第1087話 風の女王の苦悩
辻風神殿の中にそーっと入ったライトとレオニス。
中はひっそりとしていて薄暗く、じめじめとしていて陰鬱な感じがする。曲がりなりにも風の神殿のはずなのに、こんなにも陰鬱な空気が澱んでいるとは予想外もいいところだ。
しかし、耳をよく澄ませばどこかからスン、スン……と啜り泣くような音が聞こえる。
それは神殿奥の玉座がある方向から聞こえてくるようだ。
レオニスが先を歩き、二人で玉座のある方に歩いていくと、そこには玉座に顔を埋めている一人の何者かがいた。
玉座に顔を埋めているので顔立ちは分からないが、髪や身体の色は全体的にほんのりとした薄緑色をしている。
腰より長い真っ直ぐな髪は毛先がくるんとカールしていて、長い髪の隙間から見える腰や脚の流線型のラインが艶めかしい。
これらの見た目から、それは風の女王だということがライト達にもすぐに分かった。
「風の女王か?」
『…………』
「えーと……初めまして、こんにちは……」
『…………』
まずレオニスが先に声をかけ、ライトも続けて風の女王と思しき精霊に声をかけるが、風の女王は見向きもしない。
シカトされた格好だが、レオニスは構わずに話しかけ続ける。
「俺はレオニス、こっちにいるのはライト。見ての通り人族だ。今日は風の女王、あんたに用事があってここに来たんだが……話はできそうか?」
『…………』
レオニスの呼びかけに、それまで玉座の座面に突っ伏していた風の女王がのそり……と頭を上げて振り向いた。
整った目鼻立ちは他の属性の女王と同じ作りの麗しさ。涙でぐしゃぐしゃになった顔なのに、それでもなお美しく輝いて見える。
スン、スン、と鼻を啜りながら、風の女王は徐に口を開いた。
『……アンタ達、何勝手に精霊の住処に押し入ってんのよ。追い返そうとしたのに、それでも無理矢理入ってきて……こんなことが許されるとでも思ってる訳?』
「すまんな。俺達もあんたに直接会って、その無事な姿を確認しなきゃならんのでな」
『そんなもん確認して、どうしようってのよ』
「まず最初に頼まれたのは、他の属性の女王……細かく言うと、炎の女王からの依頼だ。炎の女王は、とある悪い奴等に目をつけられてその命を奪われかけた。もしかしたら、他の姉妹も自分のように酷い目に遭わされているんじゃないかって心配しててな。他の女王の無事を確認してくれって依頼されたんだ」
『…………』
不貞腐れたような顔で、投げやりなことを言う風の女王。
これまでの女王達は穏やかだったり闊達だったり、それぞれ性格によって口調も違ってはいたが、こんなにやさぐれた女王は初めてだ。
そんな風の女王の様子に、ライトはハラハラしながらレオニスとのやり取りを見守っている。
「もう一人は、ケセドという人里の街にいるクレスという人族の女性だ。彼女もまたこのフラクタル峡谷の異変を察知していてな、風の女王のことが心配だから様子を見てきてくれって頼まれたんだ」
『…………』
目線を斜め下にしたまま、無言を貫く風の女王。
レオニスが依頼の証拠として、深紅のロングジャケットの内ポケットから数々の勲章を取り出す。
そして床にべた座りしている風の女王に向けて、レオニスが前屈みになって差し出して見せる。
「一応これがその証拠なんだが……信じてもらえるか?」
『…………』
レオニスの手のひらの上には、赤や青、白に黒に黄色、色とりどりの勲章が乗せられている。
それを風の女王はしばし見つめた後、プイッ!とそっぽを向いてしまった。
『……そんなもの見せられたって、ワタシには関係ないことよ!』
「そうなのか? 今までの女王達は、他の属性の姉妹達のことをとても案じていたが……」
『だって……勲章を見せられたところで、他の皆に会える訳じゃないもの』
最初は強気だった風の女王の口調が、次第に弱々しいものになっていく。
実際そう言われてしまうと、その通りと言う他ない。
勲章から他の女王達の気配を感じ取れはしても、実際に彼女達が目の前に現れてくれる訳ではない。
気配を感じ取れただけで喜ぶ者もいれば、それだけでは満足できないと思う者がいても当然のことだ。
風の女王の言葉でそのことに気づいたレオニス。
少しだけ悲しそうな顔で風の女王に謝る。
「すまんな……女王達ってのは、基本的に自分達の住む神殿から長く離れることはできんものらしいからな……」
『そんなの!ワタシが一番よく分かってるわよッ!!』
「「…………」」
レオニスの謝罪に、風の女王が再び声を荒らげる。
その目は再び潤んでいて、大粒の涙がポロポロと零れ落ちる。
こんなにも悲しみに暮れ、その感情を一切隠すことなく発露しぶつけてくる女王を、ライトもレオニスも今まで見たことがない。
八つ当たりにも近い様相を呈しているが、ライト達が風の女王に不快感を抱くことはない。むしろ彼女がそういう状態になってしまうことに、憐れみを感じていた。
このサイサクス世界の属性の女王達は皆、基本的に居場所を定められている。
その居場所から離れようとすると、謎の強迫観念が働いて居ても立ってもいられなくなるという。
そうした呪縛的な環境下で、最も辛く悲しい思いをしているのは誰か? それは間違いなく風の女王であろう。
風とは空気が流れ動く現象。『風の向くまま気の向くまま』という言葉もあるように、誰にも縛られない自由の象徴でもある。
そんな自由の象徴が、辻風神殿という一つの場所に縛られ続けて自由に動けないとしたら―――彼女が絶望に染まるのも無理はなかった。
いくらこのサイサクス世界がBCOを模したものだからって、こんなの酷過ぎる……風の精霊に自由に飛ぶ権利を与えないで縛り付けるなんて、どう考えてもおかしいだろ?
どうしてあの運営は、こんなことを強いるんだろう。あいつらには、人の心ってもんがないのか?
ライトは心の中で憤慨しながら、創造神に対して悪態をつく。
そして風の女王は、先程声を荒らげた勢いのまま言葉を投げつけ続ける。
『ワタシ、女王になんかなりたくなかった!だって、前の女王様のことが大好きだったんだもん!』
「……少し前に風の女王の代替わりがあったらしい、というのは聞いたが……前の女王と仲が良かったのか?」
『そうよ!前の女王様はとてもお優しい方だった!神殿の外で遊んだり出かけたりするワタシ達の話を、いつでもとても嬉しそうに聞いてくださってたの!』
大声で叫ぶ風の女王。彼女の前身は、どうやら先代の風の女王と懇意にしていた精霊だったようだ。
これは代替わりの時にさぞ辛かっただろう。それまで仲睦まじく接していた女王が消えて、突如自分が次の女王に指名されたのだから。
ちなみにライト達は、属性の女王の代替わりがどのようにして行われるのか全く知らない。ここら辺はサイサクス世界を創造した神の領域であり、一介の人族に過ぎないライト達が知る術もない。
如何にライトがBCOの知識を持っていても、システム構築やその内容には踏み込めないのだ。
ただ、その代替わりは女王が存命中に行われることはない、ということだけは知っている。同種の女王が二人同時に存在することは絶対にないからだ。
故に、代替わりのことを女王達に直接聞いたことはない。
代替わりするということは、当代の女王が消えて新たな次代の女王が選ばれるということ。女王達にそれを直接聞くのは、あまりにも縁起が悪過ぎる。
如何に人外ブラザーズといえど、これを当人達に問うのはさすがに憚られた。
一方風の女王は、何故か途端に急激に声が小さくなる。
『だから……前の女王様のお気持ちに、全然気づかなかった……自分が外に出たい時に、自由に出ていくことができないのが、こんなにも辛くて苦しいものなんだってことに……』
『なのに、ワタシは外での出来事や話ばかりして……そんなのばかり聞かされ続けたら……自由に空も飛べない女王様にとって、すっごく羨ましくて、苦しくて、妬ましくて、憎たらしいだけなのに……ぅぅぅ……』
『女王様……女王様ぁ……本当に、本当に……ごめんなさい……』
大粒の涙を零し続け、悔恨の言葉を連ねる風の女王。
彼女が苦しげに語ったのは、先代女王に対する懺悔だった。
彼女が精霊だった頃は、神殿から離れられない風の女王のためを思い様々な外の話をしていたのだろう。それは純粋に先代女王への忠心から慰めであったはずだ。
だがそれは、彼女の独り善がりであったことを身を以って思い知る。
先代女王のためを思ってしたことが、実は逆に先代女王をより一層苦しめていたのだ―――と。
フラクタル峡谷の風は、風の女王の心の状態をそのままダイレクトに現す。
女王が激昂していれば風は猛り荒れ狂い、平穏な時はゆったりとした爽やかな風が凪ぎ、落ち込んでいる時はじめじめとした微弱な風が吹く。
風の女王が住まうフラクタル峡谷、その風が不安定で一向に安定化する気配がない、というのはライト達もクレスから聞いて知ってはいた。
その原因はひとえに、代替わりしたばかりの当代の風の女王が未だに強い悔恨に囚われていたからだった。
先代の女王への想い、そしてかつての自分の言動を激しく悔いる風の女王。
彼女のあまりにも強い悲しみに、ライトもレオニスも何と声をかけていいのか分からない。玉座に縋りつき、悲嘆する風の女王の前でただただ無言で立ち尽くす。
薄暗い辻風神殿の中は、風の女王の啜り泣く声だけが響いていた。
風の女王の苦しい胸の内が明かされる回です。
確かにねぇ、各属性の中でも風こそが最も自由を愛し欲するイメージがありますよね。そもそも神殿などの建物、閉鎖された空間では風の自然発生などまずありませんし。
一口に精霊といっても、属性によって事情や心情は様々です。
風の女王が抱える苦しみや悲しみが、何とか和らぐことができればいいんですが……




