅茶を飲んでいたラウルが盛大に噴き出す。
ラウルがいつも通う果物屋のおばちゃんは、豪快で気の良い店主だ。
いつも旬の果物をたくさん購入していくラウルに、オマケの品をつけてくれたりお会計の端数を切り捨てて値段をまけてくれたりしてくれる。
ちょっと小太り気味で人懐っこい笑顔が愛らしい、三十代半ばと思われる極々普通の人族のおばちゃんである。
そんな果物屋のおばちゃんを、ユグドラツィは『賢者に比肩する知恵者』と言う。
その意外過ぎる言葉に、ラウルは思わず頭の中で果物屋のおばちゃんがゴージャスなローブをまとっている図を想像してしまったのだ。
その手には巨大な桃がついた杖を持ち、頭には金色のサークルを被り、豪華絢爛なローブをまとう荘厳な賢者然とした果物屋のおばちゃん。
ラウルの脳内で、凛々しい顔でペカーッ☆と輝くピンク色の巨大桃の杖を高々と掲げている。
その図にラウルが盛大に噴き出すのも無理はない。
ゲホッ、ゴホッと咽るラウルに、ユグドラツィが心配そうに声をかける。
『あら、ラウル、どうしたのですか?』
「ぃ、ぃゃ、な、何でもない……」
『何でもなさそうには見えませんが……私の魔力を少し分けましょう』
白桃紅茶が鼻の奥に入ってしまい、鼻を啜りながら咽まくるラウルにユグドラツィがその魔力を分け与え始めた。
ふわりとした温かい魔力に包み込まれたラウル。その身体の周りにはキラキラとした黄金色の粒子が舞っていて、ラウルの鼻の奥や喉の痛みがスーッ……と引いていく。
「すまんな、ツィちゃん。助かったよ、ありがとう」
『どういたしまして』
「ところで……今日俺を呼んだのは、何か用事でもあるのか?」
変なものを想像して咽込んだ恥ずかしさを誤魔化すためなのか、ラウルがユグドラツィに今日の用事が何なのかを聞いた。
そう、ラウルはユグドラツィに呼ばれていることは分かっても、その詳細は現地に来てユグドラツィから直接聞くまではその内容は分からないのだ。
『実は今朝、シア姉様から私に言伝が来まして』
「シアちゃんから、か?」
『はい。シア姉様のもとにおられる八咫烏の二羽が、こちらに向かってきているそうなのです』
ユグドラツィがラウルを呼んだ理由。それは、八咫烏の族長一族のフギンとレイヴンがこちらに来ている、というものだった。
全くの予想外の話に、ラウルはかなり驚いている。
「八咫烏がこっちに来るのか? その二羽というのは、誰なんだ?」
『族長一族の長兄フギンと、三男レイヴンだそうです』
「フギンとレイヴンか。……ということは、フギン達はラキさん達に会いに来るってことか」
『そういうことらしいです。シア姉様が『この二羽がオーガの里に報告に行くことになったの』『ついてはレオニス達にも礼を言いに行くはずなので、よろしくね☆』……と言っておられましたから』
フギンとレイヴンが来ると聞いたラウルは、彼らの目的がオーガの里の訪問であることを見抜いた。
そのラウルの推測を補足するように、ユグドラツィも次姉からの言伝の詳細を語って聞かせた。
フギンとレイヴンは、かつて人里見学と称してラグナロッツァの屋敷に宿泊したことがあった。
本当は二泊する予定だったのだが、八咫烏の里とトロール族の交流をオーガ族のラキが取り持ったことで泊まる予定を切り上げて早々に八咫烏の里に帰郷したのだ。
もちろんラウルもその経緯は知っていたし、そのフギン達が『オーガの里へ報告に行く』、そして『レオニス達にも礼を言いに行く』ということは、吉報がもたらされるに違いない。
その吉報とは、きっとトロール族との交流話であろう。
「そうか……礼を言いに来るってことは、八咫烏の里の近くにあるトロール族との交流が上手くいったってことなんだろうな」
『多分そうだと思います。シア姉様はそこまで細かいことは仰っていませんでしたが、声音はとてもご機嫌良さそうでしたから』
「そりゃ良かった……」
近々フギン達の口から聞けるであろう吉報に、早くも思いを馳せて微笑むラウル。
だが次の瞬間、はたとした顔になり呟く。
「つーか、八咫烏の里からここまで普通に飛んできたら、到着までに何日くらいかかるんだろうな?」
『どうでしょう……私がいる場所とシア姉様の御座す場所は、かなり離れていますからねぇ……』
「三日か四日くらいはかかると思っておいた方が良さそうだな」
『ですね……ぁ、シア姉様?』
フギンやレイヴンが再びこの地にくるならば、きちんともてなしてやりたい。前回早めに帰ってしまった分、ご馳走なんかも作って迎えてやらなきゃな―――そう思ったラウル。
だが、もてなしの準備期間がどれくらいあるのかが全く分からない。
フギン達は今朝方に八咫烏の里を出立したらしいが、そこからオーガの里に辿り着くまでに何日かかるか、ラウルやユグドラツィにはさっぱり見当もつかなかった。
そんな中、ユグドラシアの方からユグドラツィに向けて再び言伝が来たようだ。
『はい、はい……分かりました、ではラウルにもそのように伝えておきます』
『いえ、シア姉様のお声が聞けて嬉しゅうございます。シア姉様も、どうぞお元気で……』
まるで電話のような会話をしているユグドラツィ。
短い会話を終えた後、改めてラウルに話しかけた。
『今シア姉様が言伝をくださいました』
「そのようだな。シアちゃんは何て言ってた?」
『おそらく片道三日くらいはかかるだろう、とのことです』
「じゃあ、早ければ明後日に到着するか、遅くても三日後にはこっちに来れるか」
『ですね』
ユグドラシアからの連絡に、ラウルもユグドラツィもふむ、とばかりに頷く。
八咫烏達の翼をもってしても三日かかるとは、思った以上にユグドラツィとユグドラシアのいる地は遠く離れているようだ。
しかし、フギン達の到着までに三日の猶予があることが判明したのは幸いだ。それだけの時間があれば、フギンとレイヴンをもてなす支度も十分整えられるだろう。
「そしたら、このことは俺の方からご主人様達に伝えておくわ」
『そうしていただけると助かります』
「ラキさんとこにはさっき寄ったばかりだから、また改めて明日か明後日に伝えておこう」
『そうですね。オーガの里を守る結界のこともありますし、オーガの方々にも八咫烏達の来訪を知っておいてもらった方がいいですものね』
「だな……あの結界を通るには、通行証が要るしな……」
ユグドラツィによってもたらされた、フギンとレイヴンの来訪。
そのことを各方面に迅速に伝えておかなければならない。
特にオーガの里はナヌス特製の頑強な結界に守られているので、そのままではフギン達はオーガの里に入ることができないのだ。
そのことを話の流れで思い出したラウルの顔が、スーン……としている。かつてフギン達とナヌスの結界に挑み、ものの見事に惨敗した過去を思い出しているのであろう。
「ツィちゃん、今日は大事なことを教えてくれてありがとう。早速ラグナロッツァの屋敷に帰って、フギン達を出迎える準備をしてくるわ」
『どういたしまして。こちらこそ美味しいシャーベットをいただけて、桃源郷などのお話も聞けて楽しかったです。どうもごちそうさまでした』
「ツィちゃんに喜んでもらえたなら何よりだ。じゃ、またな」
『ラウルも気をつけて帰ってくださいね』
茜色に染まりつつある空を見上げながら、ユグドラツィに別れの挨拶をするラウル。
秋分の日もとっくに過ぎた今、日中の明るい時間はどんどん短くなっていくばかり。
日が落ちる前にラグナロッツァの屋敷に帰るべく、ラウルはユグドラツィのもとを去っていった。
前話&前々話から引き続き、ラウルが主体の回です。
ラウルもオーガの里での料理教室やユグドラツィに呼ばれたりと、なかなかに引っ張りだこの人気者っぷり。
でもまぁね、ラウルは拙作の中で一番自由に動けて、しかもカタポレンの森へも自由に出入りできるという、作者にとっては実に使い勝手の良い子なので。
これからも様々な場面でラウルを扱き使う予定です♪(^ω^) ←鬼
そして、吉報のもとである八咫烏のフギンとレイヴン。人里見学に来た彼らが早々に帰郷したのは、第802話でしたか。
それ以来八咫烏は出てきていないので、まだ名前だけではありますが135話ぶりの登場となりますねー(゜ω゜)
基本引きこもり族だった八咫烏達、はたしてどれくらい成長しているでしょうか?
堅物の長男と軽いノリの三男という組み合わせ、作者的には結構好きだったので。再登場する日が楽しみです( ´ω` )




