第609話 末弟への贈り物
白銀の君がその巨体をふわりと浮かせ、山頂に向かっていく。
その気になればすぐにでも、それこそ一瞬のうちに竜王樹のもとに着くだろうに、何故か非常にゆっくりとした飛び方をしている。
レオニスは白銀の君の手の上で、どっかりと胡座をかいて座っている。さすがに立ったままだと、バランスを崩して落っことされてしまいかねないからだ。
そんなレオニスに、白銀の君が話しかけた。
『其方の目的は、本当に先程言っていた二つだけなのですか?』
「ああ。それ以外にあるように見えるのか?」
『人族は、他者を欺くのが得意な輩が多いものですから……』
「ン、それはまぁ……否定はできんというか、認める。もちろん俺個人は違うがな」
未だに疑うかのような白銀の君。
だがそれを『人族は嘘つきが多いから』と言われれば、レオニスも強く否定できないのは確かだ。
『人族に限ったことではありませんが……極稀に、我が君を狙う不届き者が出てくるのです』
「まぁなぁ、神樹という存在自体が貴重だからなぁ……いろんな意味で付け狙われたりするんだろうな」
『時には数多の邪竜を率いて襲来する愚か者もいて……もちろんその都度私が焼き払ってはいますが』
「…………」
白銀の君がため息をつきつつ語る、不届き者の話。
中でも邪竜の群れを率いて襲いかかるような存在など、一つしかないだろう。
レオニスも当然そのことに思い至るが、ここでは特に言及しない。
もしレオニスが頭の中で考えている心当たりが正解だったとしても、奴等の力では白銀の君を退けることなど不可能だろう。
改めて問い質すにしても、竜王樹といっしょにいる時に聞いた方がいいか、とレオニスは考えていた。
そうして白銀の君が降下し始めた。どうやら竜王樹のもとに着いたようだ。
白銀の君の手のひらの隙間から、下の方を窺うレオニス。レオニスの眼下には、巨大な樹木があるのが見えた。
その巨大な樹木の真横に、ふわりと降り立つ白銀の君。無駄に強い風圧を起こさないようにするためか、ゆっくりと着地する。
白銀の君が、巨大な樹木に向かって恭しく語りかける。
『我が君、貴方様を訪ねてこられたお客人をお連れしました』
『僕にお客人、かい?』
『はい。カタポレンの森から来た人族のようです。何でも、神樹ユグドラツィの遣いである、と』
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『ユグドラツィ姉様の遣い!?』
白銀の君が告げた言葉に、竜王樹は驚きを隠さない。
白銀の君の手が地面近くまで下ろされて、そこからレオニスはヒョイ、と飛び降りた。
竜王樹の前に立ったレオニスは、眼前に聳え立つ神樹の雄大な姿を見上げる。
その大きさは、ユグドラツィはもちろんのことユグドラシアにも負けないほどの高さと樹勢を誇っている。その真横に控えている上位竜、白銀の君でさえも小型犬程度に映るほどだ。
幹は明るい茶色で、瑞々しい葉がこれでもかというくらいに生い茂る。
まさに『威風堂々』という言葉がぴったりの威容だった。
『……貴方が、ユグドラツィ姉様の遣い……ですか? 確かに貴方からは、神樹族のみが持つ独特の強い氣が感じられますが……』
「ああ。俺は人族のレオニスという者だ。カタポレンの森に住んでいてな、ユグドラツィのツィちゃんはうちのご近所さんなんだ」
『ツ、ツィちゃん……ご近所さん……』
威風堂々とした威容の割に、若々しくて張り艶のある声。
しかもどこかおどおどとしたような声音で、突然の来訪者にかなり戸惑っているようだ。
だが、レオニスの身体から発するユグドラツィの気配を、ユグドラグスも感じ取っているという。
やはり神樹族同士、互いに感知できるオーラを持ち合わせているのだろうか。
「貴兄が竜王樹ユグドラグスとお見受けするが。間違いないか?」
『は、はい。私の名はユグドラグス。この地に生を受けてまだ九百年程度で、神樹族の中では本当に若輩者です』
「そうか。六番目の神樹に拝謁できたこと、心より光栄に思う」
『……!!』
レオニスは竜王樹に対し『貴兄』という敬称を使って呼びかけた。
これは、先程ユグドラグスが己のことを『僕』と言っていたのを聞いたためである。
そして自分が六番目の神樹であることを、レオニスに先に言われたことでユグドラグスはまたも驚きを隠せない。
そもそも神樹の所在地を知る人間は少ない。知っていたとしても、実際にその地まで辿り着ける者はさらに限られてくる。
神樹と人族は、物理的にも精神的にも気軽に触れ合える間柄ではないのだ。
それ故に、ユグドラグスが六番目の神樹であることを知っている時点で、レオニスが本当に神樹とそれなりに交流を持っていることの証明となったのである。
それまでおどおどしていた竜王樹の声音が、その時を境に穏やかで明るさを伴ったものに変わる。
『私が六番目の神樹であることを、ご存じということは……貴方は本当に、ユグドラツィ姉様の遣いなのですね』
「ああ。もともと俺は別の用事があって、このシュマルリ山脈に来たんだ。で、そのついでと言っては甚だ失礼かもしれんが、その近くにツィちゃんの弟妹がいるって聞いてな。是非とも直接会って、ツィちゃんからの贈り物と言葉を届けたかったんだ」
『ユグドラツィ姉様からの、贈り物……ですか?』
ユグドラグスの枝が、風も吹いていないのにわっさわっさと揺れる。
それはまるで、レオニスの『贈り物』という言葉に反応した彼のワクワクした心を表しているかのようだ。
レオニスはその場で空間魔法陣を開き、これがいいかな、と言いながらバングルを取り出した。
レオニスは取り出したバングルを、ユグドラグスによく見えるように高々と掲げる。
「竜王樹よ、これが何だか分かるか?」
『それは……ユグドラツィ姉様の気配を感じます……』
「そうだ。この腕輪はツィちゃんの枝で作ったもので、ツィちゃんの分体が込められている」
『分体……?』
「ツィちゃんの分体が入っていることで、この腕輪を通してツィちゃんはここの景色を見ることができるんだ」
『!!』
レオニスは、分体入りアクセサリーの用途を説明した。
まず神樹の枝を用いたアクセサリーを作り、そこに神樹の分体を入れる。そうすることで、神樹はアクセサリーを通してその周囲の景色を見ることができる。
そしてそのアクセサリーは、レオニス他たくさんの友達が装飾品として身に着けることで、より多くの景色を眺めることができるようになるのだ、ということ等々。
「俺はツィちゃんの友達として、世界中のいろんな景色をツィちゃんに見せてやる、と―――そう約束したんだ」
『世界中の、景色……』
「ツィちゃんの友達は、俺だけじゃないぞ? 他にも俺の養い子のライト、妖精のラウル、八咫烏のマキシ、ツィちゃんにはたくさんの友達がいるんだ」
『そんなにたくさんの友達に恵まれているなんて……ユグドラツィ姉様は、とても幸せな日々を過ごしておられるのですね』
レオニスが滔々と語る話に、ユグドラグスは羨望の言葉を漏らす。
それは、兄姉の幸せな日々を知り心より喜んでいて、でもちょっぴりだけ羨ましげな声だ。
そんなユグドラグスの心情を察したかのように、レオニスは話を続ける。
「だが、俺達はあくまでも友達であって、同族ではない。異種族同士、友情を育むことはできるが、家族に対する思いはまた別物だ」
「これは妖精のラウルから聞いた話だが……ツィちゃんがこんなことを言っていたそうだ」
「『もし生まれ変わる時が来たら、次は鳥になりたい』『鳥になって、神樹の皆全員に会いに行きたい』……と」
『!!!!!』
レオニスがユグドラツィの言葉として伝えたそれは、ユグドラグスの中にも常に思い抱いていたものだった。
「だが、そんな遠い未来や輪廻転生を待たずとも、分体を入れた神樹の枝を届ければ願いは叶うんだ」
「そりゃ、直接会って互いの姿を見ながら話を交わせるとまではいかないが……それでも、互いの気配をより強く感じることができる」
「それこそ今以上に、常にいっしょにいるくらいに身近に感じることができるはずだ」
そこまで話すと、レオニスはふわりと宙に浮いた。
「この腕輪を、雨風が吹いても飛ばされないような、絶対に失くさないところに置きたい。竜王樹の幹とか枝とか見て、設置場所を探すことを許してくれるか?」
『もちろんです。存分に探してください』
ユグドラグスの許可を取ったレオニスは、早速飛んで主に幹の太い部分を中心に見て回る。
幹周りだけで何百メートルとある太さだけに、一周するだけでもそれなりに時間がかかる。
そうしてユグドラグスの周りを、高さを変えて何周かしたレオニス。その目にふと小さな洞が映る。
レオニスはその洞に手を入れて、大きさや奥行きなどを確かめる。
小さな洞と言っても、それはレオニスの頭一つ分くらいはありそうな大きさだ。洞の中は底が少し凹んでいて、腕輪を置くのにちょうど良い。
高さも幹の上の方で、余程の台風などでもない限り雨水も溜まることはなさそうだ。
洞の作りを確認したレオニスは、その中に腕輪をそっと入れた。
『ああ……ユグドラツィ姉様……』
ユグドラツィの分体が入れられた腕輪が、レオニスの手で洞に入れられたことで、ユグドラツィの気配をより強く感じることができたユグドラグス。
思わず漏れた小さな声は、感極まって微かに震えていた。
六番目の神樹、ユグドラグスの初登場です。
世界で六本あるうちの六番目なので、末弟=末っ子ですね。
末っ子で一番若輩者なので、一人称は『僕』。樹齢九百年超えてんですけどね、そこは末っ子特性ということで。
分体入りアクセを洞に直接入れるというのも、よくよく考えるとヘソピみたいよね!とか、ちとアレな気がしないでもないのですが(=ω=)
神樹は人間のように手足を自由に動かすことができないし、神樹自身がアクセの取り外しや移動、付け替えなどを行える訳もないので。最初からもう絶対に失くさない場所に安置するしかないのです。




