第671話 海の女王の苦悩
賑やかな人魚達に連れられて、海底神殿に入るライトとレオニス。
最奥の祭壇付近には、豪華な天蓋つきベッドに優雅に寝そべる海の女王がいた。
ライト達の来訪に気づいた海の女王は、ベッドから出て二人を出迎える。
『レオニス、ライト、海底神殿にようこそ』
「海の女王、久しぶりだな」
「海の女王様、こんにちは!」
再会の挨拶を交わしながら、三人でソファのある場所に移動する。
海の女王が先頭を歩き、その後ろにライトとレオニス、そのまた後ろに八人の人魚達がついていく。
珊瑚のテーブルを挟んでソファに座る、海の女王とライト達。海の女王のソファの後ろには、八人の人魚がひしめき合いながら居並ぶ。
『ねぇねぇ、海の女王ちゃん、見て見てー!これ、可愛いでしょう?』
『あら、本当ね。それ、どうしたの?』
『ライト君にお土産でもらったの!』
『前にライト君達がここに来た時に、私達がお見送りしたでしょ? その時に、次にまた来る時に陸で買える装飾品を持ってきてもらう約束をしてたの!』
『まぁ、それは良かったわね』
AからEの五人の人魚達が、先程ライトにもらったばかりのアイギス製アクセサリーを海の女王に早速見せて各々自慢している。
海の女王に向けて、それはもう嬉しそうに見せる彼女達の花咲くような綻ぶ笑顔に、海の女王もにこやかに受け答えしている。
ちなみに今回もらっていないFからHの人魚達も、何故かそれらをにこやかに眺めている。彼女達が妬まずに笑顔で見ているのは、『次は私達がもらえる番!』という期待に満ちているおかげだったりする。
そんな海の美女達の仲睦まじい交流風景に、向かい側で見ているライトも心が和む。
『さて、今日はどういった用件で来たのかしら。ここより先に海樹のところに行っていたようだけど、こちらはそのついでに遊びに来たの?』
「いや、今日も海の女王に三つほど用件があってな」
『あら、そんなにたくさんの用事があるの?』
「ああ。まずは他の属性の女王の安否確認の進捗状況からな」
先に海の女王の方からライト達に来訪の目的を尋ねる。
海の女王もこの近隣の海の中を見渡せるそうで、ライト達が先に海樹のもとを訪ねたことを知っていた。
海の女王に対しては、レオニスが対応する。
先程までは美女人魚担当のライトが中心だったが、ここから先はかなり真面目な話になるので大人のレオニスの出番、という訳である。
まずは海の女王に会ってから以降の属性の女王達の安否について。
先日会ったばかりの光の女王や雷の女王の話をした。
他の姉妹の安否は海の女王も気になるところなので、レオニスの話を真剣に聞き入っている。
『まぁ、空にいる姉妹達にも魔の手が及んでいるなんて……本当に忌々しいわね、その廃都の魔城に住むという不逞の輩どもは』
「まぁな。でも幸いにして、天空神殿にも雷光神殿にも強力な守護神がいるようだから、奴等の手駒である邪竜如きに落とされる心配はまずない。それどころか、奴等の所業は光の女王達の怒りを買ったからな。近いうちに邪竜が根城にしている島に対して殲滅戦に出るそうだ」
『そうなのね。私も力になれることがあればいいのだけど……』
光の女王と雷の女王の近況を聞き、少しだけ沈み込む海の女王。
同じ精霊の女王として、姉妹達に力を貸してやりたいところだが、天空と海では何もかもが違い過ぎて微力すら貸すこともできない。
そのことは海の女王自身が最もよく分かっているだけに、無力な自分を悔やむ気持ちが強いようだ。
「その気持ちだけでもありがたい、と……光の女王達ならきっとそう言うさ」
『そうかしら……?』
「ああ、そうだとも。あんただって、他の女王達からその身を案じてもらえたら、それだけでも嬉しいだろう?」
『!!…………そうね』
レオニスの言葉に、ハッ!とする海の女王。
かつてレオニス達が、この海底神殿を訪問した理由が『炎の女王が他の姉妹の身を案じたから』と聞いた時のこと。海の女王は炎の女王の身に起きた異変や、廃都の魔城という悪しき存在に憤りつつも、それと同時に炎の女王の心遣いがとても嬉しかった。
自身が最も酷い目に遭ったというのに、他の姉妹達の安否まで案じてくれている―――炎の女王の心根の優しさに、海の女王は甚く感激したものだった。
その時のことを思い出したのか、海の女王の表情が柔和になる。
海の女王の安堵を得られたことで、レオニスは次の用件に話を移す。
「さて、次の二件目だが……これは今朝、人族が組織する冒険者ギルドで、ラギロア島やこの海域を管轄するエンデアン支部から託された案件でな」
『エンデアン支部……?』
「エンデアンってのはここから近いところにある人里で、大きな街の名前だ」
『そうなのね。前に私がデッちゃんのことで、貴方達に相談したけど……もしかして、デッちゃんがよく遊びに行く人里のこと?』
「そうそう、それそれ。……まぁ、『遊びに行く』なんて可愛らしいもんじゃねぇけどな……」
レオニスの海の女王への二つめの用件とは、ディープシーサーペントのことである。
これは今日の朝に、冒険者ギルドエンデアン支部のクレエにレオニスがとっ捕まった末に託されたものだ。
レオニスにしてみれば想定外の案件発生だったが、ああも窶れきったクレエに頼み込まれては断る訳にはいかない。それどころか、むしろエンデアンの今後の行く末を託されたにも等しい、かなり切迫した喫緊の重大事案である。
「そのディープシーサーペントの、デッちゃんについてなんだが。どうもここ最近、エンデアンへの出没頻度がかなり高いらしくてな」
『まぁ、そうなの? あの子ったら、ここには滅多に帰ってこないくせに……』
「その頻度も一日置きとか連日とか、そりゃもうほぼ毎日のように現れるんだと。エンデアンではそんな状態がもう五十日以上は続いてるらしいんだ」
『……ぇぇぇぇ……』
レオニスから聞かされたエンデアンの状況に、海の女王も思わず絶句する。
ディープシーサーペントが人里にちょっかいを出すのが好きなことは、海の女王もよく知っている。だが、そこまで酷いことになっているとは、海の女王も思っていなかったらしい。
『デッちゃんってば……全くもう、何してんのよ……』
「でな、今朝俺達が訪ねたエンデアン支部から頼まれたんだ。海の女王に『デッちゃんを何とかしてください!』と伝えてくれ、とな」
『ぅぅぅぅ……確かにそれは、非常に申し訳なく思うけど……』
クレエから託された伝言を聞いた海の女王は、文字通り頭を抱えて前屈みに蹲る。
海の女王がダメだと言って、ディープシーサーペントがそれを素直に聞き入れてくれるなら、誰もこんな苦労はしない。
そう、だからこそ海の女王は己の頭を抱えて心底苦悩しているのだ。
しかし、レオニスとてここでハイソウデスネ、シカタナイヨネー、と引っ込んでやる訳にはいかない。
今やレオニスの双肩には、港湾都市エンデアンの安寧と今後の未来がかかっているのだ。
「なぁ、本当にどうにもならんのか? このままじゃ人族は本当に、それこそ死に物狂いでディープシーサーペントの討伐に総力を挙げるぞ?」
『……ぅぅぅぅ……』
「そうなったら、もう俺にはどうすることもできん。エンデアンの人々にだって、己の生活や人生がかかってるからな。彼らが生き残るためにすることだ、俺にはそれを止めたり口出ししたりする権利などない」
『……そ、そうよね……』
海の女王を説得するために、レオニスは話を続ける。
エンデアンの人々にも、己の生活を守る権利があることは海の女王も承知している。
だからこそ海の女王も一切反論はしなかったし、できなかった。
「いくら人族が非力な種族だからって、あまり舐めてかからん方がいい。一人一人の力は弱くとも、数だけは他の追随を許さない―――それこそが人族の最たる強味だ。ジリ貧のまま座して衰退の一途を辿るくらいなら、玉砕覚悟で死力を尽くしてディープシーサーペントを本気で殺しにかかるぞ」
『……!!』
レオニスの不穏な言葉に、海の女王は目を大きく見開いた。
見目麗しい海の女王の顔は大きく歪み、瞬時に悲嘆の色に染まる。
だが、レオニスの言葉は脅しでも何でもない。このままでは間違いなく、遠からず訪れるであろう話だ。
そしてレオニスは、人族の持つ底力の凄さをも説き危機感を煽る。
人間一人一人の力は微々たるものだが、塵も積もれば何とやら。人族が束になって死に物狂いで襲いかかれば、如何に強大な力を持つ蛇龍神のディープシーサーペントであってもただでは済まない。
『数の暴力』とは、本当によく言ったものである。
レオニスの持つ危機感が、海の女王にもしっかりと伝わったのだろう。
それまでずっと眉間に皺を寄せつつ、小刻みに震えていた海の女王はソファからすくっ、と立ち上がった。
『……分かったわ。今からここにデッちゃんを呼んで説得するわ』
「何? ディープシーサーペントをここに呼ぶことができるのか?」
『ええ。どんなに遠く離れていても、念話で私の意思をデッちゃんに伝えることはできるわ。いつもなら、呼びかけたところでろくに返事も返ってこないけど……もうそんな悠長なことを言ってはいられないもの』
「そうだな。話し合いだけで何とか穏便に済ませられるなら、それに超したことはないが……もしそれでも、今日もあんたの呼びかけにディープシーサーペントが応じなかった場合……どうするんだ?」
レオニスの問いかけに、海の女王は真剣な眼差しでレオニスを見つめる。
その眼差しには、強い決意の光が宿っている。
『もし今すぐデッちゃんがここに来なかったとしても……今日から三日間だけは、人族側も待っててちょうだい。三日説得し続けて、それでもデッちゃんが変わってくれなければ……その時は私も諦めるわ』
「そうか……」
『ただし。諦めるといっても、私はデッちゃんを見捨てる訳ではないわよ? そりゃデッちゃんだって悪いところはあるんだし、悪いことをしたお仕置きとして少しは痛い目に遭う必要があるとは思うけど……それでも、デッちゃんの命まで奪うことは絶対に許さない。デッちゃんが大怪我した時点で何が何でも、引き摺ってでも連れ戻すわ』
「それは…………分かった。そうならないよう祈るしかないな」
海の女王の言い分に、レオニスは何かを言いかけて止まる。
海の女王は、人族によるディープシーサーペントの完全殲滅を見逃すとは言っていない。あくまでもディープシーサーペントの命を守る側に回るつもりだ。
だがそれは、人族にとってはまだ救いのある方だ。もし海の女王が盲目的にディープシーサーペントを庇うつもりなら、ディープシーサーペントと敵対した時点で大津波を起こして、エンデアンの街を海の底に沈めることだってできるのだから。
そうせずに、ディープシーサーペントを引き摺ってでも連れて帰るということは、海の女王が人族に対して示すことのできる最大限の譲歩であった。
レオニスにもそれが分かったからこそ、余計なことを言って海の女王の勘気に触れたくなかったのだ。
『デッちゃんはもう身体が大き過ぎて、この神殿には入ってこれないから外で呼びかけるわ』
「分かった。そしたら俺達も外についていこう」
海の女王は立ち上がったまま、海底神殿の出入口に向かう。
ライトとレオニスはその後ろについていき、八人の人魚達もオロオロしながら三人の後をついていった。
海底神殿に住む海の女王、ライト達が会うのは二回目です。
海の女王のことが大好きな人魚達も八人と増えて、ますます賑やかなことに。
AからEのアリッサ達は、ライトの綺麗な手土産を無邪気に見せびらかしていますが、彼女達に見せびらかすという意思は全くありません。純粋に喜んでいるだけです。
これはねー、人間がやったら嫌味になるというか、妬み嫉みを受けたりトラブルのもとになったりする行動ですが。拙作の人魚達はそうなりません。
それは作中にも書いた通り、『次は私の番♪』という期待感を持てることで心に余裕があるのと同時に、もし彼女達FからHのフラウ達が逆の立場だったとしても同じことをするだろうからです。
その一方で、海の女王の苦悩は尽きません。
果たしてディープシーサーペントのデッちゃんの運命や、如何に———




