第263話 本当の理由
マキシが八咫烏の縄張りに入ったと言ってから、しばらくしないうちに数羽の八咫烏がライト達の前に現れた。
「貴様ら、何モ……うぐッ」
「今すぐ立t……ぐはッ」
「我等が十……ンがッ」
八咫烏達はお約束の口上を述べようとするも、何故か突然地に伏して動けなくなっている。
はて、これは一体何事ぞ?と考えたライト、ハッ!ととあることに思い至る。
「ねぇ、これまだ『魔物除けの呪符』が効いてるせい、かな?」
「あー、多分そうだろうな」
「ラウル、あとどれくらいで効果切れるっけ?」
「残り時間は多分3分もないと思うが」
「んじゃ、それまでこの八咫烏達が可哀想だから、もう少し離れて魔物除けの効果が切れるまで待とうか?」
「……いいえ、このまま進みましょう」
ライトが気遣うも、意外なことにマキシはその気遣いをやんわりと拒否した。
「マキシ君、いいの?」
「ええ、大丈夫です。そもそも命を取ったり大怪我をさせるような類いのものでもないですし、たまにはこういう予想外のことが起こるのだ、ということを身を以て知るのも治安部隊の兵達にはいい経験になるでしょう」
「んー、マキシ君がそう言うならいいけど……」
ライトは心配そうにしているが、マキシはそのまま奥の方に進んでいくので慌てて後をついていく。
その間にも奥から新たな兵士が出てくるが、先程と同様に突然地に伏して手も足も出なくなる。
そして魔物除けの呪符の効果が切れた頃には、ライト達は地に伏せられた兵達に一気に囲まれてしまった。
「貴様ら、何者だ!ここを八咫烏の縄張りと知っての侵入か!」
「今すぐ立ち去れ!さもなくば命はないぞ!」
「我等が十数えるうちに、今来た道を戻れ!」
ゼェハァと若干息が上がりながらも、ようやくいつもの口上を述べることができた治安部隊の兵達。その声音は、心なしかちょっぴり満足げなオーラが漏れているような気がする。
それにしても、この兵達は目の前の黒髪の少年がマキシであることに気づかないのだろうか?
あるいはマキシがまだ人化の術を保っているせいで、外見的に分からないだけかもしれないが。
ライトは小声でマキシに話しかけた。
「ねぇ、マキシ君。人化の姿のままだと、皆マキシ君だってことが分からないのかもよ?」
「……ああ、そうかもしれませんね。人化の姿もだけど、魔力も僕のものだとは分からないんでしょうね」
「……穢れが祓われて、以前とは全く違う本来のマキシ君のあるべき姿に戻った、から?」
「ええ、以前の僕には本当に……魔力がほぼ皆無と言っていいくらいありませんでしたから」
その頃のことを思い出してか、ふっ、と寂しそうな笑顔を浮かべるマキシ。
確かに見た目だけでなく、魔力量まで桁違いに増大しているのだ。以前のマキシを知る者ならば、今の彼のことをすぐにマキシだと分かる者はいないかもしれない。
「とりあえず人化の術を解いて、八咫烏の姿に戻ってみたらどうかな?」
「……そうですね。そうしてみます」
ライトの勧めに従い、人化の姿から本来の八咫烏に戻るマキシ。
久しぶりに目にする八咫烏のマキシの姿は、相変わらずむっちりムチムチのプリップリで艶やかなまん丸球体型だ。
だが、それにも拘わらず何とも凛々しく神々しいまでのオーラと威厳に包まれていた。
そういえばマキシ君の八咫烏姿を見るのは本当に久しぶりだな、と思いつつ改めてその爪を見るライト。
三本の足の全ての爪が、見事に美しい深紫色に染まっている。
深紫色は八咫烏族にとって皇帝の色を象徴する色であり、その色の濃さが魔力の高さを表すという。ラグナロッツァのレオニス邸の前に行き倒れていた時のマキシの爪は、本当に普通のカラスの色だった。
その時のことを思えば、今のマキシは本来のあるべき姿をきちんと取り戻せたのだということがはっきりと分かる。
凛として前を向き、覇気に満ちたマキシの姿を見たライトは内心とても嬉しくなった。
ライトの横にいるラウルも気持ちは同じのようで、真っ直ぐにマキシを見つめながら微笑んでいた。
「僕はマキシです。八咫烏一族の族長ウルスとアラエルの四番目の息子、マキシです」
「父様や母様、兄様や姉様、妹に会いに戻ってきました」
「皆にそう伝えてください」
治安部隊の兵達に向けて、マキシははっきりとした声で力強く言った。
兵達は一瞬ポカンとした後、ププッ、と噴き出した。
「マキシって、あのマキシか?」
「確かにお前のその姿形はマキシにそっくりだが……魔力無しのあいつとは似ても似つかない、とんでもなく強い魔力を出している時点で偽者だろう」
「というか、マキシになりすましてこの里に侵入しようというクチか。だったらもうちょっとマシな化けの皮を被れ」
「いや、それよりお前一体何者だ?八咫烏族には違いないんだろうが、この里の者ではあるまい」
「一体何を企んでいる?……まぁいい、企みを聞いたところで意味はない。侵入者は排除あるのみだ」
ある者は大笑いし、ある者は呆れたような口調で詰問する。
いずれもその目と声音には、蔑みと嘲りが満ち満ちている。
そしてそれはつい最近まで―――マキシがラウルの姿を追い求めて里を飛び出すまで、ずっと受け続けてきた視線と罵声だった。
そんな虐めにも等しい光景を目の当たりにしたライトは、怒りと同時に悲しみに満ちていた。
これじゃいくら家族が優しくしてくれていたって無理だ。家から一歩外に出れば、こんな酷い悪意に晒される。
どこにいたって心が休まらないし、それどころか傷だらけになって心が死んでしまう。身体の傷よりも、心の傷の方が何十倍も何百倍も治すのに時間がかかるというのに!
マキシ君はこんな悪意を生まれてからずっと、120年も浴びせられ続けてきたのか―――
そう考えただけで、ライトの目には涙が浮かんできた。
そしてライトの横にいるラウルも、その歯をギリッ、と食いしばり顔を顰める。
「ライト、分かるか?これが、マキシが里を飛び出した本当の理由だ」
「うん……すごくよく分かったよ」
「家族以外の唯一の友達だった俺を探したかったというのも本当のことだろうが、それ以上にもうこの里にはいられなかったんだ」
「うん……そうだよね。こんな仕打ち、酷いよね……」
マキシの辛い思いをまざまざと感じ取ったライトの目から、ついに涙がぽろりと零れ落ちる。
そんな二人の様子を察したマキシが振り返り、慌ててライト達のもとに駆け寄った。
「ライト君、泣かないでください!僕はこの通り、全然平気ですから!」
「……でも……マキシ君、今までずっと辛かったでしょう?」
「……全く辛くなかったと言えば、それは大嘘になります。ですが……今はもう大丈夫です」
「本当に……?」
マキシがその艶やかな羽根の先で、俯くライトの零す涙をそっと拭い取る。
「ええ。親友のラウルも見つけられましたし、そのおかげでライト君やレオニスさん、フェネセンさんやアイギスの方々にも会うことができましたから!」
「しかも!こんなに可愛いフォルちゃんにまで出会えて、しかも僕の頭に乗ってくれて!」
「これ以上の幸せなんてありません!」
「これも全て、あの日行き倒れていた僕を見捨てずに助けてくれたライト君のおかげです。本当に、本当にありがとう、ライト君!」
輝くような笑顔で、思いっきり喜びを体現するマキシ。
ライトの涙を拭った後、艶やかに輝く大きな漆黒の翼でライトの身体をふわっと包み込み抱きしめた。マキシの胸元のふわふわ羽毛が何とも温かく心地良い。
マキシからの思わぬお礼の言葉に、ライトの涙もようやく止まりそうだ。
そしてライトを抱きしめる八咫烏姿のマキシの頭の上に、フォルがちょこなんと乗っかっている。八咫烏のマキシとカーバンクルのフォル、その取り合わせの何と愛らしいことよ。
もしここに、可愛いモノ好きのクレアがいたら。間違いなく目に見えない矢で胸を射抜かれて、感激の涙を流しながら手を合わせて拝むところであろう。
ライト達がそんな会話をしている間に、その一方で八咫烏の治安部隊の兵達もコソコソと様子を伺いながら作戦を立てている。
「どうします?あの謎の八咫烏、かなり魔力が強そうですが……」
「とりあえず捕まえて尋問せねばならんだろう。ただのはぐれ者か、もしくは遠い地にいる同族か……それだけでも突き止めておかねばなるまい」
「では八咫烏は生け捕りという方針にするとして。人族の子供と男はどうします?」
「多少痛めつけてから結界の外に放り出せばいい」
「了解」
こちらの方も相談を終えると、早速ライト達の方に向かい襲いかかろうとしてきた。
ライトを抱きとめていたマキシは、ライトからそっと離れてラウルに預けるように渡した。
「ラウル、ライト君を守ってね。あっちは僕が何とかするから」
「了解。マキシ、無理はするなよ」
「うん、ありがとう。僕は大丈夫だから」
ラウルにライトを預けたマキシは、後から合流してきて数が増えた治安部隊の兵達の方に向く。
その数十羽以上、一斉にマキシとその背後にいるライトとラウルに襲いかかってくる。
敵対する兵達に向けて、マキシがその艶やかな漆黒の両翼を左右に大きく広げながら静かに呪文を放つ。
「天破千雷」
マキシの短い呟きが完了した途端、その翼から無数の細い雷が水平に走り目の前の敵に浴びせかけられる。
先程まで勢いよく飛びかかってきた八咫烏の兵達は「ンギャガガガッ!」と情けない悲鳴をあげながらバタバタと地に落ちていく。プスプスと焦げたような薄い煙をあげながら落下するその様は、どこぞのコントのような光景だ。
先日のオーガの里での単眼蝙蝠同様、飛行種族にはやはり雷系の魔法が最も効果的らしい。
とはいえマキシも手加減はしたのだろう、いきなり皆殺しにしたり重傷を負わせるのではなく軽く失神させただけのようだ。
雷で落とされた治安部隊の兵達はピリピリと感電し、身体をピクピク痙攣させながら白目を剥いてひっくり返っている。
一瞬にしてケリをつけてしまったことに、後ろで控えながら見守っていたライト達は驚愕する。
マキシの魔力が完全に元に戻ったことは理解していたが、こんなに強力な雷魔法が使えるようになっていたとまでは思っていなかったからだ。
ライト達が半ば呆然としていると、奥からさらに一羽の八咫烏が飛んできた。
その八咫烏は、マキシの姿を見るなり独り言のように呟いた。
「…………マキシ?」
今回マキシの里帰りするにあたり、八咫烏達の嫌な態度丸出しシーンが出てきますが。当作において初めての悪役というか、嫌なヤツ登場かも。
まぁ真の悪役は廃都の魔城の四帝とか屍鬼将とかなので、八咫烏の者達の場合そういう真の悪にはさすがに程遠い、ただ単に性格悪いヤツらなだけなんですが。
本当はね、綺麗で美しいものや楽しいことばかりに囲まれて生きていけたらどんなにいいか、と思います。ですが、現実はそうはいきませんよね。
学生時代どころか下手すりゃ幼稚園あたりからだって虐めや除け者などあるし、社会に出りゃ出たでパワハラセクハラホニャララハラハラな目に遭うとかよくある話ですし。
こうして長編の物語を綴っていると、いろんな話や人間関係を描く上でどうしたって性格の悪い者達も出さざるを得ない訳ですが。それでも、せめて物語の中だけでもそういう嫌な場面が少しでも少ない世界にしたいものです。




