第679話 残酷な真実
ライト達と分かれたレオニスは、すぐにその足で冒険者ギルドエンデアン支部に向かった。
建物の中に入ると、人の数も疎らで冒険者の出入りがかなり減っているのがレオニスの目にも分かる。
レオニスはエンデアンの冒険者ではないが、それでもこの街にはたくさんの冒険者がいて、夕方近くになると依頼達成した冒険者達の報告の列でかなり混雑することは知っている。
それがこんなにも閑散としていることに、レオニスは驚きを隠せない。やはりディープシーサーペントの度重なる襲来の影響が、既に色濃く出始めてるのかもしれないーーーレオニスはそんなことを考えながら、早速クレエがいる受付窓口に出向いた。
「よう、クレエ」
「あッ、レオニスさん!おかえりなさいませー!」
「おう、ただいま」
レオニスの顔を見たクレエが、それはもう満面の笑みでレオニスを迎える。
レオニスが無事戻ってきたということは、今朝クレエが依頼した海の女王への伝言もちゃんと届いているという証だ。故にクレエが花咲く笑顔でレオニスを出迎えるのも当然である。
だが、クレエはしばしキョロキョロと周囲を見回し、不思議そうな顔でレオニスに尋ねる。
「……あら? ラウルさんやライト君は、ご一緒でのお帰りではないので?」
「ああ、ライト達はまだ海鮮市場に用事があるらしくてな。俺だけ先にこっちに戻って、海底神殿関連の報告をしに来たんだ」
「そうなんですかぁ。ではレオニスさんのご報告を聞いた後に、ラウルさんの依頼達成処理ですかね」
「手間かけさせてすまんな」
「手間だなんてとんでもない!レオニスさんやラウルさんには、本当にお世話になってますぅー」
クレエとしては、レオニスは行きは三人で来たはずなのに、戻ってきたのがレオニス一人だけだったのが不思議だったようだ。
レオニスからその理由を聞いて、納得しているクレエ。いっしょの帰還でないことに謝るレオニスに、クレエは慌てて礼を言う。
そして一刻も早くレオニスの報告を聞きたいクレエが、受付窓口の席を立ちつつレオニスに話しかける。
「さて……では早速ですが、奥の事務室にてご報告をお伺いいたしましょうか」
「あー……できれば奥の事務室じゃなくて、まずはクレエと二人きりで話せる部屋はないか?」
「ン? 他の人の目のないところで話したい、ということですか?」
「ああ。もちろん報告そのものは上に上げなきゃならんだろうが、まずはクレエに先に聞いてもらいたい」
奥の事務室に行こうというクレエに、レオニスは別の部屋で二人きりで話したいという。
普段この手の報告は、他の職員や上司とも共有しなければならないため、奥の事務室にて複数人で聞くことになっている。
レオニスの異例の要望に、クレエは小首を傾げながら不思議そうにしていた。
「??? ……何だかよく分かりませんが、そしたら会議室に行きましょうか。今の時間なら、会議室は誰も使っていないはずですし」
「無理言ってすまんな」
「いえいえ、この程度のこと無理のうちにも入りませんよ。レオニスさんがそうしたいと仰るならば、それだけの理由がきちんとおありなのでしょうし」
「そう言ってもらえるとありがたい」
クレエが先頭に立ち、二階の会議室まで案内しつつ二人で移動していく。
レオニスの要望を不思議に思いつつも、特に抵抗したり否定しないのは、クレエもまた長姉のクレエ同様レオニスに対して全幅の信頼を置いているからだ。
クレア十二姉妹の信頼に、レオニスは内心でありがたく思う。
そして二人は、誰もいない会議室に入っていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
静まり返る会議室。部屋の一番隅の席にレオニスが座る。
しばらくしてクレエが二人分のお茶をトレイに乗せて持ってきた。
「お待たせしましたぁー」
「気を遣わせてすまんな」
「いえいえ、ちょうど私も三時のお茶したかったところですのでー」
二人分のティーカップをテーブルに置いてから、テーブルの角同士で座るクレエ。
ほっと一息つきつつ、お茶を一口二口啜ってから本題に入る。
「さて、ではそろそろご報告を聞かせていただけますか?」
「ああ。まずクレエから頼まれた伝言、『デッちゃんを何とかしてくれ!』ってのは、ちゃんと海の女王に伝えた」
「そうですか!ありがとうございますぅー!」
レオニスの一番最初の報告に歓喜するクレエ。
「これですぐにどうこうなるとは思っていませんが……それでも、これで少しはデッちゃんの襲来が収まってくれるといいですぅ」
「あー、そのことなんだがな……おそらくだが、当分はディープシーサーペントはここには来ないと思う。俺がディープシーサーペントに直接伝えたから」
「え?? デッちゃんに直接、ですか??」
レオニスの言葉に、思わずオウム返しで聞き返すクレエ。
確かにそう言われても、すぐには理解できないのが実情だろう。ディープシーサーペントのデッちゃんと直接会話するとか、常人には到底想像もつかないことなのだから。
「実はとある方法で、ディープシーサーペントの言葉を聞き取れるようになってな。まぁこれは秘密のアイテムを使用してのことなので、そこら辺は深く追及しないでくれると助かる」
「はぁ、秘密のアイテム、ですか……まぁ、レオニスさんが聞くなと仰るのならば、それに従いますが……とにかくレオニスさんは、ディープシーサーペントと直接会話ができるようになった、ということでよろしいのですよね?」
「ああ、そういうことだ」
レオニスとしても、アクアがもたらしてくれた『水神の鱗』のことはなるべくならば伏せておきたい。そんな貴重なものを採取及び入手できる、ということを広く知られたら、厄介事にしかならない予感しかしないからだ。
そしてそれは、レオニス一人で力を独占したいが為の画策ではない。『水神の鱗』という貴重なアイテムをもたらしてくれたアクアに迷惑がかかることを恐れたためである。
クレエにはそんな理由を知る由もないが、とりあえずレオニスの要望には従っておく。
彼女にとって、数多いる冒険者の中で最強の力を持つレオニスのすることに、いちいち疑いをかけるなど決してあり得ないのだ。
「しっかし、レオニスさんには毎回驚かされますねぇ。海底神殿に出向き、海の女王に謁見するだけでなく、その守護神たるデッちゃんとも意思疎通を図れるまでになるとは……もはや人族卒業待ったなしなのでは?」
「ぃゃぃゃぃゃぃゃ……俺は生涯人族として生きて、人族のまま生を終える予定だからな?」
「またまたぁ、金剛級冒険者ともあろうお人が何を寝言吐いてるんです? 寝言は寝て言うものですよ? 私を含めて普通の人間というのは、デッちゃんと会話するなんて絶対に無理ですからね? そんな芸当、生涯どころか何度輪廻転生を繰り返してもまず達成できませんからね?」
「ぐぬぬぬぬ……」
久々の『寝言は寝て言え』アタックに、レオニスもまた久々にぐぬぬとなる。
しかし、こんな軽口を叩けるようになっただけでもマシというものだ。久々に会った今日のクレエは、そんな気力すらない程に憔悴しきっていたのだから。
それに、クレエの言うことは実に尤もなものである。常人はディープシーサーペントと会話する以前に、海底神殿に到達することすら困難を極めるものなのだ。
「しかし、そうすると……もしかして、デッちゃんがここに襲来してくる理由も聞けたりしましたか?」
「ああ、ちゃんと聞いてきた」
「ッ!!……ぜ、是非その理由をお聞かせ願えますか……?」
事も無げに答えたレオニスに、クレエは思わず息を呑む。
ディープシーサーペントと意思疎通を図れるということは、それまで人族が全く分からなかった襲来頻度の上昇理由も問い質せる、ということだ。
もしかしたら、レオニスがそれを聞いてきてくれたのではないか―――クレエが抱いたその淡い期待を、裏切ることなく応えてくれたことにクレエの瞳はキラキラと輝く。
期待に満ちたクレエの眼差しを受けて、レオニスは徐に口を開いた。
「まず先に断っておくが。これは当のディープシーサーペントの口から聞いたことだから、これは俺の妄想だとか誇大解釈じゃないからな?」
「もちろん理解しておりますぅ。レオニスさんは当代随一の実力者であり、調査結果等に関しては客観的かつ俯瞰的に捉えて正確な報告をしてくださることに定評がありますからね!」
「クレエ、お前ね……そこを強調するか……」
クレエが弾む声で強調したその箇所。それは裏を返せば『調査結果以外に関しては信用イマイチ』ということに他ならない。
特にレオニスの自己評価は時々おかしい時があるので、それのことを指しているのだろう。
久々の『寝言は寝て言え』アタックに続き、二連続コンボを食らったレオニスはがっくりと項垂れる。
そしてクレエはそんなレオニスの様子に構うことなく、話の続きを催促する。
「して、デッちゃんは何と言っておられたのですか?」
「……クレエ、理由を聞いても気を確かに持てよ?」
「はい。冒険者ギルドの受付嬢たるもの、常に冷静沈着でなければ務まりませんからね!」
「……デッちゃんがエンデアンに足繁く来てたのはな……」
クレエに相応の覚悟を促すレオニスに、クレエは胸を張りつつ応える。
冒険者ギルドの受付嬢歴᙭年のクレエ、己の仕事に対する熱意だけは誰にも負けない自信がある。
しかし、次の瞬間レオニスの口から彼女の誇りを打ち砕く無情な言葉が放たれる。
「クレエ、お前が原因だ」
「……………………は?????」
レオニスの言葉に、クレエは固まった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ディープシーサーペントの話によるとな、クレエ……お前に会いたさに、奴はエンデアンに来てたんだと」
「…………」
「奴が言うには『人里に、気に入った人族が一人いる』ってことでな。それに会いたくて、ちょくちょく人里を訪れていた、と」
「…………」
「で、だ。その人族が誰かを特定するために、その人物の特徴を聞いたんだ。そしたらよ……」
「…………」
「『全身淡い紫色をした、可愛いお姉さん!』って答えが返ってきたんだ」
「…………」
淡々と事実を述べるレオニスに、クレエは固まったまま動けない。文字通り石にでもなったかのような固まりっぷりだ。
そんなクレエに、レオニスが一息ついてから改めて問いかけた。
「俺も、その話を聞いた時には耳を疑ったが……『全身淡い紫色をした、可愛いお姉さん』ってのに当て嵌る人物に、俺も心当たりがあってな。とりあえず十二人ほど思い当たる人物がいるんだが」
「…………」
「その十二人の中で、ここエンデアンにいる人物と言えば―――クレエ、お前も分かるよな?」
「…………」
「というか、お前以外にこのエンデアンに淡紫色の可愛いお姉さんって、他にいるか? もし万が一いるんだったら、その人物も一応ディープシーサーペントのお気に入り候補ということになるが」
「…………」
レオニスの語る客観的かつ俯瞰的な事実の羅列に、クレエの顔がどんどん青褪めていく。
その顔色の悪さは青褪めるを通り越し、もはやラベンダー色になりかけている。
顔色が悪くなるだけでなく、一見華奢に見えるその身体は小刻みに震え、その小刻みもだんだん大きくなりガタガタと全身震え出した。
クレエのつぶらな瞳は極限まで見開かれ、震える両手で必死に己の口を押さえながら、混乱する頭を整理しようと懸命に言葉を紡ぐ。
「……ちょ、ちょっと……ちょっと、待って、ください……」
「うん」
「そ、そしたら……何ですか? ここ最近の、エンデアンを、襲ってきていた、デッちゃんは……私が目当て、だったんです、か……?」
「ああ、ディープシーサーペントはそう言っていたな」
「じゃあ……じゃあ……エンデアンを、存続の危機に、陥れて、いたのは……私が原因……ということ、なんですか……?」
「……残念だが、そういうことになる」
「…………ッ…………」
それまで辿々しい口調だったクレエの言葉が、ついに途切れる。
あまりにも衝撃的で残酷な事実を知ったクレエは、その場で卒倒してしまった。
「あッ、おい、クレエ、クレエ!」
椅子の背凭れに反っくり返ってしまったクレエに、レオニスが慌てて席を立ち駆け寄る。
失神して全身の力が抜けきってしまったクレエの身体が、椅子の横にずり落ちそうになるのをレオニスが咄嗟に受け止める。
だらりと下がった両腕に、頭もがくりと倒れてレオニスの腕に凭れかかる。
気絶して閉じられた瞳の眦には限界まで涙が溜まり、レオニスの腕の中でほろり……と大粒の雫となって零れ落ちた。
ついにクレエがデッちゃんの襲来理由の真実を知る時です。
ぃゃー、こんなん聞いたら普通にショックですよねぇ。宿敵の魔物が頻繁に襲いかかってきてて、もはや存続の危機とまで危惧していたその原因が、実は自分にあった———そんなん知ったら、普通の人間なら自責の念で潰れてしまいますよね。
如何に普段から鋼鉄の精神を誇るクレア十二姉妹であろうとも、さすがにこれはショックが大き過ぎてすぐには受け止めきれないでしょう。
真実を知って気絶してしまったクレエ。果たして彼女の行く末は如何に———




