第266話 深い翳と届かなかった声
その後ライト達は、大神樹ユグドラシアといろんな話をした。
ユグドラシアが言っていた弟妹とは、やはりライトがよく行く近所の馴染みの神樹ユグドラツィのことだった。
神樹に雌雄の性別はないので、自分より年嵩なら兄姉、年下なら弟妹となるようだ。
細かい樹齢差までは分からないが、ユグドラツィの方が歳若いらしい。確かに樹としての大きさもユグドラシアの方が一回り以上大きいので、ユグドラシアが兄姉でユグドラツィが弟妹になるのだろう。
『ライト、でしたか。貴方からも弟妹のオーラを感じますが、そこの幻獣からははるかに強い弟妹の力を感じます』
『そう―――これはもはやオーラではなく、加護そのものですね。そのカーバンクルは弟妹の庇護を受けている、と言っても過言ではないでしょう』
「そうなんですか……このフォルとの出会ったのも神樹ユグドラツィのところでしたし、きっと特別な子なんでしょうね」
この子はゲームシステムの使い魔の卵から生まれた子なんです、とは口が裂けても言えないが、ある意味特別な子というのは本当のことである。
そしてよくよく考えたら、ライトは使い魔の卵を孵化させるために神樹ユグドラツィがくれた葉を10枚与えたのだ。そうした経緯を考えると、フォルが神樹ユグドラツィの加護を受けているというのも納得の話だ。
八咫烏の里に入ってからは『また襲撃されたら危ないから』という理由で、マキシの頭から離れて普段の定位置であるライトの右肩に戻ったフォル。
家に帰ったらすぐにツィ様のところにお礼を言いに行かなきゃ!と思いつつ、ライトはフォルのふわもふな身体をそっと撫でた。
そしてユグドラシアの声は、魔力が高い者なら基本誰でも聴けるものであること。魔力の高さだけを基準として言えば、族長一族はもとより民の半数くらいは該当するらしい。
だが、心に深い傷や悲しみ、憎しみや妬み嫉み、恨みなどの負の感情を大きく持つ者にはその声が聴けなくなるのだという。
そうした意味では、婚姻や新生児誕生などの慶事にはユグドラシアの祝福の声が広く届きやすいのだそうだ。
「父様と母様が祝言を挙げた時や、兄様や姉様、僕達双子が無事生まれた時にも、大神樹ユグドラシア様からの言祝ぎを賜ったと聞いています」
「そうなんだ。そういうおめでたい時って皆喜んだり嬉しかったりするから、シア様」
『シアちゃん』
「うぐッ…………シアちゃん、の声が皆に届きやすいってことなんだろうね」
ライトが大神樹ユグドラシアのことを様付けで呼ぼうとするも、当の大神樹から速攻で訂正を食らい敢えなく撃沈する。
大神樹ユグドラシアの呼び名は、もはや『シアちゃん』で確定のようだ。
『昔は私の声をよく聴く者達も多かったのですが……ここ百年くらいずっと減る一方で……』
『その原因は……おそらくですが、マキシの魔力がほとんどないことが分かってからです』
『族長一族以外の他の者達は、ここぞとばかりにマキシを嘲り蔑み笑い者にしました。魔力の高さで言えば有史以来族長一族に敵う者はおらず、鬱屈していたのでしょう』
『そして長年完全無欠だった族長一族に生まれた唯一の欠点にして格好の口撃材料であるとして、マキシは槍玉に挙げられました』
『族長や他の兄弟姉妹は責める欠点もないが、八咫烏において最も重要視される魔力のないマキシを嘲笑うことで溜飲を下げていたのです』
大神樹ユグドラシアの声音はとても悲しそうで、憂いに満ちたものだった。
確かに里に入った直後の兵達の様子を見るに、魔力のないマキシになら何を言っても全く問題ないといった空気だった。
あのような見下す態度ばかり取っていたら、確かにユグドラシアの声など聴けなくなって当然だろう。
『また、族長一族もマキシの生い立ちを嘆き悲しみ、心に深い翳を落としていきました』
『どうしてこの子だけがこんな目に、という深い悲しみ。そして他者からの嘲りも断罪できるほどのものでもなく、家族として守ってやることもできない。いつも不甲斐なさややるせなさを感じては悔み、皆心の内に抱え込んでいったのです』
『そうして他の者達同様に、族長一族にも私の声が届かなくなっていきました―――ミサキを除いて』
『唯一、ミサキだけが私の声を今日まで聞き続けることができたのです』
大神樹ユグドラシアが、ミサキだけがその声を聴ける理由を解説してくれた。
「マキシ兄ちゃんは、いつだってマキシ兄ちゃんなのにね。何で皆そんな簡単なことが分からないんだろう?」
『……負の感情というのは、目や耳だけでなく心や魂をも濁らせてしまうのですよ』
ミサキがしょんぼりとした顔で俯きながら嘆く。
先程の『ユグちゃんはユグちゃん』と同様に『マキシはマキシ』とはっきり言えるミサキは、物事の本質を芯から理解しているのだろう。それこそが、ユグドラシアの声をずっと聴き続けてこれた秘訣なのかもしれない。
「僕だけが大神樹ユグドラシア様」
『シアちゃん』
「うぐッ…………僕だけがシアちゃんの声が聞こえなかった訳ではないんですね」
ライトに続き、マキシも当の大神樹から直々にシアちゃん呼びの訂正を食らい撃沈する。
他者がいる場面ならともかく、今いる面子のような取り繕う必要の全くない者達のみの空間ではシアちゃん呼びは鉄板確定のようだ。
『ええ。貴方にも何度も声をかけていたのですが―――声を受け取る魔力が足りず、貴方の耳に届くことは叶いませんでした』
「でも、マキシ君の魔力はもとに戻ったんだから、これからはずっと聞こえるよ!」
『そう―――マキシ、貴方の魔力は以前と全く違う。私はずっとそれが気になっていました。貴方の身に何が起きたのです?』
「それは―――」
マキシは、今それをここで話してもいいものかどうか迷っていた。
このことは、父母や兄弟姉妹にも必ず説明しなければならない。ならばその時にいっしょに聞いてもらう方がいいかな?と考えたからだ。
そんなことを考えているうちに、大神樹ユグドラシアのたる方とは反対側の背後から誰かが近づいてくる気配がした。
その気配に感づいたラウルがガバッ!と振り向くと、そこには八咫烏の里で一番最初に会ったマキシの実兄ケリオンがいた。
ラウルの挙動に、他の皆もケリオンの存在に気づく。
「……マキシ、まだ父様と母様のところに行ってないのかい?」
「ケリオン兄様、それはワタシがいけないの!マキシ兄ちゃんが帰ってきたのが嬉しくて、大神樹ユグドラシア様の中のおうちに入ってもらう前にここで飛びついちゃったから!」
「ん?ミサキか?……あー、うん、ミサキがここにいるならしょうがない、かな」
ミサキがマキシ達を懸命に庇うも、この場にミサキがいることをケリオンが認識した途端に早々に納得されてしまう。ケリオンにこうもあっさりと認められてしまうあたり、このミサキという末妹の普段の言動や周囲の評価が察せられる。
いや、それよりもミサキが大神樹ユグドラシアのことをユグちゃん呼びせずに、正式なフルネームに様まで付けてきちんとその名を呼んでいることの方に驚きだ。
普段から大神樹の声が聞こえ、会話も可能ということは家族の誰にも内緒というのは、やはり本当のことらしい。
「じゃあちょうどいい。今から僕も父様達に先程のことを報告しに行くところだから、皆もついておいで」
「分かりました」
「うん!ケリオン兄様についていく!」
「えーと……ひとつ質問いいですか?」
ここでライトが、おそるおそる手を上げて質問する。
「これ、もしかしてこの大神樹ユグドラシア様の上に行くんですかね……?」
そう、ここは八咫烏の里だ。そしてマキシ達も当然八咫烏だ。
八咫烏はカラス。鳥類は木の枝に止まって樹上で生活してナンボの生き物である。
普段の生活?も当然空を飛ぶか木々に止まるのが常であり、地を歩くなどは落ちた木の実を突つく時くらいしかしないだろう。
それに引き換え、ライトはごくごく普通の人族の子供。いや、普通というにはだいぶアレな点も多いのだが。それでも生物学上では、ラグーン学園の同級生達同様に『人族の子供』である。
そして、普通の人族の子供は空を飛べない。いや、ライトの最も身近にはとんでもない例外がいるのだが。
ライトもいずれはその例外になるのだろうが、今はまだごくごく普通の子供なのだ。
普段八咫烏達が事も無げに出入りしているであろう大神樹の上、それはきっと現代日本でいうところの高層ビル二桁階に相当するだろう。
空を飛べない人族の子供が、これ程の巨木の上に登る。それは高所恐怖症でなくとも、足が竦み怖気づくのも無理はなかった。
「……あー、そうだな。ライトには翼も羽もないからな、この上に登るのは怖いよな」
「う、うん……ぼくまだレオ兄ちゃんのように空飛べないし……」
「いや、人族ってのは空は飛ばんものだ。ありゃ例外中の例外だから、引き合いにしたり自分と比べたりすること自体が大間違いだ」
「あ、うん、そうだね」
今日もラウルのレオニスに対する容赦ない評価が炸裂する。
確かに辛辣な物言いではあるが、紛うことなき正論でもあるのでライトも素直に納得するより他ない。
するとその時、ライトの脳内に再び大神樹ユグドラシアの声が響いてきた。
『大丈夫ですよ、ライト。上には人族でも余裕で座れるくらいの比較的平らな場所もありますし、八咫烏達が座って寛ぐ巣もたくさんあります。何より登っても貴方の身体が決して下に落ちないよう、私がしっかりと支えてあげますよ』
その声にライトはキョロキョロと辺りを見回すも、他の者達は特に変化はない。どうやら今回はピンポイントで、ライトにだけ話しかけたようだ。
シアちゃんがサポートしてくれるなら大丈夫かな、とライトは思い、心の中で『じゃあ、シアちゃん、落っこちないように補助をよろしくお願いします』と返事を返した。
「そしたら俺が上まで連れてってやろう」
「うん、ラウル、お願いね」
ライトをおんぶすべく、ラウルがライトに背を向けてしゃがむ。問答無用でお姫様抱っこしないあたり、ラウルはどこまでも果てしなくできる男だ。
やはりラウルは完璧なる万能執事なのである。
ラウルにおんぶされて、ライトは大神樹ユグドラシアの上に登っていった。
大神樹ユグドラシア、シアちゃん呼びが何気にというか完全に気に入っているようです。まぁミサキのユグちゃん呼びも容認しているくらいですからね、可愛い響きのシアちゃん呼び名もまた新鮮で心躍るのかもしれません。
ちなみに神樹族の樹齢や高さ等詳細な設定は未定なのですが、樹齢は少なくとも四桁はとっくに超えています。
そして、広いサイサクス世界にはまだまだライトの知らない他の神樹も存在していることでしょう。
いつか第三第四の神樹を出せたらいいな、いつになるかは分かりませんが。
 




