第675話 赤い悪魔
海の女王とディープシーサーペントのいるところに近づいていくライト達。
中でも同じ立場で興味津々なのか、アクアがライト達より一歩も二歩も先に行く。どうやらディープシーサーペントに話しかけたくてウズウズしているようだ。
一足先に海の女王達のもとについたアクア、早速ディープシーサーペントに声をかける。
ライト達はアクアの会話の邪魔にならぬよう、少し離れたところで留まりしばし様子を見ることにした。
『やぁ、ディープシーサーペントくん。初めまして』
『ンァ? チミ、誰?』
『僕の名はアクア。目覚めの湖に住む水神で、君と同じく神殿の守護神だよ』
『そうなんだー? 他の守護神に会うのなんて、ボクちん初めて!』
『僕も初めてのことだよ。他の守護神に会う機会なんて、滅多にないもんね』
アクアの方からディープシーサーペントに挨拶をし、ディープシーサーペントも温和な態度で対応している。
守護神同士の初対面は互いに好感触で、上手くいっているようだ。
海の女王がアクアに向けて、改めてディープシーサーペントを紹介する。
『アクア様、改めて紹介させていただきます。こちらは我が海底神殿の守護神であるディープシーサーペント、デッちゃんと申します』
『ボクちんの名はデッちゃん、気軽に『デッちゃん』と呼んでねーぃ!』
『そしたら皆も、これから僕のことを『アクア』って呼んでね』
『分かった!これからよろちくね!』
『こちらこそ。同じ守護神同士、仲良くしていこうね』
『うん!初めての守護神友達ができて、ボクちんうれぴー!』
『ああ、何と尊くも畏れ多い光景でしょう……』
神殿の守護神同士の意気投合に、海の女王が感激している。
そして何と驚いたことに、いつも海の女王が呼んでいる『デッちゃん』とは愛称ではなくそのままの名前、つまりは本名らしい。
一体誰がこんなダサい名前をつけたんだ?と思わなくもないが、きっとそれは頭もセンスも非常に残念な人が、ディープシーサーペントという種族名から適当かつ安易につけたに違いない。
互いの自己紹介を無事済ませた後、早速アクアが喫緊の課題を切り出した。
『ところでデッちゃん。君の身に危険が迫っていることは、海の女王から聞いたかい?』
『ンァ? 何のこと?』
『アクア様、ちょうど今それを話そうと思っていたところなのです』
アクアの問いに、ディープシーサーペントは何のことだかさっぱり分かっていないようだ。
それを受けて、海の女王がこれこれこうで、こうだからこうなのよ、とディープシーサーペントに詳しく説明していく。
『だからね、デッちゃん。しばらくは人里に近づかないでほしいの』
『えー、何でー? ボクちん何も悪いことしてないよー?』
『デッちゃんには悪いことをしてるつもりはなくても、人族にはとても迷惑なことなの』
『どうしてー?』
『それは、デッちゃんの力があまりにも強過ぎるからよ。貴方の強大な力は、普通の人族にとっては脅威でしかないの』
『ぬぅーーー……』
海の女王が分かりやすく説くも、ディープシーサーペントには不服なようだ。
するとここで、アクアがディープシーサーペントに問うた。
『そもそも君は、どうしてそんなに何度も人里に行くんだい? 何か目当てや目的でもあるのかい?』
『うん!ボクちんね、気に入った人族が一人いるの!』
『その人間に会いたくて、人里に行くのかい?』
『そう!人里に行っても、毎回会える訳じゃないんだけど。それでも最近は連続して会えてるんだ、ボクちん超うれぴー♪』
アクアの問いかけに、ニコニコ笑顔でご機嫌そうに答えるディープシーサーペント。
ディープシーサーペントが人里に出没する理由が分かれば、人族側でも何らかの対策を打てるかもしれない―――アクアはそう思って尋ねたのだが、よもやディープシーサーペントが気に入った人族がいるなどとは夢にも思わなかった。
実に意外な答えだったが、そうと分かれば話は早い。
ディープシーサーペントが気に入ったという人間を探し出して、その者をエンデアンから遠ざけるのが一番手っ取り早い。
ディープシーサーペントのお目当ての人間がいなくなれば、彼がエンデアンに出向く必要もなくなる、という寸法だ。
その人物を特定すべく、アクアはさらに質問を重ねる。
『デッちゃんのお気に入りの人間って、どんな人なの? 見てすぐ分かる特徴とかはある?』
『ンーとねぇ、全身が淡い紫色をした、とっても可愛いいお姉さん!』
「「∑…………」」
ディープシーサーペントの答えに、今少し離れたところで話を聞いていたライトとレオニスがピシッ!と固まる。
このサイサクス世界で『全身淡紫の可愛らしいお姉さん』という特徴を持つ者といえば、真っ先に思い浮かぶ一族がいる。
そしてその一族の中で、エンデアンにいる人物といえば、唯一人。
「……クレエさんのこと、かな……」
「……だろうな……」
ライトとレオニスが、ひそひそ声で互いに浮かんだ人物の答え合わせをする。
クレエは冒険者ギルドエンデアン支部の受付嬢だ。普段は受付窓口を担当しているが、人手不足の際にはクレエも現場に駆り出されることがある。
おそらくは、毎日のように襲来するディープシーサーペントへの対応に他の冒険者達の数が追いつかず、クレエも何度か襲来場所に駆けつけることがあったのだろう。
『ここ最近は連続して会えている』というディープシーサーペントの口述からも、最近のエンデアンの状況と合致する。
『デッちゃんは、その淡紫色のお姉さんと会って、どうしたいの? もしかして……食べちゃいたい!とか言う?』
『えッ!? 食べる!? そそそそんな野蛮なことしないよ!?』
『そうなの? ならいいけど』
『アクア君……チミって、可愛いいお顔してシレッとコワいこと言うねぃ……ボクちんはただ、可愛い色した可愛いお姉さんを間近で眺めていたいだけなんだよぅ』
アクアのさらなる確認の質問に、ディープシーサーペントがドン引きしている。
でもまぁ、アクアの不躾な質問も分からなくもない。巨大な魔物が人族に近づく理由は、大抵が捕食目的である。
いや、ディープシーサーペントもアクアもただの魔物ではなく、れっきとした神族なのだが。もともとレイドボスとしてデザインされていたせいか、見た目だけで言ったら海蛇も水竜も魔物と大差ないのである。
『じゃあ、そのお姉さんをお嫁さんにしたい、とか?』
『ナイナイ、それも無いー。そもそも人族って、水の中じゃ生きられないっしょ?』
『そうなんだね。じゃあ、本当にそのお姉さんを眺めたいだけなんだ』
『うん、そうだよー。だってボクちん、紳士だからね!』
エッヘン☆とばかりにふんぞり返って胸を張るディープシーサーペント。
気に入ったクレエを食べたい!とか連れ去りたい!とかいう物騒な願望などは全くなく、本当にただ眺めていたいだけのようである。
ちなみに人族を神族の嫁として迎え入れることは、決して不可能な訳ではない。
たとえ人族であっても、水属性の高位の存在から加護を得て水中で呼吸や会話ができるようになったり、アープの鱗を飲み込むことで会話すら理解できるようになる。ライトやレオニスがその良い例だ。
そしてそこまでになれば、もはや水中で暮らしていけることも十分に可能だ。
なので、ディープシーサーペントがその気になれば、クレエを攫って海中の奥深くに閉じ込めてしまうこともできるのである。
ただし、そんな要らぬ智慧をつけて焚きつけてしまっては余計にややこしいことになるので、そこら辺はアクアも黙している。
アクアはとても賢い水神なのである。
『でも、君がその人里―――エンデアンに毎日のように押しかけるせいで、そのお姉さん達が困っているらしいんだ』
『うん、それはさっきも女王たんから聞いた……』
『でね、ここからが大事なことなんだけど……あまり人族に迷惑をかけすぎると、彼らの怒りを買って反撃されるんじゃないかって話なんだ』
『……反撃??』
ディープシーサーペントがエンデアンに来る理由が判明した次は、今後の危険性をディープシーサーペントに伝えなければならない。
彼自身が危機感を持って行動を控えないと、いつ人族が反撃に出てくるか分からない。
ディープシーサーペント襲来の原因であるクレエをどこかに移動させるにしても、まずはディープシーサーペント自身に人族に遊びに行くことをやめさせるか、もしくは今よりもっと回数を減らしてもらわなけらばならないのだ。
『デッちゃんは知らないの? 僕はね、人族というのは結構怖い存在だってこと、知ってるんだ』
『ンー、ボクちんも一応は知ってるよ? 人族ってさ、基本的にちっこくて弱っちい種族だけど、たまぁーに化物みたいなのがいるんだよね!』
『そうなんだよねー。あんなちっこい身体なのに、僕が全力で追っかけても一度も捕まえられないんだもん。ホント、イヤんなっちゃうよ』
人族が実は怖い種族であることをディープシーサーペントにも伝えるために、アクアは自身の体験談を語る。
アクアが切々と語るその体験談は、言わずもがなレオニスとの追いかけっこの話である。
伏し目がちの顔で、ふぅ……とため息をつくアクアに、ディープシーサーペントもまた自身の体験談を笑いながら語る。
『アハハー、そなのー? ぃゃー、ボクちんも前に人族に尻尾をちょん切られたことがあってさ? あん時はすんげー痛くて怖くてさー、マジで尻尾巻いて逃げちゃったよ!』
『ディープシーサーペントの君の尻尾を切るなんて、またとんでもない人間がいたもんだね』
『ホンット、ボクちんもあん時は参ったよー。そのとんでもない人間ってのはね、赤い服を来て大きな剣を持ってて……そうそう、ちょうどあんなようなヤツでさ…………』
尻尾を切られた時の恐怖の記憶が蘇ったのか、自身の尻尾をくるくると巻きつつブルッ!と震えるディープシーサーペント。
その化物の特徴を話していた時に、ふとディープシーサーペントの視界に赤い色が映る。
『………………』
「………………」
ディープシーサーペントとレオニスの目線がガッツリとかち合い、しばし沈黙が流れる。
それまで笑っていたディープシーサーペントの顔が思いっきり固まり、完全に思考停止に陥っている。
今でもディープシーサーペントの脳裏に焼きついている、エンデアンで出食わした赤い悪魔の如き恐ろしい人間―――レオニス・フィアが、そこに立っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『!!!!!』
『ン? デッちゃん、どうしたの?』
『ぁぁぁぁ……あ、赤い悪魔が、どどどどうしてここにッ!?』
『赤い悪魔??』
赤い悪魔がそこにいることに気づいたディープシーサーペントが、瞬時にズザザザザッ!と勢いよく後ろに後退る。
赤い悪魔と言われても、アクアには何のことかさっぱり分からないので小首を傾げるばかりだ。
『女王たん!何でアレがここにいるのッ!?』
『アレとは、レオニスのことですか?』
『悪魔の名前なんて知らないけど、あの赤いの着たヤツ!アイツ、前にボクちんの尻尾を切ったヤツだよぅ!』
『あらまぁ、そうだったの?』
海の女王の後ろに隠れるようにして、プルプルと戦慄きつつ涙目で訴えるディープシーサーペント。
ライトより少し背が高いくらいの海の女王の背中に隠れたところで、その巨体が隠れようはずもないのだが。
それはともかくとして、ディープシーサーペントの絶叫により、数年前に彼の尻尾を斬り落としたのがレオニスであることが皆にバレてしまった。
『でも、その時のことはデッちゃんも悪いんでしょう? いつもより奥深くまで上っていったって聞いてるわよ?』
『そりゃ、あん時は久しぶりに人里に遊びに行ったから、つい嬉しくてはしゃいじゃったけど……それでも、すっごく痛かったんだから!ぴええええん!』
『まぁ、そのことについてはまた後でレオニスとも話すけど……』
涙目どころか本気で泣き出すディープシーサーペント。
海の女王はディープシーサーペントを懸命に宥めつつ、レオニスの方をちろりと見遣る。
レオニスはディープシーサーペントが自分のことを覚えていたことを意外に思いつつも、自分に視線が集中したのをこれ幸いとばかりにディープシーサーペントの方に近づいていく。
「よう、ディープシーサーペント。久しぶりだな」
『うわぁぁぁぁん!赤い悪魔め、こっち来んなー!』
「そんなつれないこと言うなよ、剣と尻尾を交えた仲じゃないか」
『交えた仲なんかじゃない!ボクちんの尻尾が斬り落とされただけ!暴力反対ーーー!』
涙をポロポロと零しながら、海の女王の後ろで一生懸命にレオニスに文句を言うディープシーサーペント。
その文句を聞いたレオニスは、心底呆れたように反論する。
「お前なぁ……暴力反対とか、どの口で言ってんだ? ちっこい人族からしたら、お前のそのデカい図体で近寄って来られること自体がとんでもない暴力なんだぞ?」
『……ぅぅぅぅ……』
「お前にとっちゃただ遊んでるだけのつもりでも、脆弱な人族にとってはお前と対峙するだけで命がけなんだ。お前がその尻尾を軽く横に薙ぎ払うだけで、大抵の建物は壊れるし人間だってただでは済まん。つか、普通に押し潰されて皆死んじまうわ」
『……ぅぅぅぅ……』
紛うことなきレオニスの正論に、ディープシーサーペントはぐうの音も出ない。
今までディープシーサーペントに対して苦言を呈するのは、海の女王だけだった。そしてその苦言はディープシーサーペントの身を案じてのものであって、決して人族の安否を考えてのものではない。
故に彼らが人族側の主張、その生の声を聞くのはこれが初めてのことだった。
「で、だ。今日は何で俺達がここに来たかっていうとな。ディープシーサーペント、お前のお気に入りの淡紫の姉ちゃんから海の女王に伝言を預かってな。それを伝えに来たんだ」
『……え? 淡紫のお姉さんからの伝言? 何ナニ?』
「デッちゃんを何とかしてください!ってよ」
お気に入りのクレエからの伝言と聞き、一瞬だけディープシーサーペントの顔が明るくなる。
だがそれも、伝言内容を聞いてすぐにガビーン!顔に変わる。
剥き出しの歯でニヨニヨと笑ったり、次の瞬間にはへの字に曲がったり。百面相のようにクルクルと変化して忙しそうである。
「お前が毎日のようにエンデアンに現れるから、皆その対応に疲れきっててな。このままじゃエンデアンから人がいなくなるってよ」
『え!? 何で!?』
「何でって、そりゃお前……でっかい海蛇が毎日のように襲ってくる街なんて、おちおち住んでもいられんだろうよ?」
『……ぅぅぅぅ……』
レオニスの言葉に、しおしおと項垂れていくディープシーサーペント。
レオニスも、ここぞとばかりに畳み掛けていく。
「とにかくな、お前には人族を襲うつもりなんかこれっぽっちもないとしても、だ。人族にとってはお前の存在そのものが脅威なんだよ」
「厳しいことを言うようだが、これは紛れもない事実なんだ。お前のその強大で圧倒的な力の前には、大抵の人間は非力で―――立ち向かうことすら至難の業なんだ」
「だが……いくら人族が弱っちい種族だからって、これ以上住処を荒らされ続けたら黙ってはいないぞ? お前と刺し違える覚悟で総力戦を仕掛けてくるだろう」
レオニスの話を無言で聞きながら、ただただ涙を零し続けるディープシーサーペント。
その横で、海の女王が悲しそうな顔でディープシーサーペントの身体を擦っている。
本当なら海の女王もディープシーサーペントを庇いたいところなのだが、ちゃんとした危機感を持ってもらうためには今ここで庇うのは悪手だ。
故に海の女王も心を鬼にして、涙をグッと堪えつつ唇を噛みしめながら黙ってレオニスの話を聞いていた。
「そんな訳で。お前と人族、双方が平和に生きていくためにも、できることならもうエンデアンには近づかないでいてくれるとこちらとしても助かるんだが」
『……分かった……今まで迷惑かけて、ごめんなさい……』
「……そっか。分かってもらえて良かったよ」
俯きながらレオニスの要求を受け入れるディープシーサーペント。
がっくりと項垂れる姿は少し可哀想に思えるが、これもディープシーサーペントの身を守るためには致し方ない。
ディープシーサーペントの了承を得られたことに、レオニスもライトもただただ安堵していた。
アクアとデッちゃんの初対面、そしてレオニスとデッちゃんの過去の因縁がバレる回です。
でもって、デッちゃんやアクアの会話が人語として登場する風景も初めてですね。
デッちゃんはアホの子系で、アクアはちょっとすました上品なお坊ちゃん系の口調。これまで両者の性別には触れてきませんでしたが、口調的にどちらも男の子ですね(・∀・)
体格の大きさはデッちゃんの方がはるかに大きいのですが、レイドボスの格はアクアの方が上です。
レイドレベルで言うと、ディープシーサーペントがレベル2、アープはレベル4。僅差ではありますが、アクアの方が将来強くなります。
ですが、両者には自分がレイドボスだという自覚など全くないので、この先も他種族に害を及ぼさなければ平穏に暮らしていける、はず。




