第299話 存亡を賭けた約束
人目も憚らずレオニスに頭を下げながら感謝する、プロステス領主アレクシス。その姿に周囲からはどよめきすら起こらず、ただただ静寂に包まれる。
アレクシスの悩みを知るウォーベック一族の大人達は、そこで何事が起きたのかを察しているだろう。子供達は大人達の事情など知る由もないが、それでも大人達の様子からただならぬ空気を感じ取りおとなしく沈黙を守る。
ライトもその子供達のうちの一人なのだが、おそらくはアレクシスが金剛級冒険者の肩書を持つレオニスを見込んで何らかの依頼を持ちかけ、レオニスもそれを受けたのだろう、ということを察する。
だが、このままずっとシーーーンとした空気のままというのも、非常に居た堪れない。
なので、ここは子供の特権『オラ、子供だから空気読まないゾ!作戦』を実行することにしたライト。
何も気づかないふりをしてレオニス達のいる部屋の隅に駆け寄り、明るい声でレオニスに話しかける。
「レオ兄ちゃーん、どうしたの?ご馳走たくさんあるよ!こっち来て食べようよ!」
「あっ、侯爵様も伯爵様も、今日はぼく達も晩御飯に誘っていただいてありがとうございます!すっごく美味しいものがたくさんあって、目移りしちゃう!」
ライトはアレクシスやクラウスに礼を言いながら、子供らしく無邪気に振る舞う。
レオニスの手を引っ張り、こんな部屋の隅にいないで真ん中のテーブルのある方に行こうよ!というアピールもしっかりとするライト。
ライトの作戦が功を奏したのか、先程まで深刻な話をしていた大人達三人にも笑顔が戻る。
「いやいや、今日の食事を気に入ってくれたなら幸いだ」
「でもライト君、君のところにはラウル君という超一流の料理人がいるだろう?彼の料理を食べつけているなら、さぞライト君の舌も肥えているはずじゃないか?」
「そうだなー、うちのラウルの料理は絶品だからな!でも、ここの料理もものすごく美味いことは間違いないな!」
「ハッハッハ、レオニス君にもそう言ってもらえるとは光栄の極みだな」
大人達の緊張が解れた様子を見て、ライトも安堵する。
「あっ、そういえば侯爵様は手土産として持ってきたラウルのアップルパイ、もう食べましたか?ハリエットさんや伯爵様もいつも大絶賛する、それはもう超美味しいアップルパイなんですよ!」
「いや、実はまだなんだ。クラウス達が絶賛するほどの品ならば、是非とも私と食べておかないとな!」
「侯爵様、早く行かないともう残っていないかもしれませんよ?あのアップルパイ、子供だけでなく奥様方にも大好評でしたから……」
「何ッ!?それはいかん!一家の主たる私の口に一口も入らんとか、絶対にあり得ん!」
ライトの話に、慌てて席を立ち上がるアレクシス。
急いでアップルパイのあるデザートテーブルに向かって、小走りで駆け寄っていく。
「ヴァネッサ、オリヴィア!パパの分のアップルパイはあるだろうな!?」
「あら貴方、いいところにいらしたわね!あと三切れでアップルパイは完売するところでしてよ?」
「何ッ!?ホールで10箱はあっただろう!?」
「それがですね、お父様。このアップルパイ、実に美味なのです。それはもう、ラグナ宮殿での晩餐に出てきてもおかしくないほどの極上の味で……」
「ええ、オリヴィアの言う通りですわ。私もこのアップルパイに魅了されてしまって……ついつい手が止まりませんの……」
「な、何ということだ……ならば残りの三切れは全て私がいただくぞ!」
妻子の言葉に愕然としつつも、慌てて残りのアップルパイ三切れを確保するアレクシス。
まず一切れ目を口に頬張ったアレクシス、その美味しさに目を大きく見開きながら一瞬止まるも、その後ものすごい勢いで食べ進む。そして残りの二切れもそ夢中になりもっしゃもっしゃと食べていき、あっという間に三切れを平らげてしまった。
「おお、これは本当に美味い……クラウスから聞いてはいたが、正直な話そこまで美味いもんなのか?と半信半疑だった……」
「兄上、何気に酷いこと仰ってますね……私達の舌を信用しておられなかったのですか?」
「ぃ、ぃゃ、決してそういう訳ではないのだが……ただなぁ、お前の『ラウル君が作るアップルパイは世界一、いや、宇宙一と言っても過言ではありません!』というのは、さすがになかろうと思ってな……」
兄アレクシスから信用されてなかったことを知った弟クラウスが、そのショックからかチクリと反撃する。
弟から追求された兄アレクシスは、若干しどろもどろになりつつも言い募る。
「……で?実際にラウル君の特製アップルパイをお食べになってみて、如何です?」
「クラウスよ、お前の評価は実に正しいものだった!このアップルパイは宇宙一美味しかったぞ!」
「えぇえぇ、そうでしょうとも!」
クラウスからの問いかけに、アレクシスもアップルパイの美味しさを大いに認めた。
己の主張が正しかったことを兄に認められた弟、誇らしげに胸を張る。
何とも仲睦まじい兄弟の姿を、周囲は明るい笑顔で眺めていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「さて、宴もたけなわではあるが夜もだいぶ更けてきた。そろそろお開きにしようか」
「子供達は各自自分の部屋に行き、寝る支度をしなさい。大人達は客人をお見送りしよう」
領主邸の主であるアレクシスの一声で、今宵の晩餐は締め括られた。時刻は午後九時半を少し回ったあたりか。
子供達はすっかり打ち解けて、ライトもウォーベック一族の子供達と仲良く話に加わっている。
「ライト君、今日はとても楽しかったわ!」
「またプロステスに来ることがあったら、是非とも我が家に寄っていってくれたまえ」
「ライトさん、またラグーン学園でお会いしましょうね」
「はい!皆さん、ありがとうございます!ぼくもとっても楽しかったです!」
ハリエット以外の子供達も、皆ライトに明るく声をかけてくれる。数々の温かい言葉をもらい、ウォーベック一族の人達って本当に気さくで良い人ばかりだなぁ、と嬉しくなるライト。
ライトとの再会の約束を交わした後、ウォーベック家の子供達は自分達の部屋に戻るべく大広間を後にした。
「例の仕事の報酬や間引き狩りの日程調整なんかの細かい話は、後日またクラウス伯と話し合って決める、ということでいいか?」
「はい、最終的な契約は兄上の確認および承認のもとで取り交わしますが、その下地作りはラグナロッツァにいる私が代理で行う方が効率良く進められますので」
「いやー、クラウスがレオニス君のご近所さんで本当に助かる!交渉権限は全てクラウスに委任するから、よろしく頼んだぞ」
レオニス達が『例の仕事』の話をしている。
本当の依頼主はアレクシスであり、その仕事の舞台もここプロステスではあるが、まだ口約束を交わしただけの状態である。レオニスが仕事のための準備を整える間、報酬他細かい打ち合わせはラグナロッツァでお隣さんレベルのご近所に住まうクラウス伯がアレクシスの代理で行うようだ。
「レオニス様、此度は当地にお越しくださり誠にありがとうございます」
「このように主人の晴れやかな顔を見るのは、本当に久しぶりのことで……私どもも感謝の念に堪えません」
「どうか……どうか貴方様の御力でこの地をお救いくださいませ」
アレクシスの妻ヴァネッサが、レオニスに向かって感謝の言葉を述べながら深々と頭を下げる。それに倣い、クラウスの妻ティアナもヴァネッサとともに頭を下げる。
アレクシスやクラウスの苦悩を分かち合ってきた妻達の、心からの礼だった。
「ん……俺にどれだけのことができるかは分からんし、絶対に解決してみせるとは断言できんが」
「仕事として受けるからには、全力を尽くすと約束する」
「あんた達も、これからもプロステスを守るために頑張ってくれ」
絶対にプロステスを救ってみせる!などと大口を叩くことなど、レオニスにはできない。アレクシスの依頼は、まさに商業都市プロステスの存亡を賭けた大仕事だ。
だが、己の持てる力を全てを使って事に挑むと約束した。
レオニスのその力強い言葉は、アレクシス夫妻やクラウス夫妻にとって何より大きな希望だった。
深々と頭を下げた妻達の眦に、うっすらと涙が滲む。
「じゃ、帰るか。今日はいろいろと世話になったな。また近いうちに来るが、その時もよろしく頼む」
「ああ、いつでも歓迎するぞ!」
「……次は普段着で来るからな。さ、帰るぞ、ライト」
「???……あっ、皆さん今日は本当にありがとうございました!」
突如レオニスの口から出た『普段着』という謎の言葉に、アレクシス以外の面々は皆一様に「???」となるも、アレクシスだけはくつくつと笑いを堪えている。
そう、今回請け負うことにした『例の仕事』もあまり大っぴらにはできなさそうなので、レオニスのトレードマークたる深紅のロングジャケットは現場入りしてから着るぞ!という決意の表れなのだ。
それがこの場ですぐに理解できたのは、執務室に二人きりの時にレオニスのトレードマークの盲点をズバリ指摘したアレクシスのみである。
玄関の扉を開けると、建物の中と大差ないくらいに温かい空気が流れ込んでくる。
春や秋のそれと変わらない気温。それこそが今プロステスが抱えている大きな問題なのだ、とレオニスは無言のうちに実感する。
「皆さんさようならー!またいつかお会いしましょう!おやすみなさーい!」
ライトが見送りに出た人達に向かって、大きく手を振りながら別れの挨拶をする。
ウォーベック一族に見送られながら、ライトとレオニスはプロステス領主邸を後にした。
今話冒頭に出てくる、ライトか行使した子供の特権『オラ、子供だから空気読まないゾ!作戦』。
これがどーーーにも某日本一有名な幼稚園児の声で再生されてしまい、止めることができません……もちろんライトがその可愛いお尻をペロン!と出して、左右にプリプリ振ることなど絶対にありませんが。……ない、よね?
ちなみにライト持参のアップルパイ10箱、さすがにこの場で全部食べ尽くした訳ではありません。アレクシスが駆けつけた時には5箱目です。
残りはまた後日、ウォーベック一族皆で食べるためにとっておいてあるのです。
 




