第703話 塗炭の苦しみ
レオニスとラウル、二人が手分けして首狩り蟲の転送元を探し出してしばらく経った頃。
初めてそれを見つけたのはレオニスだった。
木々の間を縫うようにして、ひょいひょいと駆け回るレオニス。森の中を探すなら、飛行するよりも己の足で走った方が小回りが効いて魔力の節約にもなる。
森の中をずっと走っていると次第に位置感覚が鈍ってくるので、時折木々の上に出ては己のいる位置を確認しながら虱潰しに探索していく。
転送のための魔法陣のようなものがあるとすれば、必ずそこから異質な魔力が漏れ出ているはずだ。ほんの僅かな違和感でも見逃さないよう、レオニスは慎重に周囲を探りつつ森の中を駆け巡り続ける。
そうして探索しているうちに、レオニスの背筋に突然悪寒が走った。
「…………ッ!?」
レオニスが捉えた悍ましい気配。
ユグドラツィの幹の中に巣食う謎の繭とはまた違う気配。だがしかし、漂ってくる気配は邪悪なものに変わりはない。
その邪悪な気配のする方に、レオニスは慎重に近づいていく。
そうしてレオニスの目に飛び込んできたもの。それは、ぽっかりと開いた大きな穴のような円形の黒い空間だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「これは……空間魔法陣と似たようなもんか……?」
レオニスが発見した黒い空間。そこから少し離れた位置でしばらく観察する。
見た目はブラックホールのように真っ黒な空間で、その向こうにあるはずの木々は全く見えない。もちろんその黒い空間の中も見えない。
もしここから首狩り蟲が出てくるとしたら、しばらく待てば出てくるはずだ。
その黒い空間が蟲の転送装置であることの確証を得るため、レオニスはそのままの位置で待機しながらじっと見ている。
そしてその数秒の後に、黒い空間から何かがニョキッと出てきた。
鋭く尖った赤黒い先端部分から始まり、次第にそれが大きな鎌のようなものであることが分かる。
そうして頭、胴体と順番に出てきて、間違いなく首狩り蟲であることが確認できた。
首狩り蟲が飛び立つ前に、レオニスが即座に大剣で切り刻んで始末した。そして再びレオニスは黒い空間の観察に戻る。
観察の結果、どうやらこの黒い空間から一分間に三体から四体の首狩り蟲が送られてきているようだ。
こんなものが複数置かれていたら、そりゃ蟲をいくら狩り続けても減らん訳だ……とレオニスは小さくため息をつく。
大体の様子が分かったので、今度はこの黒い空間をどう潰すかをレオニスは思案し始める。
黒い空間を「空間魔法陣のようなもの」と捉えたレオニスの感覚は正しい。
遠目から見ただけでは、それはただの真っ黒な穴にしか見えない。だがよくよく注意深く見ると、黒い空間と通常の空間との境目に魔法陣と思しき線や模様が微かに見えるのだ。
魔法陣でできた空間ならば、その魔法陣を壊してしまえば二つの空間を繋ぎ続けることはできなくなる。
しかしレオニスは、他者が作成した魔法陣を壊すといったことは今までにあまりしてきたことがない。
低級の魔物は魔法陣を繰り出すような高等な攻撃はしてこないし、メイジやウィザード、ソーサラーなど魔術を使う魔物相手でも魔法陣対策するより本体の方をさっさと先に始末してしまうからだ。
しかし、ここには魔法陣を展開している大元の魔物の姿は見当たらない。魔法陣を設置するだけしておいて、後は魔物が勝手に送り込まれるだけの単純な展開なのだろう。
そしてこの手の空中に浮いた魔法陣への対処は、今まで一度もしたことがない。
地面や岩、木の切り株などに描かれているものであれば、それを物理的に切り刻むだけで事は済むのだが。空中に浮いたものを切り刻んでどうにかなるのかは、レオニスにとっても全くの未知数であった。
「……ふむ。とりあえず剣で斬ってみるか」
ひとまずレオニスは愛用の大剣を背中の剣帯に仕舞い、別の予備の長剣を空間魔法陣から一本取り出して構える。
これは、万が一にも剣の方におかしなダメージが及んでも良いように、というレオニスの考えからである。ただでさえ怪しい未知の空間魔法陣もどきだ、切りかかったら突如爆発する、あるいは厄介な呪いが発動する、などといった事態が起きることもあり得る。
空間魔法陣もどきから新たに出てきた首狩り蟲を仕留めた後、即座に長剣で真っ黒い穴を切りつけるレオニス。
しかし、黒い空間は一瞬ぐにゃり……と歪んだだけで、すぐに元通りの形に戻っていく。そしてしばらくして、何事もなかったかのように新たな首狩り蟲が穴から出現してきた。
「こりゃ切りつけるだけじゃ何ともならんか……」
新たな首狩り蟲を仕留めつつ、レオニスは別の策を考える。
物理的に排除できないのならば、次に取る手は必然的に魔法で対処することになる。
火魔法は他の木々への延焼を防ぐためにNG、雷魔法も火魔法と同じ理由で却下。水魔法や風魔法も効くかどうか分からないので、試すにしても後回し。
残るは光魔法、闇魔法、土魔法だが、光魔法も闇魔法もレオニスは最低限の初級魔法しか使えない。だがもしかしたら、この邪悪な気配を隠そうともしない空間にも破邪の浄化魔法が効くかもしれない。
主に消去法で考えていき、そこまでいろいろと思考を巡らせたレオニスが、はたととあることを思いついた。
「……土魔法で大きな岩を出して、この空間を丸ごと全部埋めちまえばいいんじゃね?」
レオニスがピコーン!と思いついたことは、こうだ。
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1.黒い空間をはるかに上回る巨大な岩を、空間に被せるようにして置く。
2.そうすれば、向こう側からこちらに移動してこようとする蟲は出口を失う。
3.出口がなければ、蟲は向こう側に留まったままこちら側には来れない。
4.結果、蟲の転送はできなくなり、供給を失った蟲の増援も完全に止まる!
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これは、言ってみれば水道の出口を力ずくで塞いで水流を止めるようなもので、とんでもなく壮絶なゴリ押しの力技である。
しかし出口を物理的に塞ぐというのは、単純なように見えて案外かなり有効な手段に思える。
もし無理矢理首狩り蟲を押し出そうとしても、岩の中に埋まってしまえばそれ以上進むことはできない。良くて蟲の頭や身体がコンクリートに生き埋めになるようなものだろう。
想像するだけで恐ろしげな光景だが、邪悪な者共の手先の生死などどうでもいいことだ。
「……よし、やるだけやってみるか」
早速レオニスは次の首狩り蟲が現れるのを待ち、瞬時に蟲を屠ってから黒い空間に向けて右手を翳す。
「アースウォール!!」
レオニスの短い詠唱の直後、黒い空間の真下の地面から巨大な岩が現れた。
岩と言ってもゴツゴツとした天然の岩ではなく、分厚い壁のような整然とした長方形をしている。これは、この土魔法がもともと防御用として用いられるためである。
防御用だけあって、その高さは10メートルくらいあり森の木々よりも高い。幅に至っては少なくとも2メートル以上の厚みがある。
これを横に連続して並べていけば、ちょっとした城壁代わりにもなりそうだ。
他にも敵や魔物を捕縛し閉じ込めるための檻として使ったり、あるいは高所に移動するための足場代わりに使ったりと、かなり応用の効く便利な魔法である。
レオニスはこの分厚い岩製の防壁を一枚出した後、立て続けに前後に一枚づつ同じものをぴったりと重ねるようにして出現させた。
その反動で、周辺の木々の何本かが根元から掘り起こされて倒れてしまった。だが今は緊急時なので、それらに構っている暇はない。
こうしてレオニスの『岩で出口を無理矢理塞いでしまえ!作戦』は決行された。
岩の防壁三枚を出したレオニスは、その場に留まりしばらく様子を見る。
先程まで空中に浮いていた黒い空間は、完全に防壁の中に埋まり全く見えない。攻撃を受けたら勝手に移動するような、超高等な防御システムはないようだ。
岩壁の周囲をゆっくりと歩いて周り、様子を窺うレオニス。そうして一分以上経過したが、蟲が岩の中や他の場所から出てくる気配は一切ない。
どうやらレオニスの超力技ゴリ押し作戦は大成功のようだ。
「よし、この方法で蟲どもの転送口を全部ぶっ潰すか!……って、後でラウルを見つけたらこの方法を伝えとくか」
首狩り蟲の転移を防ぐ有効な手段を見つけたレオニスは、再び森の中の探索に戻っていった。
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その頃ラウルは、マキシに連れられてアラエルとライトのもとにいた。
「ライト君、ラウルを連れてきました!」
「マキシ君、ありがとう!ラウル、早速だけどここの奥の方を見てくれる?」
「分かった。俺とマキシで見てくるから、ライトはここにいて待っててくれ」
「……うん」
マキシから大凡の話を聞いていたラウルが、早速マキシとともに森の奥に入っていく。
そしてライトがおかしいと感じた地点で、ラウルとマキシも歩を止める。
「……何かあるな」
「うん……ライト君が言った通り、何か良くないものの気配がするね……」
ラウルとマキシは小声で話し合う。
二人は警戒しながらゆっくりと前に進んでいく。そうして二人が見つけたものはレオニスが見つけたのと同じ、真っ黒い穴のような空間だった。
しかもその穴からは、まさに首狩り蟲が出てきている真っ最中だった。
「「……ッ!!」」
二人は瞬時に戦闘態勢を取り、今穴から出てきたばかりの蟲に向けて風魔法を放った。
ラウルとマキシが同時に放った風魔法は、見事に首狩り蟲の首や羽、胴体などを容赦なくスパスパと切断していく。
条件反射的に蟲退治をしてしまった格好だが、何しろその黒い空間から首狩り蟲が出てきたところを目撃したラウルとマキシ。
驚きながら二人で話し始める。
「どうやらこいつが蟲どもを転移させているようだな」
「そうだね。ということは、何とかしてこれを潰せば蟲を減らせるってことだね!」
「……しかし、どうすりゃいいんだ? 何か攻撃魔法でもぶっ放せばいいのか?」
「…………何をすれば効くんだろ?」
そんな話をしている間にも、黒い空間から首狩り蟲が間を置かずに出てくる。
そいつらをユグドラツィのもとに飛び立たせる訳にはいかない。蟲が出てくる度に、ラウルもしくはマキシの風魔法で蟲を仕留めながら二人で策を練る。
「とりあえず、いくつか魔法をぶつけてみるか」
「……風魔法は効かないようだね……」
「……水魔法も、水がただ呑み込まれていくだけだな」
「火魔法は……さすがに止めとこうか」
「浄化魔法もダメか……魔力を吸収されるだけっぽい」
「光魔法も効かないね……初級で威力が弱いせいかな?」
黒い空間に向かって、ラウル達が使える魔法を手当たり次第繰り出しているが、どれも効き目がないように思える。
二人とも闇魔法は使えないし、マキシは八咫烏で風属性が強い種族なので土魔法は苦手だ。
するとここで、ラウルが最後の手段とばかりに土魔法を繰り出した。
だが、ラウルが繰り出せるのは土の山を作るだけで、柔らかい土では首狩り蟲を食い止めることができずに土の山を突き破って出てきてしまった。
「くそッ、土ならいいかと思ったがダメか!」
「……僕、レオニスさんを探して呼んでくるよ!」
「すまんがそうしてくれ。ご主人様が来るまで、俺はここで出てきた蟲を食い止める」
「うん、なるべく急いで連れてくるから、ラウルも頑張って食い止めてて!」
「おう!」
蟲の転送装置を見つけたはいいが、自分達の力だけではどうにもすることができない。
万事休すを悟った二人は、レオニスに指示を仰ぐことにした。
マキシが空に向かって飛び立ち、ラウルはそのまま黒い空間の前で待機して首狩り蟲を狩り続ける。
ユグドラツィの危機に際し、最も最初にユグドラツィのもとに駆けつけたのがラウルとマキシだ。
二人しかいない時でも、ユグドラツィに群がる蟲を懸命に払い続けていた。
それからもう何時間が経過したか。その間ずっと飛び回っていた二人の体力は、もはや限界に近いはずだ。
だが、弱音など吐いていられないし、吐くつもりも毛頭ない。
今目の前にいるユグドラツィは、もっともっと苦しんでいる。
全身を謎の黒い炎に包まれ、無数の蟲に枝葉や幹を切り刻まれ続けているユグドラツィ。その苦痛は想像を絶する。
塗炭の苦しみに喘ぐ彼女の辛さに比べたら、この程度のこと何でもない―――
ツィちゃんを救いたい、ただただその一心でラウルもマキシも懸命に動いていた。
ユグドラツィを救うための行動が、ゆっくりとではありますが着実に実を結びつつあります。
というか、レオニスの編み出した『岩で出口を無理矢理塞いでしまえ!作戦』。本当に根っからの脳筋族ですよね!
ですが、力技だろうと何だろうと成功すりゃいいのです!




