第1271話 レオニスの必死の説得
ライトが人知れずビースリー回避の道を懸命に模索し続けていた頃。
レオニスも、かつてない程に緊張した日々を送っていた。
まず夜中の間はパレンに頼まれたように、旧ラグナロッツァ孤児院跡地で亀裂を監視し続け、朝は他の街に移動して配給用の食料品の運搬を手伝う。
昼正午まで配給の手伝いをし、配給作業を滞りなく終えたら一旦冒険者ギルド総本部に戻って夜になる直前まで仮眠を取る。
謎の亀裂が出現して以来、レオニスの生活サイクルはこれをずっと延々と繰り返していた。
その合間合間に、手持ちのラウル特製食事やエクスポーションなどで回復に努めてはいたが、それでもこの過密スケジュールを一週間も続けていると、さすがにレオニスでも疲労が蓄積していく。
そんな中、レオニスには冒険者ギルド総本部と配給所以外にも暇を見ては足繁く通う場所があった。
それは、アイギスである。
アイギスには、レオニスが姉と慕い頭の上がらない三姉妹がいる。
カイ、セイ、メイ、三人はレオニスが育ったディーノ村孤児院出身で、それこそレオニスが幼い頃からの仲間だ。
三人は孤児院を卒院してから首都ラグナロッツァに進出し、アイギスという武具屋兼ファッションブランドを立ち上げて、今では押しも押されもせぬ超一流ブランドになった。
そんな彼女達だからこそ、このラグナロッツァにあるアイギスに人一倍思い入れがある。
故に彼女達も、今の危険なラグナロッツァに留まり続けていた。
レオニスは亀裂出現から二日目以降、毎日アイギスに足を運んではカイ達に「早いとこ他の街に避難してくれ」「今のラグナロッツァは本当に危険なんだ!」と訴え続けてきた。
しかし、その度に三姉妹は「大丈夫よ、レオちゃん。心配しないで」「他の誰が逃げても、私達は絶対にここを動かないからね!」「そうよそうよ!ここは私達の夢と思い出がたくさん詰まった、とっても大事な場所なんだから!」と言って、レオニスの話を全く聞いてくれなかったのだ。
そう、アイギス三姉妹も何気に頑固者揃いなのである。
そうして時は無情にも過ぎていき、亀裂出現から七日目の夕方。
この日もレオニスは、冒険者ギルド総本部に帰る前にアイギスに立ち寄っていた。
人気が全くなくなったヨンマルシェ市場を、レオニスは一人静かに歩く。
アイギスももちろん休業中なので、店の裏に回り作業場に入っていくレオニス。
するとそこには、アクセサリーの鋳金作業に勤しむカイがいた。
カイは作業に夢中でレオニスが入ってきたことに全く気づかない。
鍛冶仕事を邪魔するのは悪いし、カイを脅かすのも危険なのでレオニスはしばし黙ってカイの作業を見つめていた。
それから数分が経ち、カイの作業が一段落したようで上体を起こし、ふぅ……と一息つきながら額の汗を拭うカイ。
そこでカイはようやく入口にレオニスが立っていることに気がついた。
「あら、レオちゃん。来てたの?」
「ああ。カイ姉、今日も精が出るな」
「ンもー、来たなら声をかけてくれればいいのにー」
「カイ姉の仕事の邪魔しちゃ悪いと思ったんだ」
カイが立ち上がってレオニスを迎え入れる。
二人は作業場のテーブルに移動しながら、和やかに会話をする。
「今日も仕事終わりに姉さん達の顔を見に来てくれたの?」
「ああ。ここ最近は、カイ姉達の顔を見ないと一日が終わらなくてな」
「まぁ、レオちゃんてば嬉しいことを言ってくれるのね。そうやって女の子を口説き落としてるの?」
「カイ姉……俺にそんな器用なことができると思ってんのか?」
カイはテーブルの近くに置いてあったワゴンの上でお茶を淹れながら、フフフ、と笑いレオニスを揶揄う。
そんなカイに、レオニスは口をへの字にしながら問い返している。
「つーか、セイ姉とメイはどうしてる?」
「セイはレースや刺繍なんかの縫い物、メイは在庫管理や売上の帳簿をつけているわ」
「そっか……こんな時でもカイ姉達は働き者なんだな」
「お褒めに与り光栄ね」
レオニスの言葉に、カイはラウルの口癖を真似ながら微笑む。
今はラグナロッツァ全体が非常事態で、店も閉めてて客など一人も来ないというのに。それでもカイ達は、いつもと変わらぬ日常を送っていた。
カイが出してくれたお茶を、レオニスは一口二口啜る。
そしてティーカップを一旦置いて、顔を上げてカイに話しかけた。
「……なぁ、カイ姉」
「レオちゃん。避難勧告令が出ているのは知ってるけど、私達はどこにも行かないわ。それはもう既に、レオちゃんにも何度も伝えたでしょう?」
「…………」
レオニスが言いたいことより先んじて、カイが避難することを拒否する。
ここ最近、レオニスが毎日アイギスに通い詰めているのは、どこでもいいからカイ達をラグナロッツァの外に避難させたかったからだ。
しかし、三姉妹は誰一人としてレオニスの説得に頷くことはなかった。
「レオちゃんも知ってるでしょう? このアイギスは私達三姉妹の夢であり、居場所なの。絶対にここを失う訳にはいかないの。もしここがなくなったら、私達はこの先一生後悔しながら生きていかなきゃならないわ」
「…………」
ここ一週間続くレオニスの説得にも、三姉妹は全く耳を貸さない。
いつもなら、レオニスの頼みを何でもホイホイ聞いて叶えてしまうカイですら、頑として首を縦に振らない。
カイどころかセイもメイもカイと同じ意見で、どこにも避難する気などないと口を揃えて言っていた。
しかし、カイ達は知らない。このラグナロッツァにビースリーの危機が迫っていることを。
レオニスは、何としてもカイ達に安全な場所に移動してほしい。
しばし無言でいたレオニスは、カイに軽い頼みごとをした。
「カイ姉。セイ姉とメイをここに呼んできてくれるか」
「……分かったわ」
レオニスの頼みに、カイが応じて一旦作業場から出ていく。
そしてしばらくして、セイとメイを連れて戻ってきた。
「あらー、レオ、今日も懲りずにうちに来たのー?」
「ホンット、レオは諦めが悪いというか聞き分けのない子ねー!」
カイに呼ばれてきたセイとメイが、明るい声で言い放つ。
セイがワゴンの前に行き、二人分のお茶を淹れてから着席する。
アイギス三姉妹が席に着いたところで、レオニスが徐に口を開いた。
「今から俺は独り言を言うが、カイ姉達は気にせず三人でお喋りでも楽しんでてくれ」
「「「…………???」」」
レオニスの不思議な物言いに、カイ達は揃って首を傾げる。
一方でレオニスは、三姉妹と目を合わせないためか、上を向いて作業場の天井を眺めながら宣言通り独り言を呟き始めた。
「これは、俺達冒険者や魔術師以外には公にはされていないことなんだが……あの亀裂は異次元に繋がっている亜空間で、その中には銀河の女神と名乗るコヨルシャウキという化物がいる」
「「「…………」」」
「そしてそいつは、とある条件を突きつけてきた。その条件までは明かせないが、その条件を満たすことができなければ……この地でビースリーを開始する、と言いやがった」
「「「ッ!?!?!?」」」
レオニスの独り言に、三姉妹の目が極限まで見開かれた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
カイ達三人の顔は一気に青褪め、カイはテーブルの下で両手をグッと握りしめ、セイは両手を口に当てて震え、メイはただただ言葉を失い続ける。
三人がこんなに一気に表情を変えたのには理由がある。
レオニスの独り言は、そのことについても言及していった。
「ビースリーと言えば……カイ姉達もよく知っている通り、今から三十年前にリアクトの街を滅ぼした事件。あれと同じことが、もうすぐこのラグナロッツァで起こるかもしれない状況にある」
「そう、リアクトの街が滅んだあの事件で、カイ姉達やグラン兄、レミ姉の両親が死んだ。その事件のせいで、カイ姉やグラン兄は孤児になったんだよな……」
なおも続くレオニスの独り言に、セイとメイの瞳が潤み始める。
アイギス三姉妹やレオニスが尊敬するグラン、そしてグランの妻レミは、もともとはリアクトという街に住んでいた。
そんなカイ達が孤児になったのは、冒険者だった両親達がリアクト郊外で突如発生したビースリーの魔物討伐に出て、その結果一人も生きて帰ることができなかったからだった。
その後カイ達三姉妹とグラン、レミはリアクトの街から遠く離れたディーノの孤児院に引き取られた、という共通の生い立ちがあった。
もちろんこのことは、レオニスも知っている。
グランやレミ、そしてカイ達三姉妹からもビースリーの話を孤児院時代に散々聞かされていたからだ。
グランは常に人々を守るために戦っていた両親のことを尊敬していて、常にレオニスにその武勇と心意気を語っていた。
一方でレミやセイ、メイは冒険者という稼業に否定的だった。
彼女達が両親を失ったのも、冒険者という危険な仕事をしていたせいだ、という思いを抱いても当然といえば当然である。
そしてカイが孤児院から卒院して独立した後、武器防具を扱うべく鍛冶の仕事を真っ先に習得したのは、ひとえに『冒険者という仕事は、人々の生活に欠かせない。だったら冒険者達が生命を落とすことのないような、丈夫な武具を作って一人でも多くの冒険者を助けたい』という思いがあったからだった。
ビースリー―――それはカイ達三姉妹にとってトラウマにも近く、最も忌み嫌う言葉。自分達から両親を奪い、孤児になった元凶そのものだから。
故にレオニスも、本当はカイ達にそれを聞かせたくはなかった。
だが、カイ達を説得するにはもはや真実を明かす他ない―――レオニスはそう考えたのだ。
そしてレオニスは天井を見上げるのを止めて、再びカイ達三姉妹の顔を真剣な眼差しで見つめる。
「もちろん俺達も、コヨルシャウキの要求を満たすべく全力で日々奔走しているが……未だにそれは達成できていない」
「残された猶予は、今日を含めて三日……最悪の場合、四日後にはあの亀裂から大量の魔物が涌き出てビースリーが勃発してしまうだろう」
「だから……どうしてもカイ姉達には、安全な場所に移動してほしいんだ」
レオニスの真摯な言葉に、三姉妹は未だ言葉を発することができない。
このラグナロッツァでビースリーが勃発すれば、間違いなくラグナロッツァの街は滅亡する。カイ達三姉妹の本当の故郷、リアクトが地図上から消えたように。
そしてここで、ようやくカイが徐に口を開いた。
「そうだったの……だからレオちゃんは、あんなにも必死に私達を説得し続けてたのね」
「ああ……できればカイ姉達には、このことを言いたくなかったんだがな……」
「ごめんなさいね。私達、そんなこととは全く知らずに……ずっとレオちゃんの思いを踏み躙っていたのね」
「ンなこたないさ。このアイギスがカイ姉達にとって、自分の生命と同じくらい大事なものだってことは俺にだって分かってるさ。ただ……」
レオニスに謝るカイに、レオニスは怒ることなく許した。
しかし、これだけでは足りない。レオニスは突然両手をテーブルの上につけ、ガバッ!とその場で頭を下げた。
「どんなにこの店が大事であろうと、カイ姉達の生命より大事なものなんてない。『生命あっての物種』なんて言葉があるように、生きてさえいればまたどこかで一からやり直せるんだ」
「それに、俺だってカイ姉達が安全な場所に避難してくれれば、この先ビースリーを食い止めるために心置きなく戦えるんだ。何しろこの店は、あの亀裂からそう遠くない位置にある。もしビースリーが開始されてしまったら……この店にもすぐに魔物達が押し入ってくるだろう」
「……頼む、カイ姉、セイ姉、メイ……後生だから、明日中に安全な場所に避難してくれ。どうかこの通り、頼む!」
レオニスがテーブルの上面に額をぶつける勢いで、カイ達に向かってひたすら頭を下げ続ける。
目をギュッ、と閉じ、苦悶の表情でカイ達に頼み込むレオニス。頭を下げているので表情はカイ達からは見えないが、その声音からは彼の必死さが痛い程カイ達に伝わってくる。
そんなレオニスの必死の懇願に、カイが慌てて声をかける。
「レオちゃん、頭を上げて!」
「いいや、今日という今日は何としてもカイ姉達に『うん』と言ってもらう。それまで俺は、絶対にここから動かん!」
「分かったわ!分かったから頭を上げて!」
「…………本当か、カイ姉?」
テーブル越しにレオニスの肩を揺さぶるカイ。
彼女の『分かった』という言葉を聞き、レオニスがずっと下げ続けていた頭をゆっくりと上げた。
そんなレオニスの天色の瞳を、カイは真っ直ぐに見つめながら話しかけた。
「ええ、本当よ。レオちゃんがそこまで言うんですもの、これ以上断れる訳ないじゃない」
「……ありがとう、カイ姉!セイ姉もメイも、カイ姉といっしょに避難してくれるよな!?」
「「……(コクリ)……」」
カイの答えに、レオニスの顔がパァッ!と明るくなる。
そしてレオニスは今のうちに!とばかりにセイとメイにも確認する。
二人はカイの言葉が絶対なので、異を唱えることはない。
それに、セイとメイもレオニスの思いを知った以上、カイ同様これ以上固辞し続けることはできなかった。
レオニスの問いかけに、二人は無言で頷くことで了承の意を伝えた。
するとここで、カイがレオニスに向けて声をかけた。
「でも、避難先は私達が決めてもいいわよね?」
「ン? あ、ああ、行き先くらいはカイ姉達が決めるのは当然だ」
「そしたら、新しいラグナロッツァ孤児院に避難させてもらうわね!」
「…………は? ディーノ村とかラギロア島とかじゃなくて?」
「ええ。新ラグナロッツァ孤児院よ♪ そこならシスターマイラもいらっしゃるし、私達も避難している間子供達に新しい服を作ってあげることもできるもの♪」
「…………」
カイの予想外の言葉に、レオニスは呆けた顔になる。
確かに新ラグナロッツァ孤児院ならラグナロッツァの東の端っこの方で、今いるアイギスよりははるかに亀裂から遠いことは間違いない。
しかし、レオニスとしてはラグナロッツァの外に出てほしかったのだが。まさか同じラグナロッツァ内での移動を決意されるとは思わなかった。
とはいえ、これを却下してしまったら、カイはともかくセイやメイがへそを曲げて『じゃあやっぱり避難しない!ずっとここにいる!』と言い出しそうで、それはそれで非常に困る。
レオニスはしばし目を閉じ、腕組みしながらしかめっ面で考え込んだ後、がっくりと項垂れた。
「ぁー、うん……少なくとも、ここに居続けるよりはだいぶマシだしな……」
「でしょう? そしたら明日には移動できるように支度をしておくから、レオちゃん、夕方になったら私達をお迎えにきてくれる? できればレオちゃんの空間魔法陣で、ここにある生地や裁縫道具なんかを向こうの孤児院まで持ち運んでほしいの」
「分かった、それくらいお安い御用だ」
ニコニコ笑顔でレオニスを扱き使う気満々のカイに、レオニスもしかめっ面をやめて小さく笑いながら快諾する。
彼女達三人だけの避難だと、道具類などろくに持っていくことができない。だが、空間魔法陣持ちのレオニスに付き添ってもらえれば、ここにある道具類もほぼ全てを持っていくことが可能だ。
さすがに鍛冶道具までは使えないだろうが、布の生地や裁縫道具があればカイが先程言ったように、避難期間中は孤児達に新しい服を作ってやることができる。
カイ達が新ラグナロッツァ孤児院に避難する間の家賃代わりに、子供達の新しい服を作る。まさに両者Win-Winである。
「カイ姉、決心してくれてありがとう」
「そんな、お礼を言われるようなことではないわ。むしろ私達の方がレオちゃんに謝らなければならないわ。詳しい事情も知らずにずっと困らせちゃって、本当にごめんなさいね」
「いや、もう過ぎたことだ、気にしないでくれ」
何とか和解に至ったレオニスとアイギス三姉妹。
表向きはレオニスを扱き使って同じラグナロッツァ内を移動することになったが、結局はいつものようにカイがレオニスの願いを聞き入れた形となった。
そのことに、カイが頬に手を当てながら小首を傾げ呟く。
「私、何だかんだ言っても結局はレオちゃんの頼みを聞いちゃうのよねぇ」
「ありがとう、カイ姉。この礼は、後で必ずするから」
「礼なんていらないわ。ただ、レオちゃんが無事に帰ってきてくれればいいんだから。姉さん、それ以上のことは望まないわ」
後で必ず礼をする、と言うレオニスに、カイがフフフ、と微笑む。
かと思ったら、カイが真剣な眼差しでレオニスを見つめる。
「だから……レオちゃんも約束して。ラグナロッツァのビースリーを無事食い止めて、新ラグナロッツァ孤児院に避難した私達を迎えに来るって」
「ああ、約束する。あの亀裂が閉じたら、真っ先にカイ姉達を迎えに行くから。だから、しばらくの間向こうの孤児院で、子供達の服を作りながらゆっくり過ごしててくれ」
「ええ、子供達の服は姉さん達に任せといて!」
カイの願いを快く聞き入れて、笑顔で頷きながら約束するレオニス。
その力強い言葉に、カイが椅子から立ち上がりレオニスの背後からその身体をぎゅっ……と抱きしめる。
レオニスの無事な帰還だけを願うカイ。その深く優しい愛情がレオニスにもひしひしと伝わってくる。
カイに抱きしめられたレオニスも、三姉妹の無事を願いながらそっとカイの手を握りしめていた。
しばらく不在だったレオニスの久しぶりの登場です。
まぁね、必死に動いているのは何もライトばかりなはずもなく。レオニスもラウルもマキシも、そしてパレンや他の冒険者達も皆懸命に動き続けています。
そんなレオニスが最も気がかりだったのが、アイギス三姉妹のこと。
彼女達がラグナロッツァ内に留まったままでは、レオニスも気が気ではありません。
ましてや万が一ビースリーが始まってしまったら、間違いなく彼女達の生命は数多の魔物によって蹂躙されるでしょう。
結果的にはラグナロッツァ内の移動になってしまいましたが、それでも亀裂から遠ざかってくれるだけでもまだマシというもの。
でもって、カイ達が孤児になった理由がビースリーのせいだった、ということに。
ほんの数話前の第1266話にて、過去に起きた三つのビースリー事件を具体的な形で出しましたが。そのうちの一つをカイ達の過去と結びつけたので、そちらの年代も修正しています。




