第707話 待ち侘びた夜明け
長い長い夜が明けた。
ユグドラツィに巣食っていた悪しき者は跡形もなく消え去り、闇に包まれていたカタポレンの森に少しづつ日の光が差し込んでいく。
しばし呆然としていたレオニス達だったが、はたと我に返りようやく自分達の勝利を確信した。
そして今回の立役者であるヴィゾーヴニルのもとに、ライトを小脇に抱えたまま駆けつけた。
「やったな!」
「ああ、我等の勝利だ!!」
「ピースもよく頑張ってくれた!ありがとう!」
「ぃゃー、それほどでもあるかなー?」
「しっかし、ヴィゾーヴニルの力はすげーな!さすが雷光神殿の守護神だ!」
『クエエエエ♪』
浄化の光で悪しき者を滅ぼした仲間達を、レオニスが手放しで褒め称える。
レオニスからの惜しみない大絶賛に、褒められ好きなピースはもちろんのことヴィゾーヴニルも誇らしげに胸を張っている。
そんな面々にパラスも喜びつつも、すぐに真面目な顔になり気を引き締めた。
「我等の勝利の美酒はひとまず後だ。今すぐツィ様の様子を見に行かねば」
「あ、ああ、そうだな!」
パラスにユグドラツィの容態の確認を促されたレオニスも、即座に同意する。
そう、喜ぶのはまだ早いのだ。いくら敵を討ち滅ぼしたところで、肝心のユグドラツィの無事が確認できなければ、その勝利に意味などほとんどなくなるのだから。
レオニス達は急いでユグドラツィのもとに降下した。
ラウルや八咫烏達もレオニス達と合流し、ユグドラツィの根元に降りていく。
全員揃って、地上からユグドラツィを見上げる。
一年を通して緑豊かだった枝葉はほとんどなくなり、極太の幹も根も傷がない場所を探すのが不可能なくらいに全身ズタボロに切り裂かれている。
もしこれが人間ならば、瀕死どころの話ではない。間違いなく絶命に至る致命傷を負っていた。
かつての荘厳な神樹の見る影もない、あまりにも無惨なユグドラツィの姿に皆沈痛な面持ちで言葉を失う。
「……ツィちゃん、聞こえるか? 悪い奴等はもう追っ払ったぞ」
「そうだよ、ツィちゃん。ツィちゃんをいじめる悪いヤツを、皆でやっつけたよ!だから……もう起きても大丈夫だよ!」
「ツィ様……我が里に御座すシア様も、それはそれは心配なさっておられましたぞ」
「ツィ様、天空樹のエル様もとても心配しておられました。きっと今も心を痛めておられることでしょう」
レオニスやライト、ウルス、パラスがユグドラツィに向かって語りかける。
だが、いくら待ってもユグドラツィからの返事は返ってこなかった。
ライト達の間に、再び沈痛な空気が流れる。
現時点では、まだユグドラツィの生死が確認できない。
火によって焼失したり、風に薙ぎ倒されて倒木になった訳ではないが、あまりにも満身創痍で無事とは到底言い難い状況にある。
その高い知性で他者との会話や意思疎通が成立していた神樹が、どれ程呼びかけても返事の一つも返してこない。
これは人間に置き換えると、意識不明の重体である、と考えても差し支えない事態だった。
誰もが絶望に染まりかける中―――一人が口を開いた。
「これだけの大騒ぎだ、ツィちゃんもきっとものすごく疲れてるだろ。だから、しばらくはゆっくり休ませてやらないとな」
ユグドラツィの根を優しく撫でながらそう言ったのは、ラウルだった。
ラウルが言った『疲れてる』『休ませてやらないと』という言葉。それはユグドラツィが生きていることを前提とした言葉だ。
ユグドラツィはきっと―――いや、絶対に生きている。
そう、ラウルはユグドラツィの生命を諦めていなかった。
そんなラウルの言葉に、他の皆の顔にもだんだんと生気が戻ってくる。
生死が分からないならば、死んだと思うよりは生きていると考えて希望を持って接する方がいいに決まっている。
それに、たった今悪漢を退治したばかりなのだ、ユグドラツィの無事や生死を判断するには時期尚早というものである。
ラウルのおかげで気を取り戻したレオニスやライト、マキシもラウルにすぐさま同意する。
「……そうだな。しばらくは様子を見ないことには始まらんな」
「そうだね!ツィちゃんもすっごく疲れてるだろうから、いっぱい寝て休まないとね!」
「そうですよね!たくさん寝て、たくさん休養を取れば、きっとツィちゃんも元気になりますよね!」
ラウルに追随するライト達に、八咫烏やパラス、ヴィゾーヴニルまでもがこくこくと頷き同意する。
皆、ユグドラツィの無事を願う気持ちは同じだった。
「……では、そろそろ我等は天空島に戻ることにする。ツィ様のご無事はすぐには確認できなかったが、その生命を貪る邪悪を滅ぼせたことだけでも女王様方にご報告せねばな。エル様もきっと安堵しておられよう」
「そうだな。エルちゃんや雷の女王、光の女王もきっと喜んでくれるだろう」
ふっくらむっちりふわっふわなヴィゾーヴニル。
その横にいるパラスが、ヴィゾーヴニルの翼の羽根を優しく撫でながら帰還の意を示す。
ユグドラツィの無事こそ確認できないままだが、神樹襲撃という大事件の勝利を収め、これ以上手伝えることがない今は地上での長居は無用である。
「今この時も、きっとエル様はツィ様や皆を見守っておられる」
「皆によろしく伝えておいてくれ。俺達も、落ち着いてからまた改めて天空島の皆にお礼を言いに行くから」
「その日を心より楽しみに待っているぞ。……では、ヴィー様、参りましょう」
パラスはヴィゾーヴニルとともにふわりと宙に浮き、天空島のある方角に飛び立っていった。
天空島から遣わされた、神々しい神鶏と天使。彼らが駆けつけてきてくれなければ、きっと今頃もまだあの黒い炎に手こずっていただろう。
いや、それどころか黒い炎の奥に潜む本体の粘液を引きずり出すことすらできなかったに違いない。
暁に染まりゆく空のもと、故郷に向かって飛び立つ神鶏と天使。
その素晴らしく頼もしい背を、ライト達は見えなくなるまでずっと見送り続けていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……さて。では我等も里に帰るとしよう」
ヴィゾーヴニルとパラスを見送った直後、今度はウルスが八咫烏の里への帰還を宣言した。
八咫烏達も、神樹の救出という大きな役目を果たした。彼らの里にも大神樹ユグドラシアがいて、今回の神樹襲撃事件をとても憂いていた。
襲撃事件がひとまず終了したからには、彼らもまたユグドラシアに勝利の報告を納めなければならない。
「八咫烏の皆もありがとう。本当に助かった、心より感謝する」
「何の、礼には及ばぬ。此度の戦は我等がシア様の望み。そして……それだけではない、我が息子マキシの敵討ちでもある」
「父様……」
頭を深く下げて礼を言うレオニスに、ウルスが静かに応える。
父ウルスの言葉に、息子であるマキシも目を潤ませて感激していた。
八咫烏の里にいた頃のマキシは、里の者達とはもちろんのこと家族ともあまり積極的に交流を持たなかった。
それは、マキシが八咫烏一族の中でも代々族長を務める由緒正しい一族に生まれながら、ほとんど魔力を持たないみそっかすとして里の者達からぞんざいに扱われてきたからだ。
ウルス達家族は決してマキシを除け者になどしなかったが、それでもどこか腫れ物扱いしていたようなところはあった。
故にマキシは、八咫烏の里にいた時はずっと劣等感に苛まれ続けてきた。
だが、それはマキシが己の意思で八咫烏の里を飛び出したことで、事態は一変した。
マキシの魔力がほとんどなかったのは、生まれついての先天的なものではなく、穢れという悪しき罠を埋め込まれた後天的なものだったこと。
そしてその悪しき罠を埋め込んだのは、廃都の魔城の四帝であること。そいつらの目的は、他者の魔力を未来永劫搾取し続けるためのものだったこと。
それら全ての真相が、マキシが里の外の世界に飛び出したことで判明したのだ。
ウルスの言葉に感激しているマキシの両肩に、ウルスがそっと翼を置く。
「すまんな、マキシ。たった一回敵を退けただけで、お前への罪滅ぼしになるとは微塵も思ってはおらぬ。お前が長年受け続けてきた苦難は、これっぽっちで水に流せるほど軽いものではない」
「いいえ、いいえ……僕は……父様にそう言っていただけただけで、既に救われています……」
父の言葉に感無量になり、ポロポロと涙を流すマキシ。
そんな末弟を、ウルスだけでなく他の兄姉達も取り囲んで言葉をかける。
「マキシも今日はとても頑張ったな」
「そうよ、蟲達を次々と屠る貴方の活躍ぶりは凄まじかったわ!」
「貴方が大きく成長した姿を見ることができて、本当に嬉しかったわ」
「これは僕達もうかうかしてられないな、もっと修行を頑張らないと」
「俺もう力とか魔法とか、マキシに全部追い越されてる気がするわ」
「兄様、姉様、そんな……僕なんて、まだまだです……」
マキシの成長を手放しで認め、口々に褒め称える兄姉達。
昔のマキシには、到底考えられなかった光景だ。
兄姉達に認められた嬉しさに、マキシの感激の涙は止まらない。
そして最後に、母アラエルがマキシに声をかけた。
「マキシ……こんなに立派に成長してくれて……母さんも、本当に嬉しいわ」
「母様……」
「でも、貴方の役目はまだまだこれからが本番よ。ツィ様のお目が覚めるまで、そしてお目が覚めてからも……ツィ様の全身と御心に負った深い傷を、貴方達皆で癒やして差し上げるのよ」
「……はい!」
アラエルの言葉に、マキシは力強く頷く。
他の八咫烏は皆八咫烏の里に帰るが、マキシだけはこれまで通り里の外の世界に留まり続ける。
意識不明の重体に陥ったユグドラツィ。これから彼女の傍にいて救い支えるのはマキシ、そしてマキシを外の世界に連れ出してくれたラウルやライト、レオニスの役目だ。
「では、我等は目覚めの湖に向かうとしよう。ウィカ殿には申し訳ないが、モクヨーク池まで送っていただかねばな」
「あッ、ウィカにもぼくがありがとうと言っていたって伝えておいてください!」
「承知した。ライト殿もありがとう。ウィカ殿はライト殿の親友なのだったよな」
「はい!ウィカも今回のことは理解してくれてるはずなので、帰りもちゃんと送ってくれると思います!」
「それはありがたい。本来ならば、自力で八咫烏の里に戻るべきところなのだが……さすがにちと体力的に厳しいのでな」
緊急事態故、行きはマキシとともにウィカの水中移動でモクヨーク池から目覚めの湖に転移した八咫烏達。
ひとまず事件が収束した今、本来ならウィカに頼らず自力で帰るところだ、と生真面目な八咫烏達ならそう考えるのが当然だ。
だが、普段は寝ている時間に夜通しで戦い続けてきた八咫烏達に、もはや自力で帰途に就く余力は残されていなかった。
「八咫烏の皆、本当にありがとう……あんた達がマキシとともに駆けつけてくれなければ、蟲どもの始末は到底できなかった。今度マキシが里帰りする時には、必ずたくさんのご馳走を持たせて帰らせるからな」
「いやいや、そこはマキシに持たせるなどと言わず、ラウル殿もともに八咫烏の里に遊びに来てくださってもいいのだぞ?」
「おお、そうか。ならば族長のお言葉に甘えてそうさせてもらうとしよう」
ラウルもまたウルス達に深々と頭を下げて礼を言う。
マキシの里帰りに同行する約束をしつつ、ウルスと固い握手を交わす。
そこにアラエルが、努めて明るい声でラウルに話しかける。
「是非ともラウルさんも、いえ、ラウルさんだけでなくライト君やレオニスさん、皆でいらしてくださいね!そうすれば、シア様もとてもお喜びになられると思うわ!」
「ああ、皆でシアちゃんに会いに行かんとな」
「ぼくもまたマキシ君と遊びに行きますね!」
「おお、俺もついて行っていいのか。ならその礼に、また八咫烏の兵達に稽古をつけてやらんとな!」
ラウルだけでなく、ライトやレオニスまで八咫烏の里に遊びに来いと誘われて、二人とも嬉しそうに喜びの返事を返す。
ただし、レオニスの『稽古をつけてやらんとな!』という言葉に、レオニスの稽古を実際に受けたことがあるフギンとムニンだけは『ウキョッ!?』と小さく叫びながら驚き顔になっているような気がするが。多分気のせいだろう。キニシナイ!
そうして一通り別れの挨拶を済ませた八咫烏達は、目覚めの湖に向かって飛んでいった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
八咫烏達の帰還を見送ったライト達。
今度はピースがレオニス達に向かって話しかけた。
「……じゃ、小生も一度プロステスに戻るねぃ」
「おう、ピースもお疲れさん。……って、何だ、ラグナロッツァに戻るんじゃないのか?」
「うん。もともとここに来る前は、プロステスの領主邸にいたしね。熱晶石の生成装置の件について、プロステス領主様から直々にプロステス支部への言伝も預かってるし」
「……ああ、そういやそうだったな。……ピース、お前の貴重な有給休暇を台無しにしてしまってすまなかった」
事件前にいたプロステスに戻るというピースに、レオニスが改めて謝罪をする。
そもそもライト達がピースとともにプロステスに出かけていたのは、炎の洞窟に行くためだった。
そのために一週間の有給休暇を取ったピース。魔術師ギルドの総本部マスターであるピースが一週間もの有給休暇をもぎ取るのは、かなりというか壮絶に苦労したはずだ。
今回の襲撃事件は、決してレオニス達のせいではない。とはいえ、結果的に休暇中のピースをも巻き込んでしまった。
そのことに対する罪悪感がレオニスにはあったのだ。
「いやいや、そんなんレオちんが謝ることじゃないよー!それよりもだね、プロステスの要件が終わったら、小生もまた神樹の様子を見に来るよ!小生の有給休暇はまだ数日残ってるからね!」
「……ありがとう。魔術師ギルドマスターのお前にも様子見に来てもらえるなら、これ程心強いことはない」
「一度乗りかかった船だもの、最後までしっかりと見届けるよん!」
レオニスと会話しながら、空間魔法陣から箒を取り出すピース。
空飛ぶ箒に跨り、ふわりと宙に浮くピース。
ライトはピースに向かって大きく手を振り続けた。
「じゃ、また後でね!レオちんとこの家の転移門借りるよー!」
「ピィちゃんも、本当にありがとう!またね!」
ピースはそう言うと、カタポレンの家の方に飛んでいった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
天空島勢が帰り、八咫烏達も里に戻り、ピースもプロステスに戻り、ユグドラツィのもとに残ったのはライト、レオニス、ラウル、マキシの四人だけとなった。
それまで大勢がいて賑やかだった空間に、再び静寂が戻る。
四人はしばし頭上を見上げる。
だんだんと明るくなっていく空には、いつも目にしていた豊かな緑はない。主立った太い枝が残っているだけである。
春には柔らかい木漏れ日をもたらし、夏には直射日光を遮る涼しい木陰となってくれた。秋になっても艶やかな緑の葉は落ちることなく、冬は木枯らしが吹く反対側にいれば寒風から身を守ってくれた。
一際大きく威風堂々とした神樹の面影は、もはやどこにも残っていなかった。
そんな雄大な神樹なのに、彼女が語る言葉はいつも優しく慈愛に満ちていた。
ライト達はユグドラツィと友達になってまだ日も浅いが、それでも彼女とのたくさんの楽しい思い出がある。
かつてともに楽しく過ごした日々を思い出すライトの目に、再び涙が浮かぶ。
「……ツィちゃん……ツィちゃん……」
地面に跪き、ユグドラツィの根に寄りかかりながら涙を零すライトに、レオニス達もかける言葉がない。
しばしそのまま見守っていると、ライトのすすり泣く声が次第に小さくなっていく。
よく見ると頭も少し揺れていて、どうやらうつらうつらと半分眠りかけているようだ。
如何に中身が見た目の年齢とは違うといっても、身体は八歳児のそれであることに変わりはない。
普段から規則正しい生活をしている子供のライトにとって、今世で初めての徹夜は相当疲れているはずだ。
心は悲嘆に暮れていても、子供の身体は迅速な休息を必要としていた。
「……ライトも疲れただろう。俺はこのままライトを連れて、ひとまずカタポレンの家に戻るが……お前達はどうする?」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔のライトを抱き抱えたレオニスが、ラウルとマキシに今後どうするかを尋ねる。
レオニスが抱っこをしても抵抗しないあたり、もうぐっすりと寝てしまったようだ。
泣き腫らして瞼も鼻も赤くなったライトの顔を見ながら、二人はそれぞれ口を開いた。
「僕は一度アイギスに出勤して、カイさん達に事情を話してきます。できれば少しお休みをもらうか、あるいは出勤を一日置きにしてもらうとか、とにかく僕もツィちゃんのお世話ができるようにしたいです」
「分かった。カイ姉達にもよろしく伝えておいてくれ。……ラウル、お前はどうする?」
マキシは勤め先であるアイギスに出向いて、休日の形態を変えてもらうなどの交渉をしてくるつもりのようだ。
カイ達はユグドラツィと直接会ったことはないが、ユグドラツィの枝を加工して様々なアクセサリーを作った縁がある。
きっとカイ達もユグドラツィの快癒を願って、マキシの希望になるべく添えるよう対応してくれることだろう。
そしてラウルの方はと言うと―――
「俺は……しばらくの間、朝から日が暮れるまでツィちゃんの傍にいたい。夜にはラグナロッツァの屋敷に戻るし、その間に掃除や食事など屋敷の仕事をきちんとこなす。だから……当分の間、俺の我儘を許してくれるか」
ユグドラツィを見上げながら、静かに己の望みを口にするラウル。
ラウルがレオニスに拾われて以来、その毎日のほとんどをラグナロッツァの屋敷の中で過ごしてきた。
日中は掃除や買い出しなどを適当にこなし、空いた時間はひたすら料理関連に注ぎ込む。実に自由で勝手気ままで極楽な日々。
ラグナロッツァの屋敷は、ラウルにとってもはや一番居心地のいい空間であり、そこに戻らないということ自体があり得ないことである。
そんなラウルが、日中の自由時間全てを手放してでもユグドラツィの傍にいたいと言う。
ラウルの願いを断る理由など、レオニスにはどこにもなかった。
「もちろんだ。ツィちゃんも、お前が傍にいてくれるのが一番嬉しいだろう」
「ありがとう……ご主人様には、恩ばかりが溜まっていくな」
「気にすんな。お前がツィちゃんを見守ってくれるなら、俺達も安心できるしな。ただし、夜になる前にきちんとラグナロッツァの屋敷に戻れよ? 今のお前なら、夜のカタポレンの森でも難なく過ごせるとは思うが……」
ラウルの願いを快諾しつつ、夜にはラグナロッツァの屋敷に戻ることを念押しするレオニス。
もちろんそこら辺はラウルも心得ている。
「分かってる。本当は夜も付き添ってやれりゃ一番いいんだが……そこまですると、今度はご主人様達に心配をかけてしまうだろうからな」
「そこまで分かってるならいい。お前の身にまでもしものことが起こったら、それこそ悔やんでも悔やみきれんからな」
「ああ……我儘言ってすまんな」
「いいってことよ。こんなもん、我儘の内にも入らんさ」
レオニスがラウルの心情を汲んで快諾し、ラウルがしばらくここに一人残るということで話は決まった。
「……じゃ、また後でな」
「ラウル、僕もまた後で来るね。……ツィちゃんのこと、よろしくね」
「おう、任せとけ」
ライトを抱っこしたレオニスが、カタポレンの家に戻るために飛んでいく。
マキシもまたラグナロッツァに戻るために、レオニスとともにカタポレンの家に飛んでいった。
そしてこの場には、ラウルとユグドラツィだけとなった。
ラウルはいつも自分が腰掛けていた、少し窪みのある根元に座る。ここ最近は、その窪みがラウルの定位置の席だった。
その定位置に座り、頭上を見上げながらユグドラツィと語り笑い合っていた、穏やかな日々。
そんな温かな思い出の数々が、ラウルの脳裏に蘇る。
「ツィちゃん……」
ラウルはそれ以上言葉を出さず、ユグドラツィの根元に腰掛けたまま傷だらけの幹をそっと撫で続けていた。
ほんの僅かな勝利の余韻と、敵を倒した後の静かな時間です。
今話だけでまた8000字を超えてしまいましたが、後半のレオニス達以外の援軍が帰る場面を二回に分けてブツ切りにしたくなかったので、ここはゴリ押しで一話にまとめて投下することに。
ユグドラツィはまだ目覚めていませんが、一日も無い早く皆の思いが届くことを願ってやみません。




