第693話 突然の来訪者
その後レオニス達は、アレクシスの厚意によりそのまま領主邸に泊めさせてもらうことになった。
今日の宿は特にどこと決めてはおらず、冒険者ギルドの近くの宿屋にでも入るつもりだったのだが。レオニス達の宿がまだ決まっていないことを雑談の中で知ったアレクシスに「ならば、今日は是非とも皆で我が家に泊まっていってくれたまえ!」という申し出に甘えることにしたのだ。
そして『ラウルへのお土産を買う』という名目で、ハリエット達と市場に繰り出していたライトも夕暮れ頃に領主邸に戻ってきた。
晩餐も和やかに済み、食事の最後に出てきたラウル特製ザッハトルテにウォーベック一族とピースが大感激したのは言うまでもない。
食後の歓談時に、アレクシスがレオニスに『レオニス君!次に手土産を持ってきてくれるなら、是非ともまたあのザッハトルテでよろしく頼む!』と真剣に迫ったほどだ。
広々とした風呂もいただき、客人用の部屋でそれぞれが私服に着替えてゆっくりと過ごす。
アレクシスからは全員個別に部屋を用意すると言われたのだが、さすがに三部屋も用意させるのは申し訳ないので遠慮しておいた。
通された部屋は、五つのベッドがあってもなおゆったりとした空間がある。きっと大人数の家族を迎え入れるための部屋なのだろう。
五つのベッドのうち、一番外に近い窓側のベッドにレオニス、その横にピース、最も部屋の中央のベッドにライトが寝ることになった。
ダブルサイズの大きなベッドに、ふっくらと柔らかいマットと布団にキャッホーイ!と叫びつつボフン!とダイビングするライトとピース。
見た目子供のライトはともかく、ピースは魔術師ギルドマスターをするくらいだから結構いい歳のはずなのだが。しかし、彼の師匠であるフェネセンも子供っぽい性格をしているので、その弟子が師匠に似るのもある意味仕方ないことか。
ふかふかのベッドに寝そべりながら、今三人で日の出来事を振り返ったり明日の予定を話し合う。
「明日はどこをどう歩く?」
「ンー、ラウルに頼まれたパイア肉100kgはライトに買ってきてもらったし、たまにはのんびりと観光してもいいかもなー」
「あ、そしたらラグナロッツァに帰る直前でいいから、魔術師ギルドのプロステス支部に寄り道していい? プロステス領主様の話してた熱晶石生成装置の増減について、現地の皆に伝えておきたいんだー」
「ああ、あの話か。いいぞ、確かに早急に伝えておく必要があるしな」
そんな話を三人がのんびりとしていた、その時。
窓の外から、コツン、という音がした。
「「「…………???」」」
こんな夜も更けた頃に、窓を鳴らす音。
ライトだけは不思議そうな顔をしていたが、レオニスとピースの顔が一気に険しくなる。
三人とも無言のまま窓の方をじっと見つめていると、再びコツン、と小さな音が鳴った。
これは確実に、窓の外に何かがいる。
ベッドの縁に座っていたレオニスが静かに立ち上がり、足音一つ立てずに窓に近づいていく。
その間ピースは部屋の照明になっている光魔法のランタンの灯りを全て消して、ライトの傍に寄り添う。もし万が一何かが起きた時に、ライトの身を守るためだ。
そしてレオニスは窓の取っ手に手をかけて、静かに窓を開けた。
外を見回しても、ぱっと見誰もいない。
月明かりだけが煌々と夜空を照らす中、レオニスは全神経を集中して感覚を研ぎ澄ませる。
辺りに殺意や悪意を含む不穏な気配は感じられない。だが、窓に何らかの存在が潜んでいる以上、警戒を緩める訳にはいかない。
昼間の蒸し暑い熱気がほんのりと残る空気が、窓から部屋に流れ込んでくる。
するとその温かい空気とともに、部屋の中に何かが飛び込んできた。
思わずレオニスが叫ぶ。
「誰だ!」
窓から飛び込んできたその何かは、真っ直ぐ進んでライトの顔面にピタッ!と張り付いた。
「おわッ!」
「ライっち!」
ライトの小さな叫び声に、横にいたピースが慌ててランタンの灯りを一つだけ点けた。一体何が飛び込んできたのかを確認するためだ。
薄明るい中、その何かはライトの顔から離れて灯りから隠れるように、ササッ!とライトの背後に回る。
ライトの背中に隠れたのは、闇の精霊だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
闇の精霊とは文字通り闇の女王の眷族で、見た目は闇の女王が縮んで幼女化したような姿をしている。
今部屋に飛び込んできたのはレオニスの手くらいの大きさで、約20cmといったところか。
ここで一つ、サイサクス世界の精霊について解説しよう。
闇属性に限らず全ての精霊にはランクがあって、10cm未満の精霊は下級精霊、20cmくらいだと中級精霊、30cmを超えると上級精霊であるとされている。
普段は暗黒の洞窟に潜んでいて、外が夜の間はどこにでも移動することができるが、上級精霊にもなれば日中でも人や建物の影の中を自由に移動することができるようになるという。
今ライトの背中にくっついているのは、20cmくらいの背丈がある。なので、中級の闇の精霊なのだろう。
人影に隠れることはできても、影の中に溶け込むことはまだできないので、人や物の後ろに隠れるしかない、という訳だ。
闇の精霊の姿を確認したレオニスは、厳戒態勢のピースに向かって声をかけた。
「ピース、これは闇の精霊だ。無闇に襲ってくる危険性はないから、ランタンの灯りを消してやってくれ」
「…………分かった」
レオニスの要請をピースは承諾し、すぐにランタンの灯りを消した。レオニスが安全だと言えば、それは間違いなく安全なのだ。
ランタンを消した部屋の中に、再び暗闇が戻る。
ライトの背に隠れていた闇の精霊に向かって、レオニスが静かに話しかけた。
「闇の精霊じゃないか。こんなところに来てどうした? 俺達に何か伝えたいことでもあるのか?」
辺りが再び暗くなったことに安心したのか、闇の精霊がライトの背中からヒョコッ、と前に出てきた。
そしてレオニスの言葉に、闇の精霊はコクリと頷きながら言葉を発し始めた。
『森ノ中、オカシイ』
「……森がおかしい? カタポレンの森のことか?」
『ソウ。私達ガ、イツモ住ンデイル、アノ森』
「暗黒の洞窟の中じゃなくて、か?」
『違ウ。森ノ中、全体ニ、変ナ空気ガ、漂ッテイル』
「変な空気……?」
『闇ノ女王ガ、レオニスニ、ソウ伝エロ、ト』
「………………」
闇の精霊の話に、レオニスはしばし考え込む。
闇の精霊が話したことは、闇の女王からレオニスへの言伝だと言う。
レオニスはかつて、暗黒神殿を訪ねた時に『もし何か異変が起きたり襲撃されたら、夜中に闇の精霊でも飛ばして俺に知らせてくれ』と闇の女王に伝えておいた。
しかし、今目の前にいる闇の精霊は、暗黒の洞窟ではなくカタポレンの森そのものに変な空気が漂っている、と言う。
もしかしたら自分が不在の間に、カタポレンの森の中で異変が起きているのかもしれない。
レオニスの胸中に、言い知れぬ強烈な不安が沸き起こる。
その不安を掻き消すには、今すぐカタポレンの森に帰ってその変な空気の正体を確かめなければならない。
レオニスは急いで空間魔法陣を開き、部屋着を脱いで着替え始める。
深紅のロングジャケット他、レオニスの戦闘用標準装備にテキパキと着替えながら、ライトとピースに話しかける。
「俺は今すぐカタポレンの森に戻る。ライトはここで留守番しててくれ」
「嫌だ!ぼくもいっしょに行く!」
「駄目だ。どんな危険が潜んでるか分からんからな」
「留守番なんて絶対に嫌だ!カタポレンの森はぼくの故郷だ!」
「………………」
ライトもレオニスと会話をしながら、枕元に置いてあった明日の服を急ぎ着替えている。このままレオニスに同行して、いっしょに帰る気満々である。
いつもなら察しも良いし、きちんと聞き分けのできるライト。
だが、カタポレンの森に何らかの異変が起きていると聞いては、このまま黙ってはいられない。他の街でおとなしく留守番なんて、論外もいいところだ。
赤ん坊の頃からずっとレオニスと二人で過ごしてきたカタポレンの森は、ライトにとって掛け替えのない故郷なのだ。
そんなライトの強い決意が、レオニスに伝わらない訳がない。
だいたい着替え終わったレオニスが、ライトに向けて語りかける。
「……いいだろう。ただし、森に戻った様子次第ではカタポレンの家の中に留まることを、今ここで約束してくれ。でないと俺はお前を連れては行けん。今すぐに無理矢理気絶させてでも、ここに留まってもらう」
「……分かった」
レオニスの要求に、ライトはおとなしく頷く。
ここで駄々をこねて無理矢理置いていかれるよりは、森の家での留守番であってもカタポレンに連れていってもらう方がマシだからだ。
とりあえず、ライトとともにカタポレンの森に戻ることにしたレオニス。
今度はピースに向かって声をかけた。
「すまんがピース、ライトとともにアレクシス侯爵に事情を説明してきてくれるか。俺は一足先にここを出て、ラグナロッツァの屋敷に戻ってラウルと合流する。アレクシス侯爵への説明が終わったら、ピースはライトを連れてカタポレンにある俺の家に転移門で移動してくれ」
「分かった!レオちんも気をつけて!」
レオニスはそう言うと、正面玄関まで移動する手間も惜しいのか窓を開けて外に飛び出していく。
そしてライトとピースもまた、窓から飛び出していったレオニスと反対側にある部屋の入口に向かって駆け出していった。
あら? 平和な空気が一転、何か事件の臭いがします。
そんな不穏な空気の中、初めて属性の女王以外の通常状態の精霊が出てきました。
闇の精霊が片仮名の片言状態なのは、シュマルリ山脈の中位ドラゴン達と同じような位置付けだからです。
精霊もドラゴン同様、下級の頃はほとんど会話できず、中級になると片言で話せるようになり、上級になると滑らかな言葉遣いができるようになります。
中級精霊の『はじめてのおつかい』が異変の知らせとは、何とも穏やかではないですが。カタポレンの森の状況や如何に———




