第1266話 過去のビースリーと仲間達の変わらぬ笑顔
時は少し遡り、コヨルシャウキが旧ラグナロッツァ孤児院跡地に出現した日から二日後のこと。
ライトは朝の魔石回収ルーティンワークを終えた後、ラウルの畑の野菜や林檎の収穫を行っていた。
本当はそれどころではないと思うのだが、今のラウルはライト以上にそれどころではない。非常事態宣言が発令されたラグナロッツァの民達のために、朝から晩近くまでずっと食糧の運搬や配給の手伝いをしているのだ。
そんなラウルが心置きなく冒険者としての務めを果たすために、亀裂の件が解決するまでの間、ライトはラウルの代わりに野菜や林檎の収穫を毎朝行うことを自ら進んで引き受けていた。
それに、瑞々しい野菜や赤々とした林檎などの収穫物に触れている間だけは、ライトの重く沈んだ心もほんの少しだけ軽くなる気がした。
ライトの横では、ラーデが収穫の手伝いをしてくれている。
少し離れた四阿に置いてあるアイテムリュックに、ライトが収穫した野菜や林檎を運んで収納する、という手伝いだ。
大きな白菜や林檎を両手で抱えながら、畑と四阿を懸命に行き来するラーデを見ているだけでもライトの心は和む。
野菜や林檎の収穫を一通り終えた後は、たっぷりと水遣りをしてからアイテムリュックを携えて家の中に入った。
朝に収穫した野菜や林檎は、夜にラウルがラグナロッツァの屋敷に帰ってきたら渡すことになっている。
今日の収穫をラウルに渡したら、ラウルのことだからきっとすっごく喜んでくれるだろうな。
一日も早く、ラウルが大好きな料理を好きなだけできる日々に戻ってくれるといいな……
ライトはそんなことを考えながら、部屋着に着替えた後に向かったのはレオニスの書斎だった。
レオニスの書斎にずらりと並ぶ様々な書籍を、片っ端から手に取ってはパラパラと捲り目を通すライト。
何を探しているのかというと、もちろんビースリーに関する記述だ。
かつてライトはラグーン学園に入学する前、三歳か四歳の頃にレオニスの書斎で様々な本を読んでいた。
その中に、ビースリーに関する本があったのを思い出したのだ。
その当時は『へー、このサイサクス世界にもビースリーイベントがもうあったんだー』程度にしか思わなかったが、今にして思えば何と恐ろしいことか。
ライトはうろ覚えの記憶を辿りつつ、ビースリーの記述がある本を見つけ出して早速読んでみた。
「ふむ……二月の豆撒きとクリスマスの神獣レスタエクオス、そしてサマーバケーションはもう過去に起きたことなんだな」
「……その三つによって、最寄りの街が完全に壊滅してるのか……最寄りと言っても距離的にはかなり離れていたっぽいけど」
「ビースリーの出現場所から離れた街ですら、壊滅を免れないってのに……それが街の中で出現したら、内部崩壊まっしぐらじゃないか……」
ビースリーの事件録を読み進めるライトの顔は、どんどん険しくなっていく。
過去にサイサクス大陸で起きたビースリー事件は三つ。
『小鬼大量襲撃事件』と『神獣襲来事件』、そして『真夏の夜の悪夢事件』だ。
小鬼は今から三十年前、神獣は百二十七年前、真夏の夜の悪夢は三百五年前に起きている。
いずれも突如大量の魔物が出現し、最寄りの街が襲われた。
小鬼大量襲撃事件では、その年の二月初旬に身長100cm弱のまん丸体型の赤、青、黄、緑の小鬼が大量に出たという。そしてその小鬼達を三日三晩退治し続けていたら、突如三本角の巨大な鬼が出現したと書かれている。
神獣襲来事件では、年末に起きたせいかクリスマスを思わせるトナカイや蝋燭、靴下といった訳の分からない魔物達が溢れ出たらしい。こちらも人族の強者達が退治し続けた結果、神馬の如き有翼の巨馬が全てを蹂躙し尽くした、とある。
そして真夏の夜の悪夢では、夏の蒸し暑い時期に赤、青、黄、緑、紫、橙、桃、七色の人魂のようなゴーストが出現し続け、神殿の神官や魔術師達が退けていたら、最後に何故か真っ黒なサンタクロース姿の巨人が巨大な戦斧を振り回しながら大暴れしたとか。
このビースリーの事件概要に、ライトは思いっきり心当たりがある。それは、三つとも全てBCOのビースリーイベントだった、ということだ。
サイサクス世界での『小鬼大量襲撃事件』はBCOでは『節分!豆まき祭り』、『神獣襲来事件』は『クリスマス・神獣レクタエクオスと触れ合おう!』、『真夏の夜の悪夢』は『スペシャルサマーバケーション』というタイトルだった。
訳の分からない魔物や妙ちきりんな格好のボスモンスターが出てくるあたりが、実にBCOらしいと言えよう。
書物を読み進めていくうちに、ライトの中で薄れかけていた過去のビースリーイベントの内容が次々と思い出されていく。
ライトはページを捲りながら、「あー、そういやあの豆まきイベントでは四色の小鬼が前座で、大ボスは巨大な鬼だったわ」とか「真夏に真っ黒なジェイソンサンタとか、ホンット頭おかしい」など、当時のBCOイベントを思い出しつつ一人呟いていた。
そしてこれらの事件で唯一の共通点は、魔物の出現期間。三件ともぴったり二週間だったという。
この二週間という期間は、言わずもがなBCOのイベント開催期間と一致している。
これは、言い換えればこのサイサクス世界においても二週間耐え凌げることができれば、その後は魔物襲来がピタリと収まる、ということだ。
しかし、絶え間なく涌き続ける魔物達の襲来を二週間もの間、ずっと退け続けられるか?と問われれば、誰もが『否』と答えるだろう。
実際この三件のビースリーで、サイサクス大陸に実在したアクシーディア公国の『リアクト』『ヴァリアント』『ポ・コスカ』という三つの街が完全壊滅し、地図からその名が消えたという。
実際にたくさんの人々が住んでいた街が壊滅したという事実に、ライトはビースリーイベントの恐ろしさを改めて実感していた。
また、コヨルシャウキの名は書物の中から一切見つけられなかった。
レオニスやパレンもその名を全く知らないと言っていたことからも、このサイサクス大陸でのコヨルシャウキの顕現は史上初ということなのだろう。
ビースリー関連の書物を一通り読み終えたライト。
ふぅー……という深いため息とともに本を閉じ、書棚に戻してから自室に移動する。
ふと気がつけば、時刻は正午少し前になっていた。
そろそろお昼ご飯を食べる時間なのだが、レオニスやラウルもいない今、一人で食べるのは寂しい。
ちなみにラーデは食物も普通に食べることはできるが、食べなくても問題ないので、朝や昼はカタポレンの森の魔力をよりたくさん吸収するために開拓地で寝そべりながら、のんびりと日向ぼっこをしていることが多い。
なので、自分ののお昼ご飯のためにラーデを無理に付き合わせるのも忍びない、とライトは思う。
いや、いつものライトならひとりぼっちのご飯が寂しいなんて思うことなど、まずないのだが。ビースリーとコヨルシャウキの件で、今のライトの心はかなり不安定な状態になっていた。
「……そしたら、久しぶりに転職神殿の皆とお昼ご飯を食べよっかな。……うん、そうしよう!」
思い立ったが吉日、とばかりにライトは出かける支度を始める。
アイギス製マントに神樹の枝のワンド、そしてアイテムリュックを背負ったライトは、マッピングスキルで自室から転職神殿に移動していった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
カタポレンの家から転職神殿に移動したライト。
そこにはいつもと変わらず、転職神殿専属巫女のミーアや使い魔の力天使ミーナ、そして同じく使い魔の黄金龍ルディがいた。
『あ、ライトさん。お久しぶりです』
『主様!ようこそいらっしゃいましたーーー!』
『パパ様!お元気にしてましたか!?』
ライトの姿を見た三人が、嬉しそうに駆け寄ってくる。
まずミーアがいの一番にライトの来訪に気づき、ミーアの声でミーナとルディが振り返って破顔する。これがいつものお約束の流れなのだ。
ライトがこの転職神殿を訪れるのは、正月三が日以来なので、実に一ヶ月以上のご無沙汰だ。
それなのに、ミーア達は変わらずライトのことを歓迎してくれる。
彼女達の変わらぬ笑顔と優しさに、ライトの涙腺はまたも緩む。
『え"ッ!? ちょ、待、主様!? 一体どうしたんですか!?』
『パパ様!? どこか痛いとか、お身体の具合が悪いんですか!?』
『ミーナ、ライトさんに回復魔法をかけて差し上げて!』
『は、はいッ!』
突如大粒の涙を溢しだしたライトに、ミーア達が思いっきり狼狽している。
確かに久しぶりに転職神殿に訪れたライトが、挨拶を交わす間もなく突然泣き出したらびっくりするしかない。
ライトもここで泣くつもりなど全くなかったのだが、思っていたより心が弱っていたことを自覚しミーア達に謝る。
「ぁ、ご、ごめんなさい……最近、すごく、とんでもない、事件が、起きちゃって……ヒック……そのせいで、随分、気が滅入って、しまった、ようで……ヒック」
『とんでもない事件、ですか?』
『主様ほどの強い御方が、泣いちゃうほどの事件って……』
『パパ様、一体何があったんですか?』
とめどなく溢れ続ける涙を堪えることができず、時折しゃっくりが混じりながらミーア達に話すライト。
ミーア達にしてみれば、ライトのこんな弱りきった姿を見るのは初めてのことだ。
いつも前を向きながら、勇者候補生として強くなるための修行を欠かさず日々邁進してきたその姿は、まさに勇者を目指すに相応しい強い人!というイメージしかなかった。
そんなライトが、何事かによってかなり心が弱っている。
これは転職神殿組にとって、絶対に見逃すことのできない大事件だった。
『ライトさん、まずは落ち着いて深呼吸をしましょう』
「……はい……(スゥー、ハァー……)……」
『ミーナとルディは、ライトさんに一番弱い回復魔法をかけてあげて。本当にHPが消耗している訳ではなさそうだから、強い回復魔法よりも弱い回復魔法をゆっくりとかけてあげる方が効くと思うから』
『『はい!』』
ミーアの優しい導きに、ライトもミーナもルディも素直に従う。
ミーナとルディがライトに向けて両手を翳し、一番弱い回復魔法をかけ続ける。その間ミーアはライトの背中を優しく撫でながら、頬を伝う涙をそっと手で拭ってあげている。
ライトはじんわりとした温かい魔法と優しい手に包まれて、次第に心が落ち着いていくのを実感していた。
サイサクス世界で実際に起きたというビースリーの事件詳細と、ライトの不安定な様子です。
これまでライトは、どんな困難が立ちはだかろうとも気合いと根性で乗り越えてきました。
しかし、今回は『勇者候補生』という絶対に秘密にしておきたかった言葉が世に出てしまったことで、かなり精神的に参ってしまっています。
気合いとか根性って、心が弱っている時にはまず発揮できませんよねぇ。
拙作の主人公であるライトも、かつてない程に精神的ダメージを負っています。
こんな気弱なライトなんて、いつ以来? 拙作史上初かも?
気晴らしのために出向いた転職神殿は、第1108話以来158話ぶりの登場。ここで何とか上向きになれればいいのですが———




