第845話 得物の切れ味
ユグドライアの願いを受けたライトとラウル。
男人魚達の代表格であるマシューと相談しながら、どの枝を持ち帰るかを選定し始めた。
「この枝はどうだ?」
「ンー……太さは文句なしだけど、あっちの枝の方が長いよね」
「そうだな……魔石の代わりにツィちゃんの結界に使うなら、太さだけでなく採取できる量も考えなきゃならんな」
「マシューさん、より良い枝を見分けるポイントとかありますか?」
『色はより濃くて艶やかなものがオススメだが、紫や緑など稀少な色が発現しているのも大量の魔力を含有している証とされている』
「ほう、紫や緑か。それも視野に入れて選ばんとな」
マシューのレクチャーを受けながら、無数に広がる海樹の枝を見て回るライト達。
それはさながら迷路かジャングルジムを泳ぐ小魚のようだ。
そうして三者で選んだ結果、切り取る枝が決まった。
その枝は幹から北側に伸びていて、鮮やかな紅色がとても美しい。
マシューが言っていた紫や緑に染まる小枝も先端部に複数あり、全体的な色艶も申し分ない。
ライト達とともに枝を見て回ったマシューも「選ぶならこれが私のイチオシだ」と太鼓判を押したくらいの逸品である。
どれを切り取るか決まったところで、ふとライトがユグドライアに問いかけた。
「そういえば、イアさんは何かの拍子に枝が折れたりした時に、痛くなったりはないんですか?」
『ン? あー、枝の位置や太さなんかにもよるが……チクッとした痛み程度は感じるかな』
「えッ!? そしたらこんな太い枝を切り取ったら、かなり痛いんじゃ!?」
『問題ない』
ライトが心配したのは『こんな大きな枝を切ったら、ユグドライアに痛みが生じるのではないか』ということだった。
何故なら、この海樹ユグドライアは普通の樹木ではなく『宝石珊瑚』だからだ。
陸上にある樹木は全て植物界だが、宝石珊瑚は動物界に属する。生物学的に言って根本から違うのだ。
いや、植物だからって痛みが全くない訳ではないだろう。
現にユグドラツィも襲撃事件の時に、首狩り蟲に執拗に枝葉を狩られ続けて激しい痛みを感じていたという。
植物は痛覚がないと思われがちだが、高い知能を持つに至った神樹族ならではの進化なのかもしれない。
だが、ライトの心配を他所にユグドライアが問題ないと即答するではないか。
それでも不安が拭えないライト。おずおずと問いかけ続ける。
「で、でも……すっごく痛むかもしれませんよ……?」
『大丈夫だ。つーか、俺様のことをその程度のことで音を上げる軟弱者だとでも思ってんのか?』
「ぃ、ぃぇ、決してそういう訳では……!」
『ははは、冗談だ。威圧した訳じゃねぇから、そんな縮こまらんでくれ』
「は、はい……」
なおもライトの心配を否定し続けるユグドライア。
その口調が一瞬だけ鋭くなったが、これでもユグドライアに言わせればジョークの範疇だという。
だがその響きの圧の強さは洒落になっていない。ちょいワル系神樹ならではのジョークに、前世ではコミュ障気味だったライトは内心ビクビクしてしまう。
そんな風に己の威圧をジョークで笑い飛ばしていたユグドライアだが、突然神妙な声になる。
『それにな……あの時のツィの痛みや恐怖は、太い枝の一本二本落とした程度じゃ絶対に済まねぇはずだ』
「それは……うん、そうですね……」
『あんな酷い目に遭ったツィの辛さ、苦しさ、悔しさを思えば……太い枝の二本や三本失ったって、屁でもねぇ。むしろ、これしきのことで音を上げるなんざ絶対にできん。だって俺は、ツィの兄貴なんだから』
ユグドライアの覚悟に、ライトは思わず息を呑む。
海樹の言うことは全て正しい。
ある日突然、廃都の魔城の四帝の悪辣な企みに襲われたユグドラツィ。その時の辛さや苦しさを思えば、どうということはない―――彼女の兄の並々ならぬ決意は、妹を守りたいが故のものだった。
ユグドライアの兄としての覚悟を知ったライトも、大いに賛同しながらコクリと頷く。
「……分かりました。じゃあ、ツィちゃんの結界作りのために、遠慮なく一番良い枝をいただいていきますね!」
『おう、是非ともそうしてくれ』
「そしたらラウル、あの枝を切ってくれる?…………って、そういやどうやって枝を切ろうね?」
勢いよく了承したはいいものの、今度はどうやって枝を切り取るか悩むライト。
いつもならラウルの風魔法で一刀両断するところなのだが、生憎ここは海の中。間違っても風魔法は使えない。
ならばレオニスのような鮮やかな剣技を披露したいところだが、これまた生憎ライトもラウルもレオニス程の剣の達人ではない。
まさか海樹自らが極太の枝を折れるとも思えないし、男人魚達に至っては海樹の身体に傷をつけるなど以ての外だろう。
例えそれが海樹自身が望んだことであっても、男人魚達が崇め信奉する海樹に害をなすなど無理難題である。
ようやくここまで話が進んだというのに、最後の最後で難関が立ちはだかる。
一体全体どうしたもんか……とライトが悩んでいると、ラウルが空間魔法陣を開きつつライトに声をかけた。
「海樹の枝の切り取りは、俺がやろう」
「え? ラウルが? どうやって切るの?」
「俺にはこれがある」
不思議そうに聞き返すライトに、ラウルは空間魔法陣から取り出したあるものを見せる。
それは、職人の街ファングでオーダーメイドした特注品―――オリハルコン包丁だった。
ラウルだけが持つ彼独自の得物。ライトはその存在をすっかり失念していた。
「あー……確かにオリハルコン包丁は切れ味抜群だって言ってたよね……それって、どれぐらいよく切れるの?」
「あのクッソ硬い砂漠蟹だって、バターかと思うくらいにスパスパ切れるぞ」
「えッ!? そんなにスゴいの!?」
「ああ。何ならそこら辺の岩で試してみてもいいぞ」
ラウルはそう言うと、一旦海樹から離れて一番近くにある岩まで移動していく。
そして後ろでライトやマシュー、海樹が見守る中、右手に持ったオリハルコン包丁で岩を斬りつけた。
その動作は本当に普通の動きで、左から右へ斜め袈裟懸けにスーッ……と動かしただけ。速さだって然程出ていない。
水中だから水の抵抗があり、そんなに迅速なスピードも出せずどうしても緩慢な動きになるのだ。
だというのに、ラウルが斬りつけた岩は数秒後にずり落ち始めた。
斜めの袈裟懸けに斬られたので、誰が特に何をするでもなく重力に従い、自然に海底に落ちていく。
岩の上部が海底にズズン……と落ち、斬られた岩の断面が顕になる。
その断面は、まるで研磨後と見紛うくらいにツルツルしていた。
「おおお……ラウルのオリハルコン包丁の切れ味って初めて見たけど、ホントにスゴいんだね……」
「ああ。職人の街ファングで特注しただけのことはあるだろ?」
「うん……これ見たら、レオ兄ちゃんも絶対に欲しがるよね」
「包丁以外なら、いくらでも特注してくれて構わんがな」
オリハルコン包丁の切れ味のあまりの凄さに、ライトはただただ感嘆する他ない。
これ程の切れ味を有する武器もそうそうないだろう。それはもはや包丁という調理器具に留まらず、立派な凶器である。
もっとも、料理一筋のラウルの手にある限り、包丁は包丁でしかないのだが。
「これなら、イアさんの太い枝でもスパスパと切れそうだね!」
「おう、任せとけ。いくらでも切り分けられるぞ」
『ぉぃぉぃ……いくら俺が頑丈な身体してても、その包丁でいくらでもスパスパと切り取られたらさすがに敵わんぞ……お手柔らかに頼む』
「もちろんだ。切り取るのは先程選んだ一本だけだから、心配すんな」
ラウルのオリハルコン包丁の、想像以上に素晴らしい切れ味に大喜びするライトに、その後ろで戦々恐々とするユグドライア。
いくら包丁の切れ味が鋭いからって、そう何本も一気に切り取られてはさしもの海樹もたまったものではない。
もちろんライト達だって、そんなつもりは毛頭ない。予定通りに選定済みの一本を切り取るのみである。
オリハルコン包丁の切れ味を確かめたところで、ライト達は改めて切り取る予定の枝のもとに戻る。
「じゃ、今からこの枝を切り取る。イア、覚悟はいいか?」
『ああ。ひと思いにスパッ!とやってくれ』
ユグドライアの意思を確認したラウル。スー……ハー……と何回か深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着けていく。
そしてオリハルコン包丁をゆっくりと縦に振り、枝と幹との境目にその刃をスーッ……と入れていく。
『…………ッ!!』
ラウルがオリハルコン包丁の刃を枝に入れた瞬間、ユグドライアがほんの少しだけ呻く。どれだけ海樹が強がろうとも、やはり痛いものは痛いようだ。
人族に例えれば、注射の針を刺されてチクッ、とした痛みを感じているようなものか。いや、切り取る枝の大きさを考えれば、カッターや包丁で誤って指を切る以上の強い痛みはありそうだ。
そしてラウルが包丁を枝の下まで入れ終わると同時に、枝も下に落ちていった。
ラウルとマシューが海底に落ちていった枝の方に向かった隙に、ライトは素早く海樹のもとに向かう。
そして、今切り取られたばかりの海樹の断面に両手を当てて、回復スキル【フルキュア】を十回連続でかけた。
『……!!……こ、これは……?』
「痛いの痛いの、飛んでけー!痛いの痛いの、飛んでけー!」
ライトが連続でかけた【フルキュア】で、痛みが消えていくことに驚きを隠せないユグドライア。
そして、ライトはライトでこれが魔法に似た回復スキルであることを誤魔化すために、『痛いの痛いの飛んでいけ』というおまじないを何度も口にしている。
「これは人族のおまじないで、怪我をしたところの痛みが消えるようにって意味が込められているんですよ」
『そ、そうなのか……本当に痛みが消えてびっくりしたぜ……』
「痛みはどうですか? まだ痛いのが残っているなら、もっとおまじないかけますよ」
『ン?……ぁ、ぁぁ、もう大丈夫だ』
おまじないという言い訳もとい建前を解説している間、ライトはさらに十回の【フルキュア】を追加でユグドライアの断面にかけ続けた。
合計二十回の【フルキュア】をかけたおかげか、ユグドライアの痛みはすっかり消えたようだ。
『人族のおまじないってすげーな……まるで魔法のように効くもんなんだな』
「それは、イアさんが神樹だからですよ!こんなに大きくて立派な身体をしてるんですから。魔力だって回復力だって、他の種族より桁違いで強いでしょうし!」
『そ、そうか? ……ま、まぁな、それ程でもある……かな?』
ユグドライアの『魔法のように効く』という言葉に、内心ギクッ!とするライト。
ライトが高魔力保持者で、地水火風の四大要素の魔法を扱えることは既にレオニス達にも知られている。
だが、回復魔法もどきまで使えるとまでは知られていない。回復魔法は光属性であり、夏休み入り前日に行われた魔力テストもそこまで実施していないからだ。
なので、レオニスやラウルに海樹から『おい、すげーな!このちっこいの、回復魔法まで使えるんだな!』とバラされてはマズい。非常にマズい。
故にライトは【フルキュア】をかける間中、ずっと『痛いの痛いの、飛んでけー!』を口にしていたのだ。
そのおかげで『これは人族特有のおまじない!(=だから魔法じゃないよ!)』という言い訳が成立し、さらには『イアは神樹だから、魔力も回復力もすごいんだね!』という懸命の持ち上げにより、気を良くしたユグドライアはそれ以上追及してこなかった、という訳である。
ユグドライアの痛みが完全に消えたことで、ライトはほっと安堵しつつラウル達と合流する。
先に切り取った枝の方に行っていたラウルは、太くて長い枝をさらに大まかにオリハルコン包丁で切っているところだった。
「おおお……すっごく立派な枝だね……これをもっと細かく切ってるの?」
「ああ。このまま地上に持ち帰っても、長過ぎて出せる場所が限られてくるからな」
「あー、そうだねぇ。カタポレンの家の横の空き地よりも長そうだもんねぇ」
「そゆこと。それに、ある程度切り分けておいた方が持ち運びも楽になるしな」
ラウルが切り取った枝を早々に切り分けている理由に、ライトも得心する。
今切り取った海樹の枝は、ざっと見た感じ50メートルはありそうな長さだ。
もちろんこのままでも空間魔法陣に収納できるが、持ち帰った後のことを考えるとそうもいかない。
長さだけでなく重量もかなり重たいだろうし、持ち運ぶのだって長いままでは不便極まりない。
故に、今ここで広い場所があるうちにサクッと切り分けてしまおう!という訳である。
ラウルは枝の太さや節などを鑑みて、大まかに五つに切り分けていった。それでも一つあたり約10メートル、かなりの大きさである。
だがこのサイズなら、カタポレンの家の横でも余裕で取り扱えるようになるので十分だ。
そうして切り分けた枝を、ポイポイ、ポイー、と空間魔法陣に放り込んでいくラウル。
ぱっと見では何ともぞんざいな扱いに映るが、ものすごく重たいであろう海樹の枝をいとも簡単に持ち上げてしまうことの方が余程度肝を抜かれるというものだ。
全ての海樹の枝を収納し終えたラウル。
改めてユグドライアの方に向き直り、頭を下げる。
「海樹の枝、確かに受け取った。これを使えばツィちゃんの結界はより強固なものとなるだろう。改めて礼を言わせてくれ、ありがとう」
『いいってことよ。礼を言われる程のことでもない』
「ぼくからもお礼を言わせてください!イアさん、本当にありがとうございます!」
『お前達、ホントに律儀だね……』
ラウルだけでなくライトまで重ねて礼を言う姿に、ユグドライアは小さな声で呟く。
だがその呟きには、嫌悪感や呆れなどは一切感じられない。
むしろユグドライアが照れ隠しに呟いているのが丸分かりである。
『お前達が『友達を助けるのは当たり前』と言うのと同じで、俺にとっては『兄貴が妹を助けるのは当たり前』なだけなんだからな?』
「はい!ぼくにもレオ兄ちゃんという頼れるお兄ちゃんがいるから、すっごくよく分かります!」
『ぉ、ぉぅ……』
「ツィちゃんも、こんなに頼れるお兄ちゃんがいて幸せですよね!ツィちゃんだって、きっとそう思ってると思います!」
『わ、分かった、も、もういい……何か、面と向かってそう言われるのが、すっごく照れ臭い……』
ユグドライアがツンデレ気味に言い放った『兄貴が妹を助けるのは当たり前』という言葉に、ライトがものすごく嬉しそうに反応する。
今のライトにはレオニスという兄がいる。血の繋がりこそないが、生まれた時からずっといっしょに暮らしてきた家族であり、その絆は強固で本当の家族と何ら変わりない。
ライトはレオニス程の弟溺愛兄馬鹿ではないが、それでもやはり『お兄ちゃん大好きっ子』なのだ。
そんなライトの天然砲に、さしものユグドライアも撃沈する。
魔力や回復力の高さが褒められるのは嬉しくても、妹が自分のことを頼もしい兄と思っているに違いない!と持ち上げられるのは照れ臭くて恥ずかしいようだ。
照れ臭がる神樹の横で、マシューはずっと驚きながらも微笑んでいる。
この海樹がいる界隈は、男人魚達が守護しているせいで女っ気がないどころか子供もいない。それは、海樹の近くに子供を近寄らせないためである。
この海域に人族が押しかけることは滅多にないが、それでも全くないという訳ではない。巨大な宝石珊瑚である海樹や人魚の鱗を狙った強欲な輩が、いつ何時現れるか分からない。
そうした危険から女子供を守るために、敢えて遠ざけているのだ。
故に、ユグドライア自身も女子供の扱い方を全く心得ていない。
子供特有の正直な物言いに、簡単にノックアウトしてしまうくらいだ。
だが、たまにはそんなことがあってもいいだろう―――マシューは心の中で思う。
海樹とは、悠久の時を生きる孤高の存在。
周辺に侍る人魚達との出逢いと別離を繰り返す、崇高でありながら常に孤独と隣り合わせでもある。
そんな孤独な生の中にあって、人族の子供という稀有な存在との交流は、ユグドライアの中に新たな何かが芽生えるかもしれない。
ユグドライアの傍で長く仕え、ずっと見守ってきたマシューだからこそ思い浸る感慨だった。
海樹の極太枝、ゲットだじぇ!な回です。
本当は、今話でサクッと海樹と別れて、次回海底神殿に戻るはずだったのに。何故まだ帰れないのだ…( ̄ω ̄)…
まぁ、ここら辺は『生物学上、動物界の生物に分類される珊瑚には、果たして痛覚はあるのか?』という問題と、あと一つ『地上とは勝手の違う海中で、一体どうやって極太枝を切り出すか』という、海中ならではの二つの問題点があったからなのですが。
珊瑚の痛覚に関して、ネットサーフィン程度では文献を見つけることなど到底できず。そもそも魚の痛覚のあるなしですら、論争している真っ最中らしいので。
そこから珊瑚の痛覚云々となると、解明されるのは何百年後ですかねぇ(゜ω゜)
でもって、極太枝の切り出し方法問題については、ラウルのオリハルコン包丁という切り札によりサクッと解決。
持ってて良かったオリハルコン包丁、特注しといて良かったオリハルコン包丁!
ホント、響きだけ聞いてたらネタにしか思えんようなオリハルコン包丁ですが、その有能さに作者は救われました(;ω;)
これも料理一筋のラウルの欲望のおかげです。ありがとうラウル、ありがとうオリハルコン包丁!




