第1261話 迫る未曾有の危機
レオニスが冒険者ギルド総本部に駆け込むと、大広間は多数の冒険者達でごった返していた。
非常にざわついた空気の中、レオニスは「すまん、通してくれ!」と叫びながら人混みを掻き分け、受付窓口がある方向に進んでいく。
そして受付窓口近くでは、大騒ぎしている冒険者達を必死に宥めまとめようと奮闘しているクレナの姿があった。
「クレナ!マスターパレンはまだ上にいるか!?」
「あッ、レオニスさん!マスターパレンは今、あの謎の亀裂の調査に向かうために準備しているところです!」
「良かった、まだここにいるんだな!?」
「はい!ていうか、あの空に向かって伸びる亀裂は一体何なんですか!? あの亀裂、スラム街の方から出てきているようですが……スラム街で何かあったんですか!?」
レオニスの問いかけに、クレナが早口で慌ただしく答えながらレオニスに問い返す。
普段は冷静沈着で何事にも動じないクレナがここまで慌てるのは珍しいことだ。
クレナや大広間にいる冒険者達の怒号が飛び交う様子からして、皆既にあの異空間の亀裂を目撃していてそのことで大騒ぎしているらしい。
あの亀裂はラグナロッツァ全域でありありと見ることができる程に、天に向かって大きく縦に裂けていた。
あんな異様なものが突然ラグナロッツァ内に出現したら、誰だってびっくりするしパニックになるのも当然だ。
そんな中、パレンは謎の亀裂の調査のために既に動いているという。
その冷静かつ迅速な判断力と行動力、さすがは冒険者ギルド総本部マスターを長年務めるだけのことはある。
しかし、ここでレオニスと入れ違いになってはマズい。一刻も早くパレンに情報を伝えなければならないのに、ここですれ違ったら時間の無駄になってしまう。
レオニスはパレンにスラム街での出来事を伝えるべく、クレナに続けて頼み込んだ。
「すまんがクレナ、マスターパレンをここに呼んできてくれるか!あの亀裂について、直接報告しなきゃならんことがある!」
「分かりました!少々お待ちください!」
レオニスの頼みに、クレナは一も二もなく承諾しギルドマスター執務室に向かって駆け出していく。
そしてものの一分もしないうちに、カウボーイ姿に着替えたパレンを大広間に連れてきた。
二人はバタバタと大広間に入ってきて、大急ぎでレオニスの前まできた。
パレンは着替えの仕上げの手袋を嵌めながら、レオニスに声をかける。
「レオニス君!あの亀裂について、何か知っているのか!?」
「ああ、俺がマスターパレンとの話し合いが終わった後、スラム街の土地調査についてラウルから相談を受けてな―――」
息つく間や挨拶する時間さえも惜しむようなパレンの質問に、レオニスがその経緯を詳細に伝える。
ラウルとともに二人でスラム街に土地調査に行ったこと、特にラウルはスラム街の中の旧ラグナロッツァ孤児院からおかしな空気が出ていると感じていたこと、スラム街の建物撤去を請け負っているガーディナー組のイアンと三人で旧ラグナロッツァ孤児院の中に入ったこと、そしてその中庭にある大きな岩から突如異空間が出現したことなどを、順を追って話していった。
「あの亀裂の中には、コヨルシャウキ……銀河の女神と名乗る者がいた。亀裂の向こう側から目だけ覗き込んでいたから、その全貌は分からんが……少なくともあの亀裂を上回る体格はありそうなやつだった」
「何だと……あの天にも届きそうな亀裂よりも大きな何者かがいる、だと……?」
レオニスの話に、いつもは白目すら見えない糸目のパレンの双眸が微かに開く。
レオニス達の周囲にいる冒険者達は全員ヒュッ、と息を呑み、パレンの横の少し後ろにいるクレナに至っては両手で口を抑えながら顔面蒼白になっている。
亀裂の高さは、ラグナロッツァで一番高い建物であるラグナ宮殿をはるかに凌ぐ。
それよりもさらに大きな身体を持つ女神が、もし万が一亀裂を潜ってサイサクス世界に完全顕現したら―――想像するだけで恐ろしい未来しか見えない。
サイサクス大陸一の栄華を誇るこのラグナロッツァでさえも、ものの数分もしないうちに蹂躙し尽くされて滅亡するだろう。
あまりにも衝撃的な話に皆石のように固まっているが、レオニスの話はなおも続く。
「そしてそいつは、『勇者候補生を連れて来い』という訳の分からん要求を俺達につきつけてきた」
「コヨルシャウキ……聞いたことのない名だな。というか、その勇者候補生とは一体何のことだ? 勇者、ではなく……勇者候補生?」
「俺にも全く分からん……コヨルシャウキにも、どういうことか分かるように説明を求めたんだが、奴は人の話を聞く気など全くなくてな。とにかく『勇者候補生をここに連れて来い』の一点張りだった」
「そうか……私も長いこと冒険者とギルドマスターを務めているが、『勇者候補生』というジョブや肩書など、今まで見たことも聞いたこともないぞ……」
「俺もコヨルシャウキにそう言ったんだがな……」
レオニスも『勇者候補生』なるものを全く知らないが、パレンも全く心当たりがないらしい。
「だが、そのコヨルシャウキが言うには、この世界のどこかに必ず勇者候補生はいる、ということだった」
「そうか……で? そのコヨルシャウキとかいう銀河の女神?は、勇者候補生を連れて来いという要求の他には何か言っていたかね?」
「ああ……ここからが一番の大問題なんだが……」
パレンの問いかけに、レオニスが顔を顰めつつ答える。
「今から十日以内に、奴の前に勇者候補生を連れて来なければ、この地でビースリーを開始する、と言っていた……」
「何ッ!? ビースリーだとッ!?」
思わず大声を上げたパレンに、それまでレオニスとパレンの会話を聞くために静かにしていた冒険者達が一気にざわつく。
大広間のあちこちで「ビースリー!?」「おい、マジかよ!」「何でそんなもんがこのラグナロッツァに!?」「洒落なんねぇぞ!」という不安に満ちた声が多数上がっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『ビースリー』という言葉は、サイサクス大陸において魔物暴走―――いわゆる『スタンピード』と同義とされる現象を指す。
先程レオニスがコヨルシャウキとの会話で愕然とし、今もレオニスとパレンの話を聞いていた他の冒険者達が顔色を変えて騒ぎ出したのもそのせいだ。
ある日突然、どこからともなく突如大量の小型の魔物が涌いてきて、最寄りの街に襲いかかってくる。
それはまるで砂浜に打ち寄せる海の波のように、二週間もの間際限なく続く。
これだけでも十分悪夢だというのに、事態は大量の魔物の発生だけに留まらない。大量の魔物を退け続けたその果てに、必ず巨大かつ強力な魔物が出現するのだ。
そしてこのビースリーと呼ばれる魔物暴走、何が原因で、何をきっかけにして、いつどこで起きるのかなどの発生条件が全く分かっていない。
そもそも何故この現象をビースリーと称しているのかも、レオニス達にはよく分かっていない。
サイサクス大陸で過去にビースリーが発生したことが何回かあって、ビースリーと称した記録が事件簿として残されているから皆そう呼んでいるのである。
その記録によると、ビースリーは人里近くもしくは街中で発生することが稀にあるという。
無限に魔物が涌き続ける亀裂、こんなものが街の近くもしくは街中で突然発生したらどうなるか。
答えは一択『その街は壊滅する』である。
実際このビースリーにより、過去に何度かアクシーディア公国内のいくつかの街が完全に壊滅するという事件があり、その記録が複数残されていた。
こんな物騒な前例がいくつもあるのだから、国や冒険者ギルドとしても予防策を打ちたいところなのだが。ビースリー関連の事件簿をいくら比較調査しても、発生場所や日時、時刻、気象等共通点が全くないのだ。
原因やきっかけが一切合切不明なので、現状では事前に対策を講じておくことが全くできない。
予防策が出せない以上、事が起きてから対処するしかなかった。
「よりによって、このラグナロッツァでビースリーが発生するなどとは……早急に手を打たねばならん」
「だな。かといって、あんな巨大な亀裂をこちら側から塞ぐ方法なんてねぇし……あんなデカい亀裂、ピースだって手に負えんだろ」
「だろうな……すぐにピース君にも連絡は取るが、結界や封印は期待できんと思っておいた方が間違いなかろう」
レオニスとパレンが、顔を歪めつつ話し合う。
このサイサクス世界にも、結界や封印術は存在する。
そしてそれは基本的に魔術師の領分なのだが、ラグナ宮殿より大きな空間の亀裂を十日以内にどうにかできるとは到底思えなかった。
「……よし、まずはそのコヨルシャウキが要求しているという『勇者候補生』を探し出すとするか」
「俺もそれが一番いいと思う。勇者候補生とやらを連れて行けば、ビースリーを中止するなんて保証はないが……それでも十日後には問答無用でビースリーが発生するってんなら、その前に勇者候補生を探し出してコヨルシャウキを説得したり納得してもらうのもアリだろう」
険しい顔で相談し続けるレオニスとパレン。
確かにレオニスの言う通り、あの亀裂の前に勇者候補生を連れて行けばビースリーが中止になるという保証はどこにもない。
コヨルシャウキはただ『勇者候補生を連れて来い』と言っただけで、そうすれば何もせず撤退するなどといった類いのことは一言も発していないのだから。
しかし、このまま何もせずただ座して待つ訳にはいかない。
こちら側から異空間の亀裂を封印する手立てがない以上、まずはコヨルシャウキの要求を受け入れた上で、勇者候補生とともに改めて交渉するしかない。
パレンはクレナに向かって大きな声で指示を出し始めた。
「クレナ君、緊急指令発動だ!国内外問わず、全ての冒険者ギルド支部に向けて『勇者候補生を十日以内に探し出し、ラグナロッツァに連れてくるように』という指令を出すんだ!」
「はい!」
「ここにいる冒険者諸君は、手分けしてラグナロッツァ内の捜索に当たってくれ!一刻も早く勇者候補生を見つけねばならん!そして聖銀級以上の者は、スラム街の封鎖と亀裂の監視を頼む!」
「「「応ッ!」」」
周囲に対し、次々と的確な指示を出すパレン。
クレナ他ギルド職員やここに居合わせた冒険者達も、ギルドマスターであるパレンの指示を受けて各自動き出す。
中には怖気づいてそそくさと逃げようとする者もいるが、そんな臆病者はここにいても邪魔で足手まといにしかならないので、誰も構いもしない。
そしてパレンは最後に、レオニスの方に向かって声をかけた。
「レオニス君、私は今すぐラグナ大公にこのことを報告しに行かねばならん。おそらくラグナロッツァ内全域に、非常事態宣言が出されるだろう」
「そうだな。下手すりゃ外出禁止令とか戒厳令まで出されるかもしれんな」
「ああ……もし十日もの間、外出禁止令や戒厳令が敷かれたら、間違いなくラグナロッツァの民達の間で食糧問題が起きると思うが……その辺りも、ラグナ大公並びに大臣達と話し合ってくるつもりだ」
「そこら辺は全てマスターパレンに任せる。あんた程、その手の折衝や王侯貴族相手の話し合いに長けた人はいねぇからな」
今すぐラグナ宮殿に向かうというパレンに、レオニスも頷きながら励ます。
レオニスは腕っぷしだけなら間違いなく世界最強だが、王侯貴族連中を相手にすることは大の苦手だ。
その点パレンは王侯貴族とも和やかかつしっかりと話せるし、ラグナ大公からの信頼も厚い。
こういうところが、マスターパレンのすごいところだよな!とレオニスは心の底からパレンを尊敬して止まないのだ。
「レオニス君、まず君にはコヨルシャウキとの交渉担当を担ってもらいたい。他の者では、とても神の相手は務まらんだろうからな」
「分かった。他には何をすればいい?」
「そうだな……ひとまず亀裂の夜間の監視を頼みたい。昼間の監視よりも、夜間の監視の方が人員が足りないだろうからな」
「承知した。他にも何か俺にできることがあったら、遠慮なく言ってくれ」
「ありがとう。レオニス君のその言葉だけで心強い」
レオニスにコヨルシャウキの担当窓口と夜間の監視を頼むパレン。
確かにレオニス以外にコヨルシャウキと直接交渉できる者など、パレンくらいのものだろう。
しかし、パレンは冒険者ギルド総本部マスターとしてこれから壮絶に忙しくなることが予想される。
となると、やはり今後コヨルシャウキと会話していくのはレオニスをおいて他にはいない。
アクシーディア公国の首都、ラグナロッツァに迫る未曾有の危機。
スラム街の亀裂、そこから発生するビースリーを阻止もしくは回避できなければ―――十日後にはラグナロッツァが、そして一ヶ月もしないうちにアクシーディア公国を含むサイサクス大陸全土が滅亡するだろう。
レオニスやパレンを含む冒険者ギルド総本部とラグナロッツァ所属の冒険者達、全員が総出で己の成すべきことをするために方々に散っていった。
スラム街での事件勃発後の冒険者ギルド総本部の様子と、前話で初登場した謎の単語『ビースリー』の詳細です。
ホントにねぇ、何でラグナロッツァで起きる事件って他と比べて危険度が段違いで高いんでしょうかね…( ̄ω ̄)…
でもって、ハイファンタジーものでのお約束の超特大トラブル『スタンピード』が拙作でも本格的に登場。
前にもどこかの後書きで、スタンピードのことを『手垢がつき過ぎて、今や陳腐としか思えんのですが……』といったようなことを書いた覚えがあるのですが。
そうは言っても、拙作も剣と魔法のファンタジー世界で、魔物もガッツリいますので。ここは一つ、スタンピードを話に使うにあたり『ビースリー』というサイサクス世界独自の名前をつけることで陳腐化を回避!……できてるといいなぁ……と思う作者でした(´^ω^`)




