第642話 ささやかな願い
そうして三十分ほどが経過しただろうか。
ドライアド達はラウルのマカロンを食べてすっかり元気になり、ライトやラウル、レオニスにまとわりついたりウィカと遊んだりしている。
今回この四者の中で最も人気者なのは、実はウィカである。
この天空島には、黒猫どころか猫の類いは一匹もいない。一度も猫を見たこともないドライアドにとって、ウィカはとても物珍しい生き物で興味が尽きないらしい。
特にウィカの柔らかな毛並み、全身もふもふの魅力にすっかり魅了されたようで、ウィカに抱きついてもふろうとするドライアドが後を絶たない状態だ。
ウィカの取り合いで喧嘩が勃発しないよう、ウィカの横に一列に並び順番で代わる代わるもふるというモテっぷりである。
ここでライトがふと何気なく女子トーク陣の方に視線を向けると、何やら白銀の君が少しそわそわしているように見える。
何度も空を見上げたり、背中の翼が少しだけピコピコと動いていたり。どうやら時間的にそろそろ帰らねば……と考えているようだ。
その仕草から白銀の君の心情を察したライトが、白銀の君のもとに駆け寄り話しかけた。
「白銀さん、もうそろそろ帰りたいですよね?」
『え!? い、いえ、決してそのようなことは……』
「ぃぇぃぇ、シュマルリ山脈まで飛んで帰るには少し遅いくらいですしね」
『え、ええ。本当に、とても名残惜しいのですが……そろそろ出立せねば、シュマルリに着く頃には日が暮れてしまいます……』
ライトの問いかけに、白銀の君が小さな声でゴニョゴニョと言い募る。思いっきり図星だったようだ。
名残惜しいというのも本当のことだが、もうそろそろ帰らねば竜王樹のもとに帰る頃には夜になってしまう―――白銀の君がそう焦るのも無理はない。
早朝に出立した白銀の君達が、夜になっても帰ってこないとなればユグドラグスもきっと心配するだろう。
我が君と慕うユグドラグスに心配をかけることは、白銀の君には絶対にできないのだ。
そんな白銀の君に、ライトが明るい声で話しかける。
「でも!安心してください!ドライアドの里の泉が結構大きかったので、ウィカの水中移動が使えるはずです!」
『ウィカの水中移動、ですか……?』
「お、そうなのか?」
「うん!ドライアドの泉も、今朝見たラグスの泉くらいの大きさがあったよ!」
「そうか……ならきっと白銀の君でも通れるな」
「だよね!ラウルともそう話してたんだ!」
ライトの話にレオニスも乗ってきた。
天空島に泉があるとは思っていなかったので、行きは白銀の君の背に乗って連れてきてもらったライト達。だが、天空島にもラグスの泉と同等規模の泉があるならば、これを使わない手はない。
「じゃあ、まずはここから目覚めの湖に向かうか。水の女王を送り届けた後、ツィちゃんのところに寄り道してもいいし」
「それいいね!飛んで移動する時間が丸ごと節約できるから、ツィちゃんのところに寄っていくのも普通にアリだよね!」
『ツィちゃん? 寄り道?』
ライトとレオニスの会話に、白銀の君が不思議そうな顔をしている。
早く帰宅したい、という話だったはずなのに、どこをどうすれば寄り道などという真逆の話になるのかさっぱり分からないようだ。
そんな白銀の君に、レオニスがとりあえず帰りの方法を解説する。
「俺がウィカに頼んで、いつもカタポレンの森からラグスの泉に移動してもらっているのは、白銀の君も知っているだろう?」
『ええ。そこの水の精霊、ウィカは見知った水場ならばどこでも自由に移動できるのですよね?』
「そう、それをこの天空島にあるドライアドの泉で行おう、という話だ」
『!!……そんなことができるのですか?』
ようやくレオニスの話が理解できてきた白銀の君。
いつもは冷静沈着な涼し気な目が大きく見開かれ、驚きに満ちた顔になっている。
「水中移動するには、通る者の身体の大きさ程度は水がないとダメなようでな。あんたの身体より小さい水場だと無理だが、ラグスの泉は十分な大きさがあるよな?」
『え、ええ、ラグスの泉は私の身体二つ分くらいはありますね』
「でもって、この天空島にあるドライアドの泉も、ラグスの泉くらいの大きさなんだと。と、いうことは、だ。白銀の君、あんたに対してもウィカの水中移動が使えるってことだ」
『なるほど……確かに理屈としては、十分に通りますね』
白銀の君が納得したように頷く。
ようやく理解してもらえたようなので、レオニスはユグドラエルの方に向き直った。
「ユグドラエル、俺達はもうそろそろ帰らなきゃならない」
『そうですか……名残惜しいですが、貴方達にも日々の生活がありましょう』
「ああ。俺達も本当に名残惜しいが、ドライアドの泉を介した移動ができるならまたいつでもここに来れるようになる」
『まぁ、そんなことができるのですか?』
「またウィカの世話になるがな」
「うなぁーん?」
レオニスに己の名を呼ばれたウィカ、ドライアド達に埋もれながら返事をする。
レオニスがウィカのもとに寄り、ドライアド達をヒョイ、ヒョイ、と掴んでは、ウィカの横にいたラウルにポイポイ、ポイー、と手渡していく。
ウィカから引き剥がされているというのに、キャー☆キャー☆と楽しげな笑い声を上げているドライアド達。今度はラウルが再びドライアド塗れになっていくのが何とも微笑ましい。
ドライアドから掘り出したウィカを、レオニスが抱っこしながら頼み込む。
「ウィカ、俺達を一旦目覚めの湖に連れていってくれるか?」
「うにゃぁん!」
「そっか、ありがとう。いつも厄介かけるな」
「うなにゃにゃ、にゃごにゃーご!」
いつも以上ににこやかな糸目笑顔で応えるウィカ。
『もちろん!』『そんなの気にするな、いいってことよ!』と言っているようだ。
話がまとまったので、ライト達は改めてユグドラエルの前に整列して並ぶ。
「ユグドラエル。今日は突然押しかけてきたにも拘わらず、俺達を心から歓迎してくれたこと、感謝している」
「ユグドラエルさん、ぼくも貴女に会えて本当に嬉しかったです!」
「ツィちゃんの姉ちゃんに会えて、俺も嬉しかった」
『私も我が君ユグドラグス様の姉君にお会いできて、言葉を伝えられただけでなく、たくさんのお話までさせていただけて……本当に嬉しゅうございました』
『私も飛び入りでここに来てしまいましたが、ユグドラエル様にお会いできて……本当に光栄です!』
「うにゃッ」
それぞれが、それぞれの言葉でユグドラエルに今日の感謝の気持ちを伝えていく。
別れの挨拶ではあるが、そこに悲しみは一切ない。泉を介していつでもここに来れることが分かっているのだから。
ライト達の言葉に、ユグドラエルも優しい口調で皆に語りかける。
『こちらこそ、礼を言わねばなりません。今日は本当に―――本当に善き日でした』
『末弟のユグドラグスやユグドラツィ、ユグドラシアの分体の置き物を届けてもらったり、人族に妖精、竜の女王、水の精霊に水の女王……こんなにもたくさんの珍しい客人に囲まれて、これ程楽しいひと時を過ごしたのは長き我が生涯の中でも初めてのことです』
『またいつでも遊びにいらしてくださいね』
ユグドラエルの言葉を静かに聞き入っていたライト達にも笑顔が浮かぶ。
『さぁ、ドライアド達。新たな友人達を泉まで送って差し上げてください』
『えー、皆もう帰っちゃうのー?』
『つまんなーい』
『もっといっしょに遊びたいのにー』
ライト達が帰ることに不満そうなドライアド達。
だが、ライト達にも帰る家があることはドライアド達にも分かるので、ぶーぶーと文句を言いながらもラウルから少しづつ離れていく。
『ラウル、また遊びに来てね?』
「おう、今日でマカロンの在庫がほぼ尽きたからな。また新しく作って、土産にたくさん持ってくる」
『ホント!? 楽しみに待ってるわ!』
『ウィカちゃんも、また遊びに来てね?』
「うにゃにゃ!」
ドライアド達が名残惜しそうに、ラウルやウィカに話しかけている。
ラウルは一番最初に友達になった同族として、ウィカはその無敵のもふもふパワーでドライアド達とすっかり仲良しになっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
皆に帰りの挨拶も済ませたし、さぁ帰ろうかという時に、ユグドラエルがライト達に話しかけてきた。
『あ、あの……』
ユグドラエルの方から声をかけておいて、それでいて何故だかとても言い難そうにしている。
何とも歯切れの悪い言葉に、ライト達が不思議そうな顔をしながらユグドラエルを見上げる。
「ン? 何だ、どうした?」
『その……あと一つだけ、私から皆にお願いしたいことがあるのですが……』
「お願い? ぼく達のできることだったら、何でもしますよ?」
「おう、ツィちゃんの姉ちゃんの頼みごとなら聞き届けてやらんとな」
『私も微力ながら尽力させていただきます!』
ユグドラエルのたっての頼みごとと聞いたライト達、張り切ってその願いを叶えるという。
それまでおずおずとしていたユグドラエル。皆から好意的な返事を得て勇気が出たのか、その願い事を口にした。
『私のことも『エルちゃん』と、呼んでもらえますか……?』
「……エ、エル、ちゃん?」
『あ、あのですね!ユグドラシアが『シアちゃん』で、ユグドラツィが『ツィちゃん』と呼ばれているならば!私のことも『ユグドラエル様』ではなく『エルちゃん』で良いと思うのです!』
「「「「『………………』」」」」
思いがけないユグドラエルの望みに、ライト達一同は唖然とする。
ユグドラエルは途中から次第に大きな声になっていき、ライト達に向かってその思いを込めて懸命に訴えかけてきた。
だが、確かにユグドラエルの言い分ももっともである。
神樹族の他の姉妹が『シアちゃん』『ツィちゃん』という愛称で呼ばれているのならば、自分だって可愛らしい愛称で呼んでもらいたい―――ユグドラエルがそう思うのは自然なことだ。
もっとも、ユグドラシアやユグドラツィのちゃん付けの呼び方も、ライト達にしてみればそのつもりは全くなかったのだが。そしてそれは、主にどこぞの某霊鳥族の族長末娘のせいだったりする。
『あの……やはり、ダメ……でしょうか……?』
未だに一言も返せずにいるライト達に、ユグドラエルは再び自信を失くしてしまったのか、どんどん声が小さくなっていく。
その声は今日会話してきた中で最も小さく、とても自信なさげな気弱な声だった。
ユグドラエルは、原初の神樹として全ての者から敬われる立場。この世に実在する者の中でも、指折り数える程に高位の存在であることはユグドラエル自身も理解している。
そんな自分を、ちゃん付けで呼んでほしい―――これがどれだけ我儘なことを言っているのかを、ユグドラエルは自覚していた。
だが、同じ高位の存在である他の神樹が、そうやって皆から親しみを込めて呼ばれているならば―――自分にもそう呼んでもらえる資格があるのではないか? ユグドラエルはそう思ったのだ。
そしてそんなユグドラエルの気持ちを真っ先に理解し、そのささやかな願いに応えたのはラウルだった。
「エルちゃん、か。ま、可愛らしくていいんじゃねぇか?」
「……うん、そうだよね!妹のツィちゃんやシアちゃんも、もうずっとちゃん付けだし!」
「だったらユグドラエルも、お揃いの『エルちゃん』で呼んであげるのは当たり前だな」
『……偉大なる原初の神樹に対し、甚だ無礼かとは存じますが……ご自身がそう望んでおられるのでしたら……』
『『『エルちゃん様ー♪』』』
『エルちゃん……いいなぁ……私も皆に『女王ちゃん』って呼んでもらおうかしら?』
ラウルの「いいんじゃね?」という賛成の声を皮切りに、ライトもレオニスも、そして神樹に対して従順な白銀の君までもが戸惑いつつも承諾する。
ドライアド達は何故か語尾に『様』がついたままだが、一応『エルちゃん』と呼んでいるので誤差の範疇だろう。
最後の水の女王の呟きだけは、どうもおかしな方向に向かっているようだが。
願いを聞いた直後こそ、戸惑い固まっているライト達だった。しかし、神樹をちゃん付けで呼ぶのはこれが初めてのことではない。
ユグドラシアにしろ、ユグドラツィにしろ、彼女達自身がそう呼べ!と所望してきたのだ。神樹族の長姉であるユグドラエルがその中に加わったところで、もはや臆することでもない。もう今更なのである。
「じゃ、これからはユグドラエルのことは『エルちゃん』と呼ぶことにしよう」
「賛成ー!」
『『『エルちゃん様ー♪』』』
『皆……ありがとう……』
ラウルの呼びかけに、ライトやドライアド達が大賛成し、半数くらいのドライアドがユグドラエルの幹にまとわりつくように抱きついた。
わらわらとくっつくドライアドに、ユグドラエルの枝葉がざわざわとざわめきながら礼の言葉を口にする。感極まるその声からも、彼女がとても喜んでいることがライト達にも伝わってくる。
そこにレオニスが、ユグドラエルに声をかけた。
「エルちゃんと呼ぶのはもちろんいいが、そのことはエルちゃんの方からパラスや他の警備隊の者達にも伝達しといてくれよ? でないとまた俺達が無礼者として締められちまう」
『もちろんですとも。貴方達が帰った後、すぐに皆に伝えておきます』
「頼んだぞ、エルちゃん」
レオニスがユグドラエルに周囲への根回しを要請し、ユグドラエルもこれを快諾する。
先にちゃんと根回しをしておいてもらわないと、次回ここを訪ねた時にあのお堅い警備隊隊長パラスにお仕置きされてしまう。レオニスのそこら辺の用意周到さは、ベテラン冒険者ならではの知恵である。
『では私もドライアド達に倣い、エルちゃん様と呼ばせていただくことにしますね』
『白銀の君もありがとう。とても……とても嬉しいです』
白銀の君は、ドライアド達の真似をして『エルちゃん様』と呼ぶことにしたらしい。
ユグドラエルは、白銀の君が慕って止まない竜王樹ユグドラグスの姉。その姉君をちゃん付けで呼ぶのはかなり抵抗感があるようだが、ドライアド達のように『様』までくっつけることで何とかその抵抗感を少しでも払拭しよう、という訳だ。
ユグドラエルを敬いつつも、彼女の願いを何とか叶えようとする白銀の君。その涙ぐましい努力は、彼女の真面目で真摯な性格を現しているようだ。
「じゃ、またな」
『皆もどうぞお元気で』
「エルちゃん、また来ますね!」
『貴方達にまた会える日を、心から楽しみにしていますよ』
「ツィちゃんやシアちゃんにも、今日の話を伝えておくからな」
『ツィやシアにもよろしく伝えてくださいね』
ライトやレオニス、ラウルが再び別れの挨拶をする。
ライト達に続き、白銀の君や水の女王もユグドラエルに挨拶の言葉をかける。
『エルちゃん様、我が君にたくさんの楽しい土産話ができました。本当にありがとうございます』
『ユグドラグスにも、私がとても喜んでいたと伝えてください』
『エルちゃん、今日は思いがけずお会いすることができて嬉しかったです!』
『私も、この島にいながらにして水の女王に会えるとは、夢のようです。天空島に来てくれて、本当にありがとう』
本来なら会うこともなかったであろう、竜の女王に水の女王。
彼女達との思いがけない邂逅に、ユグドラエルもまた歓喜に満ちていた。
ドライアド達に連れられて、森の中へと歩いていくライト達。白銀の君だけは空を飛び、泉のある方向に向かっていく。
天空島を去りゆくライト達の後ろ姿を、ユグドラエルはいつまでも静かに見送っていた。
ようやくライト達が帰る時がきました。嗚呼ここまで長かった……って、まだ完全には帰宅してませんけども。
遠足は、おうちに帰るまでが遠足!とはよく言ったもので。そういった意味では、ライト達の天空島の旅はまだまだ終わらn(以下略
そして、最後の最後にユグドラエルがその願いを叶えました。
ユグドラエルは生みの親たる作者に似て、とても奥ゆかしくて遠慮がちな子なので、我儘を口にすること自体がかなり勇気が要ることでした。
……って、え? 上記記述の一部に対して、何やら激しい抗議の声が聞こえてきた気がしますが。多分気のせいでしょう。キニシナイ!( ゜з゜)~♪




