第676話 アクアの機転
レオニスとの話し合いの末、人里を訪問?しないことを誓ったディープシーサーペント。
しょんぼりと項垂れるディープシーサーペントに、水の女王が初めて声をかける。
『デッちゃん、初めまして、こんにちは。私は水の女王、海の女王ちゃんのお姉ちゃんで、今日はアクア様といっしょにここに来たの』
『……初めまして……』
『デッちゃんはとても良い子ね。レオニスや海の女王ちゃんの言うことを聞けて、何てお利口さんなのかしら!』
『ええ……うちのデッちゃんはちょっとだけやんちゃ坊主だけど、本当はとても心優しい蛇龍神なんですよ。ねぇ、デッちゃん?』
『うん……』
『水の姉様にも褒めてもらえて良かったわね!』
『うん……』
『……デッちゃん……』
水の姉妹が懸命にディープシーサーペントを褒めるも、当のディープシーサーペントは生返事ばかりでずっと俯いている。やはり人族との接触禁止を言い渡されたことが、かなりショックなようだ。
しおしおと萎れるディープシーサーペントを見かねた水の女王、小声でレオニスに話しかける。
『……ねぇ、レオニス、何とかならないの? あれじゃデッちゃんが可哀想過ぎるわ』
「ンーーー、んなこと言われてもなぁ……これまでの人族側の被害が甚大過ぎて、とてもじゃないがエンデアン側に和解しろとは安易に言えん。何しろエンデアンとディープシーサーペントの間には、数百年にも及ぶ戦いと因縁の歴史があるからなぁ」
『そうなの……それはさすがに簡単には和解できそうにないわね……』
「俺はエンデアンの住民じゃないし、ディープシーサーペントとは一回戦ったきりでさほど因縁もないから、何とかできるものならしてやりたいとは思うんだがな……」
水の女王の嘆願に、レオニスは渋い顔をしながら否定的な意見を述べる。
港湾都市エンデアンとディープシーサーペントとの戦いは、分かっているだけで何百年と続く、ある意味歴史的な宿敵だ。それ程に長く戦ってきた者と、昨日の今日でさぁ和解しろと言っても無理である。
いくらディープシーサーペント側に悪意はなかったと言っても、長らくその脅威に晒され続けてきたエンデアンの人々にとっては到底受け入れられないであろうことは明白だ。
ここでライトが、レオニスにだけ聞こえるように小声で話しかける。
「うーーーん……レオ兄ちゃん、今の話し合いの結果報告のついでにさ、クレエさんに相談してみてもいいんじゃないかな?」
「クレエに、か?」
「うん。だってデッちゃんはさ、昔はどうだったか知らないけど、ここ最近はクレエさんに会いたくてエンデアンに行ってた訳でしょ? だったらクレエさん本人の了承さえもらえれば、デッちゃんと引き合わせることも可能じゃない?」
「そうだな……とりあえずクレエに相談するだけしてみるか」
これまでのクレエの話しぶりからして、クレエもディープシーサーペントのことを厄介者と思っていることは間違いない。
だが、せめてディープシーサーペントには人族を襲って危害を加えるつもりはなかったことだけは伝えてやりたい。
そうすれば、クレエの態度も軟化するかもしれない。
だが、もしクレエにディープシーサーペントとの対面を持ちかけて拒否された場合、ディープシーサーペントを糠喜びさせることになる。
なので、ディープシーサーペントにはクレエに相談することは伝えずにおく。兎にも角にも、まずはクレエの意思確認が先決である。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
水の姉妹達の励ましも届かず、二人とももはやどうしていいか分からず二の句が継げない。
ただただ沈痛な空気が流れ続ける中、未だにしょんぼりとしているディープシーサーペントに、守護神仲間であるアクアが心配そうに声をかけた。
『デッちゃん、元気を出して。明るくていつも前向きな君には、そんなしょんぼりとした姿は似合わないよ』
『うん……』
『そうだ、そしたら今度、僕の住む目覚めの湖に遊びに来ないかい?』
『……目覚めの、湖……?』
アクアは何を思ったか、自分の住処である目覚めの湖にディープシーサーペントを招待し始めた。
アクアからの思いがけない提案に、それまでずっと俯いていたディープシーサーペントが初めてその頭をゆっくりと上げた。
『そう、目覚めの湖。デッちゃんはいつも世界中の海を旅してるだろうけど、湖には行った事はあるかい?』
『……なぁい……てゆか、ミズウミって、ナぁニ? 海とは違うの?』
『湖というのはね、陸地にある大きな水溜まりだよ。海ではなくて、陸の中にあるんだ。海ほど広大ではないけれど、それでも目覚めの湖は陸地にある湖の中ではかなり広くて、とっても大きな湖なんだ!』
湖を知らないディープシーサーペントに、アクアが丁寧に解説する。
ディープシーサーペントは海底神殿生まれなので、陸地にある水場のことは全く知らないのだ。
初めて聞く湖という未知の存在に、ディープシーサーペントの目は次第に輝きを取り戻していく。
『大きな、水溜まり……? ……ボクちん、陸の奥になんてほとんど入ったことないから、そんなの全然知らないや……』
『そうだろうとも。海の広大さを知る君からすれば、湖なんてちっぽけなものに思えるかもしれない。だけど、そんなちっぽけなところにだって、たくさんの生き物がいるんだよ』
『……そうだね……ボクちん、海なら世界中の隅々まで探検した自信はあるけど……陸の中の水溜まりは一度も行ったことがないから、見てみたい!』
探検心を絶妙にくすぐるアクアの巧みな言葉に、ディープシーサーペントは頬を紅潮させてどんどん興奮していく。
ディープシーサーペントがこの世に生を受けてから、早数百年。それからずっと、彼は世界中の海という海を泳ぎ続けてきた。
だが、そんなディープシーサーペントでも海以外の水場は全く知らない。如何に海の覇者であろうとも、全ての水場を知り尽くしたとは到底言えないのだ。
『そうだろうとも。この世界には、デッちゃんでも知らないことが、まだまだたくさんあるんだよ。それを是非とも君自身の目で確かめようじゃないか!』
『……うん!ボクちん、アクア君のおうちに遊びに行きたぁーい!』
先程まで絶望に打ちひしがれていた、悲しい蛇龍神の姿はもうそこにはない。
まだ見ぬ水場に思いを馳せ、目をキラキラと輝かせる活き活きとしたやんちゃ坊主がそこにいた。
するとここで、アクアがはたととあることに気づき、水の女王達に向かって声をかける。
『あ、そうだ、水の女王の了承取ってないや。ねぇ、デッちゃんが目覚めの湖に遊びに来てもいいよね?』
『もちろんよ!アクア様のお友達ですもの、是非とも遊びにいらしていただきたいわ!』
『ありがとう。海の女王も、デッちゃんが僕のうちに遊びに来ることを許してくれる?』
『許すも何も、拒否する理由などございません。むしろ感謝しております。我がデッちゃんのために御心を砕いてくださったこと、心より御礼申し上げます……』
アクアの確認に、水の姉妹達は一も二もなく了承する。
水の女王はニコニコ笑顔で喜んでいるし、海の女王に至っては藍色の瞳を潤ませている。
何とか元気を取り戻したディープシーサーペントの姿を見て、ライトとレオニスも心から安堵していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……さ、俺達もそろそろエンデアンに戻るか」
「そうだね、水の女王様も無事海の女王様に会えたしね!」
本日の三つの用件全てを無事伝え終えたライト達。
ディープシーサーペントの様子も何とかなりそうなところまで見届けたので、人里に戻る旨を水の姉妹達に告げる。
それを受けて、水の女王も帰宅する決意をした。
『そしたら、私達もそろそろ目覚めの湖に戻りましょうか』
『うん。水の女王、体調はどう? どこかおかしなところはない?』
『大丈夫!でも、私にとって初めての海だから、早めにおうちに帰らないとね』
『そうだね、その方が安心だものね。そしたらウィカ、この海底神殿の場所は覚えた?』
『うん!覚えたよー!』
「「!?!?!?」」
目覚めの湖の仲間達も、帰ることに賛成している。
そして何と驚いたことに、ライトとレオニスの耳にもウィカの言葉が人語として聞こえるようになっているではないか。
これは、水の精霊の上位種である水神の鱗を飲み込んだ効果の副産物である。
驚いたライトは、思わずウィカのもとに駆け寄り抱っこする。
「ウィカ!ウィカの言葉が分かるよ!」
『そなのー? ……ああ、アクア君の鱗のおかげだね!』
「今までは何となく分かるだけで、きちんと会話できてなかったけど……これからはいっぱいお話できるね!」
『そうだね!僕も主様とお話できるなんて、嬉しいな!』
糸目笑顔でともに喜ぶウィカだが、ここでライトが慌ててウィカの口を塞ぐ。
そして慌てふためきつつも、こっそりとウィカの耳に小声で囁く。
「ちょ、ウィカ!ぼくのこと主様なんて呼ばないで!」
『もごごごご』
「レオ兄ちゃんは、ウィカがぼくの使い魔ってこと知らないんだ!だからぼくのことは、これからは『ライト君』って呼んでねッ!?」
『もごもご』
必死の形相で迫るライトに、ウィカも糸目を丸くしてコクコクと頷く。普段糸目のウィカの目がまん丸になるとは、何とも珍しいこともあるものだ。
だが、ライトにとっては割と本気で死活問題だったりする。
ライトはレオニスに、ウィカのことを『目覚めの湖で出会った友達』と説明してあるのだ。
友達のはずのウィカが、ライトのことを『主様』と呼ぶなど胡散臭いことこの上ない。それをレオニスが聞いたら、不審に思ってライトを追及することは必至だ。
ウィカはBCOのコンテンツ、使い魔システムによってライトが手に入れた力の一つであり、BCOにまつわる事柄は絶対に隠し通さねばならないのだ。
絶対にこんなところでレオニスにライト達の主従関係を知られる訳にはいかないのである。
幸いにして今レオニスは、アクアに話しかけている最中でライト達の会話を聞いていない。
「アクアの鱗って、ホントすげーな!ウィカの声まで聞こえるようになったぜ!」『まぁね♪』などとのんびりとした会話をしている。
ライトが喜び勇んでウィカを抱っこしに向かったので、その邪魔をせぬよう自分はアクアの方に喜びを伝えにいった、レオニスの気遣いが図らずも良い方向に作用したようだ。
そして水の姉妹達も、別れの挨拶を交わす。
『水の姉様、今日はお会いできて本当に嬉しかったです』
『私もよ!次はデッちゃんとともに、貴女も目覚めの湖に遊びに来てね!』
『はい。海を統べる私が、果たして陸の湖に行けるものかどうかは分かりませんが……』
『大丈夫!海の女王ちゃんのために、美味しいお塩をたくさん用意しておくわ!』
『そういう問題かどうかも分かりませんが……』
アクアの誘いで、目覚めの湖に遊びに来る約束をしたディープシーサーペントとともに、海の女王にもいっしょに来るよう誘う水の女王。
せっかくならディープシーサーペントといっしょに来てほしい、という彼女の気持ちも分からんではないが。
実際のところ海水に住む海の女王が、淡水湖である目覚めの湖に遊びに行って無事なのかどうかは全く分からない。
ただ、水の女王がこうして海の中で過ごせるのだから、海の女王も短時間なら大丈夫なのでは?とも思えてくる。
『デッちゃん、僕達の方でお客様をお迎えする準備ができたら、またここに君達を迎えに来るよ』
『うん!すっごく楽しみに待ってるよ!』
『でも、そのためにはデッちゃんもなるべくこの海底神殿の近くににいてね? 君達を迎えに来た時に、肝心のデッちゃんが遠くにお出かけしちゃってたら、目覚めの湖に来てもらえないからね』
『うん!遠くに行かない!ボクちん、この近くで遊んでることにする!』
アクア達も、次の再会に向けていろいろと話をしているようだ。
アクア達にはウィカという水中移動ナビゲーターがいるが、ディープシーサーペント側にはそういった存在は今のところいない。
なので、ディープシーサーペント達を目覚めの湖に招待するには、アクア達が海底神殿まで迎えに行かねばならないのだ。
その時に、もしディープシーサーペントが遠くの海をほっつき泳いでいたら無駄足になってしまう。そうならないために、アクアはちゃんとディープシーサーペントに言い含めているのだ。
全員が別れの挨拶を済ませた後、レオニスが海の女王達に向けて最後の挨拶をする。
「何だかんだで、今日もいろいろとあったが……また会おう」
『ええ。貴方達には本当にいろいろと世話になったわ。……デッちゃんの尻尾のこともね』
「うぐッ」
先程判明した、ディープシーサーペントとレオニスの因縁に触れる海の女王。
過去にディープシーサーペントの尻尾を斬り落とした真犯人であるレオニスは、思わず言葉に詰まる。
だが、そんなレオニスの様子を見ながら海の女王がクスクスと笑う。
『……ふふっ、冗談よ。それはもう過ぎたこと、海の水に流しましょう。それに、何より今日はそれ以上の恩をもらったわ。水の姉様だけでなく、最も尊き水の御方アクア様にまで引き合わせてくれたこと……本当に感謝しているわ』
「……そうか。あんた達の役に立てたなら何よりだ」
『また会いましょう。その時まで、元気でね』
「ああ、あんた達もな」
海の女王と挨拶を交わした後、レオニスはディープシーサーペントにも「元気出せよ!」と大きな声で声援を送る。
ディープシーサーペントの方は、未だにレオニスのことを『赤い悪魔』と思っているので、レオニスの声にビクン!と怯えてすぐに海の女王の後ろに隠れてしまったが。
水の女王とウィカがアクアの背に乗り込む。
ライト達はエンデアンに戻るので、ここからはまた水の女王達とは別行動だ。
水の女王達を見送る海の女王達も、皆手を振っている。
八人の人魚達も『ライト君、またねぇー!』『無愛想君もまたねー!』とライト達を見送っている。
「じゃ、またな!」
「皆さん、さようなら!また来ますね!」
『海の女王ちゃん、またねー!』
『デッちゃん、元気でね!』
皆それぞれに再会を誓いながら、海底神殿からエンデアンと目覚めの湖にそれぞれ移動していった。
ズンドコに落ち込んでいた、ディープシーサーペントのデッちゃん。
アクアの機転により、何とか元気を取り戻すことができてほっと一安心です。
やはり、持つべきものは友ですよねぇ。といっても、両者は今日会ったばかりですが。
それでも、神殿の守護神という立場を持つ者はそう多くありません。基本的に属性の女王の御座すところにいるものなので、指折り数える程度しか存在しません。
そのせいか、たとえ出会ったばかりで共に過ごした時間などないに等しい間柄でも、何かしら共鳴する部分があるのでしょう。
デッちゃんがいつ目覚めの湖に遊びに行くのかまでは、まだ全くの未定ですが。いつか必ずそのお話も書きます!




