第782話 結界の活用方法
ユグドラツィの気さくな性格に触れ、神樹と初めて対面するナヌス達の緊張も解けていったところで、今度は結界に関する実務的な話に入る。
「ふむ、敷地が思っていたよりかなり広いのだな」
「いや、これはこないだの襲撃事件の時の影響でな……神鶏の渾身の攻撃で、周辺の木々が軒並み倒れちまったんだ」
「そうだったのか……我等の想像以上に壮絶な戦闘が、ここで繰り広げられていたのだな」
ナヌスのふとした言葉に、レオニスがその原因を語る。
その原因とは、ユグドラツィの中に巣食う邪悪な塊を滅ぼすために放った雷光神殿守護神ヴィゾーヴニルの攻撃であった。
ただでさえ強力な神鶏の夜明けを告げる鳴き声。それがピースの魔法陣によって、何十倍も威力が増幅したのだ。
もとが巨大な神樹ならともかく、魔の森基準でいうところの標準的な他の木々ではその衝撃に耐えきれようはずもなかった。
自分を救うために差し伸べられた手が、他の木々の犠牲の上に成り立っていることにユグドラツィは悲しげな声で呟く。
『ぅぅぅ……周りの木々には本当に可哀想なことをしてしまいました……』
「いや、それはツィちゃんのせいじゃないさ。それにあの時にはもう、周辺の木々も蟲どもが散々暴れまくってかなり切り刻まれていたからな……あの一撃がなくとも、どの道周りの木々はダメになっていたと思う」
「そうですよ!ツィちゃんは悪くないし、ツィちゃんのせいでもないです!」
「ああ、ご主人様達の言う通りだ。ツィちゃんは被害者であって、何も悪くない」
『…………ありがとう。そう言ってもらえると、少しだけ気が楽になります…………』
嘆き悲しむユグドラツィを、ライト達は懸命に慰める。
ラウルの言う通り、ユグドラツィは襲撃された側の被害者であり、全てはユグドラツィの生命を簒奪しようと企んだ加害者が悪いのだから。
ユグドラツィの落ち込んだ気持ちを方向転換すべく、レオニスがナヌスに向けて違う話題を振る。
「……で、ヴィヒトよ、どうだ? ツィちゃんを守る結界は作れそうか?」
「うむ……敷地の広さ自体はいくらでも対処のしようがあるが、問題はその高さだ」
レオニスはナヌスの代表者であるヴィヒトに、結界作りの可否を問うた。
その問いに対して、ヴィヒトはユグドラツィを見上げながら呟く。
ナヌスの大人の平均身長は、人間の尺度でいうところの30cm前後。そんな彼らからしたら、樹高100メートルを超えるユグドラツィは巨木の一言では済ませられない。
ナヌスとユグドラツィを比較すると、その差約400倍近く。これを身長160cmの人間に置き換えると、160cm✕400倍=640メートル。
これは現代日本で言うところの東京スカイツリーとほぼ同等である。
ヴィヒトの問題点の指摘に、他のナヌス達も頷きながら同意する。
「ええ……神樹のお姿は、我等が思っていた以上にはるかに立派で……こんなに高いところまで囲いきれるかどうか……」
「そうよのぅ。結界作りにおいて、これまで上空の高さを考慮したことはなかったしのぅ」
「我等がナヌスの長き歴史においても、そうした前例は全くありませんね」
他の重鎮達も、眉間に皺を寄せながら思案している。
問題点の難易度の高さに、どちらかといえば悲観的な意見が多いようだ。
そんなナヌス達の様子に、ライトが心配そうに尋ねた。
「ナヌスの人達であっても、難しそうなんですか?」
「ああ、これまで我等も経験したことのない高さだからな。難しいと言えば難しい」
「じゃあ……結界を作るのは無理、なんですか……?」
ますます不安そうなライトの問いかけに、それまで難しい顔をしていたナヌス達はパッ、と目を開けた。
そしてヴィヒトがライトの不安を払拭するかのように、力強く答えた。
「……いや、難しいとは言ったが『できぬ』とは言っておらんぞ?」
「!!……なら、一生懸命頑張れば結界は作れるってことですか!?」
「やってもいないうちから不可能と決めつけるほど、我等は腰抜けではない。こと結界に関しては誰にも負けぬ自信がある」
ヴィヒトの言葉に、他のナヌス達も追従するように口を開いた。
「そうですとも!我等非力な小人族がカタポレンの森の中で生きてこられたのも、強固な結界あってこそ。一切の外敵を寄せつけてこなかったからなのです!」
「結界作りはもちろんのこと、その維持や改良、研究にも日々心血を注いでおる。我等に作れぬ結界などない!」
「確かに結界作りにおいて、これ程の高さを求められた前例はない。だが、ないならば作ってしまえば良いのだ!」
どのナヌス達も、拳を握りしめつつ気勢を上げる。
ナヌスという種族は、困難を前に闘志が燃え上がるタイプのようだ。
血気盛んに意気込むナヌス達の頼もしさに、一時は不安そうにしていたライト達の表情も明るくなっていった。
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「良かったぁ……これならきっと、ツィちゃんを守る結界ができるね!」
「ああ、さすがはナヌスだ。間違いなく頑丈な結界を作ってくれることだろう」
「頼もしいな。俺もナヌスに結界の作り方を教わろうかな」
「お、それいいな。俺もラウルといっしょにナヌスに教わるか。結界が作れるようになれば、遠征で野営する時なんかにも使えそうだし」
「あー、それいいね!山篭りする時とかにも絶対に役に立つよね!ぼくもナヌスの人達に結界の作り方を習うー!」
「おお、もし良ければ我等も是非とも見学したいのですが!」
「そうですね!ナヌスの方々の作る結界を八咫烏の里でも作ることができれば、シア様の守りをより強固なものにできますよね!」
ナヌス達の頼もしさを喜ぶライト達。だが、何故か途中から『ナヌスから結界の作り方を教わろう!』という話に変わっている。
しかもその話に八咫烏兄弟のフギンとレイヴンも加わりたい!というのだから、さぁ大変だ。
レオニスはもともと魔法の習得に意欲的だったし、ライトはライトでレオニスを見習い『将来冒険者になった時に役立つから!』ということで魔法習得には積極的だ。
しかも結界とは、言ってみれば身を守る術の一つ。結界を自分で作れるようになれば、野営の就寝時を始めとして様々な場面で役に立ちそうだ。
そしてライト達以上に熱心なのが、フギン達八咫烏兄弟だ。
今の八咫烏の里に張ってある結界は、他所からの侵入者を察知する程度の能力しかない。
もしこの結界を、ナヌスの里に張ってある結界と同等の強度を持たせることができたら———それは八咫烏の里だけでなく、その中心に座するユグドラシアを守ることにも繋がるのだ。
フギン達がナヌスの結界造り見学に強い興味を示すのも、当然のことであった。
ライトは早速ナヌス達に交渉を持ちかけた。
「ヴィヒトさん、もし良ければツィちゃんの結界を作る様子をぼく達も見学してもいいですか? ……あ、もし結界作りはナヌスの秘伝で、決して他の種族には教えられない、という掟があるなら諦めますが……」
「ン? いや、結界作り自体はそこまで厳格な秘伝ではない。というか、そもそも今まで他の種族に伝授するとか、製法を盗まれる恐れがあるとか、そんなこと考えたこともなかったしな……」
「そうなんですか? そしたら見学しても問題ないですか?」
「ふむ……長老達と少し協議してくるので、少々待っていただけるか?」
「もちろんです!」
ライトは交渉の途中で、ヴィヒトに断る選択肢も与えた。
それは、ナヌスの結界作りが門外不出の秘伝である可能性もある、と考えたからだ。
だが、話を持ちかけられたヴィヒトによると、特にそこまで難しい規律がある訳ではないらしい。
もともとナヌスも異種族との交流は少なく、あってもご近所のオーガ族くらいのものだった。そしてそのご近所さんであるオーガ族は、魔法や魔術の類いは絶望的なくらいに使えない。結界の悪用どころか、自分達だけで運用することすらも不可能だろう。
そんなオーガ族相手に、結界作りの秘訣が漏れたところで痛くも痒くもないのだ。
しかし、今回はこれまでとは勝手が違う。
人族と妖精族、そして八咫烏族にナヌスの結界技術を教えてもいいものかどうか。
これは一族全体の問題であり、族長の一存で決めていい問題ではない―――そう考えたヴィヒトは、この場にいる長老や魔術師団長などとも協議をすることを決めた。
ライト達のいる場所から少し離れたところに移動した、八人のナヌス達。
輪になってゴニョゴニョ、コショコショ、モニョモニョ……と話し合っている。
そうして一分くらい経過したであろうか。
話し合いが終わったナヌス達が、再びライト達のもとに来て合流した。
一同を代表して、ヴィヒトが協議の結果をライト達に伝えた。
「お待たせした。結界作りの見学についてだが、皆好きなだけ見学していってくれ」
「いいんですか!?」
「ああ。先程長老達とも話し合った結果、教えても問題ないだろう、という答えに至った。そもそも結界というものは、悪用できるような性質のものでもないしな」
「ありがとうございます!」
ナヌス達から快諾をもらえたことに、大喜びでヴィヒトに礼を言うライト。
ナヌス達の出した答えは『教えても問題無し』であった。
そう、それはヴィヒトが言った通りで、結界作りの技術が悪用される心配はまず無いだろう、という理由からだ。
無理矢理にでも結界の悪用例を挙げるとしたら『凶悪犯の立て篭もり』とか『誘拐犯が拉致監禁に使う』くらいだが、ライト達に限ってそのようなことをするとはナヌス達も思っていない。
そしてもしそのような場面に遭遇したとしても、結界の解除の仕方を知っていれば脅威にはならない。
ライト達ならば、結界作りの正しい方法を伝えれば正しい使い方をしてくれるに違いない―――ナヌス達の出した答えは、そうした信頼の末の決断であった。
「では早速、ここで大まかな会議をしようではないか。ライト殿達にも参加していただくぞ。参加といっても、まずは我等の話を後ろで聞いていてもらうだけだがな」
「はい!よろしくお願いします!」
ナヌスが示してくれた厚意に、ライトはペコリと頭を下げ手感謝の意を示した。
ライトの横にいたレオニス達も、ヴィヒトに礼を言う。
「ありがとう、ヴィヒト。この礼は必ず返す」
「何の何の。森の番人殿には我等も日々守っていただいておるしな」
「ご主人様達の縁で、俺にも教えてもらえることに感謝する。俺もまたご主人様達とは違う形で礼をしたい」
「いやいや、ラウル殿もお気になさらず。森の番人殿が信を置く御仁ならば、我等もまた貴殿を信じよう」
レオニス達の礼に、ヴィヒトは静かに微笑みながらさも当然の如く振る舞う。
そしてヴィヒトは他のナヌス達の方に向き直った。
「では皆の者、森の守り神たる神樹ツィちゃん様のための結界作りの会議を始めるぞ」
「「「おう」」」
「「「はい!」」」
結界作りの主体であるナヌス達だけでなく、ライトやレオニス、ラウルも加わった会議が始まった。
ユグドラツィを守る結界作りが一歩前進です。
後半の方で、ライト達が考える結界の活用法が挙げられていますが。これはまぁぶっちゃけた話、魔物を寄せつけない効果のある退魔の聖水と同じ使い方ができるよね!ってことです。
退魔の聖水は一定時間魔物を寄せつけない効果を得られるアイテムで、主に野営の就寝時に使ったりしますが、寝る際に結界を自身の周囲に張れば朝まで安心してぐっすり寝れるというもの。
他にも魔物に襲われた時などに、結界内に立て篭もって怪我を治したり態勢を立て直したり、援軍を待つための時間稼ぎなどもできるでしょう。
そう考えると、ナヌスの結界技術は冒険者にとっても実に有用な魔法たり得ますよね!(・∀・)




