第853話 二枚のメモ
夕暮れ時のエンデアン郊外に棚引く、四本の砂塵。
大人対子供兼人族 vs. 妖精族の手に汗握るデッドヒート。その熱い闘いを制したのは、ライトであった。
「やったー!一番乗りー!」
ライトが城壁門の前に辿り着いた数秒後にレオニスが、その後クレエ、ラウルの順でそれぞれ二、三秒後に到着した。
「あ"ーーーッ!くッそーーー、また負けたぁぁぁぁッ!」
城壁門の前で、誰憚ることなく地面に大の字になって倒れ込むレオニス。その息は大きく上がり、悔し紛れの雄叫びの後はゼェハァと息切れしている。
クレエは前屈みで両膝に手をつき、ラウルはその場で膝をつき四つん這い状態になる。もちろん二人とも完全に息切れ状態である。
見事勝利を収めたライト一人だけが、ピンピンとしていた。
「ヤッター♪レオ兄ちゃんに勝ったー♪」
全力疾走でへばっている大人達三人の横で、るんたった♪るんたった♪とご機嫌な様子で勝利のダンスを踊る。
やはり一分のハンデはかなり大きかったようだ。
「くッそー……一分のハンデはデカ過ぎたか……」
「ライト君、本当に足が早いですねぇ」
「まさか、小さなご主人様が大きなご主人様に勝っちまうとはなぁ……」
少しだけ悔しそうに呟くレオニスに、ただただライトの健闘を讃えるクレエとラウル。
子供に負けはしたものの、大人達はそこまで悔しがっている様子はない。
三人ともさっぱりとした顔をしている。
ちなみにライト達の周辺に、全く人がいない訳ではない。ここは人が出入りするための城壁門なのだ、これからエンデアンに入る商隊の幌馬車や旅人達がかなりいて当然である。
むしろもうすぐ夜を迎える今のと時間帯は、明るいうちに街に入ろうとする人々でごった返すくらいだ。
そんな人々の目には、ライト達四人の行動はさぞかし奇異なものに映っていることであろう。
だがしかし、ライト達がそれに動じることなど全くない。
そもそもレオニスやラウルは人の目をあまりキニシナイ!方だし、ライトはライトで子供らしく喜んでいるだけなのでむしろ微笑ましい。
唯一問題があるとしたら、それはクレエだ。
クレエは冒険者ギルドエンデアン支部の看板受付嬢として、常に有能かつ素晴らしい働きぶりでその名を轟かせている。
クールビューティーで知られるクレエが、こんなに息せき切ってへばっていること自体が滅多にないことだ。
ディープシーサーペントの襲来時ですら、クレエがここまで取り乱したことなどない。
するとここで、いつものクレエを知っている城壁門の門番兵の一人が、心配そうにクレエのもとに寄ってきた。
「あのぅ……冒険者ギルドのクレエさん、ですよね?」
「あ、はい、いつも門番のお仕事ご苦労さまですぅ」
「何やらものすごくお疲れのようですが……一体何があったんです?」
「ああ、お騒がせして申し訳ございません。実はですね……」
クレエのことを心配する門番兵に、クレエがそれまでの経緯を掻い摘んで話していった。
もちろんディープシーサーペントや海の女王と会ったことは伏せておく。その上で、今日は有給休暇を取ってレオニス達ととある場所に出かけ、帰り道を競争してきた、と説明した。
「はぁ……まさかあのレオニスさんと競争とは……クレエさんって、見た目に反してなかなかに大胆な方なんですねぇ」
「えー、そんなぁ……私、生まれて初めてそんなこと言われましたぁー」
「そ、それは……大変失礼しました……」
「いえいえ、別に怒った訳ではないので謝らないでください。むしろそんな風に言っていただけて、何だか嬉しいくらいなんですからー」
クレエと門番兵の間で、和やかな会話が交わされている。
今のレオニスはトレードマークの深紅のロングジャケットを着ていないので、ぱっと見は誰だかすぐに分からない。
実際に門番兵も、それがレオニスだとは全く分からなかったのだがクレエから話を聞いて驚いていた。
「何でそうなったのかはよく分かりませんが……とりあえず皆さん、街の中に入ってください。もうだいぶ日も落ちてきましたし」
「そうですね、そろそろ門が閉まる時間ですものね。ささ、レオニスさん、ライト君、ラウルさん、早く中に入りますよー」
「はーい!」
「はいよー」
「おう」
クレエの呼びかけに、ライト達が反応する。
ライトがクレエのもとに駆け寄り、大の字になって寝ていたレオニスはのそのそと起き、地べたに座って休んでいたラウルもよっこらしょ、とばかりに立ち上がる。
そうして四人は、エンデアンの街の中に入っていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
エンデアンの街中に無事帰還したライト達。
今夜はもう遅いから、皆でご飯を食べよう!ということになり、人気の宿屋兼食堂である『迷える小蛇亭』に入った。
この『迷える小蛇亭』は冒険者ギルドエンデアン支部のすぐ近く、三軒隣にある。
ここで食事をした後、ライト達はすぐにエンデアン支部からラグナロッツァ総本部に移動できて都合が良いのだ。
「皆、何でも好きなものを頼んでいいぞ。今日は俺の奢りだ」
「やったー!そしたらぼくは……スペシャル海鮮丼!」
「じゃあ俺は……刺身定食二人前と、シーフードカレーを二皿にするかな」
「でしたら私は……そうですねぇ、海鮮お重を十人前でお願いしますぅ」
「「「………………」」」
レオニスの奢りという言葉に、皆大喜びで食べたいものを決めていく。
その中で、クレエだけが事も無げに『十人前』と言い放ったことに、他の三人はピシッ……と石のように固まる。
注文品を決めたクレエは、椅子の背もたれに思いっきり凭れかかってリラックスしている。
「帰りも全力疾走で走り続けましたからねぇ、もうお腹ペコペコですぅ」
「クレエさんも、すっごくたくさん食べるんですねぇ……」
「よく食べて、よく働いて、よく寝る。これこそが、我が家の家訓なのですよ」
「ぼくも、レオ兄ちゃんやクレエさんに負けないくらいに食べられるようにならないと、ですね!」
「ええ。ライト君は成長期真っ盛りですからね。よく食べて、よく遊び、よく学んで、よく寝る。これができれば、立派な冒険者になれますよ」
「はい、頑張ります!」
ライトとクレエが和やかに話す横で、レオニスとラウルがゴニョゴニョと小声で話している。
「ご主人様よ、俺は前にここの仕事をしたことがあるんだが。その時にもらった半額食事券があるから、それをやるよ」
「おお、そりゃ助かる……何だか会計が恐ろしいことになりそうだしな……」
今から会計の心配をするラウル。基本空気を読まないラウルにしては、何とも珍しく心優しい気配りだ。
だが、一回の食事で十五人前以上が確定したら、ラウルでなくともその合計金額が心配になってくるというものだ。
そして幸いなことに、ラウルはこの『迷える小蛇亭』でジャイアントホタテの殻処理依頼を何度かこなしたことがある。
その際に、ラウルの有能な仕事ぶりに大喜びした店主が、依頼報酬とは別にお食事券をくれたのだ。
その割引率は、何と半額。まさに今回の食事のためにもらったかのような、天の配剤とも言える奇跡的な幸運である。
その後レオニスの海鮮天ぷら定食十人前と合わせて、合計二十五人前をペロリと平らげていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『迷える小蛇亭』での晩御飯を食べ終えて、会計も無事済ませて店の外に出るライト達。
外はもうとっぷりと暗くなっているが、冒険者ギルドエンデアン支部はすぐそこなので問題ない。
冒険者ギルドエンデアン支部に到着し、四人は入口扉の前で別れ際の挨拶を交わす。
「じゃ、俺達はこのままエンデアン支部からラグナロッツァに帰る。クレエもお疲れさん」
「皆さんお疲れさまでしたぁー。今日は本当にいろんなことがありましたが、とっても楽しかったですぅ」
「ぼくもとっても楽しかったです!」
「俺も、生まれて初めて見る海の中は何もかもが新鮮で、驚きに満ちた一日だった」
エンデアン支部に戻る前、『迷える小蛇亭』でそれぞれ食事をモリモリと食べる中、四人は大いに話に花を咲かせた。
ライトとラウルは海底神殿や海樹のところであった話をレオニス達に聞かせ、レオニスとクレエもまた往路での競争の話や崖の上でどう過ごしていたのかを話していた。
双方互いに有意義な過ごし方ができていたことを知り、楽しい会話で食事もより美味しく食べることができた。
そんな楽しい時間も、あっという間に過ぎて別れの時刻が近づく。
そんな中、クレエがふと思い立ったようにレオニスに向けて声をかける。
「……あ、レオニスさん、少々お待ちくださいますか?」
「ン? 何だ?」
「レオニスさんがお帰りになる前に、お渡ししておきたいものがありまして……」
「???」
クレエはそう言うと、己のベレー帽に手をかけて何かを取り出す。
それは、クレア十二姉妹のお約束アイテムであるメモ帳とペンである。
メモ帳とペンを取り出し、紙面に何かをさらさらと書いていくクレエ。
そして一枚目のメモを切り取ったかと思うと、すぐさま再びメモ帳に何かを書き入れていく。クレエがレオニスに渡したいメモは、どうやら一枚だけではないようだ。
「はい、できました。レオニスさん、この二枚の両方に署名をお願いいたしますぅ」
「何のメモだ?…………ふむ、分かった」
クレエから二枚のメモと、メモ帳本体とペンを渡されたレオニス。
メモに書き記された内容を見て、レオニスはすぐに署名に承諾した。
メモ帳本体を台代わりにして、すらすらと署名するレオニス。一枚目のメモはクレエに渡し、二枚目はライトに渡した。
突然メモを渡されたライトには、何が何やらさっぱりだ。
「ン? これはぼくにくれるものなの?」
「ああ。これは今日の競争の勝者に対し、俺が報酬を約束するという―――いわば契約書のようなものだ」
「契約書?」
レオニスの解説を聞いたライト、再びメモに目を落としそこに書かれている内容を読んでいく。
といっても、書かれているのは『レオニスさんにかけっこで勝ったご褒美』『何でも一つ、レオニスさんに願いを叶えてもらえる券』という、非常にざっくばらんな内容。その一番下に、今日の日付とレオニス直筆の『レオニス・フィア』というフルネームが書かれていた。
如何にも手作り感満載の契約書を見たライトは、思わずクレエの方を見る。
すると、ライトの視線を受けたクレエがにこやかな笑顔でメモの解説をする。
「これを使えば、レオニスさんに何でも一つ願いを叶えてもらえるという、魔法のチケットなのです」
「クレエさんの方も、これと同じものなんですか?」
「いいえ、私のものはライト君のと少し違います」
クレエがライトに向けて、もう一枚のメモをピラッと見せる。
そこには、ライトのメモと同じ文言以外に『ただし、レオニスさんが承諾した案件に限る』という一文が付け加えられていた。
ライトの方は『どんなお願いでもOK』で、クレエの方は『レオニスがOKを出した案件のみ』という、ほんの少しのように見えて実は決定的に違う点がある。
そうした差異をもちゃんと記入するあたり、クレエの勤勉実直さが伺えるというものだ。
「ホントだ、ちょっと違いますねー」
「ったく……こんなもんなくたって、俺はちゃんと約束を守るぞ?」
二枚のメモを見比べるライトの横で、レオニスがブチブチと文句を言っている。
まぁ確かにレオニスからしてみれば『こんなもんを書かなきゃならん程、俺は信頼してもらえていないのか?』という話になるだろう。
しかしクレエは意に介することなく、レオニスの疑問形を伴った小さな不満に答えていく。
「私だって、それはもちろん承知しておりますよ? この手の約束事で、レオニスさんが守らずに破るなどということは絶対にありません」
「これは冒険者ギルド受付嬢としてだけでなく、私個人としてもレオニスさんには絶対的な信頼を置いています」
「ですが、それはそれとしてですね……今日一日の楽しかった出来事を、こうして何らかの形に留めて残しておきたかったんですぅ」
契約書を書いて渡した理由を、はにかみながら話していくクレエ。
クレエとて、こんなメモ帳に書いただけの即席の契約書に法的効力があるとは全く思っていない。
それでもなおレオニスにわざわざ直筆署名させたのは、怒濤の如く過ぎていった今日一日の思い出として、手元に何かを残しておきたかったからだった。
彼女の口から語られた、何とも愛らしい動機は三人の心を大いに和ませた。
その中で、いち早く喜びを表したのはライト。クレエに向かって、実に嬉しそうな声で同意する。
「そうですよね!クレエさんのおかげで、すっごく楽しい一日になりました!本当にありがとうございました!」
「うふふ。ライト君にそう言ってもらえると、私もとても嬉しいですぅ」
「……まぁな、この契約書があればな、忘れっぽい俺でも絶対に忘れることはないからな」
「……よし、次は俺がその契約書をもらえるように、修行も頑張るとするか」
花咲くような笑顔のライトに、ライトに向けてにこやかな笑顔で応えるクレエ。
レオニスは照れ臭いのか少し横を向きながら呟き、ラウルは次回こそ勝者になると心に誓う。
名残りの尽きない四人は、涼しくも静かなエンデアンの夜の空気に包まれていた。
前話後半の勝負の結果発表と、その後のちょっとした余韻です。
勝者はライトでしたが、これはまぁレオニスの言う通りハンデ一分がかなり効いてます。
ホントはねー、『これは魔法じゃなくて、スキルだから!』という屁理屈で、職業システム由来のスキルを使わせることもできたんですがー。そこはまぁ隠し事無しに正々堂々挑ませた方がいいよな、と思い直しまして。
ただでさえライトは日頃から隠し事が多いのに、隠し事をする必要に迫られていない場面でまで嘘を吐かせたくなかったんですね。
それに、まぁ言うてライトもこれまでBCO由来の称号やら神樹族や属性の女王達の加護等々が山盛りついてますし。ライトも既に人外の域に達しているのは明らかな訳で。
なので、ここは一分のハンデの間に、そりゃもう!猛烈な!勢いで!走って距離を稼いだのだ!ということにしました(´^ω^`)
第839話から始まった、クレエとデッちゃんのランデブー(死語)もこれにて完了。
ライトとクレエ、二人の勝者の報酬権利がいつどのように行使されるかは全くの未定ですが。きっといつか使う日が来るでしょう( ´ω` )




