第664話 港湾都市エンデアンの苦悩
ライトとラウルがオーガの里で様々な交流を楽しんだ翌日。
ライト達は朝から出かける支度をしていた。
今日はライトとレオニス、ラウルの三人で、港湾都市エンデアンとラギロア島に日帰りで出かけるのだ。
「ラウル、おはよーぅ!」
「おう、ご主人様達、おはよう」
「おはよう、ラウル。もう出かける支度はできてるか?」
「この通り、いつでも出られるぞ」
「じゃ、行くか」
カタポレンの家からラグナロッツァの屋敷に移動したライトとレオニス。早速ラウルに出迎えられて朝の挨拶を交わし、三人で家を出て冒険者ギルド総本部に向かう。
今日のお出かけは、途中まではラウルといっしょだ。
ライトとレオニスは海底神殿とその周辺、ラウルのお目当てはエンデアンの海鮮市場と冒険者ギルドエンデアン支部。
ライトとレオニスがラギロア島に出かけている間、ラウルはエンデアン市内でジャイアントホタテの殻処理依頼をこなしたり、海鮮市場で買い物三昧をする予定である。
「今日から八月だねー。日が過ぎるのが本当に早くて困っちゃうー」
「ライト、夏休みの宿題はどうだ? ちゃんと進んでいるか?」
「ンーとねぇ、本当は朝顔とか、家庭菜園の観察日記を書くつもりだったんだけどさ? ほら、うちの植物って、ラウルの植物魔法やエクスポとかの回復剤入りの水で、すーぐ大きくなっちゃうからさ。それはやめにした!」
「「…………」」
朝顔やひまわりの観察日記は、低学年の夏休みの課題のド定番だ。
ライトも最初はそれに取り組むつもりだったらしいが、基本的にライトの周りの植物は普通の育ち方はしない。
カタポレンの畑の巨大野菜は五日前後で収穫できるし、ラグナロッツァのガラス温室での栽培に至っては種を蒔いた翌日に収穫可能という、とんでもない育成スピードである。
そうした現実を目の当たりにしたライトは『うん、これじゃ絶対にまともな観察日記にはならんな!』と早々に諦めた。
その話を聞いたレオニスは無言になり、ラウルもぽつりと「……すまんな」と呟く。
「あー、そんなの全然気にしなくていいよ!ぼくの夏休みの宿題なんかより、ラウルが美味しい野菜を毎日作ってくれることの方が大事だし!」
「ま、まぁな……ライトの宿題ももちろん大事だが、課題なら他にいくらでもあるだろうからな!だからラウルもそんなに落ち込むな」
「そうそう、レオ兄ちゃんの言う通りだよー。観察日記なんて、何ならカタポレンの家の周りにいるデッドリーソーンローズちゃんをモデルにして書くこともできるしさ」
「「…………」」
ライトの課題を台無しにしてしまった罪悪感に落ち込むラウルを、ライトとレオニスが励ます。
実際ライトは普通の植物の観察日記の類いは取り組めそうにないが、夏休みの課題候補なら他にもたくさんある。
だがしかし、ライトよ。そこでデッドリーソーンローズを観察日記の候補に挙げるのは如何なものか。
そこは腐っても植物系魔物、それでは植物の観察日記ではなく魔物の観察日記になってしまうではないか。
魔物の観察日記を書く初等部二年生など、全く以て前代未聞もいいところである。
とはいえ、ライトやレオニスの励ましはラウルに届いたようで、気を取り直したラウルはライトに向かって申し出た。
「……そうだな。そしたら他に何か俺が手伝えるようなことがあったら、いつでも言ってくれ」
「うん、よろしくね!」
ラウルの申し出に思わず嬉しくなったライトは、ニッコニコの笑顔で答える。
「そしたら、他には何か考えているのか?」
「今は無色のべたべたを使って何か作れないかなーって考えてるところ。……あ、あとは読書感想文も書かなくっちゃ」
「ま、何にしろ早め早めに済ましておくようにな。これからまだまだ出かけるところがたくさんあるんだからな」
「うん!!」
そんな話をしているうちに、冒険者ギルド総本部に到着した三人。
転移門でラグナロッツァからエンデアンに移動していった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
エンデアンに到着したライト達。
冒険者ギルドエンデアン支部の中をのんびりと歩きながら、再度待ち合わせの確認をする。
「夕方になる前には帰ってくる。昼飯前に帰ってくるのは無理だろうから、ラウルは市場の店とかで適当に食っててくれ」
「了解」
「俺達がエンデアンに戻ってくれば、ラウルの方で分かるよな?」
「おう、海鮮市場に来てくれりゃすぐに分かる」
「だよな。そしたら俺達も、ラギロア島からエンデアンに戻ったら海鮮市場に直行するから、市場の中で合流しよう」
「じゃあ俺は午前中ずっと貝殻処理依頼をこなして、午後は海鮮市場でのんびりと買い物するとしよう」
「おう、そうしててくれ」
エンデアン支部の依頼掲示板を眺めながら、あれこれと話し合うレオニスとラウル。
ラウルは気配察知が得意なので、ライト達がラウルのいるであろうエンデアンの海鮮市場に行けば、ラウルの方からライト達を見つけて合流する、という訳だ。
そして海鮮市場の話が出てきたことで、ライトがはたと思い出してラウルに話しかけた。
「あ、そうそう、ぼくの同級生のイヴリンちゃんが海鮮市場でお店のお手伝いしてるかもしれないんだって。ラウル、イヴリンちゃんのことは覚えてる?」
「イヴリン……えーと、栗色の髪と錆色の瞳の、そばかすが可愛らしい元気な女の子だよな?」
「そうそう、その子!もし海鮮市場でイヴリンちゃんに会ったら、そのお店を覚えといて!後でぼくも行くから」
「了解。もしいたら、その子の店でたくさん買い物をすることにしよう。良い食材があれば、の話だが」
「うん、よろしくね!」
イヴリンの家はヨンマルシェ市場の近くにあり、同じくヨンマルシェ市場内にあるリリィの家の向日葵亭にも近い。
その関係で、イヴリンはヨンマルシェ市場に通うラウルとも何度か顔を合わせたことがある。
ラウルはラウルで、ライトから同級生と紹介された子供達の顔と名前をちゃんと覚えている。市場で顔を合わせたら、挨拶をする程度には顔見知りになっていた。
「じゃ、俺は早速貝殻処理依頼をこなしてくるか。ご主人様達も、気をつけてお出かけしてこいよ」
「おう、じゃ、俺達も早速行ってく…………!?」
さぁ、そろそろ二手に分かれて出かけるか、という時になって、レオニスは己の背後にとても強大なオーラが迫ってきているのを察知した。
突然のことに、何事か!?と思いガバッ!とレオニスが振り返ると、そこにはラベンダー色の愛らしい受付嬢が仁王立ちしていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「レオニスさん。おはようございますぅ」
「ぉ、ぉぅ、おはよう、クレエ……」
「お久しぶりですねぇ。ようこそ我がエンデアンにお越しくださいました。本日はどのような御用件でエンデアンにいらしたのか、お聞きしてもよろしいですか?」
「ぉ、ぉぅ……」
ラベンダー色の受付嬢、クレア十二姉妹の次女クレエ。
他のクレア姉妹同様愛らしい顔立ちをしているのだが、次女というクレアに次ぐ上の方の姉であるせいか、普段から威風堂々としていて風格が凄まじい。
そしてニコニコとした笑顔なのに、今日は何故かいつになくその問いかけには有無を言わさぬ強烈な圧を含んでいる。
その圧のあまりの凄まじさに、レオニスも思わず後退りながら答える。
「今日はラギロア島の向こう、海底神殿に用事があってな……」
「やっぱりッ!!」
おずおずと答えたレオニスの返事に、クレエはクワッ!とそのつぶらな瞳をさらに大きく見開いた。
どうやらクレエはレオニスを見つけた時に、その行き先を推測した上慌てて駆け寄ってきたようだ。
「お出かけ前にとっ捕まえることができて良かったです。海の女王に、伝言をお願いしてもよろしいですか?」
「おう、いいぞ。あんまり長いと全部伝える自信はないが……」
「大丈夫です。たった一言お伝えくださるだけでいいんです」
「一言でいいのか、なら大丈夫そうだな。……で? 何て伝えればいいんだ?」
「『デッちゃんを何とかしてください!』、と……」
目を閉じ眉間に思いっきり皺を寄せるクレエ。右手の拳を握りしめつつ、くぅーッ!と歯軋りする。
その後クレエが語るには、ここ最近またディープシーサーペントの襲来頻度が上がっているのだという。三日間が開けばいい方で、一日置きや連日来ることもあるのだとか。
そんな状況が二ヶ月近く、このエンデアンで続いているらしい。
過去に同じような状況がこれまで全くなかった訳ではないが、それでも二ヶ月近く続くのは前例にない長さだという。
「幸いにして、今のところ建物や人的被害はほとんどないんですが……さすがにこの状況がこれ以上長引くのは、エンデアン支部としてもかなり厳しいんです。エンデアンを拠点とする冒険者達には、ディープシーサーペントへの対応は全員参加が義務付けられていますし。このままでは、他の街に拠点を移してしまう冒険者が続々と出てくる、とまで予想されています……」
「まぁなぁ……街の治安を維持するためとはいえ、一日置きや毎日のように強制招集されるとなりゃ、他の仕事もおちおち引き受けられんわなぁ」
「そういうことです……ですので私達としても、御本尊のデッちゃんや海の女王とも直接話し合いをしたいところなのですが……海底神殿に直接出向ける者など、レオニスさん達以外におりませんので」
「ぁー……まぁなぁ……」
はぁ……と大きなため息をつくクレエ。
目の下には化粧でも隠しきれない色濃いクマができていて、いつもはふっくらとした頬も心なしか少し痩けているように見える。
見るからに窶れたクレエ。普段『スーパーウルトラファンタスティックパーフェクトレディー』と呼ばれるクレア姉妹が、ここまで疲れきった表情を見せるのは非常に珍しいことであり、異例中の異例だ。
いつもは『完璧なる淑女』であるはずの彼女の表情からは、これまでの苦悩や心労が壮絶なまでに滲み出ていた。
「……分かった。海の女王ともよく話をしてくる」
「……ありがとうございますぅ!今日、レオニスさんがいらしてくれて本当に……本当に良かったですぅ!」
「ただし、これは前にも言ったと思うが……あのデッちゃんは海の女王の言うこともあまりというか、ほとんど聞かないらしいからな。あまり期待はしないでくれ」
「それは重々承知しておりますぅ。でも、何もしないでいるよりは全然マシですから。海の女王に話を通しておいていただけるだけでも、私達エンデアン支部職員一同は安心できるというものですぅ」
憔悴しきったクレエを哀れに思ったレオニスが、海の女王に話をしてくると約束をした。
レオニスのその言葉に、クレエの表情が一気にパァッ!と明るくなる。
クレエ達エンデアン支部の者達が、ディープシーサーペント=デッちゃんが海底神殿出身の由緒正しい蛇龍神である、という衝撃の事実をレオニスから知らされたのは、黄金週間の中日あたりのこと。
それから約三ヶ月が経過しているが、クレエの窶れ具合を見れば如何にデッちゃんへの対処に苦労したかがよく分かる。
それだけに、クレエにとってレオニスの言葉には一条の光の如き希望に満ちていた。
「じゃ、俺達はそろそろ出かけるか。夕方までにはラグナロッツァに帰るために戻ってくる」
「はい!レオニスさんのご帰還を、心よりお待ちしておりますぅ!」
「今日はラウルも貝殻処理依頼をたくさん引き受けるそうだから、クレエも受付してやってくれ」
「まぁまぁ!貝殻処理依頼もこなしていってくださるんですか!? 最近また貝殻処理依頼が随分と溜まってしまっていたので、とてもありがたいですぅ!」
ラウルがレオニス達とは別行動で貝殻処理依頼を引き受けると聞き、クレエの顔がますます明るく輝く。
ここ最近のエンデアン支部は、ディープシーサーペントのデッちゃんへの対処に追われていたため、エンデアン名物のジャイアントホタテの貝殻処理が滞りがちだったようだ。
海の女王への伝言だけでなく、貝殻処理依頼まで一気に解消されると知ったクレエの心情は如何ばかりか。間違いなくテンションアゲアゲ!である。
「ささ、ラウルさん、早速窓口に行きましょう!じゃんじゃか依頼受付いたしますぅ!」
「おう、よろしくな。ご主人様達も気をつけて出かけてこいよ」
「ラウルも頑張れよー」
「いってきまーす!クレエさんもラウルも、お仕事頑張ってねー!」
嬉々として窓口に向かうクレエとラウル。
ライトとレオニスはラウル達と分かれて、冒険者ギルドエンデアン支部の建物の外に出ていった。
今話からエンデアン&ラギロア島へのお出かけです。
ぃゃー、前話までのオーガの里でのお話が予想以上に長引いてもた……ホントは今話が第660話だったはずなんですがねぇ?( ̄ω ̄)
というか、冒頭より少し先でライトが言ってますが。この日は八月一日、ようやく八月に突入です。
皆様信じられます? ライトが夏休み入りしてから一週間くらいしか経ってないんですってよ?(ヒソヒソ
作中でライトは「日が過ぎるのが本当に早くて云々」とか言ってますけども。そりゃそうでしょう、彼にとっての初めての夏休みは最初から濃密で、しかもまだ最初の一週間しか経ってませんですからね…( ̄ω ̄)…
でもね、作者時間では夏休み編に突入してから既に一ヶ月半は経過してますからね!?( ゜д゜)




