第82話 復元魔法の実行
「えっ、レオ兄ちゃん、まさか……あの復元魔法を使うの!?」
レオニスの突然の呟きに、ライトはびっくりして思わず声を上げた。
確かにライトも、レオニスが復元魔法を使えると聞いた時は、それを使ってもらって本の復元を行うことも考えた。
だが、その後に語られた犠牲の大きさを考えたら、とてもそんなことはお願いできなくなっていた。
むしろ、自らすると言った今では、レオニスの身を案じるが故に反対の立場だった。
「レオ兄ちゃん、そんなの無茶だよ!焼き芋一本で一週間も寝込むんだったら、この本の復元なんてしたらそれこそ一ヶ月二ヶ月、いや、レオ兄ちゃんの命そのものだって危ないかもしれないじゃないか!」
実際、ライトの主張は正しい。
レオニスは、たかだか焼き芋一本を元の生芋の状態に戻すのに、魔力をごっそりと持っていかれた、と以前言っていた。それと同時に、魂を削るような感覚さえ覚えた、とまで語っていたのだ。
レオニスの魂、即ち命と引き換えに行う復元魔法など、ライトには到底認めることなどできなかった。
椅子から立ち上がり、ものすごい勢いでレオニスの提案を拒否するライト。
レオニスは若干驚きながらも、座っていた椅子を立ちライトの傍に歩み寄り、ライトの頭を優しく撫でた。
「大丈夫、心配すんな。俺だってあの時とは違う。その復元魔法の実験は、だいぶ昔にお試し感覚でやったことだ」
「その時に比べたら、俺ももうちょい強さもマシになってるはずだし、今なら魔石の力を借りることもできる」
確かに、カタポレンの森の魔力を膨大に溜め込んだ魔石があれば、レオニスの魔力消費を補えるだろう。
しかし、それだけで本当に安全なのか?レオニスの身は無事で済むのか?何か思いもしないような、予測不可能な事故が起きたりはしないだろうか?
ライトの懸念は尽きることなく、不安ばかりが募る。
「でも……ぼく、レオ兄ちゃんの身に何か起きたら、やだよ……」
「一週間どころか、二日も三日も寝込むだけで、ものすごく心配しちゃうよ……」
目に涙を浮かべながら、俯きがちに小声で呟くライト。
いつもならここでレオニスが鼻血の滝を噴き出すところだが、今回ばかりはそんなおちゃらけた空気は流れなかった。
困ったなぁ、という表情を浮かべながら、優しく微笑むレオニス。
「そうだなぁ、俺だってもしお前がそんな無茶なこと言い出したら、絶対に反対するもんなぁ」
「……!!だったら……」
「だから、やってみて無理だと感じたら、すぐに止める。それでいいか?」
「…………」
こうなったレオニスは、止まらない。誰にも止めることなどできない。
それは、長年いっしょに暮らしてきているライトだからこそ、よく分かっていた。
「……絶対だよ?無理だと思ったら、絶対にすぐに中止してね?」
「ああ、約束する」
「いつやるの?今すぐ?」
「ああ、こういうことは思い立ったらすぐにやるのが一番だからな」
「分かった……じゃあぼくは、魔石の在庫をあるだけ全部持ってくるね」
「ああ、頼んだぞ」
ライトは魔石を保管している部屋に向かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ライトは魔石を保管してある倉庫に行き、大きな籠にありったけの無属性魔石をかき集めて部屋に戻った時には、レオニスは深紅のロングジャケット他戦闘用の衣装に着替えていた。
「レオ兄ちゃん、お待たせ。衣装着替えたの?」
「ああ、これを着ていると魔力量や防御力も高まるからな。何もしないよりはマシかと思ってな」
「そうだね、そのジャケットやブーツに防御魔法や回復魔法をたくさん仕込んであるんだもんね」
「ちったあ防御の足しになるといいんだがな」
最後に両手に指なしタイプの革手袋を嵌めて、身支度を整え終えたレオニス。
居間の真ん中に立ち、目の前にテーブルを置きその上に表題のない本とライトが持ってきた魔石の籠を置く。
レオニスは左手に小粒の魔石をとりあえず三つ握りしめ、右手を表題のない本の上に乗せる。
「じゃ、今から始めるぞ。ライトは少し離れたところで見ててくれ」
ライトはレオニスに言われた通りに、テーブルから少し離れてレオニスの顔が良く見える位置に移動する。
レオニスの顔色が悪くなったりしたらすぐに止められるように、じっと見守るつもりなのだ。
レオニスが何かを呟くと、次第にその両の手が輝いていく。
本の方の光が強くなるにつれ、左手の光が急速に失せていくのが離れて見ていたライトにも分かる。
手に魔石を三つ握る程度じゃ到底足りない、と瞬時に判断したのか、レオニスは魔力の輝きが失せた三つの魔石を即座に放り投げ、その手を魔石の籠の中に突っ込んでそのまま魔石を鷲掴みした。
ライトが持ってきた籠の中には、無属性の魔石が大小合わせて少なく見積っても200個以上はあったはずだ。それを全部使いきってでも、復元魔法を完遂させようというのか。
それは、何としても表題のない本を復元させて、今まで謎に包まれていた廃都の魔城の真相を明かしたいという、レオニスの強い決意の表れだった。
「レオ兄ちゃん!」
「……来るなっ!まだ大丈夫だ!そこで待ってろ!」
レオニスの表情が、だんだん険しくなっていく。
レオニスの身体の中で、本の復元に奪われる魔力と魔石の魔力の補充が激しく飛び交い鬩ぎ合っているのだろう。
その膨大な魔力は、レオニスの身体の中を行き交うのみに留まらず、部屋の中にまで突風のような空気の渦が舞い上がる。
部屋の中の家具や窓ガラスがガタガタと揺れ、ライトもその場に立っていられず壁際までジリジリと押され、その背を壁に打ちつけてようやく止まる。
凄まじい嵐が部屋の中で吹き荒び、ポルターガイストも斯くやあらん、といった様相を呈してきた。
ライトは、レオニスの言いつけ通りにずっと我慢していたが、一向に嵐が収まる気配がない。それどころか、表題のない本が発する光はますます強くなり、気流の勢いも全く衰えないどころか激しさを増す一方だ。
部屋の中央で、もはや暴風と化した気流の渦の中心で踏ん張り続けるレオニス。髪は暴風でバサバサと音を立てて逆立ち、本から発せられるあまりにも眩しい強烈な光にレオニスもライトも目を薄くしか開けられない。
レオニスの端正な顔は苦痛に歪み、歯を食いしばり必死に堪えている。ライトはもう矢も楯もたまらず叫んだ。
「レオ兄ちゃん!もう止めて!」
それでもレオニスは止めない。いや、止めないというより、周りの声や音が聞こえていないかのようだ。
轟音と暴風渦巻く中、ひたすら耐えるレオニス。ライトはその文字通り命懸けで戦うレオニスの姿を、固唾を呑んで見守るしかない。
それからどれくらい、その様子を眺めていただろうか。
それまでずっと吹き荒れていた気流が、少しづつではあるがだんだん勢いを落としてきた。
やがてレオニスの手元から発していた凄まじい気流は、完全に停止した。
その場にへたり込んでいたライトは、ゆっくりと立ち上がりレオニスの傍に近寄ってその顔をそっと覗き込んだ。そしたら何と、荒い息遣いとともにレオニスの額や顔全体に玉のような汗が大量に噴き出て、床にぱたぱたと流れ落ちているではないか。
普段レオニスは、どれだけキツい運動や狩り等の冒険、任務をしようともせいぜい汗が若干滲む程度で、いつも涼しい顔でこなしていた。一休みすることもなく一時間ずっと採掘し続けていた、あの幻の鉱山での採掘時でさえほとんど汗をかかなかったレオニス。
そのレオニスが、これほどまでに息急き切って汗だくになるなど、今まで一度もなかった驚くべきことだ。
「…………ふぅ。復元魔法、完了したぞ…………」
先程まで荒れ狂っていた部屋の中は、一転して静寂に包まれる。
その静寂の中、レオニスのまだ整いきらぬ荒い息遣いと成功を告げる声だけが響いていた。
復元魔法。それがどんなにすごい魔法でも、その前例が「焼き芋一本」なのですよねぇ……ホッカホカの焼き芋と、そうなる前の生さつまいも。
どれほどシリアスな場面でも、引き合いに出される例がそれなので、何とも締まらないのですが。反面、そのおかげで重くなり過ぎずに済んでいる気も。
そして何より、作者自身が個人的にそんなお間抜けシーンも大好きなのです。
 




