第896話 ラグーン学園、秋の大運動会
来たる九月の第四日曜日。
ラグーン学園初等部のイベント『秋の大運動会』開催日がやってきた。
この日は朝早くから学園生の父兄が集まり、各自校庭に敷物を敷いて応援席兼昼食スペースを確保している。
もちろんレオニスとラウルも、しっかりとその中に含まれている。
さて、どこに敷物を敷こうか……と校庭の外周を二人してうろついていると、どこからかレオニス達に向かって声がかけられた。
「あっ!ラウルさんにレオニスさん!こっち、こっちー!」
二人の名前を呼ぶ声の方に向くと、そこには数人の父兄がいる。
その中で大きく手を振っていたのは向日葵亭の女将、リリィの母親だった。
肩より少し長めの茅色の髪を一つに結わえ、レオニス達に向かって元気よく手を振る快活な女性。柿色のくりっとした大きな瞳は、リリィの瞳そっくりである。
「よう、向日葵亭の女将さん。今日は宿屋はお休みか?」
「ええ。年に一度の運動会くらいはね、いっしょに過ごしてやりたくてね。昨日と今日の二日間は臨時休業よ」
「そっか。そりゃリリィちゃんも大喜びだな」
「娘は親が応援しに来てくれることよりも、宿屋の手伝いをしなくていいことの方が嬉しいらしいけどね?」
「違いないwww」
レオニスとラウルが、向日葵亭の女将シルビィのもとに歩み寄りながら気楽に話しかけている。
向日葵亭は基本宿屋だが、昼間はラグナロッツァでも人気の高い定食屋として営業している。当然レオニスもラウルも、お昼に向日葵亭で何度もご飯を食べたことがあるのだ。
そしてレオニスが、何故か不思議そうな顔でキョロキョロと周囲を見回している。
「あれ? 旦那の方は来てないのか?」
「旦那はもう少し遅れて来る予定。『リリィの大好物をたくさん作るんだ!』って言って、まだお昼ご飯を作ってたから」
「そうなんか。向日葵亭の昼飯を野外で食えるってのも新鮮でいいな」
「でしょでしょ? うちは宅配はしてないからねー、店の外でうちのご飯を食べられるのは今日一日だけなのよ!」
レオニスが不思議に思っていたのは、シルビィの旦那でリリィの父親であるビリーの姿が見当たらなかったからだ。
しかし、その理由を聞けばレオニスも納得だ。
今日のお昼ご飯は、友達の皆と食べるんだ!とライトからも聞き及んでいたレオニス。
ビリーのことだ、きっと他の友達の皆の分も含めて多めに用意してるんだろうな、の心の中で察する。
しかし、どうやらそれだけが理由ではないらしいことを、続けて語るシルビィの話で知ることとなる。
「でもねー、リリィはラウルさんのスイーツ?がすっごい楽しみらしくて。それを聞いた旦那が『負けちゃいられん!』って余計に張り切っちゃってねー。昨日からそりゃもういろいろ仕込んでて、今朝になってもまだ作り終わらない有り様よ」
「そ、それは……何かうちのラウルのせいで悪いことしたな……?」
「アハハハハ、そーんなことないから気にしないでー!ただ単に、うちの旦那が娘に良いとこ見せたいってだけだから!」
シルビィが旦那が張り切ってまだお昼ご飯を作り続ける理由を暴露する一方で、それを聞いたレオニスが何だか申し訳なさそうに謝る。
確かにそれはラウルのせいではないし、勝手に対抗心を燃やしたビリーのせいなのだが。
しかし、娘に良いところを見せたいという父親の心理もよく分かる。
ラウルに料理勝負を挑むのはかなり無謀だが、向日葵亭の定食屋としての評価は世間的にもかなり高い。きっとラウルの作る料理にも引けを取らないだろう。
顔見知りのシルビィと挨拶を軽く交わした後、ラウルはいそいそと敷物を敷き始める。
シルビィ達の両隣、向かって右側には豪華な貴族向けテント一棟、左側には二軒分の庶民的な敷物が敷かれている。
「レオニスさん達にも先にご紹介しておくわね。こちらはジョゼ君のお父さんとお母さんのリール子爵夫妻で、こちらはイヴリンちゃんのお父さんとお母さんのスコットさんとモニカさん、そちらはハリエットちゃんのお父さんとお母さんのウォーベック伯爵夫妻よ。今日は子供達が皆でいっしょにご飯を食べよう!って約束したそうだから、敷物も一ヶ所に集めてあるの」
「ああ、昼飯の件は俺もライトから聞いている。俺はレオニス、ライトの保護者でこちらは執事のラウルだ。皆さん、今日一日よろしく頼む」
シルビィの各家庭の紹介に、レオニスもペコリと頭を下げて挨拶をする。
ご近所さんのウォーベック伯爵夫妻はともかく、ジョゼのリール家とイヴリンの父母とは初対面だ。
リール家は小綺麗めな敷物の上に、小太りで人の良さそうな中年男性と上品そうな中年女性が座っている。ジョゼの父母であろう。
人懐っこそうな笑みを浮かべながら軽く頭を下げるジョゼ父に、日傘を差して扇子を口元に当てつつ目だけを伏せて挨拶するジョゼ母。
ジョゼの浅葱色の目は父譲りで、金糸雀色の髪と全体的な顔立ちは母譲りのようだ。
見るからにジョゼ母の方が強そうで、ジョゼ父が尻に敷かれていそうな空気だが、他所様の家庭事情を探る趣味はレオニス達にはない。
彼らが一言も発さないので、レオニス達も無言で軽く頭を下げるのみに留まる。
一方のイヴリンの父母は、座っていた敷物から立ち上がりレオニス達を歓迎した。
「おお、貴方方がライト君のご家族ですか!お噂は娘からかねがね聞いております!」
「うちの娘がいつもお世話になっておりますー」
二人して軽く頭を下げつつ、すぐに顔を上げる夫婦。
イヴリン父とイヴリン母が、にこやかな笑顔で自己紹介を始める。
「私はイヴリンの父で、スコットと申します。漁師の倅に生まれた関係で、ラグナロッツァでも川釣り師をしております」
「私はイヴリンの母で、モニカと申します。織女をしております」
「ああ、イヴリンちゃんのお父さんとお母さんか。こちらこそライトがいつも世話になってて、感謝している」
イヴリンの栗色の癖毛とよく似た父スコットは、ガッチリとした体格で逞しい身体をしている。
一方イヴリン母のモニカは、イヴリンと同じ赤錆色の瞳と薄い雀斑があって、イヴリンの太陽のような笑顔はお母さん似なんだな、ということがよく分かる顔立ちだ。
なかなかに好感度の高い夫婦に、ラウルもまた気軽に話しかける。
「先日のエンデアンでは、イヴリンちゃんのおばあちゃんのお店に寄らせてもらった。どれも新鮮な魚で、うちのご主人様達にも大好評だった」
「おお、ラウルさんが過日母の店に立ち寄ってくださったことは、娘からも聞いております!何でもその日仕入れた魚全部をお買い上げいただいたとか……母も娘も大喜びしておりました!」
「そうか、またエンデアンに出かけることがあったら、買い物をしに立ち寄らせてもらおう」
「是非ともそうしてやってください、母もとても喜びます!」
ライトが夏休みの間に、エンデアンの海鮮市場にあるというイヴリン祖母の店に立ち寄って買い物をしたことは記憶に新しい。
その時にラウルが購入した三十尾余りの魚は、既に全て美味しい料理に使われ済みだ。刺身にムニエル、マリネにフライ等々、どれも絶品料理となって、ライト達の大絶賛を受けていた。
初顔合わせの二組の父母との挨拶を終えたレオニスとラウル。
最後は最も顔馴染みのウォーベック家のテントに向かう。
テントと言っても、それは普通にある一般的なものではない。
まるで天蓋付きベッドのような作りで、正面の入口以外の左右と背後はたっぷりとしたドレープカーテンで覆われている。
如何にも貴族然とした豪奢な作りに、レオニス達はただただ「「おおお……」」という感嘆の声を上げるばかりだ。
テントの入口には、筆頭執事のジョバンニが立っている。
レオニスとラウルがテント入口に近寄ってきたのを見て、ジョバンニが恭しく頭を下げる。
「これはこれは、レオニス卿にラウルさん、おはようございます」
「おはよう。今日はウォーベック伯もハリエットちゃんの運動会を観に来たのか?」
「もちろんでございます。愛娘であるハリエット様の晴れの舞台とあらば、何をさて置いても奥様共々駆けつけるのが当家のご主人様の方針にございます故」
「そうか、そりゃハリエットちゃんも喜ぶだろうな」
筆頭執事の言葉に、尋ねたレオニスの顔も思わず綻ぶ。
ウォーベック伯爵が子煩悩なのは、レオニスもラウルも知っている。
我が子のためなら平民も貴族もないのだな、と思わせてくれる貴重な貴族、ウォーベック一族。
テントの中をチラ見したが、当主夫妻が座るであろう立派な椅子にはまだ誰も座っていない。
「クラウス伯達はまだ来てないようだから、また後で改めて挨拶しに来るわ」
「ご丁寧にありがとうございます。また後程のお越しを、心よりお待ち申し上げております」
筆頭執事の丁寧な挨拶に、レオニスも片手を上げながら応えつつテントの前を去る。
全ての挨拶をし終えた後は、自分達の座るスペースを確保する番だ。
向日葵亭のシルビィやイヴリン父母が、大きめに確保してくれていたスペースを空けてレオニス達に手招きをしている。
「レオニスさーん、ラウルさーん、ここに敷物をどうぞー」
「お、ありがとう」
シルビィの案内と言葉に甘えて、レオニスが敷物を取り出し早速敷いていく。
この場所は大きな木の下で木陰なので、ビーチパラソルなどで日陰を作る必要はなさそうだ。
レオニスが敷物を敷き終えたところで、一人の男性がレオニス達のいるところに駆け寄ってきた。
「母ちゃん、お待たせー!」
それは向日葵亭の主人、ビリーだった。
胡桃色の短髪に引き締まった身体の、三十代前後と思われる男性。調理場で愛用しているエプロンを着用したままの登場は、急いでここに駆けつけてきたことを窺わせる。
その両手には、巨大な岡持ちがぶら下がっている。その中にきっと、今日のリリィ達のお昼ご飯が入っているのだろう。
「父ちゃん、お疲れさま!てか、遅ーい!もう来ないのかと思った!」
「すまんすまん、あれもこれも作ってたら、思ったより時間がかかっちまった」
「他のお父さんお母さん達は皆来てるわよ。ハリエットちゃんのおうちだけはまだのようだけど」
「そうか、俺もちょっくら皆さんに挨拶してくるわ」
巨大な岡持ちとともに登場した亭主に、ちょっとだけ文句を言いながらも労いの言葉をかけるシルビィ。
そんな女房に、軽い言葉で謝りつつも笑顔を絶やさないビリー。
何とも仲睦まじい夫婦のやりとりに、周囲にいたレオニス達もほっこりと和む。
「お、レオニスさんにラウルさん、今日は父兄としてよろしくな!」
「おう、こっちこそよろしくな」
「イヴリンちゃんのお父さんお母さん、こんにちは!店の外で会うのは久しぶりだねぇー」
「旦那さん、こんにちは!うちの子が、旦那さんのご飯も楽しみにしてたよー」
「ジョゼ君のお父さんお母さんもこんにちは!今日もよろしくお願いしますねぇー」
「……(コクリ)……」
周辺の顔見知りの父兄に、次々と明るい挨拶をしていくビリー。
宿屋の主人だけあって、人当たりは抜群のようだ。
するとここで、校庭に音声拡張魔法と思われる声が響いた。
『これより、生徒が入場いたします。父兄の皆様方はお席について、生徒達の入場を拍手でお迎えください』
これから子供達の入場が始まるというアナウンスに、それまであちこちで動いていた父兄が慌てて自分達の敷物のある場所に戻っていく。
そして程なくして、校庭と校舎の境目に作られている入場門から子供達が入場してきた。
ラグーン学園初等部は一年生から三年生までで、最初に入場してきたのは小さな子供達、つまり一年生だ。
一年生の入場が完了し、少し間が空いてから二年生の入場が始まる。A組から順番に入場していくので、A組のライトは先頭の方にいた。
「お、ライトがいるぞ」
「どれどれ……おお、いるな」
レオニス達のいる場所からは、入場門はかなり遠い。
だが、二人の驚異的な視力はあっさりとライトを捉える。
体操服を着たライトを見るのは、レオニスもラウルもこれが初めてのことだ。
ちょっぴり緊張しながらも、これから行われるビッグイベントへの期待感に膨らむライトの笑顔が見える。
体操服と相まって、初々しいライトの姿にレオニス達の顔も緩みっぱなしだ。
こうしてライトの初めての『秋の大運動会』が始まっていった。
遂に遂に、いよいよやってきました、ライトのラグーン学園の初のビッグイベント『秋の大運動会』!
……って、競技入り前だけで一話食ってもた…( ̄ω ̄)…
というのも、イヴリン達仲良しとお昼ご飯をいっしょに食べようね!という約束のせいで、各家庭の父母紹介までしなくちゃならなかったのが原因ですね('∀`)
父母の容姿他の描写のために、イヴリン達の髪や瞳の色など大昔の懐かしい設定まで懸命にサルベージしてますた><
でもまぁ、これまでウォーベック家のハリエットを除くイヴリンやジョゼ、リリィの家族は全く出てこなかったこともあり。そこら辺の描写をすっ飛ばして、いきなりお昼ご飯をいっしょに仲良く食べ始めるってのもおかしな話ですし。
まずはお互いの挨拶や自己紹介などで、軽く交流しておかないとね!




