第1313話 海の女王の秘めたる思い
昨日は予告通りのお休みをいただき、ありがとうございました。
予定通り、本日からまた連載再開いたします。
その後ラウルは、海樹の枝の先端で細めのものを二十本切り取った。
長さはラウルの膝丈くらいで、太さはライトの腕の半分くらい。本当に海樹の枝の先の先の部分だ。
先日ユグドラツィの結界のために切り出した極太の枝に比べたら、産毛のようなものである。
しかし、首飾り用のペンダントトップ用に加工するだけなら、これで充分事足りる。
この細い枝でも、一本につき二十個分くらいは余裕で取れるだろう。
高魔力の証とされる、緑や紫がところどころに発現している海樹の枝。色とりどりの美しい枝を、ラウルが大事そうに空間魔法陣に仕舞い込む。
「今日は差し当たり、細い枝を二十本伐らせてもらった。これで四百個分の飾りを作れるとは思うが、もし足りなくなりそうだったらまた追加を一本二本取らせてもらいたい」
『もちろんだ、いつでも取りに来てくれ。……ああ、ついでと言っちゃ何だが、首にぶら下げるための鎖の調達も人里の方で頼めるか? 今マシュー達が使っている鎖は、沈没船から得たものでな。そんなに手持ちの数がないんだ』
「承知した。鎖の方も四百個分を手配しておこう」
『すまんな、よろしく頼む』
ラウルとユグドライアの打ち合わせ?は順調に進み、全ての人魚達にユグドライアの枝のお守りを持たせる計画がサクサクと進行していく中、海の女王はただ海樹を見つめていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
海の女王は、今自分が何代目の女王なのか、その数を正しく数えたことはない。
このサイサクス世界に、海というものが生まれた時からともに在るであろう海の女王。何代目かを数えるのも馬鹿らしくなってくるくらいに、大勢の女王が存在してきたはずだ。
そして属性の女王は、歴代の女王が持つ様々な記憶を受け継ぐという特殊性を持つ。
もっともその記憶は、記録媒体のように一分一秒余すことなく全てを正確かつ鮮明に記憶するような精密なものではなく、女王にとって重要もしくは強烈な思いを伴う出来事が主に引き継がれていく。
当然海の女王にも歴代の女王達の記憶はあって、例えば海底神殿守護神であるディープシーサーペントの生まれた時の様子や年齢、性格や強く印象に残っている思い出などは今の海の女王も覚えている。
他にも女人魚達と近海を日帰り旅行?したり、海に沈むお宝を狙って人族が海底まで押しかけてきた時のことなど、たくさんの古今の思い出が海の女王の中に今でも残っている。
その中でも一際強く残っているのが『海樹や男人魚達への思慕の情』であった。
ある女王は一人の男人魚に恋をし、ある女王は海樹を恋い慕った。変わったところでは、難破船から海中に落ちた人間を絶命寸前で助け、その人間(三十代半ば、男性)との恋に落ちたこともあった。
どの女王達も恋する気持ちに実直で、積極的に意中の相手にアタックを繰り返していた。
男人魚が相手の場合は、思いを遂げて相思相愛になるのに然程苦労はしなかった。
海の女王の美しさは、男人魚達をも容易に虜にしてやまない魅力に満ちているのだから。
しかし、海樹相手だとそうはいかない。
どんなに海の女王が海樹に『貴方のことが好き!』『愛してるわ!』と伝えても、海樹の方は『おお、そうかそうか、嬉しいことを言ってくれるじゃねぇか』『俺も女王のことは好きだぜ!』と軽い口調で返してくるのだ。
これは、海樹にとって海の女王は妹分くらいにしか思えないのが主な原因であった。
海樹の樹齢は約三千年。
海の中にできた一本の珊瑚が、八百年という長い時を経て神樹族に昇格した。
その時に降りてきた天啓により、海樹という地位とともにユグドライアという名も得た。
海ができた時にすぐに海樹も生まれた訳ではないので、天地開闢と同時に生まれた三本の神樹、天空樹と冥界樹、そして大神樹に比べたら若干若い。
しかし、それでも海の中で生きる者達の中では間違いなく最古の存在である。
そして海の女王も、高位の存在という点では海樹と同じだが、生きる長さはさすがに三千年に及ばない。
これまでの海の女王の在位歴は、長くて二百年弱、短いものだと十年。
最長の二百年弱生きた海の女王は、海樹をずっと慕っていた。
だが悲しいかな、ユグドライアの方は恋慕の情を理解することはできなかった。
唯一無二の海樹に、生涯を共にする同種族の番などいようはずもないのだから。
そして、海の女王が如何に海樹に恋心を抱こうとも、何一つ成果の得られない思いを抱え続けるのは存外厳しいことだった。
周囲の人魚達は、男人魚と女人魚で番となり、子を儲けて子孫という未来に思いを繋いでいく。
しかし、珊瑚である海樹と海の女王とでは何をどうこうすることもできずに、月日だけが無情に過ぎていった。
その女王はずっと海樹に思いを寄せていたが、ただひたすらにユグドライアのことだけを思い続けることに疲れ果ててしまった。
未来永劫報われることのない己の気持ち。先の見えない暗さに押し潰されたのか、あるいは己の憐れさに心が折れたのか。
いずれかは分からないが、女王の姿が次第に薄れゆき、ある日とうとう完全に海に溶け込むかのように消えてしまった。
最も短い十年という生だった女王は、思い人だった男人魚が遠い海で巨大な魔物に襲われて絶命したという報を受けた時に、その場で号泣し三日三晩泣き続けた末に泡となって消えた。
他にも男人魚と思いが通じて結ばれた海の女王は、番の男人魚が老いて約二百年の生を終えた瞬間に共に海の泡となって消えた。
そして最も変わり種である、海上で遭難して助けた人族の男性と恋に落ちて結ばれた海の女王。
彼女も番となった男性と出会ってから約五十年後、彼が九十歳手前で天寿を全うした時に、海の女王の腕の中で満足そうに息絶えた彼を抱きしめながら泡となって消えた。
これらの例から分かるように、海の女王の代替わりは全て恋慕の情が起因となっていた。
そして今代の海の女王も当然このことを理解していて、それは海樹に対しての余所余所しいまでの礼儀正しさと密接に関わっていた。
そう、今の海の女王も海樹に対してほんのりとした恋心があるのを―――自身も十分に自覚している故のものであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
海樹に恋をしてはならない。
これまでも、何人もの海の女王が海樹に恋心を抱き思いの丈をぶつけてきたが、それが何らかの形となって実を結ぶことなどなかった。
だから私は、決して海樹に思いなど寄せない―――そう思いつつも、海の女王の目は色とりどりの美しさをまとう海樹の雄大な姿に釘付けになる。
そして、彼女が海の女王になってから初めて海樹に挨拶をした時のことを今も鮮明に覚えていた。
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………………
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先代の海の女王が番の男人魚とともに海に消えた瞬間に、名も無き一介の海の精霊に過ぎなかった彼女が何の因果か女王に選ばれた。
それまで遠くの海をのほほんと漂っていた彼女だったが、海の女王になったことで海底神殿への帰巣本能が強く働きだし、急いで海底神殿に向かった。
海底神殿からかなり遠く離れた海域にいたのと、突然かつ急激な身体と記憶の変化に戸惑ったせいで、海底神殿に辿り着くまで丸一日以上海を彷徨ってしまった。
そして海底神殿がある海域に辿り着いた海の女王。
その海底神殿の手前に海樹がいて、あたふたと海樹の目の前を横切ろうとする新しい海の女王に、彼の方から声をかけてきたのだ。
『ン? 何だ何だ、新しい海の女王か?』
『へ? アナタ、誰?…………って、海樹ユグドライア様!?』
『おう、如何にも俺は海樹ユグドライア。新しく生まれた海の女王よ、心から歓迎するぜ!』
快活な声で海の女王を歓迎するユグドライア。
その爽やかな声と優しい言葉に、海の女王の心は一気に高鳴る。
頬を染めながらぽーっ……とする海の女王だったが、ふと我に返り慌てて挨拶をする。
『ぁ……海樹の前を素通りしようなど、大変失礼いたしました。私は海の女王、一昨日までは名も無き海の精霊だったのですが、何故か突然このようなことになってしまい……急ぎ海底神殿に向かうところでした。此度の無礼、何卒お許しくださいませ』
『ン? そんな畏まった喋り方をしなくてもいいぞ? この一帯だけでなく、全ての海は海底神殿に住まう海の女王のものなんだからな!』
ユグドライアの前で傅き、己が犯しかけた無礼を即座に謝る海の女王。
もともと彼女は海の精霊だった頃から超生真面目な性格だったので、その畏まり方も彼女にとっては当然の行動だった。
そんな海の女王にユグドライアが気さくに話しかけるも、海の女王は頭を垂れたまま会話を続ける。
『そうは参りません。神樹族の中でも、世界で唯一つの海樹である貴方様こそ海の至宝。海の中で貴方様以上に尊い御方など、この世に存在しません』
『そっかー? そりゃ確かに俺は、唯一海にいる神樹だけどよぅ……この通り俺自身が気にしてないんだから、もっと普通に話してくれてもいいんだぜ?』
相変わらず堅苦しい物言いをする海の女王に、ユグドライアが不服そうに呟く。
しかし、海の女王側にもそれなりの事情があった。
それは、海の女王の中に渦巻く海樹への思慕を抑え込むためである。
その感情は、彼女が海の女王になったその瞬間から急激に湧き出してきた。歴代の海の女王の記憶や様々な思い出が、一気に彼女の中で渦巻く。
そしてその中に、まだ見たこともない海樹とやらを恋い慕う思いまでいくつも含まれていた。
その思いは何とも切なく、胸の奥に甘酸っぱい何かが疼くような感覚が溢れる。
海樹と会話ができて嬉しい気持ち、冗談や軽口を叩き合って楽しい気持ち、雄大な姿を眺めては見惚れるうっとりとした高揚感。
しかし、湧き出てきた思いは楽しいものばかりではない。むしろ負の感情の方が多いように感じた。
願いが通じることなく、海樹からは妹分としてしか見てもらえないことへの苛立ち、人魚達が番となって仲睦まじく子育てをしている様子を見ては、自分には未来に繋ぐものが何も生み出せない悲しさ、そしてその悲しさが高じて虚しさとなり、これ以上生きることを望まず静かに消えていった女王達の絶望感。
海の覇者の一人である海の女王が、海底神殿に着くまでにかなり時間がかかったのは、こうした様々な感情が絶えず彼女の中で渦巻き続けていて、時にはその激しさに耐えきれずに蹲ってしまったせいもあった。
そして彼女は、海底神殿に向かう道すがら強く思ったのだ。海樹に対して特別な感情は絶対に抱くまい、と。
しかしそんな決意も虚しく、海の女王は初対面ですっかりユグドライアに見入ってしまった。
実際に間近で見るユグドライアの勇姿は、記憶の中にある海樹の姿よりも何百倍も格好良く映る。
海の女王が女王になる前、精霊だった頃でもこんなに大きな珊瑚は見たことがない。まさに神樹と呼ぶに相応しい威風堂々とした佇まいに、海の女王の胸はドキドキしまくるばかりだ。
そしてユグドライアが格好良いのは、何も見た目だけではない。
他所の海域から来た自分のことを全く警戒することなく、優しい言葉で温かく受け入れてくれた器の大きさも、海の女王の心を鷲掴みにするに十分であった。
しかし、この気持ちは何としても封印しなければならない。
海の女王が恋だの愛だのに現を抜かし、女王としての責務を疎かにして生命を無駄に短くする訳にはいかない。
決意も新たにした海の女王が、改めてユグドライアに挨拶をする。
『ひとまず私は、海底神殿に赴かなければなりませんので……これにて失礼いたします』
『……そうか。女人魚達も、新しい海の女王の出現を心待ちにしているだろうからな。早く行ってやってくれ』
『ありがとうございます。また日を改めてお伺いさせていただきます』
ユグドライアへの挨拶を済ませた新しい海の女王。
己の新たな居場所である海底神殿に向かって、そそくさと移動していった。
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…………
今代の海の女王と、海樹ユグドライアの初めての出会い。それから何年が経過しただろうか。
彼女はその後、ユグドライアとはつかず離れずの距離を保ちつつ、良好なご近所付き合いの関係を何とか維持していた。
海の中では年月を計る方法はないが、地上の年月に換算すれば少なくとも五十年くらいは経過していると思われる。
そして最近になって、海の女王は新たな友を得た。
それはレオニスにライトという二人の人族と、ラウルという妖精族である。
人族と妖精族の友達というのは、歴代の海の女王の中でも異例中の異例で初めてのことだ。
その初めての友が、海樹の枝を美しい装飾品にして海の女王や女人魚達にもたらしてくれた。
これは是非とも礼を言わねばなるまい!と思い、ライト達とともに久しぶりに海樹のもとを訪れた。久しぶりに会う海樹も相変わらず雄大で格好良くて、海の女王の胸は密かにときめく。
しかし、こうして面と向かって会うのがあまりに久しぶり過ぎるせいか、何をどう話を繋げていけばいいものやら分からない。
ひとまず装飾品の礼は言えたが、その後ユグドライアはライトやラウル達と話し込んでしまった。
今日はもうこれで帰るしかないかな……そう思っていた海の女王の耳に、ユグドライアの言葉が飛び込んできた。
『男人魚用の百個と女人魚用の百個、番の集落用に二百個かな』
それは、ユグドライアが全ての人魚達を思い遣り、海樹の枝のお守りを持たせたい、という話だった。
海の女王としては、てっきり海樹の護衛を担当する男人魚達用の話だと思っていた。
しかしそれは、全ての人魚達が対象だと海樹自らが言及したではないか。
この予想外のことに、海の女王は驚きつつも嬉しさを抑えきれない一方で、一抹の寂しさを感じていた。
『マシュー、いいなぁ……いつも海樹の傍にいられて』
「ン? 海の女王様、何か言いましたか?」
『……え? ぁ、ぃゃ、その……何でもないわ!』
ユグドライアと漫才の掛け合いのような会話を繰り広げるマシューに、複雑な思いを抱く海の女王が思わず本音をポロリ、と零した。
それを横にいたライトに聞かれてしまったが、とても小さな声での呟きだったのでライトははっきりと聞き取れなかったようだ。
慌てて誤魔化す海の女王だったが、あまりにもワタワタした様子にユグドライアが気づき、海の女王に声をかけてきた。
『海の女王、どうした? 何かあったのか?』
『ッ!!い、いえッ!何でもございませんッ!』
『何だ何だ、海の女王がそんなに慌てるなんて珍しいな?』
『そそそそんなことはッ!…………あ、そうだ、そういえば海樹に相談したいことが一つございまして』
『ン? 俺に相談? 何だ?』
最初のうちこそあばばばば……と大慌てだった海の女王だが、しばらくしてはたとした顔になり大真面目な様子でユグドライアに相談をし始めた。
どうやら単なる誤魔化しではなく、海樹への相談というのは本当のことのようだ。
『そろそろ人魚達のお見合い会を催す頃かと思いますが、そちらの男人魚達の方はどうでしょうか?』
『おお、そういやもうそんな時期か。前に見合いの会を催してから、もうかなりの月日が経つもんなぁ』
『そうなんですよね。番の集落の方にいる子供も少なくなってきて、大きくなった子供達が成人して集落を巣立ちこちらの海域に居を移し始めておりますし』
『そうだなぁ、俺の回りにも若い男人魚が結構増えてきてるな……』
海の女王が思い出した要件は、人魚達の出会いの場であるお見合いの会を催したい、ということ。
この海域の人魚達は、独身のうちは海の女王もしくは海樹の周辺に侍り、それぞれが護衛を担当している。
それ故直接交流する機会があまりなく、海の女王と海樹が定期的に縁を取り持ってやらなければなかなかカップリングが成立しないのだ。
『よし、そしたら十日後あたりに見合いの場を設けるか』
『承知いたしました。こちらの方でも若い女人魚達に、十日後にお見合いがあることを周知しておきます』
『よろしく頼むな。マシューも若いもんにお見合いの話をしておいてくれ』
『分かりました』
海の女王と海樹、海における高位の存在ツートップの会談?に、それまで海の女王の後ろに控えていた女人魚達が小声ではしゃぐ。
『キャー!十日後にお見合い会ですって!』
『とびっきりおめかししていかなくっちゃ!』
『嘘ッ、私最近ちょっと太っちゃったんだけど!? 明日から泳ぎまくって痩せないと!』
『私もお腹の贅肉が気になる……いっしょに泳いで痩せよう!』
キャイキャイとはしゃぐ女人魚達に、海の女王が後ろを振り返りつつ声をかける。
『貴女達、痩身もいいけど他の女の子達にもお見合いの話をちゃんとしておいてね?』
『『『はーーーい♪』』』
海の女王の言葉に、六人の女人魚達が一斉に右手を高々と挙げて元気よく応える。
新たな出会いの場に期待で胸を膨らませる彼女達の、何と溌剌としたことよ。皆輝かんばかりの笑顔でニッコニコだ。
そんな可愛らしい女人魚達に、海の女王だけでなくライトとラウルもまた微笑んでいた。
海の女王の知られざる胸の内が明かされる回です。
今回は、拙作の万年不足成分である恋物語要素を盛り込むべく!海の女王が海樹に対してほんのりと思いを寄せる様子を書きました!
……が、これがなかなか思うように上手くまとまらず(=ω=)
かなーりの難産で、ああでもねーこうでもねーと散々散々捏ねくり回してたら7000字を超えましたですよ_| ̄|●
海関係の恋物語というと、どうしても一番有名なアンデルセン童話の『人魚姫』をイメージしてしまいがちなんですが。海の女王は精霊であって、人魚ではないんですよねぇ。
というか、そもそも人魚は拙作内では男女別で既に海の女王と海樹に仕える立場として存在しているし。
でも、やはり『失恋して泡となって消える』という海の恋物語の絶対的な王道を踏襲したい!という一念で何とか綴りました!(`・ω・´)
……って、それだと普通に悲恋で、海の女王の思いは決して実を結ばないことになっちゃうんだけど…(;ω;)…
そして、基本どーでもいい作者の近況。
昨日はお彼岸のお墓参りで、朝から夕方までずーーーっと駆けずり回ったせいか、すんげー疲れて帰宅後早々に寝てしまいました……さすがに三つの市町村を跨いだ三ヶ所のお墓参り回りは、冗談抜きでキツかった……
お休み予告しといてホント良かったよ、ママン……
そして今月と来月は三つの周忌法要が控えておりますが。何とか己の務めを果たせるよう頑張ります!




