第654話 レオニスが出した条件とアレクシスの熱心な勧誘
アレクシスが息を呑みつつ黙して返答を待つ中、レオニスはまず先にアレクシスに別のことを問うた。
「プロステスは商業都市というだけあって、かなりでかい街だ。中には当然孤児院もあるよな?」
「もちろんだ。経営していた店が倒産して、夜逃げした商人が置き去りにしていった子供や、プロステス所属だった冒険者が夫婦して行方不明になり、誰も引き取り手がなくて保護された子供などをそのまま預かる施設がある」
「その孤児院の予算を今よりもっと増やして、手厚く支援してやってくれ」
「!!」
レオニスが提示してきた条件に、アレクシスはまたも息を呑む。
レオニスが孤児院出身の冒険者というのは、わりと広く知られた話だ。故にアレクシスもそのことは知っており、レオニスが何を求めてるかを瞬時に察した。
驚くアレクシスを他所に、レオニスは静かに話を続ける。
「例えばの話、年間100万Gの予算を増やしてくれるだけで、孤児院の運営はかなり助かるはずだ」
「あ、ああ、それはもちろんそうだろうな」
「あんたが払うと言った、4000万Gという金。それがあれば、今から四十年はプロステスの孤児院は余裕を持って暮らせるだろう」
「それがレオニス君の望み、なのか?」
「ああ。ディーノ村の孤児院で育った俺が、孤児院に恩返ししたくても……今はもうディーノ村に孤児院はない。それでもなお恩返しをするとしたら、他の孤児院を援助するくらいしかできんからな。俺一人だけで、この世の全ての孤児院に力を貸すことはできんが……それでも、手の届く範囲でできる限りのことはしたいんだ」
レオニスがかつて鑑競祭りなどという大々的なイベントに、顔と名前を出して参加したのもラグナロッツァの孤児院を再建するためだった。
その甲斐あって4750万Gもの資金を得て、もともと強制移転を迫られていたラグナロッツァ孤児院を別の広い土地に移転させ、建物を新築する目処もついた。
レオニスが私財を投げ打ってでもしたかったことは、ひとえに自分という人間を成人するまで育ててくれた孤児院という存在そのものに恩返しがしたかったからだ。
「……承知した。行政の孤児院運営予算の他に、我がウォーベック家から今後毎年100万Gの追加上乗せをすることを約束しよう」
「是非とも頼む。俺はプロステスの孤児院の運営状況は全く知らないが、今度様子だけでも見ておくつもりだ」
「必ずや、君のその高い志に恥じぬ支援をすることを……ウォーベックの名にかけて、今ここで誓おう」
「ああ。俺もあんたという人間を信じて託したんだ、間違っても俺の信頼を裏切ってくれるなよ?」
「任せたまえ」
「じゃ、その雫の中でどれでも好きなものを二つ選んで取ってくれ。俺からの前払い報酬だ」
レオニスからの信頼を守ることを誓うアレクシスに、静かに微笑むレオニス。
アレクシスは手のひらに持ったままだった数粒の雫の中から、二つを選んで他の残りをレオニスに返した。
アレクシスが選んだのは、最も濃い赤色と淡く光る赤色の二種類。涙の雫と手のひらの雫を一つづつ選んだようだ。
「涙を二つじゃなくていいのか?」
「価値的には絶対にそちらの方が高額だろうが、そもそも金額の多寡は全く問題ではない。どちらにも甲乙つけがたい魅力がある。この手のひらから生み出された方の雫だって、その中に炎の揺らめきが灯っていて……涙の雫に負けないくらいに美しいだろう?」
「そうだな……これはこれで、とても綺麗だよな」
アレクシスが稀少性の高い涙の雫を二つ選ばなかったことを、レオニスは意外に思ったようだ。
だが、そのことについて返ってきたアレクシスの意図や答えを聞いたレオニスは納得している。
手のひらの雫は、色が炎そのものなのだ。
淡い橙色の雫をじっと眺めていると、雫の中央がゆらゆらと揺れ動いている。この炎の動きを思わせる優美な揺らめきも、アレクシスの心を鷲掴みにするに十分な威力だった。
「それに……色違いの二種類が揃うことで、互いの美しさをより引き立て合っているとは思わんかね?」
「……確かにな。全く同じ色が二つ並んでるよりは、濃淡違う方が見応えもあるってもんだ」
「その通り。レオニス君も分かってるじゃないか!」
己の意見に同意したレオニスに、心から嬉しそうに笑いながら右手を差し伸べるアレクシス。
レオニスはその意図を瞬時に察し、手をガシッ、と握った。
「これで交渉成立だな」
「ああ。此度の件で、また君達に大きな借りを作ってしまったな。もしこの先何か困ったことが起きたら、遠慮なく言ってくれ。いつでも力を貸そう」
「その時はよろしく頼む」
交渉成立の握手を交わすレオニスとアレクシス。
レオニスはまた一つ孤児院に恩返しができて、アレクシスは念願の【炎の乙女の雫】を二つも手に入れた。しかも格安価格で、孤児院への援助という人道的な支援活動もできる。これは政治的な面でもウォーベック家に大きな利益がある。
支援した孤児院から、レオニスのような優秀な人材が将来輩出されればなおよし。
全者Win-Winの取引である。
「よーし、そしたら近々我が家に逗留しに来るクラウス達にも見せてやらねばな!」
「あっ、そういえばハリエットさん達も夏休みにプロステスにお出かけするって聞きました!」
「そういやライト君はハリエットの同級生だったね。いつも我が姪が世話になってるね」
「そんな、ぼくの方こそハリエットさんに仲良くしてもらってます!」
「クラウス達は恵まれてるなぁ。こんなに素晴らしく頼もしい者達がご近所さんなんだからな。これ程心強いことはあるまい」
アレクシスはライトの方に視線を移し、弟のクラウスのことを羨む。
しかし、アレクシスがクラウスを羨む最たる理由は、別のところにあるらしい。
「クラウス達の何が一番羨ましいかって、美味しいスイーツがいつでも入手可能なことだ!」
「え。それってラウルが作るスイーツのことか?」
「然様。去年の年末にライト君からいただいた、ラウル君特製アップルパイ。あれは実に、実に美味であった」
「侯爵様のお口にも合って良かったです!」
アレクシスがラウルのスイーツを、それはもうベタ褒めしている。
ここにラウルのスイーツを手土産として持ってきたのは、昨年末の一回だけなのだが。そのたった一回で、それなりに美食を極めてきたであろう侯爵家当主の胃袋をも鷲掴みしてしまったようである。
「あれ程の美味なる甘味は、我がプロステスはもちろんのこと首都ラグナロッツァでもなかなかお目にかかれないぞ? 私も立場上、様々な場所で様々な料理を食べてきたが……あれは宮殿の晩餐会で出てきてもおかしくない逸品だ」
「あー、こないだとあるお礼のために新作ケーキを持っていった時に、クラウスさんやハリエットさんも全く同じこと言ってましたね……」
「何ッ!? ラウル君の新作ケーキだとッ!? くっそー、クラウスの奴め、そんな素晴らしい幸運に恵まれていたのか……」
ラウルのスイーツを宮殿料理レベルで讃えるクラウス。
それは、ライトが黄金週間のサーカスの特別観覧席チケットのお礼として、ザッハトルテのホールケーキをウォーベック伯に届けた時と全く同じ反応であった。
そしてその喩えは、決して大袈裟なことではない。ラウルの料理の腕は、日々進化しているのだ。
「もしレオニス君がプロステスに屋敷を構えて、そこにラウル君が住んでいたら、私だって毎日でもスイーツお届け便を頼みたいところだ!」
「ぉ、ぉぅ、俺がプロステスに住む予定は全くねぇがな……」
「いやいや、そんなつれないことを言わずに、試しにレオニス君もプロステスに居を構えてはみないかね? 我がプロステスは良い街だぞー? 商業都市の名を冠するだけあって、人や物がたくさん飛び交う、それはもう活発な街なのだぞ!何なら君達が移り住むための屋敷もこちらで用意するし、そのための金はもちろん一切取らない。プロステスで全て負担する。どうだね?」
ラウルのスイーツを羨むアレクシス、とうとうレオニスをプロステス市民として勧誘しだしたではないか。
もちろんその目的は、スイーツGET!のためばかりではない。レオニスという当代随一の冒険者が常時滞在してくれれば、プロステスの安全面も安泰となるのだ。
金剛級冒険者勧誘のために、移り住む屋敷まで無償で用意すると言うアレクシス。身振り手振りを交えた饒舌な勧誘は、思いの外熱心だ。
これは冗談ではなく本気の勧誘なのだろう。
だがレオニスは、断固として固辞する。
「カタポレンの森とラグナロッツァの往復で手一杯だ」
「ああ、そうか……君はカタポレンの森の警備を一手に担っているのだったな」
「そういうこと。今の俺の主な仕事は、カタポレンの森の警邏だからな」
「カタポレンの森の安全は、アクシーディア公国全体にとっての大きな利益だからな……我がプロステスがその利益を害する訳にはいかんな」
「ご理解いただけたようで、何よりだ」
レオニスが固辞する理由、それは『カタポレンの森の警邏』であった。
カタポレンの森は『魔の森』とも呼ばれる異質の地で、魔物も多数生息している。魔物達はカタポレンの森の濃い魔力を好むので、滅多なことでは森の外には出ない。
だが、今が平穏だからといって、未来永劫ずっと安全とは言えない。いつ何時異変が起きるかなど、誰にも分からないのだ。
もし何らかの理由で、カタポレンの森から魔物が溢れ出てくるようになったら―――人族が作った街などひとたまりもない。人類滅亡まっしぐらである。
そんなことにならないよう、人族最強のレオニスがカタポレンの森の見張り番をしているのだ。
そんな国家レベルの任務を担うレオニスを、一地方都市であるプロステスが私利私欲のために独占する訳にはいかない―――政治家としても優秀なアレクシスはすぐにそのことに思い至り、レオニスの勧誘を断念せざるを得なかった。
「レオニス君のプロステス移住は諦めるとしよう。だが、観光旅行や短期滞在でも大歓迎するぞ? 我がプロステスでは、全国からグルメツアーや買い物目的で訪れる観光客も多いしな」
「そうだなー、プロステス名産のパイア肉は美味いよなー。……今日はもう遅いから買い物はしないが、次に来た時にまたラウルへの土産で買っていこう」
「ラウル君が作るパイアステーキ、だとぅ……我が一生のうちに一度は食べてみたいものだ……」
プロステス名物であるパイア肉。それはプロステス近郊に生息する『人食いパイア』なる大型の猪型魔物の肉だ。
名前こそ『人食い』などという物騒な文字が入っているが、実際に人だけを襲って食っている訳ではない。もちろん人を見かければ襲いかかってくるが、強さのランクで言えばそこまで高くはない。
猪型だけにその行動も猪突猛進で、一直線の突進さえ避ければ側面や背後から仕留めるのは容易い。皮もそんなに硬くないので、剣でも槍でも刃が届けばダメージを与えられるのだ。
そしてアレクシスの第二第三のレオニス勧誘は止まらない。
「そうだ、あるいはレオニス君が冒険者引退してからの隠遁の地に選んでくれてもいいぞ!」
「またえらく先の話を……冒険者の肩書を返上したヨボヨボの俺を住まわせたところで、プロステスにとっていいことなんざ一つもなかろうに」
「いやいや、決してそんなことはない」
「じゃあ聞くが、一体どんないいことがあるってんだ?」
「レオニス君……私達ウォーベック一族を見損なってもらっては困るぞ?」
アレクシス、今度は何とレオニスが冒険者引退後の終の住処の地として立候補してきたではないか。
何とも気の長い話ではあるが、現役冒険者のうちならともかく、引退後の自分を誘うメリットが、レオニスには何一つ思い浮かばない。
それは何なのかをレオニスが尋ねると、それまでずっと笑顔だったアレクシスの顔が突如真面目なものになった。
「君はライト君とともに、この街を救ってくれた大恩人だ。炎の洞窟の危機を排し、炎の女王の命をも救い出してくれた。それによって、死の街と化す寸前だったプロステスも救われたのだ。これはお世辞でも何でもなく―――本当に君達は、我が街の救世主なのだ」
「…………」
力強く語るアレクシスの熱意に押されるように、レオニスも思わず無言のまま聞き入る。
「私達ウォーベック一族はその恩義を決して忘れないし、末代まで語り継ぐつもりだ。レオニス君には我が街の救世主という自覚がないようだが、君自身もよく理解しておいてもらいたい」
「ン……決して軽んじているつもりはなかったんだが……気に障ったのならすまない」
「気に障るという程のことでもないから、そこは安心したまえ」
「そうか、ならいいが」
いつになく真面目な顔で熱く語るアレクシス。その真摯な言葉に、レオニスも己が如何に不理解だったかを知り謝罪する。
幸いにもアレクシスは怒ったりしてはいないようだが、レオニスとライトが炎の洞窟とプロステスという街を救ったという事実は、彼らプロステスの民にとってそれ程までに重大なことだったのだ。
「返しても返しきれない大恩に、少しでも報いる―――そこに我らの利益などという瑣末な損得勘定を差し挟むつもりなど一切ない。だから君も、安心して私の話を聞いてくれると嬉しいのだが」
「……わかった。そこまで言ってくれるなら、何十年後かに使えるようにプロステスに別荘の一つも持つことを考えておくよ」
「是非とも考えておいてくれ!」
再びアレクシスが右手を差し出し、レオニスもまたそれに応えて握手をする。
由緒正しい大貴族と、孤児院出身の稀代の最強冒険者。一見あまりにも立場が違う二者の間に壁はなく、そこには揺るぎない信頼と友情があった。
前話に続き、今回もレオニスとアレクシスの会談です。
レオニスがアレクシスから【炎の乙女の雫】の代金を受け取り、それをプロステスの孤児院に全額寄付する、という方法もなくはないのですが。それよりも、プロステス領主という最高権力者に運営向上を任せた方が確実、というのがあります。
年に数回訪れるかどうかのレオニスよりも、プロステスを治める領主の方が日々見守っていくのにも最適ですしね(・∀・)
もっともそれは、領主が信頼に足る人物でなければなりませんが。そこら辺アレクシスなら問題ないでしょう。
年間100万Gといえば、日本円に換算すると1000万円。孤児の人数や規模にもよりますが、それだけ予算が増えれば万が一ディーノ村レベルのオンボロな孤児院でもかなり助かるはず。
レオニスも孤児院への恩返しがまた一つできて良かったね!




