第1388話 悲しい記憶の上書きと秘密の取引
ラーデ不在の理由を話し終えたレオニスとアウルム。
話題は次のことに移った。
『ところでレオニスよ。今日はまた新たな客を連れてきたのか?』
「ああ。俺の後ろにいるのは辻風神殿の主である風の女王と、辻風神殿の神殿守護神の青龍。名はバルトという」
『ほう、辻風神殿の風の女王とその守護神か。あの神殿に風の女王がいるだけで、守護神は長らく不在だったと記憶しているが……そうか、ようやく誕生したのだな』
「そう、バルトはこの冬に生まれたばかりでな。生後百日を過ぎたところなんだ」
アウルムがレオニスの後ろにいるバルト達に目を遣りながら、レオニスから説明を受けている。
アウルムも風の女王の存在は知っていたが、去年の暮れに生まれたばかりの青龍ゼスのことまでは知るはずもない。
見知らぬ青色の龍がレオニスやライトとともに行動しているとなれば、それは一体何者か?と気になって当然である。
『あの峡谷に、新たなる風の主が生まれたことは非常に目出度い。今日はそれを吾に教えに来てくれたのか?』
「まぁな、それもあるが、アウルムもバルト達と同じくコルルカ高原内に住むご近所さんだろ? 同じ高原内に住む者同士、これから仲良くご近所付き合いしていけるよう、俺の方からアウルムに挨拶しに行くのを誘ったんだ」
『ご近所付き合い…………ここからあの峡谷まで、かなりの距離があるはずだがのう???』
レオニスが何の気なしに言う『ご近所付き合い』という言葉に、アウルムが首を傾げている。
実際ライト達も、フラクタル峡谷からこのコルルカ高原奥地まで来るのに超高速飛行を駆使しても二時間はかかった。
間違っても世間一般で言うところのご近所には該当しないはずなのだが、『同じコルルカ高原内』と言われれば確かにその通りなので、納得できるようなできないような不思議な気持ちにアウルムが陥るのも無理はない。
すると、アウルムの視線やレオニス達の会話で自分のことが話題になっていることが分かったゼスが、自ら前に進み出た。
『貴方が鷲獅子の王なのですね。僕の名はバルト、辻風神殿の神殿守護神としてフラクタル峡谷にて生を受けました。よろしければ、以後お見知りおきいただけると嬉しいです』
『これはこれは、丁寧な挨拶痛み入る。如何にも、吾こそは鷲獅子の王アウルム。今はこのように臥せっていて、鷲獅子の王を名乗るのも恥ずかしいがな』
『そんなことはありません。弱肉強食が原理の野にあって、弱ってもなお王と慕われる……それは、貴方が如何に他の鷲獅子達に強く慕われているかが分かるというもの。僕は、そんな貴方のことを尊敬せずにいられません』
『ほっほっほ、バルト殿と言うたか。嬉しいことを言うてくれるの』
互いに軽く自己紹介をし合うバルトとアウルム。
初対面だけにそこそこ堅苦しい物言いだが、双方好印象でのスタートとなっているようで何よりだ。
そして、ゼスがアウルムを尊敬していると言ったのはお世辞でも何でもなく本心から出た本音だ。
実際にライト達がこの奥地まで立ち入る前に、大型の鷲獅子達は皆その身を挺してアウルムを守ろうとしていた。
これは、弱肉強食が大原則の自然界にあって異例中の異例だ。
他の種族であれば、弱った王を蹴散らし追い落として他の者が王になるのが普通である。
しかし、ここの鷲獅子達はそうせずに、穢れで弱っていく一方のアウルムをずっと守ってきた。これは、アウルムが唯一無二の金鷲獅子であることが大きい。
金鷲獅子は、何があろうとも鷲獅子達の中では別格にして絶対王者。他の鷲獅子達に永遠の忠誠を捧げられていることの証であった。
そして、バルトとアウルムの和やかな挨拶の後に風の女王も続いた。
『あのー……ワタシもアウルム様にご挨拶してもよろしいかしら……?』
『おお、今代の風の女王か。吾も長く臥せっていた故、風の女王と久しく顔を合わせることがなかったが……今は何代目の女王なのだ?』
『何代目か、ちゃんと数えたことはないのだけど……二回前の夏に女王になったばかりですの』
『おお、そうなのか。女王達は皆、各々の神殿から出られぬと聞くが……其の方は外に出られるのだな』
『ええ!バルト様のおかげで、ワタシもこうして外に出られるようになりました!』
風の女王からの挨拶をきっかけに、アウルムも和やかに応じる。
アウルムもラーデ並みに長く生きているだけに、属性の女王達のことはある程度知っている。
彼女達は各属性の象徴として、常に神殿に縛り付けられていて他の精霊のように自由に動き回ることができない。アウルムはそれを常々憐れに思っていた。
そしてアウルムは、かつてフラクタル峡谷上空を通り過ぎる時に辻風神殿を目にしたことがある。
辻風神殿の前には風の女王が立っていて、ぼんやりとした顔で空を眺めていた。
その時の風の女王の虚ろな顔と所在なげな佇まいが、アウルムの脳裏に焼きついていて今でも忘れられない。
自由な空に恋い焦がれながらも、神殿に縛られて動けない彼女は今にも消え入りそうな儚さに包まれていた。
そうした過去の風の女王達の憐憫を思うと、今目の前にいる風の女王の生き生きとした笑顔に救われる思いがするアウルム。
歴代の風の女王が得られなかった神殿守護神の庇護を得て、彼女は果てしなく広がる青空の下を飛び回る権利を再び得たのだ。
アウルムが背中の翼をふわり、と広げ、翼の先端の羽根で風の女王の頬を撫でる。
『其の方が自由を得しこと、吾も嬉しく思う。本当に良かったな』
『ありがとう!これも全てバルト様のおかげで、引いてはバルト様が生まれるのを手伝ってくれたレオニスやライトのおかげです!』
『ぬ? レオニス達は、バルト殿の生誕にも関わっておるのか』
『はい!』
風の女王からゼスの生誕秘話を聞いたアウルム。
まさかそんなところまでレオニス達の関与があるとは思っておらず、びっくりしているようだ。
目を丸くしているアウルムに、風の女王もはたとした顔で問うた。
『…………って、そういえばアウルム様も、ここにいるレオニス達に命を助けられたのでしたっけ?』
『うむ。そこな人族の兄と黒髪の妖精、そして皇竜の尽力のおかげで、吾の身の内に巣食う悪しき穢れを取り除くことができた。今ここに吾がいられるのは、レオニスとラウル、ラーデのおかげぞ』
『では、ワタシ達はレオニス達に助けられた者同士であり、仲間ということですね!』
『フフフ……そうだな。吾と其の方達は、同じ恩人を持つ者同士だな』
無邪気な顔で微笑む風の女王の言葉に、アウルムも小さく微笑みながら同意する。
初対面同士が仲良くなるには、共通の話題を見つけるのが手っ取り早い。
そういった意味で、辻風神殿組とアウルムはレオニスという恩人を共有する仲間同士なのである。
終始和やかに会話する風の女王とアウルムを、ライト達も心温まる思いで見守っていた。
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そうして初対面同士の挨拶が一頻り済んだところで、レオニスがアウルムに話しかけた。
「そういやアウルム、あいつら……鷲獅子騎士団のやつらは、今も足繁くここに通ってきてるのか?」
『ああ。昨日も五組の鷲獅子騎士がここに来て、ここにいる者達と仲良く鍛錬しておったわ』
「そっか、あいつらも相変わらず鷲獅子大好きなんだな」
『うむ。最近は鍛錬が終わった後に、鷲獅子騎士達が吾にブラッシングをしてくれるようになってな。あれは実に良いものだ』
アウルムの答えに、レオニスも思わずくつくつと笑う。
鷲獅子騎士達がアウルムのブラッシングをしたのは、つい最近のこと。
今から二週間程前に、ライト達がラーデや銀碧狼親子とともにアウルムのもとを訪ねた時に、鷲獅子騎士団副団長エドガー他五名が鍛錬のために来てライト達と鉢合わせたのがきっかけだ。
その時にエドガー達は、ライト達の提案で憧れの金鷲獅子をブラッシングするという栄誉に恵まれた。
そしてそれ以降、鷲獅子騎士達の鍛錬後はアウルムへのお礼として、ビッグワームの素を振る舞いつつ食事後にその全身をブラッシングする、という一連の流れが自然とできたのだそうだ。
確かにアウルムが喜ぶことをしてあげればそれは立派なお礼になるし、アウルムの身体を全身隈なくブラッシングすることで血行が促進されて健康のためにもなる。
お礼とアウルムの健康促進を兼ねていて、さらには鷲獅子騎士達も敬愛する金鷲獅子に堂々と触れることができて大歓喜。まさに一石三鳥、全者Win-Winの行動である。
そして、ブラッシングの健康促進効果が出てきているのか、アウルムのお腹から「ぐーきゅるるるる……」という盛大な腹の虫の声が聞こえてきた。
それを聞いたレオニスが、これまたくつくつと笑いながらアウルムに問うた。
「何だ、アウルム、腹減ってんのか?」
『うむ。今の吾はかつての力を取り戻すために、たくさんの食糧が必要なのだ』
「そっか、そりゃまぁそうだよな。食うもん食わんと元気も出ねぇし」
『然様。ただでさえこの地は食糧事情がよろしくないのだ。故に鷲獅子騎士達が吾に毎回捧げる供物……あれは何と言ったか、ビッグワームの素? あれのおかげで、吾は徐々に力を取り戻しつつあるくらいだ』
腹の虫の欲求を隠そうともしないアウルム。
レオニスに向かって質問を投げかけた。
『レオニスよ、其の方達もちょうど昼飯時ではないか?』
「そうだな、俺達も辻風神殿からここまでずっと飛び続けてきたから、それなりに腹は減ってきているかな」
『ならば、そこにいるバルト殿や風の女王とともに昼食にしないか? でもって、そのついでに吾にも何か食わせてもらえるとありがたいのだが』
レオニス達の昼食にかけつけて、自分にも何か食わせろ!と暗に言ってくるアウルム。
確かに今の時刻は正午を少し回った頃、お昼ご飯にドンピシャ!な時間だ。
言外にご飯をおねだりしてくるアウルムに、レオニスがニカッ!と爽やかな笑顔で応える。
「よっしゃ、そしたらアウルムの大好物のビッグワームの素を食わせてやるか」
『何ッ!? レオニス、其の方、あの美味いものを持っておるのか!?』
「ああ。あれは本来なら金で買える品じゃないんだが、あいつらとちょっとした取引をしてな。俺もビッグワームの素を融通してもらえるようになったんでな」
『それはいい!早う食わせてくれ!』
「はいはい、ちょっと待っててな」
アウルムの大好物、ビッグワームの素をレオニスが持っていると聞き、金鷲獅子の目がキラッキラに輝いている。
早く食べたい!というアウルムの催促に、レオニスが空間魔法陣を開いてビッグワームの素を取り出した。
「ライト、ラウル、このビッグワームの素に水魔法で水をかけて元に戻すのを手伝ってくれ」
「はーい!」
「了解ー」
レオニスが取り出したビッグワームの素を、ライトとラウルの手に無造作に渡していく。
まるで鰹節の塊のようなそれは、紛れもなくビッグワームの素。鷲獅子騎士団や竜騎士団がいつも使用しているものと全く同じものであった。
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………………
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このビッグワームの素は、レオニスが鷲獅子騎士団と正式に取引して得たものだ。
その取引とは『レオニスが魔石を融通する代わりに、その対価としてビッグワームの素をレオニスが得る』というものである。
鷲獅子騎士団が鍛錬と称してコルルカ高原奥地を行き来するには、転移門を利用した瞬間移動が必須。
そしてこの転移門の稼働には、良質の魔力を蓄えた魔石が必要となる。
今の鷲獅子騎士団は、コルルカ高原奥地での鍛錬一回につき五組の鷲獅子騎士を派遣しているが、この派遣のための魔石代が馬鹿にならないのだ。
人族だけの移動ならそこまで消費しないのだが、巨躯を誇る鷲獅子達も絶対に同行するので、消費魔力がかなり嵩む。
五組の鷲獅子騎士がコルルカ高原奥地を一回往復するのに、大きめの魔石を三個も消費するという。
そしてこの魔石代を、鷲獅子騎士団が持つ正規の予算に組み込むことはできない。そんなことをしたら、あっという間に年間予算を使い切ってしまう。
瞬間移動の原動力である魔力を容易に補充できる魔石は、外部から買うとなるとそれなりにお高い品なのだ。
しかし、コルルカ高原奥地での鍛錬は何としても継続していきたい。
でなければ、竜騎士団に大きく開けられた実力差を埋めることなど到底できないだろう。
そこで何とか捻り出した苦肉の策が『レオニスが持つ魔石と、鷲獅子騎士団が作るビッグワームの素を物々交換する!』であった。
こうすれば、鷲獅子騎士団は正規の予算に一切手を付けることなく、コルルカ高原奥地での鍛錬を続けることができる!という訳だ。
もちろんレオニスの方にも利点はある。
鷲獅子騎士団と竜騎士団の秘伝アイテムであるビッグワームの素を、金銭的対価を払うことなく手に入れることができる。
これは、些細なことのように思えて実はメリットがとても大きい。
このビッグワームの素は、鷲獅子騎士団と竜騎士団のみが扱う非売品。
市場には一切出回らない品で、使う場面こそものすごく限られるがとても貴重な品だ。
そしてレオニスは、この先もアウルムに会いにコルルカ高原奥地に出向く機会が増えるだろう。
そうした時に、アウルムや野生の鷲獅子にも好評を得ているビッグワームの素があれば、彼らに振る舞うことができる。
故に、魔石とビッグワームの素の物々交換取引は、アウルムや鷲獅子達と親睦を深めたいレオニスにとっても絶好の機会であった。
ちなみに交換レートは、魔石一個に対しビッグワームの素三個。
雑魚魔物の代表格であるビッグワーム三十匹分と、転移門の動力源である貴重な魔石一個。果たしてこれが釣り合いが取れているのかどうかは、微妙なところではある。
しかし、レオニスと鷲獅子騎士団の双方が納得して取引しているのだから問題はない。
もちろんこの取引に際しても、きちんとした契約書を取り交わした。
鷲獅子騎士団の印章入りの書類に、レオニスと鷲獅子騎士団団長アルフォンソの直筆サインが記された、歴とした契約書を双方が所持している。
レオニス個人と騎士団組織という異例の取引ではあるが、こうした契約はきっちり書面に残して交わすのが双方のためというものである。
さらにレオニスは、これと同じ取引を鷲獅子騎士団だけでなく竜騎士団にも持ちかけて、竜騎士団とも契約を取り交わすことに成功した。
竜騎士団もシュマルリの竜族と親睦を深めるため、今後も大量の魔石を消費することが火を見るよりも明らかだからだ。
竜騎士団との契約も、魔石一個につきビッグワームの素三個の物々交換。
竜騎士団団長のディランもレオニスが持ちかけた取引話に大いに食いつき、契約を即決して嬉々として契約書にサインをした。
こうしてレオニスは、非売品のビッグワームの素を定期的に仕入れるルートを確立させることに成功したのだった。
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そうやって手に入れたビッグワームの素を、レオニスは惜しみなくアウルムや野生の鷲獅子達に与える。
今回は大型の鷲獅子達も総出でアウルムを守りに出てきたので、その消費は五十個を超える。
しかし、ここでケチったところで良いことなどない。アウルムだけでなく、この近辺に常時いる鷲獅子達とも仲良くなるためにも、美味しいものを振る舞うことが最良にして最短の近道なのである。
ライトとラウルが水魔法でビッグワームの素を戻し、それをレオニスがアウルムや他の鷲獅子達のもとに運んでいく。
野生の鷲獅子達は、目の前に置かれたご馳走をすぐにでも食べたそうにしているが、肝心のアウルムがまだ食べ始めていないので口をつけるのを我慢している。
そうして全ての鷲獅子達の前にビッグワームの素が置かれ、レオニスがアウルムに声をかけた。
「待たせたな、アウルム。さ、食っていいぞ」
『うむ、馳走になるとしよう。皆も食っていいぞ』
「「「グルルルルァ♪」」」
金鷲獅子の呼びかけに、野生の鷲獅子達が大喜びしながらビッグワームの素に食い付いた。もちろんアウルムも、彼らとほぼ同時にビッグワームの素にパクッ!と食い付く。
もっしゃもっしゃと美味しそうに頬張る鷲獅子達を、ライト達は微笑みながら見守っていた。
ライト達がアウルムのもとを訪れた真の目的、辻風神殿組とアウルムの交流の本番です。
それが終わった後は、レオニスとアクシーディア公国の有力騎士団の秘密の取引を明かしちゃったりなんかして(・∀・)
これは、要はお茶会の代替案みたいなもんですね。
ライト達があちこちで好んでよく催すお茶会は、スイーツや美味しいものを飲み食いできる相手なら親睦を深めるのに非常に有効な手段なのですが。荒野に生きる鷲獅子等、人化しない種族相手にそれは通用しませんので(´^ω^`)




