第1281話 置き手紙
重い身体を引き摺るようにして、やっとカタポレンの家に戻ったレオニス。
転移門があるライトの部屋に到着すると、そこにはラウルとマキシ、そしてフォルとラーデがいた。
「あッ、レオニスさん!ライト君は見つかったんですか!?」
「ご主人様よ、まだ見つかってないなら早く探しに行こう!」
『ライトがいなくなったとラウルから聞いたが……あの子は一体どこに行ったのだ?』
「クルルゥ……」
帰宅したレオニスに気づいたラウル達が、一斉にレオニスの前まで駆け寄りながら、心配そうな顔でライトの行方を気にしている。
そんな皆の様子に、レオニスが歯を食いしばりながら俯き視線を逸らす。
するとその時、その視線の先にレオニスの目に留まるものがあった。
それは、ライトの机の上に置かれていた一通の封筒であった。
昨夜は暗がりの中バタバタしていて、レオニスもラウルも手紙の存在に全く気づかなかったが、その封筒にはライトの筆跡で『レオ兄ちゃんへ』と書かれている。どうやらライトが家を出る前に用意しておいた、レオニスへ宛てた置き手紙のようだ。
レオニスは机の上に手を伸ばし、自分に宛てられた手紙を手に取った。
「ン? それは……ライトからの手紙、か?」
「ああ、そうみたいだ」
ラウル達が見守る中、レオニスは徐に封筒を開けて中に入っている便箋を取り出し、手紙を読んだ。
そこには、次のことが書かれてあった。
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レオ兄ちゃんへ
今までずっと黙っててごめんなさい。
詳しいことは言えないけど、コヨルシャウキが言っている勇者候補生というのは、ぼくのことです。
本当は、もっと早くにぼくが勇者候補生として名乗り出ていれば、こんな大きな騒ぎにならなかったんだけど……名乗り出る勇気がなくて、今日までずっと言えませんでした。
こんな意気地なしな弟で、皆に迷惑ばかりかけてしまって本当にごめんなさい。
ぼくは今からコヨルシャウキのところにいって、話をしてきます。
コヨルシャウキと会って、ラグナロッツァでのビースリーを中止するようお願いしてくるつもりです。
もし万が一、コヨルシャウキに話が通じなくて、ぼくがコヨルシャウキといっしょにどこかに出かけることになっても、心配しないでください。
ぼくは、必ずここに帰ってきます。
どれだけ時間がかかろうとも、絶対にカタポレンの家に帰ります。
だから、レオ兄ちゃんもぼくを信じて待っててね。
ライトより
追伸
ぼくが勇者候補生だってことは、他の皆にはナイショにしといてね!
こんな臆病者のぼくが勇者だなんて、間違ってもあり得ないし。
何より恥ずかし過ぎて、名乗れる訳ないからね!
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手紙の内容を、目で追って読んでいたレオニスの顔がみるみるうちに歪んでいく。
中に書かれたことを全て読み終える頃には、レオニスの天色の瞳は再び涙が溢れて目の前が滲んで見える。
そして手紙を両手でギュッ……と握りしめ、歯を食いしばり声にならない声で嗚咽を堪えていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
しばらくして、レオニスから無言でライトの手紙を渡されたラウルがその中身を読んで青褪める。
手紙をマキシに渡し、とりあえずレオニスをライトのベッドの上に座らせてから口を開いた。
「まさか、ライトが勇者候補生って……本当のことなのか?」
「ああ……昨夜あの亀裂が閉じたのは、ライトがコヨルシャウキとともに亀裂の向こう側に渡ったせいだ」
「ちょっと待て……それじゃ何か? ご主人様は、ライトがあの化物といっしょに異空間に消えていくのをそのまま黙って見てたっていうのか?」
「………………」
言葉少なに認めるレオニスに、ラウルの端正な顔がどんどん険しくなっていく。
ラウルは昨夜の旧ラグナロッツァ孤児院中庭でのやり取りを直接見ていないので、そう勘違いするのも仕方がなかった。
怒りに震えるラウルが、項垂れるレオニスの襟を掴んで強く揺さぶる。
「どうしてライトをむざむざ化物の手に渡した!?」
「…………」
「いくらライトが普通の子供じゃないからって、一人で敵地に行かせるなんて正気か!? いや、気が狂ったのか!?」
「…………」
「おい、レオニス!何とか言ったらどうだ!!」
「…………」
ラウルに揺さぶられるがまま、一言も言葉を発しないレオニス。
あまりに腑抜けた様子のレオニスに、ラウルの怒りや苛立ちは募るばかりだ。
そんなラウルに対し、マキシが慌てて中に割って入る。
「やめて、ラウル!レオニスさんが黙ってライト君を渡すとか、そんなことある訳ないじゃない!」
「なら何でライトはここにいない!? 旧孤児院にライトがいたなら、無理矢理にでも連れて帰ってきてるはずだろ!? こいつにはそうするだけの力があるんだから!!」
「そうすることができなかった理由が、きっと何かあるんだよ!レオニスさん、そうですよね!?」
「…………」
マキシが気色ばむラウルを必死に宥めつつ、レオニスに問いかける。
しばし無言だったレオニスは、黙ったままコクリ、と頷いた。
「コヨルシャウキに、ライトを連れていくくらいなら代わりに俺を連れてけ、とか、どうしてもライトを連れていかなきゃならんなら、せめて俺もいっしょに連れていってくれ、と頼んだんだ。だが……俺の要求は全て拒否された。『お前は勇者候補生じゃないから』という理由でな」
「「………………」」
「だから、俺の方からあの亀裂の向こう側に飛び込もうとしたんだ。だが……見えない壁のようなものに弾かれて、何をどうしても……指一本すら向こう側に入り込むことはできなんだ……」
「「………………」」
力無く語るレオニスの話に、ラウルとマキシは絶句する。
サイサクス大陸一の最強冒険者と謳われるレオニス。その彼がそこまで手も足も出ないとなれば、ライトがコヨルシャウキとともに消え去ることを止められる者などもはやこの世にいやしない。
怒りで頭に血が上ったラウルにも、さすがにそれくらいは分かる。故にラウルの頭も少しづつ冷えていき、冷静さを取り戻していった。
レオニスの襟首を掴んでいた手をゆっくりと離し、改めてレオニスに問うた。
「……ていうか、ライトが勇者候補生だったなんて……このことを、冒険者ギルドにも話したのか?」
「そんなこと言える訳ねぇだろう。その手紙にも書いてあるが、あいつは自分が勇者候補生だってことを誰にも―――俺達にすら、本当は知られたくなかったんだ。だからこそ、俺達にも内緒で夜中にこっそり抜け出してまで……一人でコヨルシャウキに会いに行ったんだ」
「だよな……」
レオニスの答えに、ラウルが安堵している。
これだけ重大な案件は、本来なら冒険者ギルドに包み隠さず経緯を報告しなければならないところだ。
だが幸いにも、目撃者はレオニス唯一人。他に証言できる者もいないので、何とでも誤魔化しようがある。
もっとも、真っ赤な嘘や捏造話を作るといつか必ずボロが出るので、『勇者候補生が現れた』『勇者候補生は八歳から十二歳くらいの金髪碧眼の少年』という事実を話した上で、肝心なところの正体は伏せたのである。
「つーか、ラウル、お前をさっき冒険者ギルド総本部の報告に連れていかなかったのもそれが原因だ。お前は嘘がつけんからな……お前が総本部に行くより先にこのことを知れば、もしお前に質問が集中した時に誤魔化しきれんだろ。だから俺一人で報告をしに行ったんだ」
「あ、ああ、そうだな……そうとは知らず疑ってすまなかった」
「いや、いいんだ。俺が不甲斐ないことに変わりはねぇんだからな」
「「…………」」
自分を責めるレオニスに、ラウルもマキシもかける言葉がない。
しばしの静寂の後、再びレオニスが重い口を開く。
「ラウル、マキシ、いいか、よく聞け。お前らが嘘をつけん種族だというのは、俺もよく知っている。だが……このことだけは、死んでも他に漏らすな。マスターパレンやピースはもちろんのこと、グライフやカイ姉達のような親しい者達にも黙っとけ」
「あ、ああ、もちろんだ。口が裂けても絶対に他言しないと誓おう」
「僕も誓います!ライト君の秘密は絶対に、誰にも漏らしません!」
「ああ、そうしてくれ。もし誰かにそのことに触れられたら黙秘しろ。ただ黙ってるだけなら、嘘をついたことにはならんからな。それか、『レオニスから口止めされているから、自分からは何も言えない』とでも言ってはぐらかせ」
「分かった」
「分かりました!」
ライトが勇者候補生であることを口外するな、というレオニスに、ラウルもマキシも即時承諾する。
この事実が白日のもとに晒されれば、ライトの平凡な日常はいとも簡単に壊れてしまうだろう。
そしてレオニスは、一応ラーデにも釘を刺す。
「ラーデ、お前もこのことは誰にも内緒な。……まぁ、ラーデがこのことを誰かに話すこともないだろうけど、一応な」
『承知した。その勇者候補生とやらが一体何なのか、我にもさっぱり分からぬが……おそらくはこの世の真理に近い、重大な何かなのだろうな』
「……かもな……」
レオニスの忠告に、当然のようにラーデも承諾する。
そしてラーデの『勇者候補生とは、この世の真理に近い何か』という鋭い言葉にレオニスも小さく頷く。
するとここで、ラウルがレオニスに話しかけてきた。
「なぁ、ご主人様よ。こっちの方からライトの行方を探すことはできんのか?」
「…………おそらく無理だと思う」
「そう思う理由を聞いてもいいか?」
「あの異空間……宇宙空間は、そもそもこの世界の宇宙ではない可能性が高い。よしんばあの宇宙がこの世界のものだったとしても、俺達にはそこに行く手段がない。宇宙ってのは、天空島の何倍も高い空の向こうにあるからな」
「…………そうか」
これからライトを探す方法がないかを問うたラウルに、レオニスが冷静に否定的な答えを出す。
このサイサクス世界にも昼と夜、太陽と月や星が存在することからも分かる通り、宇宙は存在していて空の彼方にあるものだということは広く知られている。
しかし、さすがにロケットや打ち上げ技術は確立されていないので、サイサクス世界の者が宇宙空間に飛び出ることは不可能だった。
レオニスの話を聞いたラウルが落胆していると、マキシが口を開いた。
「でも……ライト君は絶対に帰ってくるって、この手紙にも書いていたんですよね?」
「ああ。それに、以前コヨルシャウキも『勇者候補生との勝負が終われば、こちらの世界に戻すから心配は無用だ』というようなことを言ってはいた」
「そしたら……ライト君が帰ってくるまで、僕達はライト君を信じて……ただ待つしかないんでしょうか……」
「「…………」」
マキシの言葉に、再び部屋の中が沈黙に満ちる。
実際マキシの言う通りで、こちらからの接触や捜索ができない以上、レオニス達にはどうすることもできない。
しかし、ビースリーが終了するのは早くても今から二週間後。
その間何もできず、ただ鎮座して待つというのはレオニス達の性格から考えるととても無理だし、それを考えるとレオニスの気は狂いそうだった。
するとここで、レオニスが徐にベッドから立ち上がる。
どこかに出かけるつもりの様子のレオニスに、ラウルが慌てて声をかけた。
「ご主人様よ、どこに行くんだ?」
「……カタポレンの森の警邏に出る。ここ十日はずっとラグナロッツァにいて、こっちの警邏は全然できていなかったからな」
「ああ、そういやそうだったな……」
レオニスの外出理由に、ラウルも戸惑いながら頷く。
ラグナロッツァに異変が起きるまで、レオニスはほぼ毎日カタポレンの森の警邏に出ていた。
それこそがレオニスがこのカタポレンの森に居を構える理由であり、本来レオニスが背負うべき任務なのだ。
「……とりあえず、今までサボってきた分遠くの方まで念入りに見てこなきゃならん。だから、今から出かけたら俺はもう今日は家に戻らんと思っておいてくれ」
「ご主人様よ……そんなに長時間警邏し続けるのか?」
「少なくとも警邏に出ているうちは、他のことを考えなくて済むし……何よりライトのいないこの家に、急いで帰る必要もないからな」
「……そうか……気をつけてな」
今日は家に戻らないと言うレオニス。
レオニスがライトとともに暮らすようになってからは、警邏のためだけに家を空けることなど一度もなかった。
それは、幼いライトを家で一人きりにしないため。ライトに寂しい思いをさせないために、レオニスは必ずその日のうちに帰ってきていた。
だがしかし、ライトがいなくなった今、そうする必要はない。
家に帰ってきても、満面の笑みとともに「レオ兄ちゃん、おかえり!」と出迎えてくれるライトは、もうここにはいないのだ。
そしてそうした切ない理由を聞いたラウル達に、もはやレオニスを引き留めることなどできなかった。
「ご主人様よ、久しぶりの警邏で張り切り過ぎるなよ?」
「おう。ラウルもマキシも疲れただろ。お前らもラグナロッツァの屋敷でゆっくり休め。…………もうラグナロッツァでビースリーが起こることはなくなったからな」
「レオニスさん……本当に無茶はしないでくださいね? ライト君がこっちの世界に帰ってきた時に、ライト君を出迎える役はレオニスさんを置いて他にはいないんですから」
「そうだな……」
ラウルやマキシの気遣いに、レオニスが力無く微笑む。
そしてレオニスはライトの部屋から出て、カタポレンの森の警邏に一人出ていった。
傷心のレオニスと、そんなレオニスやライトの行方を心配するラウル達の様子です。
ライトの置き手紙には『他の皆にはナイショにしてね!』とありますが、まぁラグナロッツァの屋敷で同居しているラウルやマキシまでは知られても許容範囲でしょう。
というか、こんなにも精神的にキツい場面が多く続くのは、ツィちゃん襲撃事件以来かも_| ̄|●




