第434話 未来を見据えた思いと願い
その日のうちに、レオニスとともに冒険者ギルド総本部に冒険者登録をしに行ったラウル。
ラウルは受付嬢のクレナとも既に懇意にしていたので、ラウルが冒険者登録するという話を窓口で聞いた時にはクレナも非常に驚いていた。
「まぁぁぁぁ、ラウルさん、冒険者になられるのですか?」
「ああ、ちょいと高い買い物することになってな。そのための資金稼ぎに、冒険者稼業を勧められたんだ」
「ラウルさんほどの料理人ならば、どこでも引く手数多だと思いますけどねぇ」
「今更人の下で顎でこき使われる気はないんだ。うちのご主人様は俺の好きにさせてくれるから気兼ねなく過ごせるんだが、他の職場ではそうはいかんだろうし」
「んー、そうですねぇ…………って、ラウルさん、その種族名は……?」
窓口でクレナと雑談しながら、冒険者登録のための申請書類をもらいその場で必要事項をスラスラと記入していくラウル。
その必要事項の中の種族名のところに、何とラウルは『プーリア』と馬鹿正直に書き込んでいた。
だが悲しいかな、サイサクス世界においてプーリア族のことを知る人族はほとんどいない。その存在を知っているのは、カタポレンの森を知り尽くしたレオニスか妖精研究者などのニッチな専門家くらいのものである。
故にクレナも『プーリア』という言葉自体知らず、ラウルの記入を見ただけでは一体何のことか分かってはいなかった。
しかし、クレナは首都ラグナロッツァの冒険者ギルド総本部で長年受付嬢をしている。その自分が知らない種族とは一体?と瞬時に疑問を持つ流れは当然である。
クレナはラウルが書き込んでいる申請書類、その種族名の項目のところを指差しながら、ラウルの背後にいるレオニスに向かって『プーリアって何です?』と目で訴えていた。
クレナの様子に、ラウルの後ろに控えていたレオニスがスススー、と窓口カウンターに近寄り、クレナにちょいちょい、と手招きをした。
レオニスの手招きに応じたクレナに、レオニスはそっと耳打ちする。
(あー、ここだけの話なんだがな? 実はこいつ、俺が昔カタポレンの森で拾った妖精でな?)
(……え?)
(言ってみればエルフの親戚みたいなもんだ)
(……ええ?)
(見た目はほぼ人間と変わらんし、わざわざ言うような必要もなかったから今まで誰にも明かしてなかったんだが)
(……えええ?)
(今回冒険者登録するに当たって、さすがに虚偽申請する訳にもいかんしな。ここはクレナとマスターパレンの二人だけの胸の内に収めといてくれ)
(……ええええッ!?)
レオニスのひそひそ話に、クレナはどんどん目を丸くしながら声にならない吃驚を上げる。
最後の方など、両手で口を押さえながら必死に堪えるクレナ。
よくある『驚きのあまりその内容を声高に叫んでしまい、周囲にバラしてしまう役どころ』といった間抜けな役割には決して陥らない。
冒険者達のプライバシーを懸命に守るその姿勢は、まさしく受付嬢の鑑である。
ちなみにこのサイサクス大陸にも、ファンタジー世界の代名詞であるエルフ族は一応存在する。
別名『森人族』とも称される通り、森のない人里に現れることは滅多にないが全く事例がない訳でもない。プーリアよりは知名度が高く、クレナでもその存在は知っている。
だが、そんな稀少種であるエルフだの妖精だのが人族の組織で冒険者登録するなど、間違いなく前代未聞のことだ。
クレナが己の口を必死に押さえつつ驚くのも無理はなかった。
申請書類を書き終えたラウルが、クレナに向かって書類を差し出す。
「これでいいか?」
「……ぁ、ぇ、ええ、はい……まずこちらでチェックさせていただき、書類内容に問題がなければこの後魔力量の測定と攻撃力の測定を受けていただきます。……が、その前に」
「ン? 何か問題あんのか?」
「少々お伺いしたいことがございますので、私といっしょにこちらにお越しください」
受付窓口から席を立ち、レオニス達をとある場所に連れていくクレナ。
レオニスは勝手知ったる何とやらでその行き先の見当もすぐにつくが、ラウルは物珍しさであちこちをキョロキョロと見回している。
しばらく歩いて辿り着いた先は、ギルドマスター執務室であった。
クレナは扉を二回ノックしてから中に向けて問うた。
「失礼します。マスターパレン、緊急でご相談したいことがございますがよろしいでしょうか」
「入りたまえ」
クレナが扉を開き、レオニスとラウルを執務室の中に通してから扉を閉める。
マスターパレンは執務机に座りながら、何らかの資料に目を通しているところだった。
「よう、マスターパレン。久しぶり」
「おお、レオニス君ではないか。それに、その後ろにいるもう一人は……レオニス君のところで働いている執事、だったか?」
「ああ、よく覚えてくれてたな。こいつはラウル、俺のラグナロッツァの屋敷の執事だ」
「ささ、立ち話も何だから席に座ってくれたまえ。おーい、シーマ君、来客にお茶を淹れてくれたまえ」
「かしこまりました」
パレンが執事机から立ち上がり、軽く背伸びをしながら応接ソファに向かいレオニス達にもソファに座るように勧める。
本日のパレンの衣装は『魔法使い風コスプレ』である。
三角錐のとんがり帽子、肩掛けのケープ、床につくほど裾の長いゆったりとしたロングワンピースなどの衣装。それら全て瑠璃色の美しいベルベット生地で統一されていて、とても見栄えが良い。
履いている靴も爪先が尖っていて、実に魔法使いらしさを演出している。
おお、今日のマスターパレンは魔法使いに扮しているのか。
ああいう上等な生地、宮廷魔導師連中が好んでよく着てるよなー。如何にも魔法使い好みのファッションだ。
つか、マスターパレンってゴリッゴリの筋肉ダルマだから、どんなに頑張っても上半身のムキムキマッチョは隠せん訳だが……肩掛けのケープなんて、ほぼ肩パッド化してるし。
でも、マスターパレンが魔法職に抱く憧れや敬意がよく伝わる衣装だよな!
俺も【魔法剣闘士】なんてジョブで物理も魔法も使えるが、それでもやっぱ物理攻撃寄りだし。繊細な技量を要求される魔法使いってホント尊敬するわ。
だからマスターパレンの魔法使いに対する敬意、その気持ちは俺にもよく分かるぞ!
パレンが執事机からレオニス達の対面のソファに座るまでの移動の間に、レオニスはマスターパレンのファッションレビューを脳内で展開している。
そんなレオニスの視線など一切構うことなく、ソファにドカッと座るパレン。
パレンの第一秘書シーマの手で早々に運ばれてきたお茶を啜りながら、パレンはクレナに問うた。
「して、クレナ君。緊急で相談したいこととは何だね?」
「はい。実はそこにおられるラウルさんが、新規に冒険者登録しにいらしたのですが……」
「ふむ。何か問題があったのかね?」
「こちらの申請書類をご覧ください」
クレナが手に持っていた、ラウルが先程書き上げたばかりの申請書類をパレンに手渡した。
書類を受け取ったパレン、涼やかな糸目で素早く目を通していく。
そしてとあるところで凛々しい吊り眉がピクリ、と動く。その書類の中に潜む問題点を早々に発見したようだ。
「プーリア、とな?」
「はい。レオニスさんの説明によりますと、プーリアとは妖精族の一つだそうで……」
「ほう、妖精族か!私も長年冒険者稼業に携わってきたが、妖精族には滅多にお目にかかったことはないな」
ラウルが妖精と知り、明るい顔になりながら感嘆するパレン。
その様子からは警戒感などの悪印象は持っていなさそうだ。
パレンはラウルの方を見ながら、穏やかな笑顔で語りかける。
「で、ラウル君。君が冒険者登録すること自体は何ら問題はない。このラグナロッツァで、何年もの間レオニス君の邸宅で執事として問題なく働いているということは私も聞き及んでいる」
「それに、レオニス君がラウル君の後見人として彼の身分その他を全面的に保証するのだろう? ならば我等に否やはない」
冒険者登録することに何ら問題はない、というパレンの言にレオニスとラウルは安堵する。
冒険者ギルドの総本部マスターであるパレンが明言したのだ、ラウルが冒険者登録できることは確定したも同然だ。
しかし、パレンの言葉はそこで止まらない。さらなる問いかけがレオニスとラウルに向けられる。
「だが。登録を済ませる前に一つだけ、聞かせてはくれまいか」
「何故妖精という正体を明かしたのだね? 君の外見ならば、人族と称してもバレることはなかろう?」
「妖精族などという稀少な存在は、悪漢にとっては格好の的になる。そのリスクが跳ね上がることは、ベテラン冒険者であるレオニス君ならば言わずとも理解できているはずだが」
パレンの糸目から鋭い光が放たれる。
確かにパレンの疑問は尤もだ。ただでさえ見目麗しいラウル、その正体が妖精などと広く知れ渡れば人攫いなどの悪党に付け狙われることは必定である。
だがしかし、当のラウルには何のことかさっぱり分からない。
ラウルとしては、申請書類に種族名を書く項目があったからそれに従い正直に書いただけである。
きょとんとした顔で答えられそうにないラウルに代わり、レオニスが己の頭を右手でガリガリと掻きながらパレンの疑問に答える。
「あー、それなんだがな。俺も全く考え無しって訳じゃないんだ、それをここで明かす理由は一応ある」
「ほう、それは一体どんなものなのかね?」
「エルフなんかもそうだが、妖精族ってのは大抵が長寿だ。このラウルもこう見えて100歳超えててな……って、ラウル、お前今何歳だっけ?」
「118歳だ」
「「……ッ!!」」
ラウルの年齢を聞いて驚愕するパレンとクレナ。
見た目だけなら、二十代前半くらいの好青年にしか見えないラウル。その実年齢が118歳とは、当人にそう言われなければ誰も分からないし信じないだろう。
「で、だ。こいつをカタポレンの森で拾って、ラグナロッツァの屋敷に住まわせるようになってからもう十年近くなるんだが。見た目が十年前から全く変わってないんだ」
「……ああ、そういうことか」
「そういうことだったんですね」
レオニスの話に、パレンもクレナも早々にその真意を理解する。
「今のうちはまだいい。だが、この先十年二十年、三十年や五十年経っても見た目がこのままってのはな、さすがに誤魔化し通せるもんじゃない」
「だったらもうこれを機に、ラウルの正体を少しづつ周りに明かしていこうと思ってな」
「冒険者として実績を積んでいけば、こいつの正体が妖精だと広まっても付け狙う輩は手が出しにくくなる。そもそもこいつ自身結構強いから、そこらのチンピラや雑魚なんぞ普通に返り討ちだ。中堅どころか高位の冒険者ですら、今のこいつを容易に拐うことなぞできんだろう」
「ラウルが名実ともに、有名な高位の冒険者として知れ渡る頃には———俺がいなくても、このラグナロッツァで悠々暮らしていけるようになっているだろうさ」
静かに語るレオニスの言葉に、レオニスの横で聞いていたラウルはその目を次第に大きく見開いていく。
レオニスが自分の行く末をそこまで深く考えてくれていたとは、正直夢にも思わなかったからだ。
確かにレオニスの言う通り、普通の人族の青年にしか見えない今のうちはまだいい。
だが、妖精族であるラウルとレオニス達人族は時の流れが違う。何百年と生き、何十年後も今とずっと変わらぬ容姿を保ち続けるラウルは、月日の流れが大きくなればなるほど周囲との差異も大きくなる。
そしてその差異は周囲の人間との隔たりとなり、やがては大きな溝となってラウルを孤独に追いやるのだ。
そうした弊害を解決するには、十年程度で他の地域に移り住みながら人里を転々と渡り歩くしかない。
だがそれは、住み慣れた土地を離れると同時に築き上げてきた人間関係も毎回全てリセットさせるということでもある。
長い時を生きるラウルに、出会いと別離を繰り返し味わわせながら未来永劫彷徨わせるのは、レオニスとしても忍びなかった。
人里暮らしに慣れたラウルが、カタポレンの森に戻ることはもう一生ないだろう。大好きな料理をしながら、ずっとこのラグナロッツァに住み続けていきたいはずだ。
だがレオニスがラウルを庇護してやれるのは、この先長くてもせいぜい五十年程度。ライトが庇護を引き継いだとしても八十年がいいところか。
自分達がいなくなった遠い未来でも、ラウルが大好きなこのラグナロッツァに留まっていられるように。新天地を求めて他の人里を転々とするような、流離いの妖精になどならないように―――
今のうちにラウルの正体を明かして皆に、人族にラウルという存在の全てを受け入れてもらいたい。レオニスはそう考えたのだ。
ラウルが何の気なしに、冒険者登録の申請書類に馬鹿正直に書いた『プーリア』という種族名。
それをその場で訂正させることなく、正体を明かす方向で動いたのはレオニスのそうした長期的な目論見があった。
そんなレオニスの真意を聞き、パレンもクレナも小さく頷きながら得心している。
「レオニス君の話、確かに納得できるものだ。いいだろう、この申請書類には何の問題もない。クレナ君もそれでいいかね?」
「はい、書類上の問題は解決いたしました。そもそも冒険者登録に種族の制限はありません。まずは会話による意思疎通が行えること、そして善良なる性格のものであれば種族問わず誰でも登録可能です」
「うむ、妖精の冒険者とは前代未聞にして、間違いなくサイサクス史上初の出来事ではあるが。ま、何事にも初めてという事象はつきものだしな」
パレンとクレナの間でも、ラウルの冒険者登録は問題なしと判断されたようだ。
これでラウルは晴れて冒険者デビューを果たせそうだ。
「ではクレナ君、ラウル君の冒険者登録手続きを進めてくれたまえ」
「承知いたしました。ではラウルさん、この後魔力測定と攻撃力測定を行いますので、私とともに測定室にお越しください」
「了解。んじゃ、ちょっくら行ってくるわ」
「おう、俺はマスターパレンと別の話をしなきゃならんからここで待ってるわ。測定終わったらまたここに来てくれ」
「はいよー」
ラウルはクレナの後についていき、ギルドマスター執務室を後にした。
ラウルが妖精という、これまで隠されてきた種族問題。
作中でもレオニスが話していましたが、長寿のラウルがこの先もずっとラグナロッツァで平穏に暮らしていくには『ラウルは妖精である』ということを周囲に明かしていく必要があります。
ライトが来る以前の、ほぼ引き篭もり状態ならばまだ何とかなったかもしれませんが、今ではラウルにもたくさんの交流があります。
そうした人達と今後も末永く仲良く付き合っていくには、ラウルの種族カミングアウトは避けては通れない問題だったのです。
ちなみにクレナやパレンがプーリア族を知らなかった理由。
生誕祭のシャーリィの時にも語りましたが、プーリア族はガッチガチの引き篭もりで里の外に出ることはほぼ皆無。なので、カタポレンの森に入れる者がほぼいない人族の間でその存在を知られることもありません。
そしてレオニスがクレナに耳打ちした『プーリアはエルフの親戚みたいなもん』という言葉。
Wikipedia先生によると『日本語では妖精あるいは小妖精と訳されることも多い。』という記述があるくらいなので、あながち嘘でもないのです。




