第449話 在りし日の親と子
マイラの案内で、ラグナロッツァ孤児院の食糧庫に移動したレオニス。
その用途に相応しく厨房の隣にあり、廊下側の入口の他にも厨房側からも入れるように作られている。
「ふむ……この広さなら氷の魔石を二つか三つ置けばいいか」
「冷気は下に溜まるから、棚を作って上に置くか。子供達が面白がって触ったりしても困るしな、なるべく高い位置にしとこう」
「壁は石造りか……石壁を改造するにはちと手間かかるな……今日のところは棚の一番上に置こう」
食糧庫の中に入ったレオニスは、ブツブツと独り言を呟きながら壁を触ったり見て回っている。
広さは結構あり、ひんやりとした庫内は全面石造りの壁で出来ている。食糧を保存するための場所なので窓は設置されておらず、灯りはマイラが入口で点灯させた魔導具のみ。
廊下側入口の左側には作り付けの棚もあって、かなり立派な作りであることが一目見て分かる。
このラグナロッツァ孤児院は、もともと廃墟となっていた古い教会をそのまま利用している。
食糧庫の広さからするに、かつては利用者も大勢いただろうと思われる。
だが今では、床に置かれたいくつかの小さな籠の中に野菜が数種類入っているくらいしかない。
これで本当に子供達にちゃんとした食事を食べさせてやれているのか?と思うくらいの少なさだ。
脳内で一通りの計画を立てたのか、レオニスがマイラに向かって話しかける。
「シスター、脚立があったら貸してくれるか?」
「隣の道具室に脚立があるから持ってくるよ、ちょっと待ってておくれ」
「すまんな、シスター」
シスターの言う通りに待っていると、すぐにシスターが脚立を持って食糧庫に戻ってきた。
レオニスは棚の前で脚立を開き、一番上に上る。
土魔法の使い手が作ったであろう石製の棚。その一番上の棚の端に手を翳し、魔法陣を刻み込んでいくレオニス。
出来上がった魔法陣の中央に氷の魔石を一つ置けば、冷気を放出する魔法陣の完成だ。
これをもう一つ、一番上段の棚の反対側の端にも施す。
氷の魔石を置いた魔法陣からは、もうじんわりとした冷気が発せられて庫内がより冷えてきた。
深紅のロングジャケット他ガッツリ装備のレオニスはともかく、普段着のままのマイラは己の身体を抱き抱えながらブルッ、と震える。
「シスター、寒いだろうから一旦廊下に出ようか」
「あ、ああ、気を遣わせてしまってすまないね」
脚立を折り畳みながら、マイラとともに食糧庫を出たレオニス。
その脚立の収納場所である隣の道具室に仕舞い、廊下でマイラに今後の注意事項を伝える。
「食糧庫を低音に保つための魔法陣を二ヶ所設置した。その真ん中には氷の魔石を置いてある。今の時期なら三ヶ月以上保つと思うが、毎月餅を届けがてら俺が毎回点検する」
「ありがとうねぇ。手間をかけさせて申し訳ないけど、これからもよろしく頼むよ」
その他にも、魔法陣の範囲内に手を出したら強めの静電気が起こるいたずら防止の仕掛けを施したこと、庫内の冷気を保つために扉の開けっ放しはしないことなどを伝えていくレオニス。
その一つ一つに都度頷くマイラ。
すると、ラウル達お料理組がおやつを作るべく厨房にやってきた。子供達の賑やかな声も響いている。
厨房の先の廊下で話をするレオニスとマイラの姿を見たラウルが、レオニス達に声をかけた。
「よう、ご主人様。食糧庫の用事は終わったか?」
「おう、今しがた終わったところだ。ラウル達は今から料理作りか?」
「ああ、今日のおやつを今から子供達と作るところだ」
「そうか。俺はまだシスターと話があるから、おやつができたら呼んでくれ。執務室で話をしながら楽しみに待ってるわ」
「了解ー」
ラウルと子供達は厨房に入り、レオニスとマイラは執務室に向かっていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
執務室に入ったレオニスとマイラ。
質素な応接ソファに対面で座りながら、話を始める。
「お茶もろくに出せずにすまないねぇ」
「いいってことよ、そんなこと気にするほどのことでもない」
執務室の窓から外の日差しが入ってくる。
麗らかで穏やかな陽の光とは逆に、執務室の空気は重い。
「シスター、生誕祭に訪問した時にも思ったが……ここ、かなり経営が苦しいんじゃないか?」
「……お恥ずかしい話だが、見ての通りだよ。とても裕福とは言えないね」
「俺が育ててもらったディーノ村の孤児院も、決して裕福じゃなかったが……ここまでじゃなかったよな?」
「ああ……昔はもっとちゃんとした予算をもらえてたんだがね……孤児院関連の予算は年々削られていく一方さ」
レオニスの問いに、マイラは深いため息をつきながら語る。
生粋の平民で孤児院出のレオニスには、政治的なことはさっぱり分からない。だが、孤児院などの福祉事業は国が主導的に行うものであることはレオニスにも一応分かる。
そこら辺はどうなっているのだろう。
「孤児院は国から補助金をもらうんだよな? 他にも有力な貴族が名声のために、こうした施設に寄付金を出すこともあると聞いたことがあるが」
「国の補助金も、微々たるものとまでは言わないけど……本当にギリギリさ」
マイラの話によると、国から出る補助金は孤児一人につき月額500Gだという。月に500Gでは、食べ盛りの子供達に満足に食べさせてやることもできない。
足りない分は有力貴族の寄付金で賄う、それがこのサイサクス世界の孤児院での常である。だが、その肝心の寄付金が何と今は1Gも入ってこないのだという。
「貴族の寄付金が1Gもないって……そんな馬鹿なことがあるのか?」
「何でも私がここに赴任する前の責任者が、寄付金のほぼ全額を横領していたらしくてね……それが発覚して前任者は逮捕、懲戒解雇になったんだ」
「そうだったのか……」
「だが、前任者を懲戒解雇したはいいが、それまで寄付金を出してくれていた貴族達が激怒してしまってね。横領発覚以来、この孤児院には一度も寄付金を出してもらえていないんだ」
孤児院の窮状を語るマイラの声は、どんどん沈んでいく。
先行き不安どころか、お先真っ暗な現状ではそうなるのも無理はない。
レオニスとしても、ここまで酷い話だとは思ってもいなかった。
「だが、横領していた奴は逮捕されて、シスターが新しく赴任してきたんだろう? シスターほど清廉潔白で真面目な人はいないじゃないか、だったら貴族達だって寄付を再開したって良さそうなもんだろうに」
「私がこのラグナロッツァ孤児院の新たな責任者として派遣されたのも、それが理由だとは思うんだがね……でも、上やレオ坊がそう思ってくれていても、貴族の方々にはそんなこと分かる訳ないんだよ」
「そんな……」
「私もここに来て以来、以前寄付金を出してくれていた貴族の方々のお宅に何度かお詫びに向かったんだが……御当主に会って謝罪するどころか、いつも門前払いさ」
「…………」
「貴族にしてみれば裏切られたも同然なんだから、そうされても仕方がないことも分かっている。だからこれからも、貴族の方々のもとへ何度でも謝罪に行くよ。子供達のためだ、泣き声なんて言ってられないからね」
マイラもただ座して現状に甘んじながら悲劇を嘆くだけの人ではない。彼女は彼女なりに誠意を示そうと、懸命に動いてきたようだ。
だが、一度失墜した信頼を取り戻すのは、並大抵のことではない。マイラが貴族邸で門前払いを食らったのも、一度や二度ではないだろう。
それでもマイラは、このラグナロッツァ孤児院にいる子供達のために日々ずっと一人で奮闘してきたのだ。
そんなマイラの気丈に振る舞う姿を見て、レオニスは唇を噛みしめる。
「シスター、すまなかった。俺がもっと早くここを訪れていれば、シスター達をそんな目に遭わせずに済んだかもしれないのに……」
「いいんだよ。そんなのレオ坊のせいなんかじゃない。悪いのは善意の寄付金を横領していた前任者、それに気づくことができなかった孤児院運営の上層部なんだから」
「だが、少なくともシスターがこのラグナロッツァに来たという話を聞いた時に、すぐに駆けつけていればもっと早くに手を打てたんだ……」
悔しそうに謝るレオニスに、マイラは静かに微笑みながら宥める。
実際、孤児院の窮状はレオニスのせいなどではない。だが、もっと早くに訪ねてきていれば、レオニス個人での寄付や食糧支援などもできていたはずだ。
レオニスはそのことを激しく悔んでいた。
その後悔を払拭し、今からでも取り戻そうとするかのようにレオニスはキッ、と顔を上げ、マイラに力強く話しかける。
「なぁ、シスター。もし良ければ次に貴族のもとに謝罪に行く時に、俺もいっしょに連れてってくれ。俺が個人的にラグナロッツァ孤児院の後ろ盾になる」
「レオ坊が、この孤児院の後ろ盾になるってのかい?」
「ああ。俺だって今じゃそこそこ名の知れた冒険者だ、貴族達だって俺の名くらいは知っている。俺がラグナロッツァ孤児院に力を貸すと分かれば、貴族達の凝り固まった態度も少しは和らぐはずだ」
「そうなってくれれば私達は助かるし、とてもありがたいけど……レオ坊に迷惑かけることになるんじゃないのかい?」
レオニスの突然の申し出に、マイラは驚きながらも若干戸惑っているようだ。
「そんなことないさ。もちろん名ばかりの後ろ盾になんかならないぞ、俺個人としてもちゃんと毎月寄付するし。それに……」
戸惑うマイラの肩にポン、と手を置いたレオニス。
マイラを安心させるかのように、穏やかな声で語りかける。
「前にも言っただろう? 孤児院で受けた恩は、孤児院に返す、と」
「……!!」
レオニスの言葉に、マイラの瞳にじわりと涙が浮かぶ。
「……ああ……あのレオ坊が、本当に……本当に大きくなって……」
「実の親がいない俺にとって、シスターは俺の親であり、母さんだ。大事な母さんが困っていたら、子である俺が手助けしたいと思うのは当然のことだろう?」
「こんな立派で親孝行な息子を持てた私は、何て幸せ者だろうねぇ……」
「昔散々苦労かけた分、これからちゃんと親孝行するさ」
感極まったマイラの目から、数多の雫が零れ落ちる。
マイラは若くして修道女になったため、一度も結婚したことはない。そのため子供を生むこともなかったが、実の子には恵まれずとも彼女には孤児院の子供というたくさんの子がいたのだ。
彼女を母と慕う孤児院出の者も多く、レオニスもまたその一人であった。
母と慕うマイラが零す、滂沱の涙。
その涙を拭おうと、レオニスが空間魔法陣を開いてハンカチを取り出そうとする。
……が、どういうことか綺麗なハンカチが一枚も出てこない。くしゃくしゃのハンカチ、汗を拭った後の手拭い、濡れた身体を拭き取った湿気抜群のタオル、そんな代物しか出てこないではないか。
それら使用済みのタオル類をポイ、ポイポイー、と放り出し続けるレオニス。何枚目かでようやく出てきた、若干マシなハンカチを見つけマイラの頬を拭う。
それまでのハンカチ捜索劇、その一部始終を目の前で繰り広げられたマイラ。ポカーンとした顔でずっと眺めている。
捜索劇の末ようやくレオニスに頬を拭われて、思わずププッ、と噴き出すマイラ。
その噴き出し笑いを機に、マイラは大きな声で笑い始めた。
「アーッハッハッハッハ!レオ坊、相変わらずろくなハンカチを持ってないんだねぇ!」
「うぐっ……こ、これはだな、たまたま今そうだっただけで……普段はもうちょいマシなもん持ってんだぞ……」
「そうかいそうかい、やっぱりレオ坊はどんなに偉くなってもレオ坊のままだねぇ、アハハハハ!」
大きな声で笑い転げるマイラ。その眦には、先程までとは違う種類の涙が浮かぶ。
レオニスはレオニスで、さすがに反論の余地が無さ過ぎて言い訳の声も小さい。
一頻り笑ったマイラは、自分の指で眦の涙を拭いつつレオニスに語りかける。
「レオ坊ね、いくら格好良くて地位も力もあっても、そんなんじゃ女の子に一瞬でフラれるよ?」
「ぐぬぬ……」
「前に約束してくれただろう? 私が生きているうちに、可愛いお嫁さんや子供を見せてくれるって」
「お、おう……」
「これじゃ今から百年どころか二百年くらい長生きしなきゃならんじゃないか、いくら私でも二百年は生きられんよ」
「シスター、百年なら生きられるんか……」
綺麗なハンカチ一つも持たない男のままじゃ、女の子にフラれるぞ!と笑いながらレオニスに説教するマイラ。
実際綺麗なハンカチ一枚を出すのに散々苦労したレオニスに、異論反論の余地など一切ない。顔を赤くしながらゴニョゴニョと呟くのが精一杯である。
「……でもまぁね、安心したよ。レオ坊がものすごく偉い人になって、手の届かない遠い人になってしまったような気もしてたんだ」
「シスター……俺はいつだってレオニス、ディーノ村のレオニスだ。それだけは一生変わらない」
「そうだね、あのレオ坊が中身まで変わるはずないのにね。私にとってもレオ坊はレオ坊、一生レオ坊さ」
マイラの言葉に、レオニスは空間魔法陣を開いて今度は自身のタグプレートを見せる。そのタグプレートは、かつてレオニスがディーノ村で冒険者登録をした時にもらったものだ。
少し古ぼけた小さな金属板。そこには『レオニス ディーノ支部 797/8/12』と刻まれている。
それこそがレオニスの原点であり、生涯自身を『ディーノ村のレオニス』と名乗り続ける証。それを見たマイラに穏やかな笑みが戻り、レオニスもまた安堵の笑みを浮かべる。
背丈こそとっくにレオニスがマイラを追い越したが、向き合う二人の間はいつまでも在りし日の『怒ると怖いシスターとやんちゃ坊主』のままだった。
レオニスの親孝行話。せっかくの良い話が、綺麗なハンカチ一枚持ってないせいで台無しです。
でもねー、今の時代「いつ結婚するの?」とか「彼氏彼女はいないの?」なんて聞いただけでセクハラ行為認定されちゃいますもんねぇ。
まぁ拙作及び作中の時代背景はそこまでガッチガチな世界ではないので、ご寛恕いただければ幸いです。




