第668話 ツンデレな神樹
男型の人魚がユグドライアの幹の上部に向かい、四つの神樹の枝の置き物を差し出した。
するとどこからともなく小さな気泡が現れて、置き物を包むように取り込んだ。
『沈没船なんかを見てると、嫌でも分かるが……木で出来た物ってのは、海の中じゃすぐに朽ち果てちまうからな』
「そうだな。一応防水魔法はかけてあるが、水に触れずに空気の中に保ってくれるならその方がより安全で長持ちするだろう」
その気泡は、ユグドライアが海水の中に溶け込んでいる空気を一ヶ所に集めて作ったもののようだ。
その気遣いは、兄弟姉妹からの贈り物を大事にしようという気持ちの現れである。
四つの気泡に包まれた、海にまつわる置き物達。ユグドライアはそれらをじっくり眺めつつ語りかける。
『おお、この小魚はラグスで、イカはシア姉だな? 平べったい鯛みたいなの?がツィで、このドデカい鮭は……エル姉か』
『ラグスも大きくなったなぁ……って、シア姉、何でそんな怒ってんだよ ……ぇ、ツィを泣かせるな? え、え、どゆこと?』
『……ちょ、待、ツィ、泣くな!泣かんでくれ!シア姉に怒られるよりも、お前に泣かれる方がはるかにキツい……!』
『……はい、はい……エル姉上様におかれましては、大変ご機嫌麗しゅう存じm…………ぇ? そんなに麗しくない? ……ごめんなさいぃぃぃぃ』
どの置き物にどの神樹の分体が入っているか、ユグドライアは全てを正確に言い当てる。
ライトはどれに何が入っているか知らないので、横にいるレオニスに聞いたところ「全部正解だ」とのこと。
先程の宣言通り、ユグドライアにはどれに誰が分体を込めたのか本当に分かっているようである。
だが、末弟はともかく次女と長女は次男に対し若干お冠のようだ。
その理由は、末妹を泣かせたこと。
遠い地で流された末妹のその雫は、次兄のもとに分体が届けられたことへの歓喜の涙か、それとも人間不信に陥ってしまった次兄を憂う悲嘆の涙か。
果たしてそれがどちらなのかは分からないし、もしかしたらその両方かもしれない。だが彼の姉達の反応を見るに、後者の意味合いの方が強そうだ。
妹が泣いていると聞き、慌てふためきオロオロとする次兄。
二人の姉に叱られるよりも、末妹に泣かれる方が精神的ダメージが大きいようだ。
そして何やら長姉には頭が上がらない様子。やはり世界最古の原始の神樹、その存在は全てを圧倒するのである。
何はともあれ、神樹達の分体を海樹に届けるという重大な使命を果たせたことに、ライトもレオニスも安堵する。
兄弟姉妹達の分体を相手にあたふたしているユグドライアに、レオニスが声をかけた。
「……さて、では俺達はこれでお暇させていただくことにする」
『……何だ、もう陸に帰るのか?』
「いや、俺達はこの後すぐ近くの海底神殿にも寄っていくから、すぐには陸に戻らんが……人族の俺達がここに長居しては、人間嫌いのあんたには気分が悪かろう。これ以上あんた達に迷惑をかける訳にはいかんからな」
『…………』
人間不信の理由に人族の業の深さを突きつけられては、さしものレオニスも言い訳ができない。
何をどう言い繕おうとも、人族がユグドライアと人魚達に多大な迷惑をかけたことは、動かしようのない事実なのだ。
あれだけ人間不信になっていたら、もはや俺達がここにいるだけでもさぞ気分が悪いに違いない。ツィちゃん達の想いは無事届けることができたし、これ以上ユグドライア達に迷惑をかけないうちに早急にこの場を立ち去ろう―――レオニスはそう考えていた。
紅や桃色、白に黄色、ところどころに橙や紫、緑色なんかも混ざる、美しくも雄大な海樹を見上げつつ、レオニスはユグドライアに別れを告げる。
「神樹皆の願いを無事届けることができて、本当に良かった。さっきも約束した通り、俺達はもう二度とこの海域には足を踏み入れないから安心してくれ」
「とはいえ、ここから近い海底神殿にはこれからも訪ねることもあるかもしれんが、それだけは勘弁してくれ。海の女王に会うには、俺達の方から海底神殿を訪ねる以外に方法がないんでな」
「……ああ、もし万が一何か俺達や人族に対して連絡したいことができたら、ツィちゃんに伝言を頼んでくれ。俺達の家はツィちゃんのいる場所に近いから、ツィちゃんに言ってくれればちゃんと俺達に伝えてくれるだろう」
「俺から伝えときたいことはこれくらいだが……ライト、帰る前に海樹に何か言っておきたいことはあるか?」
レオニスは今後の連絡方法などを伝えた後、ふいにライトに向かって確認をしてきた。
ライトがユグドライアの前に来てから、ほとんど何も喋っていない。レオニスとユグドライアのそれまでの会話や空気からして、とても子供が口出ししたり割り込んだりしていいものではなかったというのもあるのだが。
それでもここを去る前に、ライトにも何か一言くらい海樹との会話なり挨拶なりさせてやりたい、というレオニスの配慮である。
「え!? ぁ、ぇ、えーと、うーーーん……」
突如話を振られたライト、それまで全く何も考えていなかったので慌てて懸命に考え込む。
そして数瞬後に、ライトは徐に口を開いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ぇ、えーと……ユグドライアさん、ぼく達人間が皆さんにいっぱい迷惑をかけて、いっぱい辛い思い、悲しい思いをさせてしまって、本当にごめんなさい!」
『…………』
「ぼく、ラウルから聞いたことがあるんです。……ぁ、ラウルってのは、今日はここには来ていないぼく達の大事な仲間で、人族じゃなくて妖精なんですけど……」
「ラウルとツィちゃんがお話ししてる時に、ツィちゃんが『もし生まれ変わったら、次は鳥になりたい』って言ってたそうなんです。鳥になれば、他の神樹のもとに飛んで皆に会いにいけるからって……」
『…………』
まずは全力で頭を下げて、ユグドライアに謝罪するライト。
ライトもまたレオニスと同じく、海樹や人魚達を襲った直接の加害者ではない。だがそれでも、ライトも人族の端くれである。
自分と同じ人族が、無辜である彼らに犯した許し難い過ちに対して、どうしても一度は謝らなければライトの気が済まなかったのだ。
そんなライトの謝罪や話を、ユグドライアは無言で聞いている。
「でも、鳥になりたいって言った後、すぐに泣きながら訂正したそうです。『あ、でも、鳥だと海にいるイアお兄ちゃんに会えない』って……」
『…………』
「だから、鳥じゃなくて妖精や人族なんかもいいかも!って、生まれ変わり先を変更したんですって。それならぼく達やラウルのように、世界中を旅して回ることができるから!ってことらしいです」
『…………』
ユグドライアには顔と呼べるものがないので、表情から読み取れる感情の情報が一切ない。故に無言を貫かれると、声音という唯一の判断材料もなくなるので、今のユグドライアの喜怒哀楽が全く読めない。
末妹の話を聞いて、喜んでいるのか怒っているのか、あるいは呆れているのか―――ライト達には欠片も分からない。
だが、ライトはただただユグドラツィの想いを伝えたい一心で、静かに話を続ける。
「ぼく達……いえ、ぼくはまだ子供だから、レオ兄ちゃんのようにいつでも自由に世界中を旅して回れる訳じゃないんですが……ぼくもツィちゃんやシアちゃん、友達になってくれた神樹の皆と約束したんです。大きくなったら、ぼく達といっしょに世界中のいろんな景色を見て回ろうね!って」
『…………』
「だから、今日はユグドライアさんにお会いできて、とても嬉しかったです。海樹に会える機会なんて滅多にないし、それも今日が最初で最後ですけど……ぼくはユグドライアさんの大きくて綺麗な姿を、一生忘れません」
『…………』
「……ぁ、家に帰ったら、次にツィちゃんに会った時に『次に生まれ変わるなら、人族じゃなくて妖精の方がいいよ』って言っておきますね!でないと大好きなお兄ちゃんに会えなくなっちゃいますし」
『…………』
伝えたいことがありすぎて、ライトの話があちこちに飛びまくる。
そんなライトのとりとめもない話を、ユグドライアは未だに一言も発することなく聞いている。
だが、ライトの方も一通りのことを伝えることができてすっきりしたようだ。
「今日は人間であるぼく達に会ってくれて、本当にありがとうございました!これからも人魚さん達といっしょに、どうぞお元気に過ごしてください。そしてこれからは、ツィちゃん達ともたくさんお話をしてくださいね!……じゃ、レオ兄ちゃん、行こうか」
「ああ」
ライトがレオニスとともにこの場を立ち去ろうとした、その時。
それまでずっと沈黙していたユグドライアが、ようやく声を発した。
『……誰が『二度とここに来るな』と言った?』
「…………え?」
『俺は『人族は信用しねぇ』とは言ったが、お前らに向かって『二度と来るな』なんて言った覚えはねぇぞ?』
「それは……でも……」
ユグドライアに言葉をかけられたことに、二人とも振り返ってユグドライアを見上げる。
レオニスは無言で、ライトは戸惑いつつ返事をする。
そんな二人に構うことなく、ユグドライアは話を続ける。
『俺も昨日の今日ですぐに宗旨替えはできん。人族は信用ならんと、今でも思っている。だが……お前らだけなら、ほんの少し信用してみてもいいか、とは思っている』
「それは……」
『よくよく考えたら、お前らは俺の兄弟姉妹―――六つの神樹のうち、四つの神樹から信頼を得て友誼を結んでいるんだろ。なら俺だけお前らを完全に無視する訳にもいかんしな』
ちょっとつっけんどんな口調のユグドライア。
だが彼が言っているのは、ライトとレオニスだけは人族であっても認める、ということに他ならない。
あまりにも意外な言葉に、ライトとレオニスは呆気にとられる。だがそれはほんの一瞬だけで、ツンデレ気味な言葉の意味をすぐに理解してパァッ!と明るくなる。
「じゃあ、ぼく達またここに来てもいいんですか!?」
『お前らにとって、俺が五番目に会う神樹だってんなら……まだ会っていない最後の一本が残ってるだろう?』
「ああ。地底神殿にいるという冥界樹には、まだ会ったことはないな」
『こんなところまで来れるお前らのことだ。きっといつの日かランガ兄にも会って分体も手に入れて、ツィやシア姉達皆のところに届けるんだろう? 』
「そりゃあな。残り一本となりゃ、何が何でも絶対に会いに行くさ」
『そしたら俺のもとにも、ランガ兄の分体を届けてもらわなきゃならんからな』
「……!!」
先程ユグドライアは、いつも近くにいてくれる人魚達こそが大事な家族と言った。
だがやはり、神樹族の同胞達もまたユグドライアにとって家族であることに変わりはないのだ。
その後ユグドライアは、誰に言うでもなく『……だってよぅ、他の五つの神樹のうち四つの分体があって、最後の一つだけ欠けたままなんておかしいだろ?』『どうせなら全部揃えないと、気持ち悪くて仕方ねぇぜ』などとブツブツ呟いている。
明らかに照れ隠しで呟いているのが丸分かりだが、ライトもレオニスもわざわざそれを指摘するような野暮なことはしない。
『だから……ここから去る前に、俺の枝を持っていけ。そして他の神樹の皆にも、俺の枝で作った何かを持たせてやってくれ』
「……貴重な枝をもらってもいいのか?」
『ああ。俺だけ皆の分体をもらいっぱなしって訳にはいかんからな』
「分かった。じゃあ今日は枝をもらっていって、彫り物なり装飾品なり何かに加工してから、また分体を入れてもらいに来る」
『承知した』
ユグドライアから枝をもらう許可を得たレオニスは、幹に近い太枝から分岐している細めの枝を十本ほど採取した。
加工後も区別しやすいように、なるべく違う色合いのものを選んでは採取し、空間魔法陣に収納していく。
「ひとまずこれだけもらえれば十分だ」
『それっぽちでいいのか? もっとたくさん持っていってもいいんだぞ?』
「いや、これでいい。俺達は金儲けしたくてここに来たんじゃないからな」
『……よく弁えてるじゃねぇか。お前、人族にしておくには惜しいくらいにまともでいいやつなんだな』
ユグドライアの甘言に乗ることなく、必要最小限の採取に留めるレオニス。その真摯で控えめな態度に、ユグドライアはレオニスのことが気に入ったようだ。
ユグドライアとしても、レオニスを試した訳ではないのだろうが、もしここでレオニスが少しでも強欲な姿勢を見せていたら―――ユグドライアの人間不信に拍車をかけていたことだろう。
「では、今分けてもらった枝を加工した品ができたらまた来る」
『ああ、絶対に来いよ。ランガ兄とも話ができる日を……この海の底でずっと、心から待っている』
「おう、なるべく早く来れるように頑張るから、しばらく待っててくれ」
ユグドライアのもとを離れ、女型の人魚達とともに海底神殿のある方向に向かっていくライトとレオニス。
少しづつ遠ざかっていく大小二つの人族の背中を、ユグドライアはいつまでも見送っていた。
世界で四番目の神樹にして、六本の兄弟姉妹の中で次兄に相当する海樹ユグドライア。
その出会いは、最初こそやや険悪な空気が漂うものでしたが。何とか丸く収まって一安心です。
まぁねー、神樹族だからって全員が全員温和で穏やかな性格とは限りませんからねー。十人十色ならぬ六本六色、というところでしょうか。
というか、ツンデレというのは女の子キャラがするもんじゃないの?と、作者も思わなくもないのですが。
照れ臭いのを隠すのに、性別なんぞ関係ありませんわよね!(º∀º)




