第549話 八咫烏の里での晩餐
それぞれにすべきことをこなし、族長一族が再びユグドラシアのもとに全羽集ったのは、空がとうに茜色に染まっていた。
「フギン兄様、ムニン姉様、おかえりなさい!」
「おお、何だかいつも以上に羽根の乱れがすごいことになってるな……」
「見苦しい姿をお見せして申し訳ありません、父様」
「二羽とも、沐浴は済ませてきたの?」
「はい、これでも一応沐浴してきております」
最後に帰ってきたフギンとムニン。バッサバサに毛羽立った二羽の姿に、心配そうに問いかけるウルスとアラエル。
二羽が衛兵達の訓練を直々に担当することは、実は滅多にない。日々の鍛錬は、基本的に次姉トリスと次兄ケリオンが行っている。
何故かと言えば、フギンとムニンでは鍛錬が厳し過ぎて毎日では衛兵達がついていけないからだ。
その厳しさは、今のフギンとムニンのボロボロな姿を見れば自ずと分かるというものである。
そんな二羽の姿に、ユグドラシアが労いの言葉をかける。
『フギン、ムニン、お疲れさまでした。貴方達の頑張る姿は、ここからでもよく見えておりましたよ』
「!! シア様にお褒めいただけるなんて、身に余る光栄です!」
「シア様からの栄誉のお言葉を胸に、これからも精進いたします!」
ユグドラシアに褒めてもらった二羽が、大神樹に向かってその場で跪きながら頭を垂れる。堅物過ぎるくらいに、本当に生真面目な兄妹である。
そんな兄妹を、母であるアラエルが両翼でそっと包み込む。
「二羽とも今日はとても頑張ったのね。本当にお疲れさま」
「母様……」
「ありがとうございます……」
アラエルの翼の内側から発する淡く温かい光が、フギンとムニンを癒やしていく。
その効果は凄まじく、沐浴だけでは取り除ききれなかった疲れはもちろんのこと、荒れて毛羽立った羽根の毛並みや色艶まで元通りの美しさを取り戻していく。
実はアラエルは、八咫烏一族で一番の回復魔法の使い手である。
その腕前は里一番と謳われるだけのことはあり、翼や脚が折れた程度なら一瞬で治してしまう。それだけでなく、軽い病気などもアラエルは治癒魔法で治せるという。
まさにアラエルは、八咫烏一族の聖女にも等しい存在だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「あー、腹減った。ラウル、ちと早いがぼちぼち晩飯の支度を始めてくれるか」
「おう、いいぞ。晩飯も豪勢にいくか」
「それいいね!皆でラウルの美味しい晩御飯食べようよ!」
「ラウルちゃん、私もお手伝いするー!」
「おう、ミサキちゃんも手伝いよろしく頼むな」
「うん!!」
レオニスの要請を快く受け入れるラウル。
レオニスも今日は鍛錬場で八咫烏の衛兵達を相手に指導したので、いつもよりも早めに空腹になっているようだ。
早速晩御飯の支度を始めるラウル。支度といっても、昼食の時のように敷物を出してから調理済みの品々を出していくだけなのだが。
積極的に手伝いを買って出たミサキは、マキシとともに敷物を広げる手伝いをしている。他の八咫烏達も、ミサキにばかり手伝いをさせまいと皆で敷物を並べる手伝いをする。
敷物の端っこを持ちながら、綺麗に並べていく八咫烏達の姿は何とも微笑ましい。
空を飛べる八咫烏が地面に敷物を敷くなんてことは、おそらくというか間違いなく今まで一度も経験したことがないだろう。初めてのことで覚束ない手伝いだが、それでも晩御飯の支度を整えるために懸命に手伝う八咫烏達。
八咫烏一族の生真面目さがよく分かる光景である。
敷物が敷けたら、次は大神樹ユグドラシアへの水遣りだ。
ライトはレオニスの他に八咫烏の男衆にも集まってもらい、一人 or 一羽につき一個のバケツを割り当てて、ブレンド水をユグドラシアの根元にかけてもらっている。
ちなみにブレンド水のメニューは、昼間に出したものとラインナップは同じで混ぜる回復剤の量を二倍にした『濃いめバージョン』である。
ウルス達が順番に水遣りしている間、ライトはユグドラシアに向かって「晩餐用にリッチにしました!」と笑顔で解説する。
そして、ブレンド水を順次飲むユグドラシアの方も『おお……昼間にいただいた水も美味しかったですが、これはさらに滋養豊富で魔力が漲りますね……』と嘆息している。
ユグドラシアもライトのブレンド水を結構気に入っているようだ。
一方でマキシと八咫烏の女衆は、ラウルが空間魔法陣から続々と出す料理を綺麗に並べていた。
狗狼肉のミートボール、氷蟹の蟹クリームコロッケ、エンデアンの青タコを用いたタコ焼き、ジャイアントホタテの酒蒸し、砂漠蟹とレタスのサラダ等々、昼食以上の豪華さである。
「この後デザートも出すからな、皆楽しみにしとけよー」
「ラウルちゃん、デザートってなぁに?」
ラウルの言葉に、早速ミサキが反応する。
八咫烏にはデザートどころか食事の概念もほとんどないので、デザートという言葉自体が何を指すものなのか全く分からないのだ。
ミサキの質問に、ラウルが優しい口調で答える。
「デザートってのはな、食後に食べる甘いものを指す言葉だ。例えば前回ここで出した揚げドーナツや、アップルパイなんかがそれに当たるな」
「ドーナツ!アップルパイ!あれ、すっごく美味しかったー!今日もあんな美味しいものをご馳走してくれるの?」
「もちろんだ。食後にデザートは欠かせんからな」
「ありがとう!ラウルちゃん、大好きー!」
デザートとは何たるかを知ったミサキ、大喜びでラウルに抱きついた。
何とも無邪気な末妹に、少し離れたところからその様子を見ていた双子の兄は「……僕もラウルにお料理習おうかな」と密かに呟いている。
「さ、支度ができたから皆で食べるか」
「そしたらレオ兄ちゃん、ご挨拶よろしくね!」
「おう。皆今日一日ご苦労さん。ラウルの美味しいご飯で一日の疲れを癒やし、明日の活力としてくれ。では……いッただッきまーす!」
「「「いッただッきまーす!」」」
皆で合掌しながらレオニスの挨拶を聞き、いただきますの唱和をする。
昼間にも昼食の挨拶としてしたことなので、八咫烏達も誰に言われることなく自らちゃんと合掌していた。やはり八咫烏は知能が高く、賢い種族である。
唱和の後、早速皆で豪華な料理を食べていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「さぁ皆さん、お待ちかねのデザートですよー」
「「「おおおー♪」」」
メインディッシュを一通り食べた後、ラウルの予告通りデザートタイムに突入する。
普段スイーツなど食べたことのない八咫烏達。前回のマキシの里帰り時に経験した、スイーツの衝撃的な美味しさを皆覚えているようだ。
キラキラと目を輝かせ、両翼の拍手でもって歓迎するくらいに嬉しいようである。
今回のデザートメニューは、揚げドーナツにアップルパイ、チョコレートクッキーにブラウニー、苺のタルトに各種フルーツ盛り。
どれも八咫烏達の嘴でも簡単に食べられるように、一口大にカットされている。
「さ、皆好きなものを適当に摘んでくれ」
「うわぁ、どれも美味しそう!いッただッきまーす♪」
「では我等もご相伴に与るとしようか。いッただッきまーす♪」
「「「いッただッきまーす♪」」」
ミサキだけでなく、ウルス他族長一族全羽が再び食事の挨拶を唱和する。
威厳に満ちたウルスや堅物なフギン、ムニンまでもが明るい声で「いッただッきまーす♪」と唱和しているのが何とも面白おかしい。
「甘くて美味しーい♪」
「でざーと、と一口に言っても、様々な種類があるのですねぇ」
「人族の食事とは、何と複雑かつ奥深きものよ……」
「我等は食事など摂らずとも、このカタポレンの森の魔力だけで生きていけるが……こうして皆と同じ席で、ともに何かを食べるというのも良いものだな」
「そうですね。こうして会話を交わしながら、食事とともに交流を深められるのは良いことですわ」
ラウルの特製スイーツを堪能しながら、口々に感想を述べる八咫烏達。人族という未知の種族の慣習に、心底感嘆しているようだ。
閉ざされた里では、決して触れることのなかった異文化。
こうしたカルチャーショックが、今後この八咫烏の里にも良い影響をもたらすようになってくれることを願うばかりである。
皆でスイーツを食べている最中、レオニスの横に座っていたウルスがレオニスに話しかける。
「レオニス殿……明日から三日間、ミサキとアラエルがそちらの邸宅にお邪魔させていただくことになっておるが……」
「ああ、その件ならさっきマキシとラウルから聞いた。俺は多分その間また出かけなきゃならんから、ミサキちゃんたちを三日間もてなすことはできんと思うが……すまんな」
ミサキとアラエルが『人化の術の参考になるような女性や女の子を見学するために、母娘でラグナロッツァに行きたい』という話は、晩御飯の支度を始めるより前に既にラウル達からの説明でレオニスに伝わっていた。
ラウルの「ご主人様よ、ミサキちゃんとマキシの母ちゃんをラグナロッツァの屋敷に三日間泊めてやってくれ」という願いに対し、「おう、いいぞ」と一言だけ返しあっさりと了承するレオニス。
一見かなり大雑把な報連相だが、互いに相手への全幅の信頼があってこその会話である。
その間おそらく何日か、ラグナロッツァを不在にするであろうレオニス。
彼女達をもてなせないことにレオニスがウルスに詫びるも、ウルスは慌ててレオニスに言葉をかける。
「いやいや、何の。我等の方から貴殿達の住処に押しかけるのだ、貴殿が謝ることなど何一つない。むしろ多忙な中、我が家族を三日間も受け入れてくれること、心より感謝する」
「そんなに畏まらなくていいさ。マキシの家族なら、俺にとっても歓迎すべき仲間だ」
「……ッ!!」
マキシの家族なら自分の仲間だ、と笑顔で言い切ったレオニスの言葉に、ウルスがハッ!とした顔になる。
こんなにも他者を快く受け入れる者に、ウルスは今まで一度も出会ったことがない。しかもそれは単なる他者ではない、同族ですらない異種族が相手だ。
人族でもなかなかできないことではあるが、もともと排他的な傾向の強い八咫烏族にはさらにあり得ないことだった。
異種族相手にも、こんなに広い心で接し受け入れることができるレオニスを、ウルスはまるで眩しいものを見るかのような眼差しで見つめる。
この日この時この瞬間から、ウルスはレオニスに対し心の底から尊敬の念を抱くようになった。
――レオニス達が帰ってくる前の、ラウルとマキシの会話――
ラ「なぁマキシ、八咫烏ってのは酒は飲むのか?」
マ「僕ら八咫烏は、お酒どころか普段から飲食しない種族だよ?」
ラ「そういやそうだな。じゃあ間違いなく少量でも酔っ払うか」
マ「うん、絶対に酔うと思うからお酒は出さないでね……」
ラ「シアちゃんにもシャーベットで出そうかと思ったんだが」
マ「絶対ダメ!!」
少量の酒でぐでんぐでんに酔っ払う八咫烏族長一族に、ふにゃふにゃになる大神樹ユグドラシア。
それはそれで見てみたいような気もしますが。マキシのストップにより、今回は控えました。




