第1270話 別れの挨拶と再会の約束
カタポレンの家からラグナロッツァの屋敷に移動したライト。
二階の旧宝物庫から、ハリエットの待つ客間に急いで走っていく。
そして客間の扉を開けると、中ではラウル特製アップルパイの最後の一口を頬張るハリエットとウィルフレッドがいた。
「ハリエットさん、ウィルフレッドさん、お待たせしてごめんなさい!」
「「……(モゴモゴ)……」」
もくもくと美味しそうにアップルパイを食べていたウォーベック兄妹、ライトの登場に慌てて口を抑えながらゴックン!と急いで飲み込んだ。
そして口の中のものが消えてから、しゃんと背筋を伸ばして改めて口を開いた。
「こ、こんばんは、ライトさん。そんなに待っていないので、お気になさらないでください」
「そ、そうだとも。ちょうど今、ラウルさんのアップルパイを堪能させてもらっていたところなんだ」
「そうですか、それなら良かった」
ライトの謝罪に対し、気にしないよう言ってくれるウォーベック兄妹の優しさにライトほっとしつつ、二人の向かいのソファに座った。
そして徐に来訪理由を問うた。
「ハリエットさん、一週間ぶりだね!というか、もうすぐ夜になるのに出歩いて大丈夫なの?」
「ええ、大丈夫です。こうしてお兄様と執事についてきてもらってますし。というか、ライトさんの方こそ何だか窶れていらっしゃるように見えますが……大丈夫ですか?」
「え? ぼく、そんな窶れて見える?」
「はい……」
ハリエットが心配そうにライトの顔を覗き込む。
旧ラグナロッツァ孤児院に謎の亀裂が出現して以来、ライトはビースリーを回避しようと必死にあれこれ動き続けていた。
今日も日中はほぼずっと魔物狩りをしていたし、昨日も一昨日も、その前の日もずーっと寝食を惜しんで職業習熟度上げに勤しんでいた。
そのせいでライトは若干窶れているのだが、ハリエットはそれを見逃さなかった。
「ラグーン学園がずっと休みだから、いろんな調べものとかしてて……ちょっとだけ寝不足気味かも」
「まぁ、それはいけませんわ。夜遅くまで起きていてはいけません、今日は早くに寝てくださいね?」
「はぁい……」
ライトの体調を心配するハリエットのお小言に、ライトは素直に頷く。
実際寝不足気味なのは本当のことで、ライトの夜間の解体作業は深夜の二時や三時まで及んでいた。
しかし、ハリエットのお小言に怯むライトではない。
話題を変えるために、今度はライトの方からハリエットに問うた。
「ハリエットさんこそ、今日はどうしたの? もしかして、昼間も来てくれて不在だった?」
「いいえ、今訪ねてきたばかりです。……その……私達、プロステスの伯父様宅に避難することになりまして。明日の朝に出立するんです……」
「……ああ、そうなんだね」
ライトの問いかけに、ハリエットが俯きながら言いにくそうに避難の件を伝える。
そのことについて、ライトは特に驚いたりしない。由緒正しい貴族であるウォーベック家ならばそうして当然だし、むしろ避難するのが遅いくらいだとすら思う。
しかし、しょんぼりとしているハリエットを見ていたら、ライトも少しだけ寂しくなってきた。
とはいえ、ここでライトまでいっしょになって意気消沈してしまったら、ますますハリエットを落ち込ませてしまうだろう。
そんなことにならぬよう、ライトは努めて明るい声でハリエットに話しかける。
「うん、今のラグナロッツァはとても危険だからね。ハリエットさん達はプロステスに避難した方が絶対にいいと思うよ!」
「はい。プロステスのアレクシス伯父様も、私達一家のことをとても心配してくださって……今回は、そのご厚意に甘えさせていただくことになりましたの」
「頼もしい伯父さんがいて、本当に良かったね!」
「…………」
ライトは笑顔で受け答えしているのだが、ハリエットの顔は未だに晴れない。
その様子から、きっとハリエットさんもラグナロッツァに残りたかったんだろうな……とライトは察していた。
しばし客間に沈黙が流れる。
そしてしばらくして、俯いていたハリエットがつい、と顔を上げてライトの顔を真っ直ぐに見つめた。
「ライトさんは、このままラグナロッツァに残るんですよね……?」
「……うん。レオ兄ちゃんやラウルが一生懸命頑張っているのに、ぼくだけ他の街に行くなんて絶対にあり得ないもん」
「その……レオニスさんからは、他の街に避難するように言われてはいないのですか?」
「うーん……ラグーン学園が臨時休園になった次の日から、レオ兄ちゃんは一度もうちに帰ってきてないから、そこら辺の話は全くしてないんだよね」
「そうなんですか……レオニスさんも大変ですのね……」
「うん。それにね……」
ハリエットが縋るような眼差しでライトを見つめる。
その言葉の端々から、ハリエットと同じようにライトも他の街に避難してほしいと思っていることが分かる。
あの亀裂によってビースリーが起こるかもしれない、ということは実は一般には公にされていない。その詳細を知れば、民達の恐怖を煽り過ぎてパニックになるだろうことが容易に想像がつくからだ。
しかし、ハリエットは避難の説得に際し父からビースリーのことを聞かされて知っていた。
ウォーベック家は名門貴族なので、先日の大会議にも出席していたし、高位貴族達は独自の情報網でそうした秘密裡の情報を早々に入手していたのだ。
だから、ハリエットはライトにもラグナロッツァを離れてほしい、と思っていた。何なら自分といっしょにプロステスに来てほしい、と言おうかとまで考えていたくらいだ。
しかし、それをライトが受け入れることはないだろうこともハリエットは薄々分かっていた。
それを裏付けるかのように、ライトが話を続ける。
「レオ兄ちゃんが何と言おうと、ぼくが絶対にラグナロッツァに居続けるってことをね、レオ兄ちゃんもよく分かってると思う!」
「「!!!」」
ライトはニカッ!と笑いながら、レオニスが取るであろう行動をきっぱりと予測かつ断言した。
その言葉を聞いたハリエット達は、ハッ!とした顔で無言になる。
ライトの言葉は自信に満ち溢れていて、それは即ちレオニスに対する絶対的な信頼の裏返しでもあった。
ライトとレオニス、二人の間には血の繋がりこそないが、彼らは血の繋がり以上に強い絆で結ばれているのだ―――そのことを、ハリエットもウィルフレッドも改めて感じていた。
「……そうですわね。ライトさんが赤ん坊の時から育ててくださったレオニスさんなら、きっとライトさんの性格もよくご存知でしょうね」
「そうそう!例えレオ兄ちゃんが、ぼくを無理矢理にでもどこかに連れて行こうとしたってね、ぼくは柱にしがみついてでも拒否するもんね!」
「フフフ、ライトさんなら本当に柱にしがみつきそうですね」
「うん!……って、どこの柱にしがみつくのがいいかな? ていうか、この家にしがみつけるような柱ってあったっけ?」
話の流れで客間の中の柱を探しだすライト。
洋式建築のレオニス邸内に、和式建築のような大黒柱はない。
キョロキョロと客間を見回していたライトだったが、ふと後ろに立っていたラウルと目がかち合った。
「「…………」」
二人はしばし無言で見つめ合い続けた後、ライトの方から口を開いた。
「……うん、ぼくがしがみつく良い柱はなさそうだから、とりあえずラウルにしがみつくことにするね!」
「何でだよ……俺は柱じゃねぇぞ?」
「ラウルにしがみつけば、レオ兄ちゃんも無理矢理剥がすことはできないでしょ? そしたらきっと諦めてくれるはず!ラウル、協力よろしくね!」
「……しゃあない。小さなご主人様のお望みとあらば、拒否する訳にもいくまい」
目をキラッキラに輝かせながら、ラウルに無茶振りするライト。
そんなライトに、ラウルはふぅ……と小さくため息をつきながらも結局は受け入れている。
確かにラウルの身体に全力でしがみつけば、レオニスも呆れ果ててライトの避難を諦めるだろう。
それに、今や立派な冒険者となった万能執事のラウルなら、力加減が何気におかしいライトが全力でしがみついてもシレッと涼しい顔で立ち続けているに違いない。
それはきっと、大木相手に木登りする小猿状態になること請け合いである。
そんなコント紛いのライト達の会話に、暗い表情だったハリエットの顔にも次第に笑みが溢れていく。
「フフフ、お二人とも仲睦まじいですね」
「うん!ラウルはぼくの大親友で家族だしね!」
「もう一人の頼もしいお兄様、といったところですか?」
「そうだね!」
ラウルのことを『もう一人の兄』と言ったハリエットに、ライトはこれ以上ないくらいの笑顔になる。
するとここで、ウィルフレッドがハリエットとライトに声をかけた。
「ハリエット、外もだいぶ暗くなってきたからそろそろ帰ろう」
「あ、はい……」
「ライト君、今日は突然お邪魔してすまなかったね。プロステスに行く前に、ハリエットがどうしても君に直接会ってお話ししたいって言って聞かなくてね」
「お、お兄様!そんなこと、ここで仰らなくてもいいのに……!」
ウィルフレッドにわがままをバラされたハリエット、顔を真っ赤にして慌てて兄に抗議する。
そしてウィルフレッドの方は、妹の抗議などどこ吹く風でハハハハ、と笑っている。
そんな仲睦まじい兄妹の姿に、ライトも思わず笑顔になる。
まずウィルフレッドがソファから立ち上がり、ハリエットもそれに続き立ち上がる。
ライトもソファから立ち上がり、ハリエット達とともに客間を出て玄関に移動した。
玄関の扉を開けると、外はもう殆ど日が落ちて宵闇が迫っていた。
玄関先で振り返り、ライトと真正面に向かい合うハリエット。
その瞳は再び潤んでいるように見える。
ライトはハリエットの不安を払拭するため、再び努めて明るい声で話しかける。
「ハリエットさん、しばらくの間会えないけど……ラグナロッツァが平和になったら、またいっしょに遊んだり勉強したりしようね!」
「はい……ライトさんも、どうぞお元気で……またお会いできる日を、心待ちにしております……」
「うん!」
ハリエットの方からライトの手をそっと握り、ライトもそれに応えるべく両手でハリエットの手を握りしめる。
互いの手の温もりと、再会を誓う言葉。
それはハリエットだけでなく、ライトの心にもまた活力を与えていた。
そしてライトは、自分の後ろに控えていたラウルに声をかけた。
「ラウル、もう外は暗いからハリエットさん達をおうちまで送ってあげて」
「了解」
ライトのお願いに、ラウルは一も二もなく承諾する。
レオニス邸からウォーベック邸は三軒隣のご近所さんだが、貴族街のご近所さんは一軒一軒が大きいので歩く距離も結構ある。
外はかなり暗くなってきていたが、ラウルが護衛として送っていってくれれば安心だ。
ハリエット達は玄関先を離れ、外に向かって歩いていく。
門扉までの間、ハリエットが名残惜しそうに何度も振り返る。
その都度ライトはハリエットに向けて元気よく大きく手を振って応える。
そうしてハリエット達はレオニス邸を出ていき、ライトはハリエット達の背中が見えなくなるまでずっと玄関先で見送っていた。
ライトに会いたくてレオニス邸を訪問したハリエットとの会話です。
ホントはもうちょい先まで書くつもりだったんですが。気がつけば4000字超えてたので一旦ここで区切ることに。
ライトの同級生、ハリエットは拙作において本当に数少ない普通の人族のヒロイン。
彼女がライトに寄せるほのかな思いは、拙作唯一と言っても差し支えない立派な恋物語要素!
なので、作者はライトとハリエットの会話を書くのがとても楽しいです!
とっても奥ゆかしいヒロイン、ああー、書いてて癒やされるんじゃー♪( ´ω` )
……って、状況的にはそれどころじゃないんですけど(´^ω^`)




