第1693話 ダリオの末路・その二
ダリオが収容されている独房の前に、突如現れた火の女王。
火の化身である彼女がもたらす明るさは、薄暗い地下室においてさながら真昼の太陽の如き輝きと煌めきを放っていた。
まるで神の如き美しさに、檻の向こう側にいるダリオが呆けた顔で目の前に浮かぶ火の女王を凝視している。
しかし、しばらくするとダリオは火の女王を怪訝な眼差しで見つめるようになっていった。
「……これが、火の女王、だと……??? 何を馬鹿なことを言っておるのだ。火というものは、赤や橙、黄色だというのに」
「如何に平民が愚かで無知かを示しているな。愚かな平民ほど哀れなものはない」
護衛の一人が呟いた『火の女王』という言葉を完全否定するダリオ。
無学なのはダリオの方で、彼は『白や青に近いほど、火は高温である』ということを知らないので、目の前にいる存在が火の女王だということを全く信じずに出鱈目だと思っているのだ。
一方で火の女王は、無知なダリオには目もくれずにラグナ大公達の方に先に声をかけた。
『おお、先日会うた人族の王ではないか。其方に会うのはこれで二度目か』
「記憶に留めていただけましたこと、誠に光栄に存じます。火の女王におかれましては、ますますご清栄のことと―――」
『ああ、そういう形式ばった挨拶はよい。今宵は妾の念願を果たすため、レオニスにわざわざ呼んでもらったのだからな』
「はっ……今宵もこちらまでご足労いただき、感謝いたします」
前回玉座の間で会った時とは打って変わって、ラグナ大公が火の女王の前で深く跪きながら恭しく挨拶をしている。
数多いる人族の中で最も偉い王などといっても、所詮は非力な人族。
強大な力を持つ火の女王の前では、人族など塵芥にも等しいことをラグナ大公は心得ていた。
そしてここで、ラグナ大公の護衛の一人としてついてきていた人物―――レオニスが深く被っていたフードを外し、火の女王に声をかけた。
「火の女王、約束は守ってくれよ?」
『うむ、承知しておる。妾は約束したことは決して違わぬ』
「……なるべくお手柔らかにな」
『……フフッ』
レオニスの要請に、火の女王は明確な答えを出さずに小さく笑うのみ。
肯定とも否定ともつかない火の女王の曖昧な態度に、レオニスは内心でハラハラしていた。
……
………
…………
炎の洞窟で大事件が起きた後、レオニスは毎日欠かさずエリトナ山を訪れていた。
最低でも一日一度は必ずエリトナ山に顔を出し、時には二回、三回と足繁く複数回通う日もあった。
その理由は、まず第一に火の女王に事件の調査の進捗状況を伝えるため。
そしてそれと同時に、火の女王の様子伺いも兼ねていた。
毎日レオニスがエリトナ山を訪問して、捜査の経緯を一部始終余すことなく伝えるのは、人族側の誠意を示すという意味もある。
それにより、火の女王の機嫌が少しでも直っていってくれれば……という淡い期待もあった。
その甲斐あって、事件直後はかなり硬化していた火の女王の態度は日を追う毎に少しづつ軟化していった。
精霊拉致を示唆した真犯人は絶対に許さない。何があろうとも、必ずこの手で復讐する―――
火の女王は、この態度こそ絶対に崩さなかったが、それでも事件後十日を過ぎたあたりから『大多数の無関係な人族を皆殺しにするのは、さすがにちとやり過ぎかの……』『タロンを大虐殺の使徒として利用するのも忍びない』という言葉を、火の女王から引き出すことに成功していた。
これらの火の女王の軟化に、レオニスは少なからず安堵した。
しかし、決して油断はできない。
火の女王が実際にダリオと接触したら、火の女王の中で憎悪と復讐の念が再燃するかもしれない。
憎い犯人を目の当たりにすれば、火の女王の気が変わることだって大いにあり得る。
そうしているうちに、フェデリコが闇の女王と光の女王の報復を受けて半ば廃人と化した日の翌日。
火の女王は、その日もエリトナ山詣でに来ていたレオニスに相談を持ちかけた。
『レオニスよ、ようやく真犯人が捕まったのだな?』
「ああ。闇の女王や光の女王、ココの働きかけのおかげで、闇ギルドの頭が隠していた証拠書類がわんさか出てきたからな。これでようやく、あの事件を起こした真犯人を捕まえることができる」
『その真犯人は、いつ捕らえるのだ?』
「ラグナ大公からの遣いによると、今日のうちにとっ捕まえるらしい。日が暮れる前には動くと言っていたから、もう捕まって牢屋に入ってるかもしれんな」
茜色に染まる空を見上げながら、レオニスが火の女王の問いかけに答える。
この時の時刻は午後四時半少し前。昨今は冬至も近づいてきていて、日が暮れるのも早くなっていた。
『ならばレオニスよ。今宵、其奴が捕らえられている牢屋に、妾を呼んでくれるか』
「……真犯人と直接会って話がしたい、ということか?」
『うむ。……ダメか?』
「ンーーー……ダメというより、俺一人の承諾だけで通る問題じゃねぇ気がするんだが……」
火の女王の思いがけない申し出に、レオニスが茜色を見上げたままうんうんと唸り悩んでいる。
口をへの字にして目を閉じ悩むレオニスに、火の女王はなおも懇願した。
『レオニス、其方は人族の王とも懇意にしているのであろう? ならば人族の王に頼めば可能なのではないか?』
「ンーーー、まぁなぁ……物的証拠も確保したことだし、誰にも知られず内密に引き合わせるってだけなら、この先もっと本格的な捜査や裁判が始まる前の今の方がいいかもしれんが……」
『おお、ならばなおのこと都合が良いではないか!今すぐ人族の王に掛け合ってみてくれ!』
「……仕方がない。他ならぬ火の女王の頼みだ、断る訳にもいくまい。ラグナ大公に頼むだけ頼んではみよう」
『ありがとう!』
ずっと難しい顔しつつ悩んでいたレオニスだったが、結局最後は火の女王の要求を受け入れた。
願いが叶ったことに、火の女王の顔が綻ぶ。
炎の洞窟での事件以降、火の女王が笑顔になることなどほとんどなかった。
人族との関係改善が一歩づつでも進んでいるのは、実に喜ばしいことである。
「ただし!火の女王にも、守ってもらいたいことがいくつかある」
『何だ?』
「まず、その場で怒りに任せて真犯人を殺そうとしないこと。奴にはまだこれから吐いてもらわなきゃならんことがたくさんあるんだ、なのに火の女王にさっさと殺されたら捜査が行き詰まっちまう」
『うむ、分かった。妾とて殺人狂ではないし、そもそもすぐに殺してしまったらつまらん。真犯人には、炎の女王やフラム様が味わった苦痛の何百倍、何千倍も味わってもらわねばな』
「何つー恐ろしいことを……」
レオニスの一つ目の条件『ダリオをすぐに殺さない』という要求に、火の女王がすぐに承諾した。
といっても、火の女王の場合『すぐに殺してしまったら、それは真犯人にとって安寧になってしまう』と思っているようだ。
身の内に秘めた彼女の苛烈さに、レオニスはただただ震え上がる他ない。
「二つ目。牢屋に行くなら人族の王、ラグナ大公と護衛の何人かにもいっしょについてきてもらう。俺一人じゃ牢屋に行くことなんて絶対にできんし、それをすぐに許可できるとしたらラグナ大公だけだ。そしてラグナ大公にも、火の女王と真犯人のやり取りを一部始終見てもらう。国家元首が証人となれば、その証言は誰にも覆すことなどできんからな」
『承知した。では、今夜のうちに真犯人と相まみえることができるのだな』
「今夜のうちってーと、今すぐにラグナ大公に話を通しに行かなきゃならんな……」
レオニスが再び茜色の空を見上げながら呟く。
火の女王と話をしている間にも空は黒さを増していき、夕闇が迫ってきていた。
「しゃあない、とっととラグナ宮殿に行ってくるか」
『うむ!今宵、其方に呼ばれるのを心待ちにしておるぞ!』
「はいよー。つーか、夜中ってより深夜とか明日の明け方とかになるかもしれんが」
『時間帯など気にせぬ故、支度が整い次第いつでも妾を呼ぶがよい。楽しみにしておるぞ!』
エリトナ山山頂にある転移門に入るレオニスを、火の女王が満面の笑みで見送ってくれている。
なかなかに無理難題を押し付けられたレオニスだが、これでまた火の女王の機嫌が少しでも良くなってくれれば御の字だ。
レオニスは転移門のパネルを手早く操作し、カタポレンの家に移動していった。
…………
………
……
こうしたレオニスの様々な苦労と、無理難題を持ち込まれたラグナ大公の必死の対応の甲斐あって、火の女王は念願叶って真犯人のダリオと直接対峙することができた。
火の女王が知己との挨拶を済ませた後、ようやく檻の向こうにいるダリオを見遣る。
ダリオは火の女王やレオニスを藪睨みしながら、ブツブツと呟いていた。
「……いや、こんなものが火の女王である訳がない。青白く光るなど、墓地に化けて出る人魂じゃあるまいし」
「ヴェントゥス、貴様……私を謀って一体何をするつもりだ!このような茶番で私の口封じでもしようというのか!?」
「いや、それよりもそこの貴様だ……貴様、レオニスと言ったか? まさか貴様が、乙女の雫をオークションに出したという冒険者か?」
ラグナ大公に向かって食ってかかったり、かと思えばレオニスを睨みつけながらその素性を問い質したり。
しかし、何が一番不敬かと言えば、火の女王を人魂呼ばわりしたことに尽きる。これを暴言と言わずして、一体何を暴言とできようか。
これにはその場にいた火の女王以外の全員が固まっていた。
中でもラグナ大公が最も激怒していた。
「ダリオ!貴様、言うに事欠いて人魂だと!? 火の女王に向かって何たる無礼!この場で俺が手討ちにしてくれるわ!」
「何だと!? ……そうか、ヴェントゥス、貴様……火の女王の偽者を立てて名を騙り、私を陥れた上で無礼者として人知れず処刑しようって腹か!この暗君め!貴様のような無脳がアクシーディア公国の大公など、恥を知れ!」
「貴様、言わせておけば……もうよい!レオニス、剣を貸せ!」
「ぃ、ぃゃ、俺の剣を使って処刑執行するのはさすがに勘弁してくれ……」
火の女王に対するダリオの数々の暴言に、ラグナ大公がもはや勘弁ならぬ!とばかりに憤る。
ダリオはダリオで未だに火の女王が本物であることを全く認めておらず、互いに詰り続けるばかり。
この不毛なやり取りに、さすがのレオニスもたじろいでいる。
そして、ギャンギャンと喚く二人を制したのは火の女王だった。
『これ、そこな人族の王よ。其方、妾の獲物を横取りする気か?』
「え"ッ!? よ、横取り!? け、決してそのようなことは致しません!」
『ならば下がっておれ。今宵これの相手をするは妾ぞ』
「……は、はい……」
それまで散々ダリオと言い争っていたラグナ大公が、再び火の女王の前で膝をついて頭を垂れる。
いや、今のラグナ大公は先程の出会いの挨拶とは違い、火の女王に改めて恭順の意を示そうとして跪いたのではない。
彼女が発する強烈な威圧に耐えきれず、ただただなす術無く膝を屈してしまったのである。
カタカタと小刻みに身体を震わせるラグナ大公。
横にいたレオニスが「お手柔らかに、と言ったんだがな……」と呟きながら、ラグナ大公に回復魔法のキュアラをかけてやっている。
現役冒険者であるレオニスはともかく、冒険や荒事とは基本無縁のラグナ大公に火の女王の威圧が受けとめきれる訳がない。
もっとも火の女王の威圧は、例え現役冒険者であってもそう易々と受けとめきれるものではないのだが。
そして火の女王は、フィッ……と身体の向きを檻のある方向に変えた。
ダリオは檻の中で、火の女王の威圧に腰を抜かしていた。
『フン……此奴か。妾達属性の女王を付け狙う不成者は』
「……ひ、人魂もどきが人語を喋るとは……貴様こそ、火の女王を騙る不成者ではないか」
『あァン? 此奴、未だに妾を人魂もどきと呼びよるのか……』
未だに火の女王を人魂呼ばわりするダリオに、火の女王が心底呆れ返っている。
腰を抜かしながらも未だに偽者扱いをやめないとは、ある意味ものすごい根性だ。
変な方向で意地っ張りのダリオを尻目に、火の女王が非常に渋い顔でクルッ!と後ろを振り返ってレオニスに向けて問うた。
『なぁ、レオニスよ。此奴、ここで殺ってもよいよな?』
「え"ッ!?」
スーン……とした半目でレオニスを見つめる火の女王。
その右手のひらの上には、人の頭ほどもある大きさの青白く光る火が灯っているではないか。
既に殺る気満々で臨戦態勢に入っている火の女王に、レオニスが泡を食いながら待ったをかけた。
「ぃ、ぃゃ、今すぐここで殺るのはちょっと待ってくれ……火の女王が怒るのも尤もだとは思うが……今ここで女王がそいつに直接手を下すとなると、俺はともかく他の人間、ラグナ大公や護衛達が皆巻き添えで死んじまう。つーか、そもそもあんた、今日の夕方に俺と約束しただろ? こいつをここですぐに殺さないって」
『ふむ……それもそうか』
火の女王がレオニスの必死の説得に応じ、右手のひらに浮かべてた青白い火を引っ込めた。
火の女王がダリオに直接手を下すということは、その豪火を以てダリオを焼殺するということに他ならない。
こんな地下室で火炙りの刑など執行されようものなら、レオニス以外の火の女王の加護を持たない者達全員が巻き添えで焼き殺されてしまうことになってしまう。
それだけはレオニスとしても絶対に避けたいし、そもそもがレオニスと交わした約束を違えることになる。
火の女王もレオニスにそう言われれば理解できるので、何とか思い留まったようだ。
そしてこの光景とやり取りを見たダリオが、愕然とした顔で呟く。
「……ほ、本当に、火の女王……なのか……?」
事ここに至り、ダリオはようやく火の女王が本物であることに気づいた。
この独房も、犯罪者の逃亡を阻止するためにラグナ宮殿と同じく魔法が一切使えない仕様になっていて、ダリオもその程度のことは知っている。
それにも拘らず、今目の前にいる人魂もどきは手のひらの上の何もない空中に青白い火を灯した。魔術師でもないのに、だ。
これは常人には絶対にできない仕業であり、それを可能とすることができるのは、人族など足元にも及ばない高位の存在―――火の女王以外にいないという事実を、ダリオも嫌でも認めるしかなかった。
目を大きく見開きながら驚愕するダリオに、ラグナ大公が話しかけた。
「ダリオ……さっき俺が言ったことを覚えているか?」
「…………???」
「精霊に危害を加えた者を罰することができる者がいる、と言っただろう。それが誰なのか、今のお前なら分かるだろう」
「…………」
「そう、今お前の目の前におられる御方だ」
「ッ!!!!!」
淡々と事実を語るラグナ大公の言葉に、ダリオの顔がみるみるうちに青褪めていく。
それまでダリオはずっと高を括っていた。精霊との関わりを律する法律など存在しないのだから、精霊に対して何をしても自分が罪に問われることなど絶対にあり得ない、と。
しかしそれは、ラグナ大公の言っていたように大きな間違いで―――人族が裁けずとも、精霊の長である属性の女王達には関係のないこと。
むしろ彼女達こそ、仲間である精霊達を虐げた敵を討つに最も相応しい資格を持っているのだ。
このことに、今更ながら気づいたダリオ。
先程火の女王の威圧を受けて震えていたラグナ大公よりも、さらにガタガタと震え上がっている。
そんなダリオを、火の女王が侮蔑の眼差しで見下している。
『貴様の足りない頭でも、ようやく事態が飲み込めたと見える』
「……い、いや!それでも!何故ここに火の女王が出てくる!? 私がフェデリコに頼んだのは氷の洞窟と炎の洞窟の攻略であって、火の女王の住処であるエリトナ山ではない!」
『だから何だと申すのだ。貴様に狙われたのは氷の女王と炎の女王であって、火の女王は無関係だとでも言う気か?』
「その通りだ!!…………ッ…………」
檻の柵を両手で掴みながら、必死に言い訳するダリオ。
しかしその言い訳は悪手としか言いようがない。
あまりにも見苦しい言い訳を続けるダリオに、火の女王が先程よりもさらに強い圧を放った。
火の女王に、ギロッ!と睨まれたダリオ。とうとうその場で泡を噴き、白目を剥いて失神してしまった。
前話に続き、ダリオの末路(中編)です。
くッそー、前後編でまとめるはずだったのに。火の女王を独房に呼び出す算段やら何やら書いてたら、7000字近くなってもた><
この先まで書き続けると、10000字いっちゃいそう……なので、一旦ここで締めることにして。続きはその三=次回に持ち越すことにしました。
事件の経緯や顛末、それらの時系列を破綻させることなく書き綴るのって、ホンットに難しいー(TдT)
読む側の読者の皆様方に、読んでてすんなりと受け入れてもらえる文章になっているといいんですが……




