第339話 検分とデータ収集
邪龍の残穢の魔瘴気痕から少し離れたところを、観察しながら歩いていくクレハとレオニスとスミス。
魔瘴気に汚染された場所の地面の上を直接歩くのは、人体に様々な悪影響を及ぼすためだ。魔瘴気痕は容易に目視できるので、避けて歩くのも簡単なことだけは幸いだが。
白と黒の入り交じる雪原を進んでいくと、スミスが歩を止める。
スミスの目線の先には、高さ1メートルくらいの石柱があった。
太さは現代日本でいうところの電柱くらいか。
その石柱は、周辺の樹々や雪同様に真っ黒に染まっている。
「ここが冷晶石の生成装置のあった場所だ。今はもう見る影もないが」
「ああ、確かに生成装置の石柱がありますね」
「ここで冷晶石を回収した後、魔法陣の点検や周辺の確認をしていた最中に襲われたんだ」
冷晶石の生成装置には冷気を集める魔法陣が上面に刻印されており、魔法陣の中央に窪みがあってそこに冷気エネルギーを凝縮させて晶石化する、という仕組みである。
上面どころか石柱全てが魔瘴気に汚染されてしまっては、冷気を集めるどころの話ではないだろう。
「ふむ……スミス、邪龍の残穢はここで発生したんじゃないんだよな?」
「ん?あ、ああ、ここでいきなり発生したんじゃない。北側の上空から飛んでくるのが見えたんだ」
スミスとてツェリザークの住人だ、邪龍の残穢の発生がどのようなものかは基礎知識として知っている。空に突如亀裂のような虚空が拡がり、七色の一筋の閃光が輝いたその瞬間に邪龍の残穢はこの世界に巨大な姿を現すのだ。
だが、今回スミスはそのような事象を一切目撃していない。ということは、邪龍の残穢の発生場所はここではない。
「こことは違う場所で発生したはずなのに、魔瘴気の痕跡が周辺にはないな。ここから離れた場所で一度途切れてる、ということか」
「そうですね、魔瘴気痕の濃さが明らかに周辺と違いますね……これは一体どういうことでしょう?」
「周辺が黒ずまない程に高い位置、かなりの上空で待ち構えていた……とかか?それくらいしか考えられんが」
「それは……あまりというか、かなり良くない傾向ですねぇ」
「魔術師ギルドの職員である俺からしたら、良くない傾向どころか最悪の悲報にしか聞こえん……」
レオニスとクレハが現状を眺めつつ、冷静に分析していく。
邪龍の残穢に対する研究は、実はあまり進んでいない。これまでは討伐しても報奨金が一切出なかったせいもあって、誰かが見つけてもそのまま逃げ出して長時間放置されるケースが多かったのだ。
そして何故そんなことが今まで許されてきたかと言えば、邪龍の残穢は発生後長くても一週間程度で消え去ることが分かっているからだ。
だが、いくら放置しておけば自然消滅するからといっても、邪龍の残穢が徘徊している間の被害は確実に拡大し続ける。
魔瘴気を吸い込んだ樹々や岩は脆くなり、時を待たずして朽ち果ててしまう。黒く染まった雪もいずれは解けて水になり、魔瘴気が地面に吸収されていく。そうした諸々により、その地に長く瘴気が留まる原因にも繋がってしまうのだ。
しかし、これからは邪龍の残穢に対しても討伐報奨金が出るようになった。それを機に、邪龍の残穢に関する詳細なデータを集めて研究し、より効率的な対処方法を確立させようという機運があるのだ、とクレハは語る。
邪龍の残穢の討伐箇所や発生場所、足取りなどの検分は、討伐報奨金の認定のためだけではなく分析用データの収集作業でもあった。
「とりあえず、邪龍の残穢には獲物を狩るために高い上空で待ち構えるくらいの知能がある、と考えてもいいかもしれんな」
「そうですね……もし邪龍の残穢にそうした知能があるとするならば、今後はより一層警戒を強めなければなりませんね」
「魔術師ギルドの上層部にも、俺からそう報告しておこう。特に日々回収業務に携わる連中にとっては、冗談抜きで死活問題になりかねん」
クレハが書類にスラスラと要点を書き込んでいく。
スミスもまた魔術師ギルドへの報告を通して、邪龍の残穢に対する注意喚起を促すようだ。
はるか上空から突然邪龍の残穢が襲ってくるとなると、一日三回の回収業務を行っている者達の危険度は格段に増大することは間違いない。
スミスが御守代わりに携帯していた、身代わりの実。それを回収作業員全員に配るのは難しいかもしれないが、それに匹敵するような対策を打ち出さねば冷晶石回収のための人員確保すら危うくなるのだ。
「欲を言えば、発生地点なんかも事前にある程度分かればいいんだがな。そうすりゃ冒険者ギルドに前もって連絡して、即時討伐する準備なんかもできるんだが」
「それが解明できたら、その人は歴史に名を刻めますよねぇ」
「だよなぁ。ありゃ完全にランダム発生だし」
「如何に邪龍の残穢対策が重要案件といえど、年に数度の発生頻度ではそこまで大規模な予算も組めませんし」
「「……はぁぁぁぁ……」」
邪龍の残穢に対する決定的な策が見い出せないことに、ツェリザークの住人であるクレハとスミスは大きくため息をつきながら落胆する。
そんな中、クレハがちろりとレオニスを見遣る。
「もしよろしければ、レオニスさんがツェリザークに住んでくださると大変ありがたいのですが。そうすれば、邪龍の残穢の発生報告と同時にすぐに討伐に向かっていただけますし」
「おいコラ、クレハ。お前ね、いきなり何を言い出すんだ」
「おお、それは良い案だ!レオニスさんなら邪龍の残穢如き、すぐにぶっ飛ばしてくれるしな!」
「でしょう?この素晴らしい案が実現すれば、ツェリザークの安全は確約されたも同然ですからね!」
「ぉぃぉぃ、スミスまでクレハの口車に乗っかるんじゃない」
クレハの案にスミスが嬉々として乗り、それを聞いたレオニスが慌てて二人を窘める。
もしここで多数決制が取られれば、間違いなく二対一でレオニスが負けるところだ。だが、合議制の会議でも何でもない雑談の場なのでレオニスも負けてはいない。
「だいたい俺の本拠地はカタポレンの森だからな?街で言えばディーノの所属だし。まぁ今となっては街ですらない寒村だが」
「それこそ宝の持ち腐れと言うものですよ?カタポレンの森はともかく、ディーノ村で事件とか起きます?」
「……なぁ、クレハ。それ、クレアの前で言えるか?」
「………………今の話はなかったことにしましょう」
「クレハさん、撤退早ッ!」
クレハが食い下がるも、何気なくディスったディーノ村のことを逆手に取り、その寒村の冒険者ギルド出張所に勤めるクレハの長姉の名を出すレオニス。
その名を聞いたクレハは、途端にピタッ、と身体の動きが止まる。そしてしばしの沈黙の後、あっさりと見えざる白旗を掲げた。
やはり彼の長姉の名は、あらゆる場面で効果を発揮するようだ。特に妹達に対して壮絶なまでに効果覿面と見える。
長姉の勤め先であるディーノ村には、レオニスという戦力は宝の持ち腐れである―――そんなことを八女のクレハが言っていた、と長姉に知られれば、間違いなくクレハは長姉のお説教その他を数日に渡り食らうであろう。
レオニスの反撃によりそのことに思い至ったからこそ、クレハは早々に前言撤回したのだ。
アイギス三姉妹の長姉同様に、クレア十二姉妹の長姉もまた偉大なるカリスマを誇る絶対的な存在なのである。
この手の舌戦でクレア十二姉妹に勝てた試しのないレオニスだったが、今日は初めての完勝だ。
だがしかし。その完勝も実は長姉の名を盾にしたもので、とてもレオニス個人の舌戦力のおかげとは到底言い難いのだが。
何はともあれ、レオニスは無事クレハの勧誘を見事返り討ちすることに成功したのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「では、邪龍の残穢の討伐報奨金は近日中にレオニスさんの口座に振り込んでおきますね。レオニスさんのお手隙の時で構いませんので、振込が確認できましたら冒険者ギルドの窓口にて受領の手続きをお願いいたします」
「了解。ラグナロッツァとかで出してもいいんだよな?」
「はい。口座を閲覧できる冒険者ギルドなら何処でも可能ですよ」
「分かった」
ツェリザーク都市部に戻った三人は、北側城壁門を潜った後立ち話をしていた。
「じゃあ俺は、このまま魔術師ギルドに戻らせてもらうことにする。俺も報告やら何やら、今すぐやらなきゃならんことが山ほどあるしな」
「お疲れさん。この先も冷晶石関連の作業は危険を伴うだろうが、これからも頑張ってくれ」
「ああ、レオニスさんのおかげで本当に命拾いしたよ……この礼は必ずする。今すぐに礼ができなくて申し訳ないが、次にツェリザークに来た時には是非とも魔術師ギルドにも立ち寄ってくれ」
「ああ、そうさせてもらうよ」
スミスはレオニスと固く握手を交わすと、手を振りながら魔術師ギルドのある方向に走り去っていった。
あの時レオニス達と合流できていなければ、スミスは今頃体力を使い果たして雪原で遭難していたかもしれない。文字通り、スミスの命はレオニスとラウルによって拾われたのだ。
ひとつの命を救うことができた―――レオニスはスミスの走り去る背中を見つめながら、その喜びを人知れず噛みしめていた。
クレハさんってば、とっても失敬ですねぇ。
ディーノ村にだって、防衛する意義や意味はあるんですよ!
魔の森と呼ばれるカタポレンの森と隣接してますし、いつ魔物暴走で襲われるか分かったもんじゃない危険な地なんですからね。
というか、よくよく考えたらディーノ村を寒村呼ばわりするレオニスさんも大概失敬ですよね。
よし、後でお仕置きの刑を加算しておきましょう。結構溜まってますからね?
(ディーノ村在住、クレゥィーアさん(仮名:17.5歳))




