第652話 逆手に取る奇策
火の姉妹の感動の対面を無事果たしたところで、ライトは再び炎の女王の玉座近くに敷物を敷き始めた。
それは、ライト達が早めの昼食を摂るためである。
さっきから飲み食いばかりしているように見えるが、美味しいものを摘みながらの方が何かと会話も弾むというものだ。
特に炎の女王には、これまでの属性の女王達の安否報告もしなければならない。既にライト達は多くの属性の女王達に会ってきたので、それら全部を今ここで報告するとなると、必然的に話も長くなる。
故に、ここは腰を下ろしてのんびりと食べ物でも摘みつつ話をしていこう、という訳である。
水の女王に闇の女王、海の女王に光の女王、雷の女王。
これまでライト達が出会ってきた属性の女王達の様子を、事細かに語っていくライトとレオニス。
二人の話を、火の姉妹も実に興味深そうに聞き入っていた。
『何と……妾達のみならず、海の女王以外は皆何かしらの襲撃を受けておるのだな』
『火の姉様のところにも、奴等の魔の手が伸びていたのですか!? 』
『ああ。妾のエリトナ山にも、幾度となく骸骨の群れを寄越してきておる。その都度撃退してはおるが、骸骨の残骸が厄介でな……』
火の女王が炎の女王に、それまでのエリトナ山での出来事を語って聞かせた。
スケルトンの群れである死霊兵団が、何度もエリトナ山に進軍してきたこと。死霊兵団自体は火の女王の敵ではないが、撃退した後の残骸が何をどうしても焼き尽くせなかったこと。
そしてその山と積み重なった残骸を、ライトとレオニスが綺麗さっぱり片付けてくれたこと等々。
『妾だけでは飽き足らず、火の姉様のところにまで死霊の群れを率いて襲いかかるとは……何と卑劣極まりない輩どもでしょう』
『全くな……だが、妾の長年の悩みであった骸骨の残骸も、先程この者達の手によって一つ残らず浄化された。これでもうエリトナ山が不浄の地に堕ちる心配はなくなった』
『それは良うございました……火の姉様の御座すエリトナ山が不浄の地に堕ちるなど、絶対にあってはならないことです』
火の女王まで付け狙われていることを知り、炎の女王が我が事のように憤慨する。
しかし、死霊兵団の残骸が積み重なることで、火の女王が最も懸念していた『エリトナ山が不浄の地に堕ちる』という心配はもうなくなったことを告げると、炎の女王も安堵したように喜んだ。
『それもこれも、全ては其方がこの者達に他の姉妹の安否確認を頼んでくれたおかげだ。妹よ、心から感謝している。ありがとう』
『そ、そんな!姉様から礼を言われるなど、畏れ多いことです!……でも……妾のしたことが、少しでも姉様のお役に立てたなら……それはとても嬉しいことです』
『少しどころではない、本当に助かったのだ。妾の妹は、本当に賢くて利発な子で、姉である妾もとても嬉しい』
火の女王から礼を言われた炎の女王が、慌てつつも照れ臭そうにはにかむ。
しかし、実際のところ火の女王が言うことももっともで、もし炎の女王の依頼がなければライトとレオニスがエリトナ山に行くことはなかっただろう。もしいつか行くことがあったとしても、それはライトが冒険者登録してラグーン学園を卒業してからの話で、決して今この時期ではない。
十年近く先延ばしになっていたら、エリトナ山はもっと危機的状況に陥っていたかもしれないのだ。
それを考えると、炎の女王がライト達に安否確認を頼んだのは、まさに天の配剤もしくは神の思し召しかと思えるほどの最善のタイミングであった。
火の女王がそのことに心から感謝し、ライト達がエリトナ山を訪れる契機を作ってくれた炎の女王を褒め称えるのも当然のことである。
エリトナ山の死霊兵団の後片付けの話の流れで、ライトがふとレオニスに問うた。
「あ、そういえばさ。レオ兄ちゃん、浄化魔法の呪符は全部で何枚使ったの?」
「ああ、結局百枚手前くらいまで使ったかな。多めに持ってたから、足りなくなる心配はしてなかったが……それでもやはり結構な量を使ったから、やっぱ二百枚描いてもらっておいて正解だったわ」
「かなり使ったんだねー。でも、今日中に全部片付けられて本当に良かったね!」
「そうだな。……と、そういえば。炎の女王、あんたにお願いというか頼みがあるんだが」
レオニスもレオニスで、今の会話の流れで何か思い出したようで、炎の女王に向かって話しかけた。
『ン? 何ぞ?』
「あんたの身の内に巣食っていた穢れや、エリトナ山の死霊兵団の残骸を浄化するのに使った呪符。これのことなんだが……」
レオニスは会話しながら空間魔法陣を開き、浄化魔法の呪符『究極』を一枚取り出して女王達に見せた。
「この呪符を作成したのは、ピース・ネザンという人間の魔術師でな。人族の中では当代随一の魔術師で、全ての魔術師の頂点に立つほどの腕前なんだ」
『これが、妾と姉様を救いし呪符なるものか……かなり強力な浄化の力を感じる』
『ああ。妾も先程、エリトナ山の浄化作業の際にちらりと見たが……改めてよく見ると、その凄まじい力が秘められていることがよく分かる。人族がこれ程のものを作り上げられるとは、誠に驚くべきことよ』
レオニスが取り出してみせた呪符を、二人の女王が興味深そうに繁繁と見つめている。
その呪符は、火の姉妹の危機を退けた奇跡のアイテム。自分達を救ってくれた品の現物を間近で眺めては、ひたすら感心している。
「でな、これを描いたピースが炎の女王、あんたに会いたいと言っていてな。近いうちに、ピースを連れてここを訪れる予定だったんだ」
『そうなのか? それは妾としても願ってもないこと、是非とも妾を救う力を汝らに託してくれた者に礼を言いたい』
「そう言ってもらえるとありがたい。そいつはとても寂しがり屋でな、誰かから褒められることがとても大好きなやつなんだ」
『そうか。ならばここに来た時には、妾がたくさん褒めてたくさん礼を言おうぞ』
レオニスから呪符作成者であるピースのことを聞いた炎の女王、嬉しそうな声でピースとの面談を快諾した。
するとここで、火の女王も身を乗り出して話に加わってきた。
『何? この呪符を生みし者がこの炎の洞窟に来るのか? その時には是非とも妾も会いたいぞ』
「ン? 火の女王もピースに礼を言いたいのか?」
『然様。妾とエリトナ山も、その呪符によって救われた。しかも妾の妹の命まで救ってくれたのだ、妾からも直接その者に有って直接礼を言わねばならぬ』
「そうか……そしたらどうすればいい?」
火の女王もまたピースに礼を言いたいという気持ちは、レオニスにも十分理解できる。
それにきっと、火の女王もピースのことを褒め讃えてくれるだろう。炎の女王だけでなく、火の女王からも褒められればきっとピースも大喜びするはずだ。
火の女王の願いを受け入れることは、レオニスにとっても願ってもないことだ。だが、炎の洞窟から火の女王を呼び出す方法が分からない。
レオニスは火の姉妹にどうすればいいかを尋ねた。
『そしたらこの者達が再度ここに訪れし時に、妾の方から皆を連れて姉様のもとに馳せ参じましょう。ここにいる小さな火の精霊では、火を通じてエリトナ山のマグマまで飛ぶには少々力不足ですし』
『そうだな、それが一番良かろう。しかし……妹よ、移動するために魔力を消耗し過ぎたりはしないか? また体調を崩すようなことにはならぬか?』
『ふふふ、ご心配は無用です。先程姉様からたくさんの魔力をいただきましたし』
『ならいいが……よいか、決して無理はするでないぞ?』
『はい、承知しております。姉様に心配をかけるような真似はしません。むしろエリトナ山でマグマ浴すれば、今よりもっと元気になるやもしれませんし』
『そうか、ならばエリトナ山に来るのは我が妹に任せるとして……』
確かに炎の女王ならば、火の女王がそうしたように炎の洞窟の炎溜まりからエリトナ山のマグマまでひとっ飛びで移動できるだろう。
それには火の女王も同意しつつ、まだ病み上がりの妹の身体が心配なようだ。
そんな心配性の姉に、炎の女王は嫋やかな笑みを浮かべる。
頼もしい妹に火の女王も微笑みつつ、今度はライト達の方に向き直った。
『して、其方らはいつこの炎の洞窟に来る予定なのだ?』
「今から七日後から十日後の間には来るつもりでいた。今日出かけたエリトナ山から、まさか炎の洞窟に飛ぶことになるとは思いもしなかったが」
『そうか、では妾もそのつもりでエリトナ山で心待ちにしながら待機するとしよう』
次回炎の洞窟で落ち合う話がついたところで、火の女王が徐に立ち上がった。
『さて、妾はエリトナ山に帰るとしよう』
『火の姉様、もう帰ってしまわれるのですか?』
『ああ。こうして少しだけ外に出る程度ならいいが、長いことエリトナ山を空にする訳にはいかぬのでな』
『そうですね……エリトナ山を護る姉様が不在というのは、とても危険なことですものね……』
己の住処に帰るという火の女王の言葉に、炎の女王が一瞬にして寂しそうな顔になる。
しかし、彼女達にとって聖地であるエリトナ山をずっと空けておく訳にはいかない。
そのことを炎の女王も重々承知しているのか、しゅんと俯きつつも同意した。
寂しそうにしている炎の女王を、火の女王が優しく慰める。
『そんな顔をするでない。こうしてエリトナ山と炎の洞窟で行き来できることが分かったのだ、会おうと思えばいつでも会える』
『そうですね……今日は火の姉様に思いがけずお会いすることができて、とても嬉しゅうございました』
『妾も其方の元気な姿を見ることができて、本当に嬉しかったぞ。これからは何か起きたら、すぐにでもエリトナ山に遣いを飛ばして妾に知らせるのだぞ。よいな?』
『はい。姉様も、もし何かお困りのことがありましたら、いつでも妾にお知らせください。頼りない不肖の妹ですが、姉様のためならどんなことでも致します故』
互いに励ましの言葉をかけ合いながら、最後に再び熱い抱擁を交わす火の姉妹達。
その姿はとても尊く、傍で見ていたライトとレオニスも再び滝のような涙をダバダバダーと流していた。
『妾はここからエリトナ山に帰るが、レオニスにライト、其方らはどうする? 妾とともにエリトナ山に帰るか?』
「ンーーー、エリトナ山に戻るよりは、ここからプロステスに戻った方が余程早いんだが……」
「それはそうだけど、ゲブラーの街には戻らなくていいの?」
「そうなんだよなぁ……うーーーん……」
火の女王の問いかけに、特にレオニスがうんうんと唸りつつ悩んでいる。
エリトナ山に出かけるために、行きはラグナロッツァからゲブラーの街に移動したライト達。エリトナ山から戻ったら、再びゲブラーの街からラグナロッツァに戻るのが当然といえよう。
しかし、今からエリトナ山に戻ってシュマルリ山脈を下山するのも、それはそれでかなり面倒くさい。
一度エリトナ山に戻ってゲブラーから帰るべきか、それともこの炎の洞窟からプロステスに移動してちゃちゃっとラグナロッツァに帰るか。どちらにすれば、頭の中で天秤にかけるレオニス。
そうしてレオニスの中で出た結果はというと―――
「……よし、このままプロステスから帰るか!」
「えー、本当にそれでいいの? クレンさんやクレサさんに変な目で見られたりしない?」
「あいつらが俺のことを変な目で見るのは、今に始まったこっちゃない。むしろ『レオニスさんのことだから、多少変でも仕方がない』と思ってるはずだ!」
レオニスが拳を握りしめ、実に悔しげにわなわなと震えている。
まぁ確かに、クレア十二姉妹からの扱いは表向きかなりぞんざいに見える。
だがそれは、クレア十二姉妹の諦めの境地から来る包容力とも言えるかもしれない。……多分。
そして、その諦めの境地である『レオニスなら仕方ない』という扱いを逆手に取って、帰路をより楽ちんな方にしてしまえ!というレオニス。
今更あいつらにどう思われようと構わん!ということか。何とも大胆な策である。
『レオニスよ。もし近々エリトナ山の小噴火が起きたとしても、ここ炎の洞窟からエリトナ山に入ることができるようになる』
「そうだな。これからはエリトナ山に行く時には、この炎の洞窟から行かせてもらうことにするわ。その方が時間も労力もかなり節約できるしな」
「レオ兄ちゃん、良かったね!炎の女王様、これから何度もお世話になると思いますが、よろしくお願いします!」
『もちろんだとも。汝らは妾の命の恩人にして友。いくらでもここに来ておくれ』
炎の女王が差し出した手を、ライトもまたすぐに意図を察してそっと握る。
ライトと握手した後、すぐにレオニスとも握手を交わす炎の女王。
この光景をプロステス領主のウォーベック一族が見たら、嫉妬の炎をメラメラと燃やすかもしれない。
炎の女王とライト達の交流を見届けた火の女王が、安心したように微笑みながらライト達に声をかける。
『では、妾はエリトナ山に戻る。其方らも息災でな』
「ああ、近いうちにまた会おう」
「火の女王様も、ありがとうございました!またお会いできる日を楽しみにしています!」
『ふふふ、ほんに可愛らしい子よの。ではまた会おう!』
火の女王は瞬間移動してきた炎溜まりに向かい、そこから炎の中に飛び込んでいった。
先に火の女王の帰りを見送ったライトとレオニス。今度はライト達が見送られる番だ。
「じゃ、俺達もそろそろ帰るか」
「うん!炎の女王様も、元気になられて本当に良かったです!」
『ありがとう。それもこれも、全て汝らのおかげぞ。どれだけ感謝してもし足りぬ』
「その言葉を、後日ここを訪れるピースにも言ってやってくれ」
『相分かった。その者に会える日を、妾も心待ちにしておる』
炎の女王への別れの挨拶を済ませたライト達は、炎の洞窟を後にした。
もともと炎の洞窟には、ライトの夏休み中にピースとともに来る予定でしたが。
火の女王の思わぬ行動により、別ルートでの移動手段が開発されることに。
普段はウィカの水中移動に頼ってますが、さすがに火属性の拠点であるエリトナ山や炎の洞窟には移動できませんからね…( ̄ω ̄)…
しかし、そのおかげで火の女王と炎の女王が直接会って話をすることができて、結果的には良かったです。




