第78話 魔術師ネフェントス
復元魔法のことを考えながら思い出した際の副作用、頭の中に浮かんだ『焼き芋一本を相手に懸命に復元魔法を施すレオニスの姿』を、ひとまず頭の外に追いやるライト。
改めて己の手の中にある本を見る。
裏表紙の内側を見ると『ネフェントス・ディング』と書かれたサインがある。著者の名前だろうか。
まずは前半のページを、最初から読んでみることにした。
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ラグノ暦528年 10月 13日
人類と魔物。有史以来、己が生存を賭けて血で血を洗う闘争を繰り広げること早幾星霜。
人類は常に劣勢に立たされてきた。魔物の方が人間よりも身体的能力が格段に高い故である。
そのために、人類はじわじわと押され続け、その侵略範囲は広がる一途を辿ってきた。
数多溢れる魔物を倒し、何としても人の住める生存地域を何奪還するには、より強い攻撃スキルの開発が急務である。
先達て、世界各国の首脳陣及び高名な魔術師達が一同に集い、『円卓の騎士』という国際組織を新たに発足させた。
国境を越えて全人類が結束し、魔物の侵攻に対抗すべく誕生した組織である。
私も一魔術師として、その末席に加わる栄誉を得た。
人類の行く先は私達の肩にかかっているかと思うと、身の引き締まる思いだ。
全身全霊をかけて、有益なスキルを開発していきたいと思っている。
…………
魔物とスキルには、属性というものがある。
地水火風光闇、いわゆる六大属性と呼ばれるそれである。
水は火に強く、火は風に強く、風は地に強く、地は水に強い。
火は水に弱く、水は地に弱く、地は風に弱く、風は火に弱い。
光と闇は互いが牽制しあう。
魔物はその棲息地や種族的特性により、必ず何らかの属性を持つ。
その弱点を突くことは、魔物を倒す上で大きな利点となることは間違いない。
今までのスキル研究も、属性の相性を前提に開発が進められてきた。
だが、一人の人間が六大属性全てのスキルを修めることは極めて難しく、効率的にも相当悪いと思われる。
魔物同様、人間にも個々により生来の属性的傾向及び得手不得手があるためである。
例えば、火属性の強い人間が、水属性のスキルを努力の末に修めるとする。
やって出来ない事ではないが、それでも得意分野の火属性魔法を使うよりも威力は落ちるし、消費魔力も多く効率は頗るよろしくない。
また、研鑽の期間もそれを得意とする者と比べて倍以上の月日がかかることは、既に数多の実践データにより証明されている。
これでは一人で六大属性全ての魔物に対処することなど、到底できない。
これらの問題を解決するには、どうしたら良いのだろうか……
…………
属性スキルの研究を長年続けてきて、私はひとつの結論に至る。
地水火風光闇の六大属性に囚われず、何物にも縛られることのない無属性。
秀でた強みはないが、極端な弱みもない。全ての者が、何かに偏ることなく等しく同じ扱いができる。
偏らずにどれに対しても一括で同じ結果が出せるということは、得手不得手を克服するのみならず、相対する魔物の属性の傾向だの敵によりスキルを切り替えるだの等の、余計な神経を全く使う必要がないということだ。
それは即ち、思考リソースを他のことに割くことなく、全力で戦闘に回せることに繋がる。
これこそが至高にして、究極奥義を極めることのできる唯一無二の可能性を大いに秘めている。
これまで人類は、ずっと魔術分野において属性の相性に縛られてきた。だが、無属性ならばその軛から解き放たれる。
私はこれから無属性の究極攻撃スキルを生み出すべく、開発研究に没頭する所存である。
……………
ラグノ暦534年 11月 29日
ようやく無属性の究極攻撃スキル【復讐者の逆襲】の完成への道筋が見えてきた。
ダメージベースは生命値依存なので、本質的には物理攻撃に属するスキルである。
このスキルは、自身の生命値が少なければ少ないほど効果が高い。
生命値が満ちている時は殆どダメージを出せないが、瀕死の時ほど絶大な威力を発揮する。いわゆる反比例である。
絶体絶命の危機を勝機に変える、奇跡の魔法とも言える。
このスキルを使う者は、兎にも角にも自身の生命値を上げる鍛錬をしなければならない。
生命値が多ければ多いほど、少なくなった時の格差が広がり威力も増すからである。
その格差の比率が大きければ大きいほど、より高威力の攻撃を繰り出せることは、言うまでもない。
また、基本生命値が多ければ、生命値の半分程度の減少量でも魔物討伐にて十二分に殲滅威力を発揮できる。
術式の構築はほぼ作り終えた。
後はより精度を高める式を随所に組み込み、データ採取を積み重ねるばかりである。
早ければ、来年の年明け早々にも大規模実験が行われるであろう。
私が主導して編み出した、究極の無属性攻撃スキル【復讐者の逆襲】。
その成果は如何ばかりなものか、今から非常に楽しみである。
…………
魔物の侵略は、日々その勢いを増している。
その勢いに対抗するために、先日の定例会議にて広域殲滅型スキルの新規開発の検討がなされた。
この議題は以前から幾度となく繰り返しなされてきたが、私は反対だ。
何故ならば、広域殲滅型は魔物殲滅のみに留まらず、著しい環境破壊を伴うからである。
魔物を殲滅したはいいが、国土まで諸共全て焼け野原と化してしまっては話にならない。
国土の復興に莫大な費用がかかることになり、後々禍根を残すことになるであろう。
そうした事態を回避するには、広域殲滅型スキルになど頼らず個々の力を増幅して、より強力な精鋭を多数揃えていくべきである。
…………
ラグノ暦535年 1月 17日
本日、国際組織『円卓の騎士』の提唱により『人工勇者育成計画』が正式に立ち上がる運びとなった。
これ以上国土を破壊しないためにも、魔物の殲滅はやはり各個撃破で地道に進めていくべきである、という、私のような広域殲滅反対派の声がようやく通ったようである。
だが、それを実現するにはもっと多くの人手を要する。
今までのように、ただ魔物に怯えるだけではなく、人間一人一人が強力なスキルや武器を携えて、総力戦で事に当たるべきである。
本来ならば、勇者とは天啓を得た者にのみ与えられる固有職業である。
しかし、今更勇者の一人や二人出てきたところで、もはやどうにかできるような生易しい世界ではない。
いつ降されるかも分からぬ天啓を乞い願い、座して待つような猶予はもはや我々人類には残されていない。
今こそ、力ある勇者を我々の手で生み出し、量産すべき時なのだ。
有能かつ勇猛果敢な勇者を量産し世に送り出す、それこそが『人工勇者育成計画』である。
本日は、その計画が表舞台においても始動する、人類にとって記念すべき日である。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そこまで読み進めて、一旦手を休めたライト。そこから先はページが固まってへばりついていて、すぐには読めなさそうだったからだ。
一息つくついでに、ラウルが持たせてくれたおやつを食べることにする。
お茶も淹れて準備万端なライト、ひとまず脳内で状況整理を始める。
グライフのところで何気なく手にした本だったが、改めてじっくりと読み進めてみると思ったよりもかなり重々しい内容だ。
一魔術師の開発記録だと思って気軽に購入したが、この本の著者は当時の国際組織『円卓の騎士』に加入していたという。
ならば、この手記を書いていた時点で既に相当高名な魔術師だったのかもしれない。
また、ラグノ暦が今より何年前の名称かはよく分からないが、当時は今と違い攻撃重視の姿勢やスキルの概念が存在していたことが伺えて、とても興味深い。
今の時代よりも先進的な印象を受けるが、どうして当時の技術や進んだ概念が今の時代に伝わっていないのだろうか?
ライトの疑問や興味は尽きるところを知らない。
それにしても、まさかここで『人工勇者育成計画』という言葉を目にするとは、ライトも思ってもいなかった。
それはブレイブクライムオンラインの冒険ストーリーで語られる、重要な設定を指し示す言葉だからだ。
ゲームの中では『一人一人が主人公!さぁ、君も勇者になろう!』的な謳い文句で、ユーザー全員を「勇者候補生」と呼ぶ設定だったが。ストーリー中の文面では『人類の手で数多の勇者を育成する計画』と言及する箇所もあった。
そうか、この世界では文字通り『人工的に勇者を育成する』という目的のもと、その計画が大々的に展開されたのだな、とライトは思う。
彼らのその志は決して悪くはないし、むしろ人類存続を賭けた決死の覚悟は大いに立派だとは思うのだが、如何せん印象が悪い。
その『人工勇者育成計画』という名称自体もさることながら、そこに『量産』という極めて機械的な言葉の記述が加わると、胡散臭さが更に倍増する。
人を家畜か何かと勘違いしてそうな、まるで神目線のような尊大な物言いだ。どうにもそこが気に入らない。
国際組織『円卓の騎士』とは、今も存在する組織なのだろうか?
それに、よくよく考えたら今のこの世界に勇者を名乗る者、あるいは名乗る資格を有する者はいるのか?
もしいるとしたら、そいつは『円卓の騎士』と何か関係があるのだろうか?
こうなると、へばりついて読めない部分に何が書かれているのか、更に気になる。
何とかして読む方法はないものか……
ライトの思考はあちこち飛びまくったが、この世界の謎は深まるばかりだった。
何だか!久しぶりに!ちょっとどころか!大いに(以下略云々)
この表題のない本。この世界の書物にしては破格のお買い得価格1000Gでの購入ですが、それでも日本円にして1万円相当ってことになるんですよねぇ。嗚呼オソロシア、オソロシア……
 




