第1011話 秤にかけられた選択肢
ライトが真剣に考え込む中、ラウルがレオニスに質問をしている。
「ご主人様よ、明日にもイグニスの見舞いに行きたいんだが……ラグナ神殿の中に入れるか?」
「ンー……しばらくの間、ラグナ神殿は封鎖っつーか関係者以外は立入禁止になると思うが……お前は一応冒険者ギルドに所属している正式な冒険者だし、それを提示すれば中に入れるとは思う。ただ、明日はまだ向こうも混乱してて大変だろうから、見舞いに行くなら早くても明後日以降にしとけ」
「そうだな……分かった」
イグニスの見舞いに行きたいと言うラウルに、レオニスが適切なアドバイスをする。
実際のところ、明日以降もしばらくは人の出入りは厳重に取り締まることになるだろう。
それでもラウルはラグナロッツァ総本部所属の冒険者なので、中に入ろうと思えば入れる一応資格はある。
ただし、事件の捜査協力などではなくイグニス個人の見舞いで入るというなら、明日は控えて明後日以降にしておく方が無難だろう。
そうしたレオニスのアドバイスを受けたラウルが、ライトに向かって声をかけた。
「ライト、お前も俺といっしょに明後日、イグニスの見舞いに行くか?」
「……あ、うん、ぼくもイグニス君のお見舞いに行きたい!」
「そしたら、ライトがラグーン学園から帰ってくるまで待ってるからな」
「うん、ありがとう。もしかしたら、イヴリンちゃんやリリィちゃん達もいっしょにお見舞いに行きたいって言うかもしれないけど、いい?」
「もちろんだ。リリィちゃん達もイグニスのことを心配してるだろうからな」
ラウルの見舞いの誘いに、ライトは一も二もなく承諾する。
ライトとしても、イグニスの容態を自分の目で確かめておきたいところだ。
するとここでレオニスが、次の話題を切り出した。
「さて……今日は他にもいくつか、皆に話しておかなきゃならんことがある」
「え…………何?」
珍しく改まった物言いのレオニスに、ライトは嫌な予感しかしない。
イグニスの中の破壊神が覚醒し、【深淵の魂喰い】に潜む【武帝】と戦ったというだけでも衝撃的な事件なのに、まだ他にも何かあるというのか。
戦々恐々とするライトに、レオニスは容赦なく話を続ける。
「今回の件に【深淵の魂喰い】や【武帝】が関わっているってのは、さっきも言った通りだが―――」
「……ご主人様よ、すまんが聞いてもいいか?」
「ン? 何だ?」
「【武帝】が廃都の魔城の四帝ってのは分かるんだが、その深淵の何とかってのは一体何なんだ?」
「あー、ラウルやマキシにはそこから説明しなきゃならんか……」
話の途中で割り込んできたラウルの質問に、レオニスが【深淵の魂喰い】のことを掻い摘んで解説していく。
実はラウルやマキシは、ラグナ神殿の中に一度も入ったことがない。
いや、黄金週間のスタンプラリーなどでラグナ神殿に行ったことはあるのだが、敷地内にある主教座聖堂などの宗教的に重要な施設には入ったことがないのだ。
何故かと言えば二人ともラグナ教信者ではないし、そもそも妖精と八咫烏なので人間が作り出した宗教に関心などなかったからである。
故にラウル達は聖遺物が何なのかも知らないし、レオニスやライトも聖遺物について二人に詳しく話したことはない。
初めて聞く話に、ラウルもマキシもただただ感嘆するばかりである。
「ラグナ神殿は、アイギスへの通勤途中でいつも通り過ぎるだけで、全く興味なかったんですが……そんな物が祀られていたんですねぇ……」
「俺もラグナ教になんか全く興味なかったから、そんな魔剣があることすら知らなんだわ」
「マキシはともかくラウル、お前はこのラグナロッツァにもう十年は住んでるんだから、それくらいは知ってていいと思うぞ?……ま、あんな物騒なもんには近づかない方がいいがな」
ラグナロッツァ在住歴十年にもなるというのに、【深淵の魂喰い】のことを知らなかったというラウルにレオニスが若干呆れ顔になる。
とはいえ、ラウルもレオニスやライトに負けないくらいの高魔力持ちなので、あんな魔剣には近寄らない方が身のためなのだが。
「で? その深淵の何とかってのが、聖遺物と呼ばれる代物で? ご主人様はそれを四つ、揃えなきゃならないんだな?」
「ああ。俺がいつか廃都の魔城の四帝を倒すためには、ラグナ教で聖遺物と呼ばれる四つの武器を揃える必要がある。四つの聖遺物のうち三つは既に俺の手元にあって、残る最後の一つがラグナ神殿の聖堂に祀られている魔剣【深淵の魂喰い】でな。今から三週間後に、俺がその魔剣に潜む【武帝】と直接戦う予定だったんだ」
「そうなのか……」
何とか話が飲み込めてきたラウル。
しばらくしてパッ!と明るい顔になる。
「そしたらご主人様は、その魔剣とはもう戦わなくて済むってことだよな? だって、その【武帝】は今日、総主教の最上級浄化魔法で殲滅したんだろ?」
「まぁな……それで事が終わりゃ万々歳なんだがな」
「ン? 何だ、違うのか?」
ラウルが明るい顔になったのは、レオニスがもう【武帝】と戦う必要はなくなった、と思ったからだった。
実際にラグナ教総主教のホロが最上級浄化魔法で殲滅したというのだから、そこだけ聞けば誰もがラウルのように考えるだろう。
だが、話はそれで終わりではない。その話の先には続きがある。
苦笑しながら否定するレオニスに、ラウルが不思議そうな顔をしている。
その一方で、ライトがものすごく渋い顔をしていた。
「レオ兄ちゃん……【武帝】が消えた後の【深淵の魂喰い】はどうなったの? 聖なる聖遺物に変化したの?」
「ああ。長年祀られていたのは赤黒くて禍々しい魔剣だったが、今日俺が聖堂で見た時には白銀色の綺麗な剣に変わっていた」
「あの魔剣の聖なる状態は……【晶瑩玲瓏】だっけ? それになったってこと?」
「多分な」
負の聖遺物【深淵の魂喰い】が、聖なる聖遺物【晶瑩玲瓏】に変化した。これは普通に考えて、とても喜ばしいことだ。
だが、ライトの顔からは険しさが一向に消えない。
ライトは険しい顔のまま、なおもレオニスへの質問を続けた。
「……その【晶瑩玲瓏】は、レオ兄ちゃんが無事回収できたの?」
「…………無事ではないし、まだ回収もできてない」
「てことは…………」
「聖堂の祭壇部で、真っ二つになった【晶瑩玲瓏】が発見されたんだ」
「やっぱり…………!!」
ライトが懸念していた最悪の予想が的中してしまってしまったことに、ライトは落胆を隠せないでいる。
先程レオニスが言っていた『魔剣の中に潜んでいた【武帝】が逃亡せざるを得なくなるような、何かが起きた』というのは、ライトの中で『破壊神と【武帝】が直接対決した』という正解の推論に辿り着いた。
ならば、戦闘のその後はどうなったのか。
その答えは『真っ二つ』という惨状だった、という訳だ。
【武帝】が黒い靄となって逃げ出したのは、破壊神によって魔剣が損壊した故の逃亡劇だったことがレオニスの話により明らかになった瞬間だった。
『やっぱそうなってたか……魔剣といっても所詮は剣、あの破壊神と戦って何事もなく無事でいられる訳がない』
『……いや、でもそこはさすが聖遺物と讃えるべきか……ただの剣だったら、粉々に砕けて消滅するところだし。破壊神相手に消滅もせず、むしろ真っ二つというちゃんとした形を残せただけでもすごいことだよな』
『でも……いくら形を残せたと言っても、真っ二つになるなんて……それ、もう聖遺物としての役目を果たせないんじゃないか……?』
破壊神云々なんて絶対に口には出せないので、ライトは頭の中で懸命に考える。
しかし、考えれば考える程絶望的な状況としか思えない。
真っ二つに折れた剣なんて、どう考えても剣として使い物にならない。
また、剣としてだけでなく通行証としての役割を果たせるのかどうかも怪しい。
不安ばかりが広がるライト、思いきってレオニスにそのまま質問としてぶつけてみた。
「レオ兄ちゃん、その聖遺物、大丈夫なの……?」
「まぁ、このままじゃ大丈夫じゃないな。実際に真っ二つに折れた【晶瑩玲瓏】をこの目で見たが、明らかに聖なる力が低下していた」
「だよね……じゃあ、もう誰も廃都の魔城の四帝の本体のもとには行けなくなっちゃった……ってこと?」
「いいや、そんなことはさせん」
「「「……???」」」
やはり聖なる聖遺物【晶瑩玲瓏】が使い物にならなさそうなことに、ライトの落胆はますます深まる。
人類の敵であり諸悪の根源である廃都の魔城の四帝。その根絶のための重要な鍵が失われてしまったら、奴等は永久にこのサイサクス世界に蔓延り続けることが確定してしまう。
それは即ち、サイサクス世界には永久に平和が訪れないことを意味していた。
だが、落胆するライトとは真反対に、レオニスだけは平然と構えている。
本来ならレオニスが最も落胆するところだろうに―――どうしてレオ兄は平気なんだ?と、不思議そうな顔でレオニスを見つめるライトに、レオニスの方から種明かしをした。
「真っ二つに折れた【晶瑩玲瓏】に、復元魔法を使う」
「!!!!!」
レオニスの言葉に、ライトはその目を極限まで見開き驚く。
そう、ライトはレオニスの奥の手『復元魔法』の存在を失念していた。
それはかつて、ライトがグライフの経営するスレイド書肆で入手した謎の本にかけた禁断の魔法。だいぶ昔の出来事なので、ライトはすっかり忘れてしまっていた。
だが確かにそれがあれば、真っ二つに折れた剣を直すことも可能だろう。というか、それ以外に【晶瑩玲瓏】を直す方法はない、とまで思えてくる。
そもそも普通の鍛冶屋に、聖遺物が直せる訳がないのだから。
だが、かつて謎の本に復元魔法をかけた時の凄惨な光景がライトの脳裏に蘇る。
室内に暴風が起き、吹き荒れる中苦痛に歪むレオニスの顔を思い出すと、とてもじゃないがライトには賛同できなかった。
「レオ兄ちゃん、あれを使うの!? そんな危険なこと、やめてよ!」
「止めても無駄だぞ。これは俺一人の問題じゃない、人類……いや、世界中に生きる全ての者達の存亡に関わる問題なんだからな」
「そ、それは分かるけど……!でも……でも……!!」
大きな声を上げて止めにかかるライトに、レオニスは静かに諭すように反論する。
もちろんライトにだって、レオニスの言っていることは分かる。
廃都の魔城の四帝の根絶は人類の悲願であり、それを成すためには四つの聖遺物がどうしても必要であることくらい、ライトにだって分かっているのだ。
しかし、そのためにはレオニスの生命を危険に晒さなければならない。このことが、どうしてもライトには許し難かった。
世界平和という大義と身近な者の生命、どちらか一つを選べと言われても、秤にかけること自体が無理難題なのだ。
意識不明になったイグニス、【武帝】の出現、【晶瑩玲瓏】の損壊、どれをとっても全てが一大事なのに、さらには聖遺物の修復のためにレオニスが復元魔法まで使うと言うではないか。
これら全部が一気に押し寄せてきて、ライトの頭は混乱どころの話ではない。もう本当に頭の中はぐちゃぐちゃで、考えを整理する余裕など全くなかった。
ライトは矢も盾も堪らなくなり、食堂を走って飛び出した。
「あッ、おい!ライト!」
「ライト君!」
ライトが突然食堂を出ていってしまったことに、ラウルとマキシが驚いて席を立つ。
この二人は、レオニスの言う復元魔法がどんなものなのかさっぱり分からないので、ライトとレオニスが何故言い合いになっていたかも理解できていないのである。
とはいえ、状況的にこのまま放置していいとはとても思えない。
ふぅ……と小さくため息をついたままのレオニスに、ライトが飛び出していった食堂の入口とレオニスの顔をキョロキョロと見ていたマキシが、食堂の入口に向かって走り出した。
「僕、ライト君の方を見てきます!ラウルもレオニスさんからよく話を聞いといて!」
「お、おう。……ご主人様よ、俺らにも分かるように説明してくれ。何でライトはいきなり飛び出していっちまったんだ?」
「…………」
マキシの指示に従い、ラウルがレオニスに理由を問い質す。
いつもは和やかで笑い声の絶えないラグナロッツァの屋敷が、この時ばかりは不穏な空気に包まれていた。
ラグナロッツァの屋敷での話し合いの続きです。
ライト君ってば、やぁねぇ、復元魔法の存在をド忘れしちゃってたなんてー!
……って、復元魔法の初出が第77話でその実行が第82話とか、900話以上も前の話じゃーん!そりゃライトも忘れるってもんですわ!(º∀º)
というか、話の流れ的に仕方ないんですけど、最近ずーっと真面目な話が続いてて憂鬱な作者。作者は基本的にギャグ調のんびりのほほんとした日々が好きなんですよぅぉぅぉぅ><
あー早く平和な日常回に戻りたいー(TдT)




