第653話 色違いの雫
ライト達は炎の洞窟を出て、最寄りの街プロレスに向かう。
時刻は午後の三時少し前、のんびりと二人で歩いていた。
「いやー、エリトナ山に出かけといて炎の洞窟からプロステスに行くことになるとは、夢にも思わなんだな」
「ホントだよね!でも、エリトナ山からゲブラーに戻るよりはかなり早く家に帰れるし、疲れなくて済むよね!」
「そうだな。今度から、エリトナ山に行く時は炎の洞窟を通って行けることになったしな。……って、そしたらラグナロッツァに帰る前にちょっと領主邸に寄ってみるか」
道すがら雑談していたところ、レオニスが寄り道しようと言い出した。
その行き先はこれから行くプロステスの領主、アレクシス・ウォーベックのいる領主邸である。
「ウォーベック侯爵様のところ?」
「そう。こないだの黄金週間の時の鑑競祭りの時に、ウォーベック侯爵一行に会ったろ? そん時にウォーベック侯爵から【炎の乙女の雫】を入手したら、是非とも連絡をくれ!と言われてるんだよな」
「あー、そういやそんな話してたね」
レオニスの言う寄り道の理由に、ライトも納得する。
黄金週間の三大ビッグイベントの一つである『鑑競祭り』で、レオニスは祭りの目玉商品となる【水の乙女の雫】【火の乙女の雫】の二点を出品した。
黄金週間最終日に、ライトとレオニスが後ろの方の席で観覧していたところ、ウォーベック兄弟が来て四方山話をした。
その際に、ウォーベック兄弟はレオニスに「もし【炎の乙女の雫】を入手することができたら、是非とも欲しい。言い値で買うから連絡をくれ!」と強く懇願されていたのだ。
プロステスは炎の洞窟とともにある街。その炎の洞窟の主である炎の女王のもたらす雫ならば、何が何でも欲しい!という訳だ。
ウォーベック家は代々プロステスを治める領主一族だけに、その願望は切実であり実に彼ららしい頼みである。
ちなみにライト達は、今回もちゃっかりと【炎の乙女の雫】を入手している。
ライトが炎の女王に「ください!」とちゃんとお願いして、譲ってもらったのだ。臆面もなく「ちょうだい!」と言えるのは、子供ならではの特権か。
「でも、事前連絡無しで領主様に会えるかなぁ?」
「ウォーベック家なら大丈夫だろ。【炎の乙女の雫】の件で来たって言えば、即通されるさ。それに、もし今アレクシスが不在だったとしても、そん時はラグナロッツァに帰ってからご近所のクラウス伯に連絡すりゃいいしな」
「そっか、それもそうだね」
「とりあえず、行くだけ行ってみよう」
「うん!」
レオニスの提案通り、二人はプロステス領主邸に行くことにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
プロステス郊外の荒野から街を取り囲む外壁に到着し、門を潜ってプロステスに入るライトとレオニス。
ここは商業都市というだけあって、街の中心部に向かうにつれて人や物が増えていく。
領主邸は街の中心にあり、領主邸の周囲に様々な店や施設が集まっている。いわゆる城下町という形態である。
プロステスという大きな都市を治めるウォーベック一族、その領主が住まう屋敷に到着したライト達。門番に軽く要件を伝えて、しばし門の前で待つ。
ライトとレオニスは以前にも何度か領主邸を訪問したことがあるため、門番も二人の顔や素性は知っていて、特に難癖をつけられることなく取り次いでもらうことができた。
難癖をつけるどころか、むしろ「えッ!?【炎の乙女の雫】ですか!?しょ、少々お待ちください!すぐに領主様にお知らせしてまいりますぅーーー!」と慌てふためきながら叫び、ピューーーッ!と一目散に屋敷まですっ飛んでいったくらいだ。
そうしてしばし待っていると、先程すっ飛んでいった門番が息せき切りながら門のところに戻ってきた。
「た、大変、お待たせ、いたしました……りょ、領主様が、今すぐ、お会いに、なりたい、そうです……どうぞ、お通り、ください……」
「おう、そうか。急がせてしまってすまんな」
「門番さんもお疲れさまです」
「お、お気遣い、か、かたじけない……」
門番は領主邸の門を守る衛兵という重要な役割があるので、騎士が着るような鎧兜を着用している。
そんなクッソ重たい鎧兜を着て、門から領主邸までを全力疾走で往復したのだ。言葉だけでも門番を労ってやりたくなるというものである。
通行の許可を得たライトとレオニスは、早速領主邸に向かう。
屋敷の玄関で若い執事が二人を出迎え、領主のいる執務室に案内していく。
二人とも何度も来たことのある領主邸なので、執務室までの道順?も覚えている。執務室に向かう途中の廊下には、相変わらず炎の女王の絵や火の精霊を模した可愛らしい彫刻などが飾られている。
炎の洞窟はプロステスを象徴する聖地であり、如何にプロステスという街が炎の洞窟とそこに住まう炎の女王を大切に思っているかがよく分かる。
そうして執務室前に到着した一行。
執事がまず扉をノックし「アレクシス様。レオニス様とライト様をお連れいたしました」と領主に声をかける。
執務室の中から「お通ししてくれ!」という大きく元気な声が聞こえてきた。その聞き覚えのある声は、紛うことなくアレクシス・ウォーベックその人の声である。
執事が部屋の扉を開けて、レオニスとライトを中に通してから最後に執事も入室する。
部屋の左側にある執務机からアレクシスが席を立ち、両手を広げてライト達を出迎えに出てきているところだった。
「レオニス君!ライト君!ようこそ我がプロステスへ!」
「アレクシス侯爵、久しぶりだな」
「領主様、こんにちは!ご無沙汰してます!」
「黄金週間の祭りで会って以来だな。君達も元気そうで何よりだ。ささ、こっちに来て座ってくれたまえ!」
満面の笑みのアレクシスが、ライト達を心より出迎える。彼も既にライト達が来た理由を聞いているので、機嫌がハイテンションになるのも当然のことである。
応接セットのソファに座るよう案内されたライトとレオニスは、早速アレクシスとともにソファに座る。
三人がソファに座ってしばらくして、若いメイドがワゴンとともに執務室に入室してきた。
ワゴンで運んできたお茶とお茶菓子を、三人の前にそれぞれ置いていく。良質なお茶の良い香りが漂う中、アレクシスの方から早速話を切り出してきた。
「改めて、よくぞ我がプロステスまで遠路はるばる来てくれた。用件は門番から伝え聞いている。前にレオニス君に頼んでおいた例のものが入手できた、と思っていいのか?」
「ああ。俺達はさっき炎の洞窟から出てきたばかりでな。炎の女王から【炎の乙女の雫】もいくつかもらってきた」
レオニスが空間魔法陣を開き、中から件の品【炎の乙女の雫】を取り出した。
レオニスの手のひらに乗せられた、赤く煌めく数粒の珠のような雫。アレクシスは思わず身を乗り出しながら【炎の乙女の雫】に見入っている。
「おおお……これが、我らプロステスの民が愛して止まない炎の女王の雫か……何と美しい……」
その美しい輝きに見惚れつつ、ただただ感動に打ち震えるアレクシス。
小刻みに震える手を伸ばしながら、レオニスに問うた。
「レオニス君……もし良ければ、今ここで触らせてはもらえまいか?」
「ああ、いいぞ。どうぞ好きなだけ実物を眺めてくれ」
「ありがとう、恩に着る」
レオニスはアレクシスの願いを快く承諾し、アレクシスの手のひらの上に【炎の乙女の雫】を乗せた。
炎の女王の一部である雫。それを直接持って触れることができたアレクシスの感激は、如何ばかりか。
目をキラキラと輝かせながら雫を眺めていたアレクシスが、ここでふとあることに気づく。
「……ン? この【炎の乙女の雫】、色が若干違っていないか? どうも私の目には、色調が二種類あるように見えるのだが……はて、老眼かね?」
「いや、色が二種類あるってのは正しい。そもそもあんた、まだ老眼を患う歳でもなかろう」
「ぃゃぃゃ、私も年々あちこちガタがきていてね。全く、歳は取りたくないもんだよ……で、色違いで二種類あるというのは、一体どういうことだね?」
「ああ、これにはちゃんとした理由があってな。それは———」
アレクシスの質問に、レオニスが順を追って話しながら答えていく。
実はこの色違いの【炎の乙女の雫】、出来方が全く違う。
一つは火の女王と会えた時に流した涙の雫で、もう一つはその後帰り際に炎の女王が手のひらの上で生み出して追加でくれたものである。
これは、火の女王が乙女の雫を生み出した方法と同じで、強大な魔力を限界まで凝縮した品だ。
そして涙の方はというと、炎の洞窟から去る前にライトが床に落ちていた涙の雫を見つけて「炎の女王様!これ、【炎の乙女の雫】ですよね!? 頂戴してもいいですか!?」とおねだりして譲ってもらったのである。
ライトの目敏さには心底脱帽する他ない。
もちろん炎の女王はそれを快諾し、『何だ、汝らは乙女の雫が所望なのか? ならばそれっぽちでは足りなかろう。追加で出してしんぜる故に、しばし待て』と言って、気前良くその場ですぐに手のひらの上で作ってくれた。
その結果、色調の違う二種類の【炎の乙女の雫】が生まれた、という訳である。
「何と……色がより濃くて深い色をしている方が涙の雫で、明るく爽やかな色が手のひらから生み出された雫なのか」
「そういうことだ」
「炎の女王が涙することなど、また何か災難に遭われたのかと気を揉んだが……そうか、姉上に会えた喜びの涙だったのか。それは非常に喜ばしいことだな」
レオニスの話を聞いたアレクシスが、安堵の言葉を洩らす。
炎の女王が涙したと聞き、すわ一大事か!?と心配したアレクシスだったが、そうではなく喜びの涙だったと知ってホッとしたのだ。
だが、その安堵も束の間、一転してアレクシスの表情が翳る。
「しかし……ただでさえ世にも珍しい【炎の乙女の雫】が、色違いで二種類もあるとは……これは大問題だ」
「そうか? 一体何が問題なんだ?」
「私の私財で賄えるのは、雫一個までなのだ……何しろ先だっての鑑競祭りでは、乙女の雫は2000万Gと3000万Gで落札されていたからな。それより安い値で買い取ることなどできないだろう?」
「ああ、そういうことか……」
困り顔のアレクシスの言い分に、レオニスも納得する。
アレクシスはレオニスとの個人的な縁により、【炎の乙女の雫】を直接買い取ることができる。
買い取る値段はレオニスの言い値で買う、と伝えてあるため、まだ取引価格は決まっていない。
では、いくらなら適正価格か?と問われれば、実はこれまで値段など在ってないようなものだった。というのも、乙女の雫が市場に出たことなどほぼなかったからである。
だが、先日の鑑競祭りでのレオニスの出品により、2000万Gと3000万Gの値がついた。この事実は、同品の相場価格にかなり大きく影響を及ぼす。
実質的にレオニス以外の冒険者が乙女の雫を独自に入手できる可能性は低いため、これから先も市場においそれと出てこないだろう。
よって今後しばらくは、この落札価格が乙女の雫の基準価格となるのだ。
代々プロステス領主を務めるウォーベック家は、侯爵家だけあって所有財産もかなりあるだろう。
だが、2000万Gも3000万もする品物をホイホイと好きなだけ買えるほど大富豪という訳でもない。故にアレクシスは、色の濃い涙の方か、あるいは淡い色の手のひらの雫か、どちらを取るかを今ここで選択せねばならなかった。
「うーーーん……本音を言えば二つとも欲しいが、どちらか一つしか選べぬとなれば……ここはやはり、より貴重な涙を選ぶべきであろうなぁ……」
「まぁ、レア度で言えば涙の雫の方が上だろうなぁ」
アレクシスは散々苦悩した挙句、決心したようにレオニスに宣言する。
「……よし、決めた。レオニス君、この色の濃い方、涙の雫を譲ってくれたまえ」
「承知した」
「価格はいくらが希望かね? 私としては、できれば4000万Gくらいまでで抑えてくれると非常にありがたいのだが……」
やはりアレクシスは、より貴重な涙の雫の方を選んだ。
その気になればいつでも生み出せる手のひらの雫と、喜怒哀楽何らかの感情が揺さぶられたことで涙となって零れ落ちた雫では、稀少性が段違いなのは明白である。
そしてアレクシスは選択した後に、続けて価格交渉に入る。
本物の涙の雫という稀少性を考えれば、その価値は鑑競祭りでの落札価格よりはるかに上回る。
そうなると最低でも3000万Gに1000万Gを上乗せした4000万Gというのは、かなり妥当な線だ。
「4000万Gか。かなりの大金だが、ウォーベック家だけで賄えるのか?」
「そりゃキツいさ。我が家は侯爵家とは言っても、所詮はしがない地方領主に過ぎないからな。なので、分割払いにしてもらえると、なお助かるのだが」
「ハハハ、また正直な物言いだな」
「4000万Gというのは、あくまでも私が今すぐ提示できる最大の金額だ。もちろんそれより安くしてくれるならありがたいが、乙女の雫は君達二人にしか手に入れられない品だ。そんな君達と炎の女王への敬意を示すためにも、半端な値段はつけられんよ」
アレクシスの懐事情を心配するレオニスに、アレクシスは毅然として答える。
アレクシスのポケットマネーだけで、4000万Gもするものを買えるというのも驚きだ。だがそれ以上に、プロステスの予算には手を着けずにあくまでもウォーベック家の私財だけで賄おうという気概は、実に好ましいものだった。
「俺はあんたのそういうところ、好きだぜ」
「貴族嫌いで有名なレオニス君に好いてもらえるとは、何という栄誉か!これ程嬉しいことはない」
「あんたのその気概に免じて、【炎の乙女の雫】二種類を両方とも譲ろう」
「何ッ!? オマケでつけてもらえるということかね!?」
「ああ。値段も4000万Gも要らない。俺の出す条件を飲んでくれるなら、無償で譲ってもいい」
「!?!?!?」
レオニスの提案に、アレクシスは心底驚いた顔になる。
3000万G以上の出費を覚悟していたのに、何とレオニスは乙女の雫をタダで譲ると言い出したのだ。しかもどちらか一種類ではなく、二種類ともタダで譲るという。
アレクシスにとっては願ってもない話だが、気になるのはその条件だ。
「レオニス君の言う条件とは、一体何だね?」
アレクシスは期待と不安の入り混じった眼差しで、レオニスをじっと見つめていた。
炎の洞窟を出た後の、プロステス領主訪問話です。
本当は一話でまとめるつもりだったのですが。7000字を超えてしまったので、その時点で断念して分割することに。
そして、ライトの『もらえるものは全部いただきます!』という主義は、割と作者のポリシーを反映しています。
作者も例えば親戚の家を訪ねた際に「ほら、これ持っていきな!」と言われれば、一切遠慮することなく「わーい、ありがとーぅ♪」「いただきまーす♪」と喜びつつもらいます。
えぇえぇ、「そんな、悪いよー」とか「いいよいいよー、うちにもいっぱいあるから!」とか断るなんてことは、絶ッッッ対にいたしません。もらえる物は全部もらってから帰ります!
……そんな性格のせいか、つい先日父方の伯母の家を訪ねた際に、伯母に
「○○はね、うちに来るといつも「何かちょうだい」って言うからね!」
と言われてしまいました……
ええ、もちろん伯母に悪意やら私を貶める気など毛頭ありません。伯母の意図としては↓こうです。
(訳:だから今日もコレあげるからね。いつものように持って帰るんだよ)
そう、伯母の気持ちは分かってるんです。ですが……
おばちゃん!私、おばちゃんがくれるっちゅーもんをいっつも喜んでもらっていくけど、アレちょうだい!とかコレちょうだい!とか言ったことは一度もないよ!?
おばちゃんがいつも持ってけ持ってけ言う物だけ、素直にもらっているだけだよ!?
クレクレしたことは絶対に、絶対に一度だってねぇからね!?
だがしかし。年老いた伯母相手に、そんなムキになって抗議しても仕方がないので。
「ンーーー、ちょうだいって言ったことは一度もないはずだけどー……もしかして、心の声が漏れてたのかしらー?」
程度に笑い話にしておきました・゜(゜^ω^゜)゜・




